ウェズリーが真相に気付く時

上津英

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第六章 真相

35 「ではもう、私はクビですか?」(完)

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 人に言われないと認められない事は誰にだってある。それは聡いこの人にだってあって当然だ。だから自分がこればかりは、遠慮をせずに言わなければならない。

「ウェズリー様。振り返らなくて結構ですので聞いて下さい。私、今回の事件で思った事があるんです。……デヴィッド様と、ウェズリー様の事です」

 主人はぴくっとほんの少しだけ肩をひくつかせたが、顔を前に向けたまま動こうとしなかった。

「お二人の関係がとても複雑である事は、話を聞いた私ですら簡単に想像出来ます。デヴィッド様の一言でウェズリー様が深く傷付かれたのは確かです」

 ぽつ、ぽつと話し掛けていると、主人は何を言うのかと言いたそうに鼻を鳴らした後、前を向いたまま立ち上がる。

「…………別に、傷付いてないけど?」
「そうかもしれませんね。だってウェズリー様、本当はデヴィッド様の事慕っていたのでしょう? ただそれを、認めるのが嫌だっただけで」

 これを言ったらウェズリーはどういう表情をするのだろう。嫌がるかもしれない。けれど、どうしても伝えたかった。デヴィッドへの気持ちに向き合って欲しかった。

「……どうしてそう思うのさ?」

 どことなく、本当にどことなく、初めて人に間違いを指摘されたかのように、主人の声は動揺していた。

「節々から感じられましたよ。それに、マシュマロの幽霊、です」

 背中に向かって話し掛けながら、主人の寝室の隅にあった本の事を思い出す。その本の題名を口にした時、それまで背中を向けていたウェズリーがこちらを向いた。何時も以上に顔を顰め視線を地面に落とし、聞きたくないと言う雰囲気で何かに耐えるように口を閉ざしているのに。
 この人は本当に、どこまで行っても面倒臭い人だと思う。一瞬目元を緩めた後、絆されまいと拳を握る。

「本当にウェズリー様がデヴィッド様を嫌っているのなら、デヴィッド様から頂いた本を十年以上も取っておきませんよ。こんなにも本を愛し、小説家にだってなっていたかも分かりません」

 変わらぬ口調で言い終わった後、自分とウェズリーの頬を柔らかな風が撫でていく。

「……ウェズリー様は私よりもずっと賢い方です。そんな方が、どうしてデヴィッド様があんな回りくどい事をしたのか、気付いていないわけありません。単にゲール様を告発したいだけなら、天井裏に阿片なんて隠さず、そもそも私に宛てた箱に同封すれば良いのですから。伯爵だっていずれ事件を解決したでしょう」

 言い終えた頃には主人の顔から表情が消えていた。青い瞳がただただこちらを見ていた。

「でも、デヴィッド様はウェズリー様が良かったんです。ウェズリー様に解決して欲しかったんです。それは、ウェズリー様と仲直りしたかったからとしか思えません。こんなにもウェズリー様を信じていると、伝えたかったんです」

 自分の言葉を聞いていく内に、ウェズリーの表情に変化が見られていく。次第に、幽霊を信じていなかった人が幽霊を目撃してしまったように目を見開いていく。自分の中の常識が変わってしまった。そういう表情だった。

「…………」

 日が落ちてしまうのでは、と思う程長い時間ウェズリーは黙っていた。しかし少ししてウェズリーが深い深い息をつくのが分かった。胸の内の気持ちをすべて吐き出すくらい長かった。視線を逸らし、ウェズリーは呟いた。

「気付いてたよ……爺さんは、僕に、謝りたかったんだよね。言葉では僕に届かないだろうからって、こんな回りくどい事までして、さ。僕がこの事件の真相に気付くかなんて、分からなかっただろうに……」

 長い息をついたウェズリーは、ふっと自嘲ぎみた笑いを漏らした。

「信じていたんですよ、ウェズリー様なら気付くって。それだけ思っていたんです。すまない、愛してるって」

 生前デヴィッドは海岸通りを歩く度、「良く気付く」と誇らしげに自分の孫の事を話していた。あの時の横顔に嘘は無かったから、デヴィッドはこんなに遠回りな事をしたのだ。

「なにそれ……それだけ僕に伝えたかった、て事か。爺さんって本当に馬鹿だよね」

 ぽつりと言った金髪の青年は、すぐ頭上に晴天が広がっていた事に初めて気が付いた人のようにふっと笑った。その表情に先程まであった険は無く、目の前の光景をすべて認めたような顔をしていた。少しして、青い瞳から一筋の涙が頬を伝っていった。

「そこまで信じてくれた人、もう憎める訳無いじゃんか……っ!」

 ウェズリーの震えた声を聞くのは初めてだった。主人の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出していく。それは大好きな人を大好きと認めた――もう届く事の無い涙だった。区画には暫く、子供のように泣きじゃくる声が響き渡った。
 その間リタはずっと黙っていた。主人の泣き声を聞いている内に自分も涙が込み上げてくる。こんなふうに言うしかなかったデヴィッドも、こんなふうにしか気付かなかったウェズリーも馬鹿だ。でも馬鹿な祖父と孫の中を取り持てて良かった、と瞼に熱を感じる中思う。メイド服から取り出したハンカチで己の涙を吸い取った後、思い出したように背中を向けた主人に、そっとハンカチを差し出した。

「……使います?」
「要らないよっ! 別に泣いてないしっ! これは汗! そう、汗なのっ!」

 未だに肩を震わせている主人がハンカチを受け取る事はなく、無茶苦茶な事を言ってくる。あまりにも分かりやすい返しにくすりと笑みが零れる。何時もみたいに捻くれた言い回しが出来ないくらい、今この人は余裕が無いのだ。

「そうですか。……そうですね」

 ハンカチを服に戻す。ウェズリーは今も肩をひくつかせていた。
 穏やかな風が吹き――ふっと思った。そう言えば、デヴィッドの事以外に認めて貰いたい事が、自分にはまだもう一つあるのだ。普段は絶対に認めてくれないだろうし、自分もきっと切り出さない事だ。だが、感情で頭がいっぱいになった今なら言えると思ったし、言わせられると思ったし、言いたいと思った。

「……ところでウェズリー様? 最初に私に言った事、覚えていますか?」

 ここぞとばかりにその話を切り出すと、見るからに主人の肩が跳ねた。この反応はこちらの言いたいことが分かってる。そう判断し、リタは畳みかけるように次の言葉を続けた。

「デヴィッド様の事件の謎が解明するまでの間しか、私を雇う気は無いって言いましたよね?」
「…………そう、だった、ね」

 主人の返事がぎこちない。

「ではもう、私はクビですか?」

 ズバッと尋ねると、主人との間に先程よりもずっと長い沈黙が生まれた。普段なら言わないだろうが、ゲネプロを抜け出してまで助けに来たメイドを、この人が手放すわけがない。

「君は、どうしたいのさ」
「私は……ウェズリー様の返答次第にしようと思っています」
「はっ!?」

 思ってもいなかった事を言われた、とばかりの声を主人が上げる。数秒後、いつものように鼻を鳴らす主人がそこには立っていた。

「今更君が僕に言葉を求める必要が――」
「あります。何せ私はメイドですからね? 契約は必要です」

 また自分達の間を沈黙が支配した。「言ってる事は理解出来るし頷けるが、今更言いたくない」。そういう表情をしていた。暫く青い瞳と睨めっこをしていたが、自分の視線からは逃げられないと思ったようだった。
 少しして深い溜め息をついた後、観念したとばかりにウェズリーが嫌そうにこちらに向き直った。泣いていたと言うのを抜きにしても顔が赤い。やっぱり今この人は感情で頭がいっぱいだ。

「……リタ。あらた…………。あーもう、ったく! 良いから僕のメイドで居なよ! 僕の隣には君くらい強かな人じゃなきゃ務まらないんだから!」

 主人はきっとこう言う台詞を口にしたくないタイプなのだろう。それだけに今、言い表せぬ程に嬉しかった。いっぱいいっぱいの人から聞けた、大切な言葉だ。

「はいっ。是非宜しくお願い致します!」

 こちらもやっと認めさせた。嬉しくて、子供のように頬を持ち上げて笑う。

「あーっもう、帰るよ! またね爺さん!」

 先に足を動かした主人の耳はまだ赤くて、思わずクスクスと笑っていると――主人が振り返って八つ当たりをするように一度きっとこちらを睨んできたので、おかしくてもう一度笑ってしまった。

「はいっ! ウェズリー様!」

 改めて名前を呼び、正式な主人になった青年の後を着いていく。込み上げてきた嬉しさはすぐに消えず、歩いている時も笑ってしまった。そよ風の中、昼の光を受けるデヴィッドの墓石が、泣き濡らした後の笑顔のように輝いている。
 ――有り難う、良かったね。
 それはまるで。目を細めたデヴィッドからそう言われているかのようだった。
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