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Ⅲ Løy―嘘―
27 「あ、アストリッド! このコーヒー、炭酸にしてみませんか?」
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――もう少し、もう少し待っててね。絶対助けるから……っ!
続いた言葉に、若干ではあるがホッとした。
良かった、どうやらレオンは生きているらしい。
しかし状況は悪いようだ。もしかして、屋敷を出たあの日からずっと具合が悪かったと言うのか。しかし、一体どうしてすぐに医者に診せないのだろう。
――ロヴィーサ様、お願い致します……! レオンを助けるお金を下さい! お願い致します! また凄い熱なんです!
――煩いわね、何度も言っているでしょう。アストリッドを連れ戻したらすぐにでもあげるって! それに一度は持ち直したでしょう。だからさっさとなさいな!
刺々しいロヴィーサの声も聞こえてくる。それでようやく理解出来た。
リーナの手持ちでは、レオンを医者に診せられる余裕が無いのだ。持っている物を売るにしても、「ラップ人」の物を買ってくれる人は居ない。同じ理由でお金を借りる事も出来ない筈。
それにレオンに熱がある事はロヴィーサには都合が良いだろう。息子を人質にすれば、母親はどこまでも言う事を聞くから。
――お嬢様の事は精一杯探しました! でも島内にはどこにも居なかったんです! 何らかの手を使って、きっと今頃クリスチャニア行きの船に乗っています! それだけ分かれば十分ではありませんか……!
――お黙りなさい! 本当に島外に出たと言うの? 貴女が見落としているだけではなくて? 貴女が息子を想うように、私だってアストリッドが心配なのよ!
その後、ロヴィーサとリーナのやり取りはどこまでも平行線だった。
一度は良くなったらしいが、結局レオンの体調は悪いまま。
あの時はロヴィーサが看病しているから大丈夫だと思ったが、どうして気付けなかったのだろう。もっとこまめに様子を探っておけば良かった。
「……」
今ここにアストリッドが居なくて良かった。
アストリッドに何て伝えれば良いのか、白くなった頭ではまるで分からない。
自分のせいでレオンが苦しんでいる事を伝えれば、アストリッドはきっと動揺する。
笑顔が消え、最悪「トロムソに戻る」なんて言い出すかもしれない。それか自分にレオンを治してくれ、と頼むだろう。誰だって自分のせいで赤子を殺したくない。
しかし、人体魔法で治療するには向き合う必要があるのだ。
アストリッドがトロムソに戻ってしまうのは問題外。自分が1人でトロムソに戻ったとしても、アストリッドには数日1人で過ごして貰わないといけない。船内で渡したコーヒー豆のように何か魔力を込めた物を渡せば、危険はぐっと減るだろう。だが、それをしたらまた眠る事になりレオンが危うい。
それに下手すれば、寝ている時に誰かに危害を加えられる可能性もある。
タルヴィクは外国人の多い港町。そんなところに少女が1人で居たら危害を加えられたり売られてしまうかもしれない。物理的距離が生じてしまう以上、魔法があっても守りきれるかは怪しい。
アストリッドを1人にする。アストリッドから離れる。アストリッドの夢が潰える。
そんな恐ろしい真似、怖くて出来ない。
だったら――この事は言わない方が良いのでは。
アストリッドがレオン達に会う事はきっともう無いのだし、無理に真実を伝える必要は無い筈。
レオンの命が消えてしまう可能性があるのは辛かったが、自分にはアストリッドが夢を諦めてしまう事の方がずっとずっと辛かった。彼女にはずっと笑って、好きな事をやって欲しい。彼女の瞳から涙が零れたら、自分はきっと自分を許せない。
不意に腑に落ちた。
なんだかんだ言って結局、自分はアストリッドの側から離れたくないのだ。
アストリッドと離れると、彼女の為に生きてきた自分を否定する事になりそうで、怖いのだ。レオンを助けない言い訳を、これでもかと探している。
「ごめん、なさい……っ」
自分の為にアストリッドを優先してしまって。
リーナの気持ちを思うと目頭が熱くなる。
声を聞いただけでも分かるくらい、彼女は深く息子を愛しているのに。もし小さな灯火が潰えてしまったら、彼女はどれほど絶望するだろうか。
――サーミ人は俺の数少ない隣人なんです。
何時ぞやアストリッドに偉そうに言った言葉。それを思い出すと虚しくて、気付けばローブ越しに腕に爪を立てていた。
唇を噛み締めなかったのも、頬を濡らさなかったのも、アストリッドがすぐに帰って来るから。きっと、自分は上手く笑える筈。
愛しい少々が扉を開けたのは、その直後だった。
「ただいま、色々持って来たよ。さっ、食べましょう!」
木製トレイの上にサーモンのサンドイッチとナッツ、鱈のスープとコーヒーを2つずつ乗せたアストリッドが戻ってくる。頬を持ち上げている顔を見てズキリと胸が痛んだ。
「……有り難うございます」
返す自分に不自然なところは無かったようだ。アストリッドは笑顔で居てくれている。
一度息を吸ってから、テーブルに皿を移しているアストリッドに近付き、震えそうになる声を押し殺して話し掛ける。
「……レオンの事調べてみたのですが。熱、下がっていましたよ。……もう大丈夫です、安心して下さい」
自分の言葉を聞いたアストリッドが勢い良く顔を上げた為、コーヒーの香りがふわっと漂った。目が合った少女は笑顔を咲かして胸を撫で下ろす。
「本当? 良かった……!」
「はい、ただロヴィーサは貴女の事を探し続けているようです。トロムソから北上しているとは思っていないようで……クリスチャニアに向かっていると思っているそうです」
「そう……! ルーベンさんの船に乗せて貰って良かったわ、それじゃあ尚更スウェーデンに行かないとね」
船に乗って良かった、と声を弾ませる彼女の笑顔を見ていると力が湧いて来て、自分はこの笑顔を見る為に生きているのだ、と強く思う。
けれど。
そんな彼女に嘘をつく事になるとは思わなかったからか、笑い返す事が出来ず目を逸らしていた。静かになるのが怖くて、気付けば口を動かしていた。
「あ、アストリッド! このコーヒー、炭酸にしてみませんか?」
突然の提案だったからかアストリッドの眉間に皺が寄る。
「炭酸? ソーダの事?」
続いた言葉に、若干ではあるがホッとした。
良かった、どうやらレオンは生きているらしい。
しかし状況は悪いようだ。もしかして、屋敷を出たあの日からずっと具合が悪かったと言うのか。しかし、一体どうしてすぐに医者に診せないのだろう。
――ロヴィーサ様、お願い致します……! レオンを助けるお金を下さい! お願い致します! また凄い熱なんです!
――煩いわね、何度も言っているでしょう。アストリッドを連れ戻したらすぐにでもあげるって! それに一度は持ち直したでしょう。だからさっさとなさいな!
刺々しいロヴィーサの声も聞こえてくる。それでようやく理解出来た。
リーナの手持ちでは、レオンを医者に診せられる余裕が無いのだ。持っている物を売るにしても、「ラップ人」の物を買ってくれる人は居ない。同じ理由でお金を借りる事も出来ない筈。
それにレオンに熱がある事はロヴィーサには都合が良いだろう。息子を人質にすれば、母親はどこまでも言う事を聞くから。
――お嬢様の事は精一杯探しました! でも島内にはどこにも居なかったんです! 何らかの手を使って、きっと今頃クリスチャニア行きの船に乗っています! それだけ分かれば十分ではありませんか……!
――お黙りなさい! 本当に島外に出たと言うの? 貴女が見落としているだけではなくて? 貴女が息子を想うように、私だってアストリッドが心配なのよ!
その後、ロヴィーサとリーナのやり取りはどこまでも平行線だった。
一度は良くなったらしいが、結局レオンの体調は悪いまま。
あの時はロヴィーサが看病しているから大丈夫だと思ったが、どうして気付けなかったのだろう。もっとこまめに様子を探っておけば良かった。
「……」
今ここにアストリッドが居なくて良かった。
アストリッドに何て伝えれば良いのか、白くなった頭ではまるで分からない。
自分のせいでレオンが苦しんでいる事を伝えれば、アストリッドはきっと動揺する。
笑顔が消え、最悪「トロムソに戻る」なんて言い出すかもしれない。それか自分にレオンを治してくれ、と頼むだろう。誰だって自分のせいで赤子を殺したくない。
しかし、人体魔法で治療するには向き合う必要があるのだ。
アストリッドがトロムソに戻ってしまうのは問題外。自分が1人でトロムソに戻ったとしても、アストリッドには数日1人で過ごして貰わないといけない。船内で渡したコーヒー豆のように何か魔力を込めた物を渡せば、危険はぐっと減るだろう。だが、それをしたらまた眠る事になりレオンが危うい。
それに下手すれば、寝ている時に誰かに危害を加えられる可能性もある。
タルヴィクは外国人の多い港町。そんなところに少女が1人で居たら危害を加えられたり売られてしまうかもしれない。物理的距離が生じてしまう以上、魔法があっても守りきれるかは怪しい。
アストリッドを1人にする。アストリッドから離れる。アストリッドの夢が潰える。
そんな恐ろしい真似、怖くて出来ない。
だったら――この事は言わない方が良いのでは。
アストリッドがレオン達に会う事はきっともう無いのだし、無理に真実を伝える必要は無い筈。
レオンの命が消えてしまう可能性があるのは辛かったが、自分にはアストリッドが夢を諦めてしまう事の方がずっとずっと辛かった。彼女にはずっと笑って、好きな事をやって欲しい。彼女の瞳から涙が零れたら、自分はきっと自分を許せない。
不意に腑に落ちた。
なんだかんだ言って結局、自分はアストリッドの側から離れたくないのだ。
アストリッドと離れると、彼女の為に生きてきた自分を否定する事になりそうで、怖いのだ。レオンを助けない言い訳を、これでもかと探している。
「ごめん、なさい……っ」
自分の為にアストリッドを優先してしまって。
リーナの気持ちを思うと目頭が熱くなる。
声を聞いただけでも分かるくらい、彼女は深く息子を愛しているのに。もし小さな灯火が潰えてしまったら、彼女はどれほど絶望するだろうか。
――サーミ人は俺の数少ない隣人なんです。
何時ぞやアストリッドに偉そうに言った言葉。それを思い出すと虚しくて、気付けばローブ越しに腕に爪を立てていた。
唇を噛み締めなかったのも、頬を濡らさなかったのも、アストリッドがすぐに帰って来るから。きっと、自分は上手く笑える筈。
愛しい少々が扉を開けたのは、その直後だった。
「ただいま、色々持って来たよ。さっ、食べましょう!」
木製トレイの上にサーモンのサンドイッチとナッツ、鱈のスープとコーヒーを2つずつ乗せたアストリッドが戻ってくる。頬を持ち上げている顔を見てズキリと胸が痛んだ。
「……有り難うございます」
返す自分に不自然なところは無かったようだ。アストリッドは笑顔で居てくれている。
一度息を吸ってから、テーブルに皿を移しているアストリッドに近付き、震えそうになる声を押し殺して話し掛ける。
「……レオンの事調べてみたのですが。熱、下がっていましたよ。……もう大丈夫です、安心して下さい」
自分の言葉を聞いたアストリッドが勢い良く顔を上げた為、コーヒーの香りがふわっと漂った。目が合った少女は笑顔を咲かして胸を撫で下ろす。
「本当? 良かった……!」
「はい、ただロヴィーサは貴女の事を探し続けているようです。トロムソから北上しているとは思っていないようで……クリスチャニアに向かっていると思っているそうです」
「そう……! ルーベンさんの船に乗せて貰って良かったわ、それじゃあ尚更スウェーデンに行かないとね」
船に乗って良かった、と声を弾ませる彼女の笑顔を見ていると力が湧いて来て、自分はこの笑顔を見る為に生きているのだ、と強く思う。
けれど。
そんな彼女に嘘をつく事になるとは思わなかったからか、笑い返す事が出来ず目を逸らしていた。静かになるのが怖くて、気付けば口を動かしていた。
「あ、アストリッド! このコーヒー、炭酸にしてみませんか?」
突然の提案だったからかアストリッドの眉間に皺が寄る。
「炭酸? ソーダの事?」
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