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Ⅱ havn―海―
21 「い、家出? トロムソまで!?」
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「お早うございます。いえ、気にしないでください。にしても……トランプって難しいですね」
そうだね、と目を細めて答えるとウィルは立ち上がってこちらに歩み寄って来る。縁にもたれ掛かって一息つき、対岸に点在している赤や黄色い家を見て呟く。
「ところで、どうしてノルウェーの町って色鮮やかなのですか?」
ぽつり、と尋ねてくる横顔が幼くて目を細める。先程までロシア語を話していた人物がする質問ではない。
「極夜でも自分の家を間違わない為ね。ランタンで照らした家の壁が青だったり赤だったりしたら、現在位置が分かるでしょう? 後単純に可愛いから」
「へえ……、そうなんですか。教えてくれて有り難う御座います。前から疑問だったんですよ。魔法使い仲間に聞いても彼らも山奥暮らしで、誰も分からなかったんです」
「前から、って貴方ずっと山奥に居たのでしょう? 町並みを見る機会があったの? 魔法?」
不思議に思って尋ねると、ウィルがどこか懐かしそうに笑った。
「遠くの風景を見れる魔法はありません。俺、13の時に退屈すぎて家出をして、トロムソに行った事があるんです。その時に」
「い、家出? トロムソまで!?」
自分のような跳ね返りならともかく、ウィルのような穏やかなタイプが家出をするとは意外だ。それに確かウィルはトロムソから1週間離れた山奥に居た筈。13でそれとは、なかなか思い切った事をする。
隣の青年を見上げる顔も強張った。
「意外……もしかして昔はヤンチャだったとか?」
「まさか、まあ山で良く遊んでいたので生傷は絶えませんでしたが。退屈には勝てなかったんですよ」
「あっ分かった、約束したって人とはその時会ったってわけね!」
苦笑いを浮かべる青年の横、繋がった! とばかりに口を動かす。6年前の約束を守りに山を下ったとは律儀な青年だ。
悪意なんて少しも無かった。しかし動きが止まったウィルから返って来たのは意外な反応で。
「えーっと……すみません、その話は止めません? 面白い話では無い、ですよ」
こちらを向こうとしないウィルが苦そうに言う。意外な反応に目を丸くし、俯いた青年の風に靡いている金髪だけが視界の中動いていた。
「え、でも、半年後にって――」
「それも忘れてくれませんか。えっと……その人は俺の事を忘れてますから、もう良いんです。今は貴女をストックホルムに連れて行く事だけを考えたい」
どこか困ったような横顔を見ながら瞬く。この話題は触れて欲しくなかったようだ。どういう事だろう。もう良いだなんて、恋人では無かったのだろうか。
「……ごめんなさい」
「俺の方こそ、変に中途半端に言って申し訳ありませんでした」
気まずさを感じる前に、すぐにウィルは船員に、自分は厨房に呼ばれたのでそれぞれの仕事に打ち込んだ。老夫婦を手伝っていたとは言え、本格的に厨房を手伝うとなると手間取る。
それでも先程のモヤモヤを晴らすように、足手まといにはなりたくなくて積極的に「ここどうするんですか?」と質問した。「質問出来てクララは偉いわねえ」と船員の中で1番年配のソニアという女性が褒めてくれた。それからはすっかり厨房に溶け込めて、仕事が一層楽しくなった。
その日の夜も次の日の夜もウィルは「やっぱり女性とは眠れない」と言って8番庫で寝る事を辞退し、大部屋の隅で寝たらしい。あの話題で避けている訳でもなく、本当に気恥ずかしいようだった。
からかい甲斐のあるこの青年に船員達も良くしてくれていて、夏至祭で人見知りの友達が見知らぬ人と踊っているのを見た時のようにホッとする。
(この生活も明日で終わりかあ……寂しいな)
ハンメルフェストには明日の夜に到着する、と先程厨房で教えて貰った。スウェーデンに旅立てるのは嬉しいが、気の良い人達と別れるのは寂しい。
いつの間にか目を閉じていた自分には、明日起きる事件の事を少しも想像出来なかった。
航海3日目の昼は曇天だった。
直前まで厨房で昼食の用意をしていたが、「配膳は手伝わなくて大丈夫」と言われたので、コーヒーを飲んでいたウィルを誘って甲板に上がっていた。
稜線しか見えなかった今までの航海とは違い、崖に囲まれたこの辺りは入り組んでいる。
「ちっ、冬に曇ってるとか最悪だな」
本来は日が出ている時間帯。甲板に上がったものの太陽に会えない事を悟ったルーベンが、盛大に舌打ちをする音が聞こえる。
ソニアに教えて貰った話によると、ルーベンの嫁は実家がある町に帰って後2週間程で出産を迎える――もう産まれているかもしれない――そうで、今日も厚着の船長は日を追う毎に落ち着きがなくなっているらしい。「船長にしては若いし男前だけどこういう所は可愛いわよねえ」とソニアがにんまりと言っていたのが印象深い。
「ルーベンさんの気持ち、分かるな」
塀に凭れながら隣に居るウィルに聞こえる程の声で呟く。今日は風が強いので、己の赤い髪が頻繁に舞い踊っている。
「そうですね。俺も山に居た時は天気に良く振り回されましたよ」
自分たちの前を横切って舵の元に向かうルーベンを目で追いながら頷くウィルの横顔を盗み見ると、どこか懐かしそうに目を伏せていた。
そろそろ空いただろう食堂に昼食を食べに行こう、と提案しかけた、その時。
「馬鹿もっと距離を取れっ!!」
聞いた事がない程真剣なルーベンの怒声が鼓膜を突いたのだ。空気を裂く声に驚き肩が跳ねた直後――船体が大きな衝撃に見舞われた。
「きゃぁっ!!」
「わっ!」
立っていられぬ程の激しい揺れ。メリメリと大きな音も何処かから聞こえる。次の瞬間、船体が大きく傾いた。
そうだね、と目を細めて答えるとウィルは立ち上がってこちらに歩み寄って来る。縁にもたれ掛かって一息つき、対岸に点在している赤や黄色い家を見て呟く。
「ところで、どうしてノルウェーの町って色鮮やかなのですか?」
ぽつり、と尋ねてくる横顔が幼くて目を細める。先程までロシア語を話していた人物がする質問ではない。
「極夜でも自分の家を間違わない為ね。ランタンで照らした家の壁が青だったり赤だったりしたら、現在位置が分かるでしょう? 後単純に可愛いから」
「へえ……、そうなんですか。教えてくれて有り難う御座います。前から疑問だったんですよ。魔法使い仲間に聞いても彼らも山奥暮らしで、誰も分からなかったんです」
「前から、って貴方ずっと山奥に居たのでしょう? 町並みを見る機会があったの? 魔法?」
不思議に思って尋ねると、ウィルがどこか懐かしそうに笑った。
「遠くの風景を見れる魔法はありません。俺、13の時に退屈すぎて家出をして、トロムソに行った事があるんです。その時に」
「い、家出? トロムソまで!?」
自分のような跳ね返りならともかく、ウィルのような穏やかなタイプが家出をするとは意外だ。それに確かウィルはトロムソから1週間離れた山奥に居た筈。13でそれとは、なかなか思い切った事をする。
隣の青年を見上げる顔も強張った。
「意外……もしかして昔はヤンチャだったとか?」
「まさか、まあ山で良く遊んでいたので生傷は絶えませんでしたが。退屈には勝てなかったんですよ」
「あっ分かった、約束したって人とはその時会ったってわけね!」
苦笑いを浮かべる青年の横、繋がった! とばかりに口を動かす。6年前の約束を守りに山を下ったとは律儀な青年だ。
悪意なんて少しも無かった。しかし動きが止まったウィルから返って来たのは意外な反応で。
「えーっと……すみません、その話は止めません? 面白い話では無い、ですよ」
こちらを向こうとしないウィルが苦そうに言う。意外な反応に目を丸くし、俯いた青年の風に靡いている金髪だけが視界の中動いていた。
「え、でも、半年後にって――」
「それも忘れてくれませんか。えっと……その人は俺の事を忘れてますから、もう良いんです。今は貴女をストックホルムに連れて行く事だけを考えたい」
どこか困ったような横顔を見ながら瞬く。この話題は触れて欲しくなかったようだ。どういう事だろう。もう良いだなんて、恋人では無かったのだろうか。
「……ごめんなさい」
「俺の方こそ、変に中途半端に言って申し訳ありませんでした」
気まずさを感じる前に、すぐにウィルは船員に、自分は厨房に呼ばれたのでそれぞれの仕事に打ち込んだ。老夫婦を手伝っていたとは言え、本格的に厨房を手伝うとなると手間取る。
それでも先程のモヤモヤを晴らすように、足手まといにはなりたくなくて積極的に「ここどうするんですか?」と質問した。「質問出来てクララは偉いわねえ」と船員の中で1番年配のソニアという女性が褒めてくれた。それからはすっかり厨房に溶け込めて、仕事が一層楽しくなった。
その日の夜も次の日の夜もウィルは「やっぱり女性とは眠れない」と言って8番庫で寝る事を辞退し、大部屋の隅で寝たらしい。あの話題で避けている訳でもなく、本当に気恥ずかしいようだった。
からかい甲斐のあるこの青年に船員達も良くしてくれていて、夏至祭で人見知りの友達が見知らぬ人と踊っているのを見た時のようにホッとする。
(この生活も明日で終わりかあ……寂しいな)
ハンメルフェストには明日の夜に到着する、と先程厨房で教えて貰った。スウェーデンに旅立てるのは嬉しいが、気の良い人達と別れるのは寂しい。
いつの間にか目を閉じていた自分には、明日起きる事件の事を少しも想像出来なかった。
航海3日目の昼は曇天だった。
直前まで厨房で昼食の用意をしていたが、「配膳は手伝わなくて大丈夫」と言われたので、コーヒーを飲んでいたウィルを誘って甲板に上がっていた。
稜線しか見えなかった今までの航海とは違い、崖に囲まれたこの辺りは入り組んでいる。
「ちっ、冬に曇ってるとか最悪だな」
本来は日が出ている時間帯。甲板に上がったものの太陽に会えない事を悟ったルーベンが、盛大に舌打ちをする音が聞こえる。
ソニアに教えて貰った話によると、ルーベンの嫁は実家がある町に帰って後2週間程で出産を迎える――もう産まれているかもしれない――そうで、今日も厚着の船長は日を追う毎に落ち着きがなくなっているらしい。「船長にしては若いし男前だけどこういう所は可愛いわよねえ」とソニアがにんまりと言っていたのが印象深い。
「ルーベンさんの気持ち、分かるな」
塀に凭れながら隣に居るウィルに聞こえる程の声で呟く。今日は風が強いので、己の赤い髪が頻繁に舞い踊っている。
「そうですね。俺も山に居た時は天気に良く振り回されましたよ」
自分たちの前を横切って舵の元に向かうルーベンを目で追いながら頷くウィルの横顔を盗み見ると、どこか懐かしそうに目を伏せていた。
そろそろ空いただろう食堂に昼食を食べに行こう、と提案しかけた、その時。
「馬鹿もっと距離を取れっ!!」
聞いた事がない程真剣なルーベンの怒声が鼓膜を突いたのだ。空気を裂く声に驚き肩が跳ねた直後――船体が大きな衝撃に見舞われた。
「きゃぁっ!!」
「わっ!」
立っていられぬ程の激しい揺れ。メリメリと大きな音も何処かから聞こえる。次の瞬間、船体が大きく傾いた。
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