アストリッドと夏至祭の魔法使い

上津英

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Ⅴ Love―約束―

57 「アストリッド! アストリッド!? いやあああ!!!!」

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「アス――」

 落ちていくアストリッドの青い瞳と目が合った。その瞳には明確な光が宿っていて、自分の助けを拒んでいる。

「っ!」

 ハッとしてすんでのところで魔法を自分にだけ使い、紙が落ちていくようにゆっくりと地面に落ちていくよう調整をした。
 そうだ、助けてはいけないのだ。
 雪が積もった浜辺の事。1度中腹でクッションを挟めば、大怪我こそすれ命に別状は無い筈。
 アストリッドが本当に死ぬつもりならピッケルなんてそもそも使わないし、自分を突き飛ばして助けに来させない筈。

 ――私は逃げたりしない。

 これは、決死の演技なのだ。
 「自分のせいで娘を自殺まで追い込んだ」と思わせて、ロヴィーサの頭を冷静にさせる為の。
 守りたい存在の血に濡れた姿は否応なく心を揺れ動かす。

「アストリッド! アストリッドォ!!」

 崖上から慌てきったロヴィーサの声が聞こえる。そのすぐ後に、グシャリと骨が折れる不快な音が自分の耳に届いた。

「っ……」

 アストリッドの意志は理解出来たが、だからと言って自分だってこんな音を聞きたい訳ではない。叫びたくなる気持ちを堪えるようにキツくキツく目を瞑る。
 足が地面に着いたのが分かり、鉄の臭いが漂う中目の前に広がる光景に立ち眩む。寂しい浜辺を形成している銀雪に出来た、不自然極まりない赤い池。その池の中にぐたりと横たわっている少女の白い顔が、血の色を引き立てている。
 胸が上下しているのは見えたが、気持ちの良い光景ではない。

「アストリッド……」

 消え入りそうな声で愛しい人の名前を口にする。目頭が熱くなるのを堪えながら、落ちていた杖を拾って赤い髪を散乱させた少女の元に歩み寄る。
 山奥で暮らしていた時、1年に1回は滑落した遭難者を見てきた。死んでいたら発見されやすい場所に移したし、瀕死だったら生き返れるくらいには治癒し、家に連れて帰って暫く面倒を見た。

「……失礼します」

 だから分かる。アストリッドの怪我は少し治した方が良い。
 完治させては駄目だ、と唇を噛み締める自分に言い聞かせながら人体魔法を使っていく。

「っつぅ……」

 少しだけ少女の呼吸が楽になったように見えた。同時に襲って来た眠気を、傷ついた足をもう一度傷付ける事でやり過ごす。

「アストリッド……! アストリッド! アストリッド!」

 ――その時。
 浜辺の入り口に顔面蒼白の婦人が現れた。その青い瞳はアストリッドのすぐ横に居る自分には目もくれず、赤い池の上にいる娘だけを映していた。

「アストリッド! アストリッド!? いやあああ!!!!」

 娘の悲惨な姿を目の当たりにしたロヴィーサは、アストリッドの目論見通りパニックに陥っていた。大きく見開いた瞳からボロボロと涙が零れている。
 その気持ちは良く分かる。自分だって今すぐ治したい。でもまだ駄目なのだ。
 ここでただ立っていても、ロヴィーサは動揺するだけで立ち止まりなんかしないだろう。完治したアストリッドを余計束縛し、貴女を死なせない為よ、と勝手な言葉を囁き続ける。そんな事させてはいけない。

「どうしてこんな……っ医者を呼ばないと!」

 ドレスが血に濡れるのも厭わずに娘に縋りついていた婦人が、思い出したように顔を上げる。どうやら少しずつ冷静になってきたようで、住宅地に駆け付ける気になったらしい。
 「協力してほしい」と自分に訴えた青い瞳を思い出し、眠気を堪えてロヴィーサの腕を掴んだ。腕を掴まれた事もありロヴィーサが睨みつけるようにこちらを向く。

「離しなさいっ!!」
「嫌だっ!!」

 ロヴィーサと目を合わせるのは正直言うと恐ろしかった。何か言われる前に先に口を開く。――リーナの躯を前に佇んだ時の事を、思い出しながら。

「どうしてもなにも、貴女が自分の気持ちばかり押し付けたからだろう! 貴女は確かに暴力からはアストリッドを守ったかもしれない、でもアストリッドの気持ちをどこまでも否定した。そんなの守るとは言わない!」

 声を上げている最中、どうしてか6年前自分を夏至祭に行かせてくれた母の笑顔を思い出した。ロヴィーサに少しでもあの時の母の気持ちが伝われば良いと、腕を握り締める手につい力が入る。
 自分の言葉に、初めてロヴィーサの瞳が揺れた。

「わ、私は……いや、アストリッド、死なないでっ! 待ってて!!」

 娘の血で濡れた素足がたたらを踏み、ぐっとこちらへと近寄って来る。次の瞬間張り倒されるような勢いで胸ぐらを掴まれ、力ずくで顔を引き寄せられた。

「貴方! レオンを治せたのだからアストリッドも治しなさいよ! 貴方だってアストリッドに生きていて欲しいでしょう!?」

 鬼気迫る表情で詰め寄られる。アストリッドには確かに生きてて貰いたいが、死んだような顔で生きてて欲しくない。
 眠気がそろそろ限界に達している中キッと眉を釣り上げた。

「嫌だって言ってるじゃないか! それに、アストリッドが助かったとしても貴女が考え直ないと、アストリッドはまたやると思う」

 自分の言葉を聞くロヴィーサの瞳が揺れていた。

「……ふんっ!」

 鼻息荒く婦人はドンッと自分を浜辺に突き飛ばすと、脱がした娘の靴を履いて町へと戻っていく。先程よりも丸まった背中が何を思ったのか、自分には分からなかった。ただただ娘の意志が届いてて欲しかった。

「アストリッド……」

 そのまま寝てしまいそうになるのを堪え、意識がある内に少女の怪我をもう少しだけ治しておく。医者には不審に思われるかもしれないが構わなかった。
 その時、海の方から「おい、大丈夫か!?」と声を掛けてくれる男性の声が聞こえてきた。どうやら通りすがりの漁船が自分達に気が付いてくれたようだった。
 良かった。これでロヴィーサが意識のない自分達を襲う事は無いだろう。安心したせいか、瞼をもう開けていられなくなった。
 眠りに落ちる前にふと思う。

 ――自分はアストリッドを守る事が出来ただろうか。出来たのだと思いたい。

***

 11才のアストリッド・グローヴェンが1番好きな祭りは、祝日扱いにならない為に嫌われがちな夏至祭だ。
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