22 / 214
21三弦奏
しおりを挟む
女官の告げた審議という言葉。これから行われるのは、新人の腕を確認するためだけのものだったはず。だが実際は、正式な団員になれるかどうかの第二の試験だったのだ。それを悟ったコトリは、目の前のシェンシャンに目をやった。
シェンシャンは個体差の大きい楽器だ。胴の大きさが少しずつ異なるばかりか、音の鳴り方の癖も違う。不慣れな楽器で試験代わりの一曲を披露するのは、あまりにも無謀だ。
しかも、弦が切れている。つまり、譜面に書かれた音を全て奏でることができないということになる。
「酷すぎるわ! カナデ様、一度部屋に戻って弦を張り直しましょう」
サヨは、怒りで顔を真っ赤にしている。コトリは一瞬だけ目を閉じて、また開いた。
「いえ、このまま弾くわ」
「さすがにそれは無茶じゃ」
いつもは他人事のように傍観しているミズキさえ、慌て始めた。
「私のシェンシャン、使います?」
「これは私に売られた喧嘩だもの。二人の手出しは不要です」
「でも」
「実はこういうの、憧れていたの。私の戦い、見守っていてね」
三人がこそこそ話しているのがいけなかったのであろう。女官が不機嫌そうに咳払いをする。
「では、私から弾きます」
コトリは、シェンシャンを手に取った。
それは、コトリのものよりも幾分大きく、抱えてみると若干の違和感がある。まずは、演奏の邪魔にならないよう、切れた弦を軸に絡ませておいた。次に、残っている三弦を鳴らして耳を澄ませる。コトリは、やはりと思った。音合わせがなされていなかったのだ。
音合わせの道具は手元にあるが、女官が急かせているので時間が無い。コトリは幼少から培ってきた絶対音感で瞬時に調弦をすると、改めて女官に目配せをした。
いよいよ、始まる。
これが、自由曲の演奏ならば、まだ救われたかもしれない。できるだけ切れた弦を使わない曲を弾けばいいのだ。しかし、今は楽師団内でも由緒ある曲が課題となっている。避けることはできない。
サヨも、ミズキも、自分達の方が逃げ出したいぐらいだった。対するコトリは、落ち着き払っている。既に、シェンシャンとの対話は始まっているのだ。
コトリは、ヨロズ屋でゴスから聞いた話を思い出していた。シェンシャンには神がいる。その神と対話し、神の声を届けることこそが楽師の仕事なのだと。
このシェンシャンにおわす神に語る。
――――私に、音の力を。
――――この地に、恵みを。
――――人々の心に安らぎを。
「鳴紡の若葉」は、山深きクレナ国に広がる緑と、湧き出る清らかな水を見事に描き出した美しい旋律が特徴だ。和音で奏でるというよりも、単音を切れ目なく繋ぎ合わせて聴かせるような楽曲である。必要なのは、速さと滑らかさだけではない。シェンシャン特有の音の響きの通り具合を加味しながら、表情豊かに弾きあげなければならないのだ。
コトリは、若き無垢な力を迸らせる。
――――さぁ。共に、最高の音を奏でよう。
コトリはカッと目を開いた。その刹那、背中が燃えるように熱くなり、左右の手が自らのものではないかのように動き始める。
素人がすれば、ただシェンシャンに触れているだけに見えたかもしれない。
少しかじった程度の者からすれば、楽器で遊んでいるだけに見えたかもしれない。
しかし、ここに集まる熟練のシェンシャン奏者達が見れば、それは正に神業に他ならなかった。
決して、譜面通りではない。
しかし、旋律を成す音は確実に爪弾かれている。さらには、それをより魅力的に際立たせるだけの別の旋律が後ろで常に流れているのだ。
「これ、ほんとに一人で弾いているの?」
ミズキが呟いた。
静かに見届けているサヨも、これには驚いていた。
コトリができると言う時は、大抵きちんと策がある。それ故、今回のことも一応信用して見守っていた。だが、これ程のものになるとは全く想像できていなかった。
今のコトリは、練習を初めて日が浅い曲を完璧に自分のものとし、かつ本番の最中に編曲までを行っている。それも、一本の弦が使えない中でだ。
広間の中は、コトリが奏でる音だけが響き渡っている。誰も声を発さない。むしろ、できない。
研ぎ澄まされた刃のごとく、冴え渡る奏で。
圧巻だった。
コトリは、最後の一音が消えると同時に、シェンシャンを置いて頭を下げた。
見下ろすと、指先が固くて太くなった、女らしからぬ大きな手がある。紛うことなくシェンシャン奏者の手。
王女としてではなく、コトリ個人として成せることなど少ないことは分かっている。だが、それでもこの手でできることはあるはずだ。
コトリは諦めない。
欲しいものは、この手で必ず掴んでみせる。
再び頭を上げたコトリは、御簾越しに堂々と広間を見回した。驚愕や妬みの入り混じった声が届いていたが、ものともしない。
凛とした姿。
まるで、琴姫だった。
シェンシャンは個体差の大きい楽器だ。胴の大きさが少しずつ異なるばかりか、音の鳴り方の癖も違う。不慣れな楽器で試験代わりの一曲を披露するのは、あまりにも無謀だ。
しかも、弦が切れている。つまり、譜面に書かれた音を全て奏でることができないということになる。
「酷すぎるわ! カナデ様、一度部屋に戻って弦を張り直しましょう」
サヨは、怒りで顔を真っ赤にしている。コトリは一瞬だけ目を閉じて、また開いた。
「いえ、このまま弾くわ」
「さすがにそれは無茶じゃ」
いつもは他人事のように傍観しているミズキさえ、慌て始めた。
「私のシェンシャン、使います?」
「これは私に売られた喧嘩だもの。二人の手出しは不要です」
「でも」
「実はこういうの、憧れていたの。私の戦い、見守っていてね」
三人がこそこそ話しているのがいけなかったのであろう。女官が不機嫌そうに咳払いをする。
「では、私から弾きます」
コトリは、シェンシャンを手に取った。
それは、コトリのものよりも幾分大きく、抱えてみると若干の違和感がある。まずは、演奏の邪魔にならないよう、切れた弦を軸に絡ませておいた。次に、残っている三弦を鳴らして耳を澄ませる。コトリは、やはりと思った。音合わせがなされていなかったのだ。
音合わせの道具は手元にあるが、女官が急かせているので時間が無い。コトリは幼少から培ってきた絶対音感で瞬時に調弦をすると、改めて女官に目配せをした。
いよいよ、始まる。
これが、自由曲の演奏ならば、まだ救われたかもしれない。できるだけ切れた弦を使わない曲を弾けばいいのだ。しかし、今は楽師団内でも由緒ある曲が課題となっている。避けることはできない。
サヨも、ミズキも、自分達の方が逃げ出したいぐらいだった。対するコトリは、落ち着き払っている。既に、シェンシャンとの対話は始まっているのだ。
コトリは、ヨロズ屋でゴスから聞いた話を思い出していた。シェンシャンには神がいる。その神と対話し、神の声を届けることこそが楽師の仕事なのだと。
このシェンシャンにおわす神に語る。
――――私に、音の力を。
――――この地に、恵みを。
――――人々の心に安らぎを。
「鳴紡の若葉」は、山深きクレナ国に広がる緑と、湧き出る清らかな水を見事に描き出した美しい旋律が特徴だ。和音で奏でるというよりも、単音を切れ目なく繋ぎ合わせて聴かせるような楽曲である。必要なのは、速さと滑らかさだけではない。シェンシャン特有の音の響きの通り具合を加味しながら、表情豊かに弾きあげなければならないのだ。
コトリは、若き無垢な力を迸らせる。
――――さぁ。共に、最高の音を奏でよう。
コトリはカッと目を開いた。その刹那、背中が燃えるように熱くなり、左右の手が自らのものではないかのように動き始める。
素人がすれば、ただシェンシャンに触れているだけに見えたかもしれない。
少しかじった程度の者からすれば、楽器で遊んでいるだけに見えたかもしれない。
しかし、ここに集まる熟練のシェンシャン奏者達が見れば、それは正に神業に他ならなかった。
決して、譜面通りではない。
しかし、旋律を成す音は確実に爪弾かれている。さらには、それをより魅力的に際立たせるだけの別の旋律が後ろで常に流れているのだ。
「これ、ほんとに一人で弾いているの?」
ミズキが呟いた。
静かに見届けているサヨも、これには驚いていた。
コトリができると言う時は、大抵きちんと策がある。それ故、今回のことも一応信用して見守っていた。だが、これ程のものになるとは全く想像できていなかった。
今のコトリは、練習を初めて日が浅い曲を完璧に自分のものとし、かつ本番の最中に編曲までを行っている。それも、一本の弦が使えない中でだ。
広間の中は、コトリが奏でる音だけが響き渡っている。誰も声を発さない。むしろ、できない。
研ぎ澄まされた刃のごとく、冴え渡る奏で。
圧巻だった。
コトリは、最後の一音が消えると同時に、シェンシャンを置いて頭を下げた。
見下ろすと、指先が固くて太くなった、女らしからぬ大きな手がある。紛うことなくシェンシャン奏者の手。
王女としてではなく、コトリ個人として成せることなど少ないことは分かっている。だが、それでもこの手でできることはあるはずだ。
コトリは諦めない。
欲しいものは、この手で必ず掴んでみせる。
再び頭を上げたコトリは、御簾越しに堂々と広間を見回した。驚愕や妬みの入り混じった声が届いていたが、ものともしない。
凛とした姿。
まるで、琴姫だった。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
異世界の花嫁?お断りします。
momo6
恋愛
三十路を過ぎたOL 椿(つばき)は帰宅後、地震に見舞われる。気付いたら異世界にいた。
そこで出逢った王子に求婚を申し込まれましたけど、
知らない人と結婚なんてお断りです。
貞操の危機を感じ、逃げ出した先に居たのは妖精王ですって?
甘ったるい愛を囁いてもダメです。
異世界に来たなら、この世界を楽しむのが先です!!
恋愛よりも衣食住。これが大事です!
お金が無くては生活出来ません!働いて稼いで、美味しい物を食べるんです(๑>◡<๑)
・・・えっ?全部ある?
働かなくてもいい?
ーーー惑わされません!甘い誘惑には罠が付き物です!
*****
目に止めていただき、ありがとうございます(〃ω〃)
未熟な所もありますが 楽しんで頂けたから幸いです。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる