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Ⅴ Love―約束―

51 「おーい? ルーベンなんだが……」

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Ⅴ.Love―約束―



 今日もロヴィーサの家に行かないといけない。
 そういう契約なのだが、毎日あの顔を拝まないといけないのは気乗りしなかった。しかも今日からアストリッドも居るのだろう。憂鬱以外の何物でもない。

「はあ……」

 夜勤明けのルーベン・ハンセンはあの婦人のしかめっ面を思い出し、深い溜め息を零した。
 背筋を正した後、紐チャイムを鳴らし――待つ事数十秒。白色の扉の奥はうんともすんとも言わなかった。

「……?」

 おかしい。何時もなら痩せぎすの女中がすぐにでも反応してくれるのに。
 もしかして日が出ているこの貴重な時間に、主人も女中もアストリッドも昼寝なんて勿体無い事をしているのか。
 眉を顰めながらもう一度紐チャイムを引っ張ってドンドンと強く扉を叩いたが、1分後も結果は変わらなかった。

「おーい? ルーベンなんだが……」

 さすがにおかしい。
 トロムソの酒と治安はさほど良くない、と同僚が教えてくれた。
 女だけの屋敷、金に困った浮浪者にはここがヴェルサイユ宮殿のように映ってもおかしくない。
 中に瀕死の人間でも居たら目覚めが悪いので、足跡1つない綺麗な雪が積もっている庭に回り、窓から屋敷の様子を覗き――心臓が止まりそうな程驚いた。
 ロヴィーサと女中が食卓の上に突っ伏しているのだ。食べかけのパンがサーモンと一緒に床に落ちている。

「っおおいなんだよなんだよ……!」

 血が流れていない事が却って不自然に感じる光景。
 何かが起きていないわけは無い。アストリッドの姿が無いのも恐ろしい。女中の席の隣に空いた白い皿があるが、もしかしてあれがアストリッドの物なのだろうか。
 後で絶対文句を言われるな――状況が状況なのにそんな事が頭を過ぎりながら、パリンッ! と窓ガラスを割り居間に上がり込む。

「大丈夫か!?」

 ガラスの破片を避けて慌てて2人に駆け寄り、まずは息がある事を確認する。先日の事故で全員の命があった時と同じくらいホッとした。
 こんなに騒いでいてもピクリとも動かぬ2人は一旦置いて、室内に他に誰も居ない事を確認する。廊下も見てみたが、荒らされた形跡も侵入者の気配もない。
 なのに2人は良く寝ているし、アストリッドの気配も食器くらいしか無い。『レオンは地下牢に居ます』――食卓の上に変な手紙があったのも、ますます混乱するだけだった。

「おい、起きろ。起きろっ!」

 2人の肩を強く揺さぶる事幾ばくか。少ししてロヴィーサから「んー……」と僅かな反応があった。

「気付いたか!? おい、起きろ!」

 もう数回ロヴィーサの肩を揺さぶると、青色の瞳がゆっくりと開かれる。自分の姿を認識するなり、瞳に明確な光が宿った。

「っ、触らないで!!」

 勢い良く体を起こしたロヴィーサは、次の瞬間自分の腕をバン! と振り払って金切り声を上げる。腕の痛さに眉を顰めていると、ロヴィーサが立ち上がり周囲を見渡す。

「いってぇなあ心配してやったってのに――」
「アストリッド!? どこに行ったの!? この手紙……はっ、もしかして……!!」

 話途中だったにも構わずロヴィーサは娘の名前を叫び、手紙を読むなり血相を変えて居間から出て行ってしまった。自分がガラスを割って侵入してまで心配した事について、一言も触れずに。

「いやいやいや……」

 常軌を逸したその行動に、開いた口が塞がらなかったし、何が何だかさっぱりだった。そもそも1日1回来るように言ったのはそっちだし、自分の厚意を無碍にされた気もして面白くない。
 元々ロヴィーサは苦手な性格ではあったが、ますますどうかと思ってしまう。アストリッドが家出を決行した気持ちも今なら良く分かった。

「ん……」
「おっ。おい、大丈夫か?」

 女中にも反応があったので揺り起こす。困惑している女中から話を聞き、自分もようやく現状を理解する事が出来た。
 アストリッドは帰って来たが、一服盛られたのか眠ってしまった事。状況や手紙から考えると、アストリッドは何らかの方法を使ってウィルの救出に向かったのではないかという事を教えてくれた。
 窓ガラスは気にしないでいい、心配してくれて有り難う、とも言ってくれてホッとした。
 途中、あのラップ人は死んだ、と聞いた時は耳を疑った。

「は?」

 息子を遺して逝く覚悟があの女王様にどれだけ届いたろう。ラップ人は嫌いだが、人命は人命。特に母親にまで死んで欲しいとは思わない。

「それはあんまりだろ」

 今頃自宅に無断侵入者が居るのかと思うと笑えてきた。きっとすぐに戦場になるだろう事にも。

「んー……」

 気付けば己の髪をくしゃくしゃと掻き乱していた。

 ――ちゃんと胸を張って生きて下さいね。

 朝アストリッドに言われた一言が頭から離れてくれない。
 あの家どころか、船の補償金すら返金する羽目になりかねない。カリンにも息子にも、部下にも自分の夢にも響くだろう。
 自分がこんなに馬鹿だった事を初めて知った。

「なあ、教えて欲しい事があるんだが…………」

 ぽつ、と。
 床の掃除をしている女中に、気付けば話し掛けている自分が居た。

***

 白い三角屋根に黄色い外壁の2階建ての民家。
 周囲に民家は無いのできっとこの家にウィルは居るのだろう。カウトケイノで別れた時ぶりに会うので気まずくはあるのに、無事で居て欲しいと勝手な事を祈る。

「おばあさま! おじいさま! いらっしゃいますか!? アストリッドです!」

 周囲に声がこだまするのも構わず声を上げた。扉の奥から何の反応もしないのがもどかしい。

「あ、ピアノのお姉ちゃんだー」
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