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第三章 迫りくる足音
15 次は直接手を出すべきか。
しおりを挟む一転して静かになった扉の前、少し考えるような間の後ウェズリーが質問をしてくる。今も玄関の柱を手摺りにしているので、その質問に首を横に振った。息をついた後、視線が合わぬ主人が自身の腕をリタの前に無言で差し出してきた。
「あ、有り難うございます」
若干戸惑いつつ、腕に体重を掛け屋敷の中に上がる。寝起きで体温が上がっていないのか、衣服越しの腕にそこまで温もりを感じられなかったのが少し寂しかった。
「どういう状況で、誰に盗られたの?」
「デヴィッド様の屋敷の新しい主人になったジェシカ様――その屋敷の近くにある青果店の前で、偶然お会いしたジェシカ様とお話をしていたら、だだだっと一目散に走って来た男性に買い物袋を……顔は分かりませんでした。それでジェシカ様と暫く犯人を追っていたのですが、私が王立劇場前で足を挫いてしまい……今に至ります」
「そっか。あの辺りで引ったくりをやるのは大分勇気が要るだろうね、それもメイド服を着ている人となると。主人に特定でもされたら厄介だろうに」
居間に行くまで暫く、至近距離での会話が続いた。主人の言葉にコクリ、と頷く。
「私もそう思います。ですからこれは――」
「爺さんの関係だろうね。それも、財布より君が爺さんから預っているネックレスを狙って、だ」
己の言葉を引き継ぐように言う主人の言葉に、視線を胸元に落とす。今はメイド服に隠れて見えないが、そこには確かにどこかの鍵が隠れている。デヴィッドには、自分の知らない一面があるのだろう。ウェズリーとデヴィッドの気まずそうな関係もそうだ。
「あの、ウェズリー様はどうしてデヴィッド様の事を――」
続けようと思って止めた。二人の関係はいつか自分も知る権利があると思うが、それは今じゃない。デヴィッドのおかげで以前から知っている気がしているが、ウェズリーとはまだ会ったばかりなのだ。そんな付き合いの浅い人間が聞いても答えてくれる内容ではない。せめてもう少し同じ時間を過ごすべきだろう。主人は自分が喋るのを止めた事を見て一瞬不思議そうに瞬いた後、すぐに意味を察してくれたらしく、どこか有り難そうに鼻を鳴らした。
「ふんっ。とりあえず君は一旦そこに座っていてくれる? 離れの椅子を持ってくるまでしか貸してあげないけど」
自分を何時も執筆中に使っている椅子に座らせた後、体の向きを変えたウェズリーが話し掛けてきた。
「お気遣い有り難うございます。はい、では少し使わせて頂きますね」
うん、と素っ気なく答え主人は居間を出て行った。気難しい人だよな、と改めて感じる。一人になり深呼吸をし、気持ちを切り替えてハイディの従僕が持ってきてくれるらしい食材について思いを巡らせた。
何をどれだけ買ってきてくれるのか分からない為幾つもレシピを考えていると、少しして屋敷の扉が開いた気配がした。ウェズリーが戻って来るにしては少々早い。まさか侵入者か、と身構えたが、人の気配は居間に入ってくる事無く二階に上がっていき、少しして再び一階に戻ってきた。
声を上げるのも憚られ石像になった気分で息を殺していたが、数秒後玄関の方から歓喜の声を上げている青年の声と、淡々とした主人の声が聞こえて全てを理解した。食材を持って来てくれた従僕とかちあった主人が、きっとぽんと謝礼を出したのだろう。その場面がありありと目に浮かび、リタはふふっと笑みを零す。玄関が閉まり、少しして主人が戻ってきた。
「おかえりなさい、有り難うございます。…………随分な大荷物ですね?」
紙袋が乗った丸椅子を持ち、老人が良く使っている杖を小脇に抱えている主人を見て、思わず言ってしまった。
「ふんっ、まあ片付けるのは君だしね。はい、これ椅子ね。で、これはさっき伯爵の従僕から受け取った食材が入った紙袋。食材の横に暇潰しの本が入ってるから読んでていいよ。最後にこれは君の足の代わりをしてくれる杖。資料で買ったけど取っといて良かった。ところで僕まだ朝食べてないんだけど作ってくれる? 後ごめん、退ける?」
「はい大丈夫です。失礼いたしました。では……」
口の上手い露天商のようにとめどなく話す主人の言葉に頷き、リタは杖を受け取って立ち上がった。杖の使い方はすぐに慣れ、紙袋を持って台所に向かう。卵と野菜が見えたので、酸っぱくなくて申し訳無いが、オートミールとオムレツでも出そうかと思う。
チラと振り返ると、主人は既に執筆用の椅子に座って、万年筆を持って原稿用紙と向き合っていた。その横顔は目標を見付けた地方の少年のように輝いており、リタは目を細める。
自分用のオムレツも作り、オートミールをふやかし、温めのコーヒーを淹れ、リタは主人の食事を作り終えた。オートミールを食べたくなかったので、自分用のオムレツは主人の物より一回り大きかったのは秘密だ。
「結構美味しいね」
食事を取っている時主人がポロっと口にした言葉。素材の事を指しているのだろうが、きっと自分の心に何時までも残るんだろな、という予感がした。
食事を取り終わった後、ウェズリーは脇目も振らず己の机に戻っていった。主人がこの後どうなるか知っているので、リタも主人が持ってきてくれた椅子に座り本を読む事にした。主人の執筆中確かに暇だったので、本を用意してくれたのは嬉しかった。
【蒸気機関車殺人事件】という如何にもな題名で、旅に向かう探偵が移動中の蒸気機関車内の殺人事件に巻き込まれる内容だった。銅貨の直径くらい頁がある。
ムソヒの伝承に「真に一人になりたい時はページを捲れ」と孫に語る老人が登場する。今よりもずっと背が低かった時はその言葉の意味が理解出来ず、字面通り部屋で一人になりたい時に本を読む物だと思っていた。けれど今、その言葉の意味がようやく分かった気がした。本を読んでいる最中は、世界に自分と登場人物しか存在しないのだ。
「――タ、リタ」
証拠を求めて、吹き出る汗をそのままにボイラー室に侵入した主人公を見守っていたら、不意にウェズリーの声が鼓膜を揺さぶってきた。
「あっ、はい! 申し訳ありません、何でしょうか?」
気付けば、主人が席を立ってこちらを見下ろしていた。完全にやらかしてしまった、と焦る。ウェズリーは思っていた以上にすぐ側にいた。主人は自分の反応が遅れた事に特に気分を害した様子も無く言ってきた。
「コーヒー淹れてくれる?」
「はい、失礼致しました。少々お待ち下さい」
足に負荷を掛けないよう気を付けて立ち上がり、杖を使って台所に向かう。と、後ろから主人に声を掛けられた。
「本楽しかったみたいだね」
その言葉に足を止め、首を後ろに回し主人の目を見る。
「おかげ様で楽しい時間が過ごせました。有り難うございます!」
自然と目を細めて笑って答えると、主人の表情から力が抜けるのが分かった。
「そっか」
自身が褒められたかのように嬉しそうな表情を浮かべているウェズリーは何でも無さそうに椅子に戻っていった。その後ろ姿を視界に映しフフと笑み、台所に入ってコーヒーを淹れ、その日は一日ゆっくり過ごした。
***
今日、あのメイドの荷物をチンピラに命じて盗ませた。財布にあの鍵が入っている事を期待したが……甘い考えだったようだ。次は直接手を出すべきか。
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