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第四章 屋根裏の住人
23 「良いよ、まあ少し汚いけど慣れたでしょ?」
しおりを挟む「…………え?」
意外そうに瞬きを繰り返す自分を見て、ウェズリーは面白く無さそうに益々こちらから視線を逸してしまった。
「聞こえたでしょ。まあ聞こえてなかったらもう頼まないから良いけど」
「申し訳ありません、聞こえておりました! ……意外に思いまして、固まっておりました」
栞を挟んでから本を閉じ、リタは背筋を正してから立ち上がり近くに立っている主人を見上げた。ふんっ、と鼻を鳴らした主人は不服そうな表情のまま、こちらの返事を促すように視線を向けてくる。
「勿論お手伝いさせて頂きます。ですが、宜しいのですか?」
「良いよ、まあ少し汚いけど慣れたでしょ?」
確かに、と内心苦笑いを浮かべる。毎日自分が片付けるようになってマシになったが、足を挫いた事やウェズリーが嫌がっていた事もあり、未だに二階は汚い。
「はい……とても掃除しがいのある屋敷ですので」
ふんっ、と今度は楽しそうに鼻を鳴らし、金髪の青年は身を翻して早々に居間から出て行く。自分もその後を追い掛け居間を出ていく。夕焼けがほのかに階段を橙色に染める中、数回しか登った事のない階段を上がった。二階に立った瞬間、気のせいか空気が少し変わったように感じた。
「部屋の汚さもまああるけど、要らない本を整理しようと思って。何か読みたい本があったら、君貰ってくれる? 丁度次の本を見繕う頃でしょ?」
「はい、良く分かりましたね」
主人が鼻を鳴らす音を聞きながら奥の部屋に進んだ。この屋敷はデヴィッドが住んでいた屋敷に比べて部屋数が大分少ない。一瞬躊躇した後、主人は部屋の扉を開け中へ入っていく。
「わっ……!」
思わず感嘆の声が漏れてしまう部屋だった。ポスターやチラシでしか見た事のない王城の図書室のように、壁一面に本棚が並べられている。その中には様々な色をした背表紙の本が所狭しと収められていた。が。視線を落とした瞬間先程とは違った種類の感嘆の声が漏れる。
「…………わあ……」
本棚の中は綺麗だが、床の上は汚かった。積み重なった木箱に服、標本や雑誌、封筒に便箋や切手入れ、素足で踏んだら絶対に痛そうな鋏まで床に落ちている。足の踏み場のないこの部屋で唯一褒められるのは、食べかけの菓子の箱や水差しが無かった事だろう。この部屋の奥にある机まで行って帰還してきたカッレに拍手を送りたかった。
「……食べ物は手が汚れるし飲み物は零すのが嫌で置いてない。でも、掃除しがいのある部屋でしょう?」
自分の声の変化に気付いた主人がこちらを見る事なく、どこか気まずそうに言ってきた。
「はい、とても……」
答える声が強張っていた。汚い部屋なのは間違いないが、ウェズリーらしい部屋と言えばらしい。
「……何から片付ければ良いと思う? いきなり本を見るのは難しいでしょ」
ウェズリーの声はまるで、焦げた鍋の掃除方法を母親に請う男子学生のように拗ね切っていた。虫が湧いている様子はないので、ウェズリーからしてみれば同性のカッレはともかく、極力メイドに見せたくなかったのだろう。それだけに寝室に自分を入れてくれた事、掃除をさせてくれる事が特別な事に思えて嬉しくなる。
「まっ、君なら良いかなって思ってさ。本を楽しそうに読んでくれるから親近感が湧いたのもあるし」
こちらが何か言ってくる前に言いました、とばかりに付け加えてくる主人が面白くて小さく笑う。その場に身を屈め、床に落ちている天文雑誌を拾い上げた。
「そう思って下さり有り難う御座います。ではまず、足場を作りましょうか? 私は雑誌と本を分別しますので、ウェズリー様は服を拾って廊下に出しておいて頂けますか?」
「……はーい」
拗ね切った口調のまま主人は頷き、緩慢な動きで近くに落ちているシャツを拾い上げた。足場を理解しきった慣れた足取りで部屋の奥まで服を拾い、三歳児程の大きさまでに育った塊を抱えて戻ってきた。それだけで本棚に囲まれたこの部屋が大分スッキリした。多彩なジャンルの雑誌や本を拾っている横、服の塊を抱えた主人とすれ違う。
「僕も本拾うか」
呟いた主人は身を屈めていたものの――ふと隣を見ると、床に座って文庫本を開いて中を読みふけっていた。
「…………」
なんとなく、本当になんとなくではあるが、こうなるだろう気はしていた。リタは一度溜め息をつき、黙って書籍を分別した。
本や雑誌を分別し、鋏を初め小物類を棚にしまい終わった頃には、水色のカーテンから覗く空はすっかり暗くなっていた。主人は執筆をしている時と同じ集中力で本を読んでいるので、廊下に出された服を一階にある洗濯桶に入れても問題がなかった。主人にいつ話し掛ければいいものか装飾品の雑誌に目を通しながら悩んでいると、廊下にパンッ……と本が閉じられる乾いた音が響く。音に反応して主人に視線を向ければ、金髪の青年は満足そうに息をつき目を伏せた後、片付いた室内を見て頬を掻いた。
「あー……ごめん、全部やらせちゃったね」
「いえ、お気になさらず。少し予想していましたし、私はこれが仕事ですので。……それに謝って頂けましたしね?」
ふふっと意地悪く言うと、横で主人が肩を竦めていた。立ち上がり足の踏み場が出来た室内を横切ってこちらに近寄ってくる。
「さて、と。今床に落ちている本ならどれも君にあげても良いけど、何か気になったのはあった?」
ちら、と視線を持ち上げて主人に視線を向ける。その言い方だと本をすべて把握しているのだろうか。この人なら有り得そうだ。
「そうですね。レストランやパブの話が気になりましたので、頂いても宜しいでしょうか? 後、私ウェズリー様の本が読みたいです。駄目ですか?」
雑誌を閉じ、主人の目を見ながら訪ねる。と、目の前の青年は初歩的な足し算を間違えた人を見るように不思議そうに眉を顰めた。
「なんで? 僕のより面白い小説なんて星の数ほどあるのに」
この人はこんな性格の割に偶に自己評価が低い時がある。ウェズリーみたいなタイプなら寧ろ自著が一番面白い、と断言しそうなのに。
「それは読んでみないと分かりません。以前読んだウェズリー様の原稿、面白かったですよ」
首を横に振って言う。冒頭しか書かれていなかったあの原稿は、読書遍歴の浅い自分が読んでも面白いと感じた。それを伝えるとウェズリーは目を細め、身を翻して部屋の奥に向かう。
「じゃあ、好きにしたら。……奥にどうぞ」
「はい! 有り難うございます」
自分も立ち上がったその時。寝台の下に本が一冊滑り込んでいたのが見えた。一瞬弟の学生時代を思い出してしまったが、この人がやる事には思えなかったので、足を止めて表紙に視線を落とす。人を怖がらせた事なんて無さそうな幽霊の絵が表紙の、子供向けの小説だった。きっと片付けそびれていたのだろう。
「マシュマロの……幽霊ぃ?」
内容が分かるようで分からない題名に、思わず呟きが漏れる。本棚を見上げていたウェズリーが、自分の呟きに目を見張ってこちらに顔を向けた。
「――え?」
街中で疎遠になっていた幼馴染とすれ違った時のように、驚きに満ちた表情を浮かべていた。まさか本の題名を読み上げただけでそのような反応をされるとは思っていなかったので、こちらも驚いてしまった。
「申し訳ありません、この本拾いそびれていたようです……。大分古い本ですね、ウェズリー様が子供の時に読んでいた本ですか?」
「…………そうだね。僕が初めて読んだ本だよ。読みやすいから、気になるなら貸すけど」
すぐに顔を正面に戻した主人の横顔は、子供のような大人のような複雑な表情で、眉を下げて笑っていた。何事も初めての事は思い出深くいつまでも心の中に残っている。自分も初めて母親とクッキーを焼いた時の高揚感は今も忘れられない。
だから主人はそんな大袈裟な反応をしたのだろうか。ぺら、と本を捲り奥付を見てみると、発行日は十三年前になっていた。「十三年前……」
主人が十の時の本。前にジェシカが言っていた、ウェズリーが両親を亡くした歳。この頃この青年はどんな子供で、デヴィッドとどんな仲だったのだろう。
「ウェズリー様はこの頃――」
尋ねかけて止めた。前も思ったが、自分がこういう事を聞くのはまだ早い。そっと首を横に振り、俯きがちで本棚の前に立った。と、横に立っている主人が鼻を鳴らす音が鼓膜を揺らした。
「君は賢いけど、気を遣い過ぎるところは馬鹿だよね」
「なっ……!?」
余りに直球で咄嗟に言い返せない言葉に、リタはバッと横を向き主人を睨み付ける。自分の視線に気付いてるだろう主人は唇の端を上げて笑った後――胸のわだかまりを形にするように口を動かした。
「別に良いよ、君には話そうと思ってたし……部屋の掃除を頼んだのも、覚悟を固める為だったし。聞きたいんでしょ? 爺さんと僕の事」
「そう、ですね……聞きたいです。デヴィッド様もウェズリー様も、私がお仕えしている方ですので……それに私、このお話を聞かないとデヴィッド様が殺された理由、きっと本当に分からないと思います」
だよね、とウェズリーは笑い視線を泳がせた後、ぽつりと口を動かした。
「十三年前、僕はルミリエの郊外に住んでいたんだ。友達とボードゲームをしたりさ、中途半端に都会で田舎だったけど、それなりに楽しい幼少期だった。……その頃は両親や爺さんと過ごす休日が大好きだった」
体の向きをこちらにし、主人は話し始めた。ルミリエ郊外は空気も綺麗で田園風景が広がっており、交通は不便だが衣食住が充実している暮らしやすい地域だ。
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