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嫁ぐことになりました
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「お嬢様、お父上様がお呼びでございます」
私の妹分であり、小間使いであるフェリスが、慌てた様子でバタバタと廊下を走って来た。
「フェリス、お屋敷内は走っちゃダメでしょ。……でも、珍しいわね、お父様が私に何のご用かしら」
私とフェリスは、急いで父のいる執務室に向かう。父は書き物机に向かって、何か執務作業の最中らしかった。
「失礼いたします」
私の声で顔を上げた父が、驚くべきことを告げた。
私はおうむ返しに父の言葉を繰り返す。
「辺境伯のところに嫁ぐ?」
「お前も知っているだろう。我が国を夷狄から守ってくれている辺境伯のことを。辺境伯ことアンドレイ・ジョハンセン侯爵は、長年の功績の褒美として、高貴な一族から妻を娶りたいと仰っている。マリナ、その妻としてお前が選ばれたのだ。名誉なことではないか」
「辺境伯!」
私の近くで侍していたフェリスが叫んだ。
父は、お前は黙ってろと言わんばかりに、じろりと彼女を睨みつけた。フェリスは肩を震わせうつむく。
目の前の父は、威厳のある顔立ちはそのままに、でも口元は緩めている。
私はといえば、ただただ驚いて何も言えずにいた。
「早速、明日カザール地方に向けて出発してもらう」
「あ、明日?」
再びフェリスが叫ぶ。
父はまたも彼女を睨みつけ、一呼吸置いて話を続けた。
「心配するな、辺境伯が護衛の精鋭部隊を差し向けて下さった。そろそろ到着する頃だろう」
これ以上話すことは何もない、という態度で父は、再び机の上の書類に目を通し始める。
仕方なく私は、ドレスの脇を摘み貴婦人の礼をし、「失礼します」と挨拶した。
指で摘んだドレスの布地は、薄くなって擦り切れそう。
私はドレスと呼べるようなものは、これ一枚しか持っていない。いろんな部分を継ぎ当てして誤魔化して着ているけれど。
ため息をつきながら、フェリスと共に父の執務室から出た時、ちょうど廊下の向こうから継母と義姉のエレナが歩いてくるのが見えた。継母は私の姿を認めると、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「マリナ、お父上からお話は聞きましたか? 身分の高い家に貰われて行くなんて、あなたにとっては信じられない幸運ですよ。国王陛下やお父上に感謝なさい」
義姉のエレナは無言で、でも嘲るような笑みを浮かべている。二人はすれ違いざま「フン」と、わざわざ鼻を鳴らした。
「悔しいです!」
フェリスが頬を紅潮させ、涙を浮かべている。
「お母様がご存命でしたら、お嬢様はこんな縁談を押し付けられることもなかったのに」
「フェリス」
「そもそも、なんであんな女が旦那様の後添えとして偉そうにしているんだか」
「口を慎みなさい。お継母様は、お父様の大切な人なのですよ」
「でも、あいつのせいで、お嬢様は女中の身分にまで落とされて。理不尽です!」
「でも、それも今日まで、ってことよ。明日からは、私は辺境伯の奥方として、元の身分である貴族階級に戻れるのよ」
私はさっきから考えていたことを口にした。最初の衝撃が落ち着いてきて、良い方に考えなくては、と思い始めていたのだ。
最愛の母が亡くなった日から、私、マリナ・エレンザの生活は一変していた。
朝は暗いうちから起きて、継母たちの朝食の支度と洗面・化粧のお手伝い。その後は、部屋の片付けをし、衣服などの手入れ。義姉のバスの支度もある。薔薇の香油や花びらを用意して、お湯を沸かす。
公爵家の植物園の世話も、一部は私の仕事。
やることは、いっぱい。
「フェリスがいてくれないと、私一人では何も出来ないわ。本当にありがとう」
私は心底、フェリスを頼りにしていた。
「お嬢様、私も連れて行ってください、カザールに」
「もちろん、そのつもりよ。でも、カザールは寂しい土地だというし、あなたを連れて行ってもいいか迷ってたの。あなたのほうから言ってくれて嬉しいわ」
フェリスは可愛い顔をくしゃくしゃにして、ふにゃと笑った。
彼女は、ほぼ絶滅したと言われる猫耳一族の仔だった。城下で行き倒れていたところを、慈悲深い公爵夫人である私の母に拾われてきた。
以来、私の妹分兼小間使いとして、ずっと一緒に育った。怒ったり興奮したりすると、髪の毛の間から猫耳がピョコンと飛び出す。今もヘアバンドを押し上げるようにして、もふもふの耳が立っていた。
私の妹分であり、小間使いであるフェリスが、慌てた様子でバタバタと廊下を走って来た。
「フェリス、お屋敷内は走っちゃダメでしょ。……でも、珍しいわね、お父様が私に何のご用かしら」
私とフェリスは、急いで父のいる執務室に向かう。父は書き物机に向かって、何か執務作業の最中らしかった。
「失礼いたします」
私の声で顔を上げた父が、驚くべきことを告げた。
私はおうむ返しに父の言葉を繰り返す。
「辺境伯のところに嫁ぐ?」
「お前も知っているだろう。我が国を夷狄から守ってくれている辺境伯のことを。辺境伯ことアンドレイ・ジョハンセン侯爵は、長年の功績の褒美として、高貴な一族から妻を娶りたいと仰っている。マリナ、その妻としてお前が選ばれたのだ。名誉なことではないか」
「辺境伯!」
私の近くで侍していたフェリスが叫んだ。
父は、お前は黙ってろと言わんばかりに、じろりと彼女を睨みつけた。フェリスは肩を震わせうつむく。
目の前の父は、威厳のある顔立ちはそのままに、でも口元は緩めている。
私はといえば、ただただ驚いて何も言えずにいた。
「早速、明日カザール地方に向けて出発してもらう」
「あ、明日?」
再びフェリスが叫ぶ。
父はまたも彼女を睨みつけ、一呼吸置いて話を続けた。
「心配するな、辺境伯が護衛の精鋭部隊を差し向けて下さった。そろそろ到着する頃だろう」
これ以上話すことは何もない、という態度で父は、再び机の上の書類に目を通し始める。
仕方なく私は、ドレスの脇を摘み貴婦人の礼をし、「失礼します」と挨拶した。
指で摘んだドレスの布地は、薄くなって擦り切れそう。
私はドレスと呼べるようなものは、これ一枚しか持っていない。いろんな部分を継ぎ当てして誤魔化して着ているけれど。
ため息をつきながら、フェリスと共に父の執務室から出た時、ちょうど廊下の向こうから継母と義姉のエレナが歩いてくるのが見えた。継母は私の姿を認めると、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「マリナ、お父上からお話は聞きましたか? 身分の高い家に貰われて行くなんて、あなたにとっては信じられない幸運ですよ。国王陛下やお父上に感謝なさい」
義姉のエレナは無言で、でも嘲るような笑みを浮かべている。二人はすれ違いざま「フン」と、わざわざ鼻を鳴らした。
「悔しいです!」
フェリスが頬を紅潮させ、涙を浮かべている。
「お母様がご存命でしたら、お嬢様はこんな縁談を押し付けられることもなかったのに」
「フェリス」
「そもそも、なんであんな女が旦那様の後添えとして偉そうにしているんだか」
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「でも、あいつのせいで、お嬢様は女中の身分にまで落とされて。理不尽です!」
「でも、それも今日まで、ってことよ。明日からは、私は辺境伯の奥方として、元の身分である貴族階級に戻れるのよ」
私はさっきから考えていたことを口にした。最初の衝撃が落ち着いてきて、良い方に考えなくては、と思い始めていたのだ。
最愛の母が亡くなった日から、私、マリナ・エレンザの生活は一変していた。
朝は暗いうちから起きて、継母たちの朝食の支度と洗面・化粧のお手伝い。その後は、部屋の片付けをし、衣服などの手入れ。義姉のバスの支度もある。薔薇の香油や花びらを用意して、お湯を沸かす。
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やることは、いっぱい。
「フェリスがいてくれないと、私一人では何も出来ないわ。本当にありがとう」
私は心底、フェリスを頼りにしていた。
「お嬢様、私も連れて行ってください、カザールに」
「もちろん、そのつもりよ。でも、カザールは寂しい土地だというし、あなたを連れて行ってもいいか迷ってたの。あなたのほうから言ってくれて嬉しいわ」
フェリスは可愛い顔をくしゃくしゃにして、ふにゃと笑った。
彼女は、ほぼ絶滅したと言われる猫耳一族の仔だった。城下で行き倒れていたところを、慈悲深い公爵夫人である私の母に拾われてきた。
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