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23それぞれの部屋で
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総評を終えると、アオイは一人自室へと戻っていった。彼女にも侍女はいるのだが、最低限の生活の世話をさせるだけで、日中の行動を共にするようなことはない。
ようやく一人なると、アオイは抑えきれぬ笑みを開放して、新人達の演奏を振り返り始めた。
今年の新人演奏会の総評は、かなり難しいものがあった。これを担うのは、アオイにとって六年目にあたる。今年程、わざと酷評せねばならないことに心が痛む年はなかっただろう。
しかし、ここは生存競争の激しい女の園。少々虐められたぐらいで心が折れるようでは、どうせこの先長くは居られない。そのような意味での耐性を診断する役目もあったのだ。
それにしても、今年は珍しい。三人が三人、全てが残ってしまった。いずれの演奏も基礎ができていて、将来が有望だとアオイは感じる。中でもコトリについては抜きん出ていた。
まずは、あの弦が切れた状態での咄嗟の判断には驚かされる。アオイも知識としては、同じ音を別の弦でも鳴らすことができるのを知ってはいた。おそらく、左手の指の運びがありえない程複雑になり、音の流れにも影響する。これを本番の最中にやってのけるのは至難の業だが、ものの見事に帳尻合わせができていた。同じ奏者だからこそ分かる神業だ。
編曲していたのも面白かった。女官を通して楽譜を渡してはいたものの、編曲してはいけないという定めはない。確かに課題曲そのものの旋律ではあったので、咎めることもないだろう。むしろ、彼女の豊かな感性や、引いてはこれまで多くの曲を弾きこなしてきたのだろうという事が垣間見えるものでもあり、上手くやられたな、というのが本音なのである。
もし自分があの立場ならば、あのように切り抜けられただろうか。そう思うと、アオイの心は自然と引き締まった。
もちろん、今のコトリは荒削りで、あんな迫真的な演奏は聴いているだけで肩がこる。けれど、それも楽師団の一員として場数を踏めば、角が取れて丸くなり、より良いものとなっていくだろう。
負けてはいられない。
やはりアオイは楽しみになり、ひっそりと相好を崩すのである。
◇
その頃、コトリ達三人はハナの部屋に呼ばれていた。また虐められるのではないかと身構えていた三人だが、一応これは演奏会の労いであるらしい。
「皆様、ご苦労さま。よく耐えましたね」
三人は、ハナの侍女から茶を振る舞われていた。おそらく帝国製であろうガラスの茶器に湯を注ぐと、中の茶葉がほぐれた後、茉莉花の白い花がふわりと咲く。その愛らしさに、女達の歓声があがった。
もちろんコトリやサヨは、こういった工芸茶が初めてではない。だがミズキは、不思議そうにずっと茶器の中を覗いていた。
「あれは、恒例行事のようなものなの。とても上品とは言えないしきたりですけれど、一応必要なものとして受け継がれているわ」
ハナによると、楽しいことばかりでない楽師団生活に順応できるかどうかの試しであったというのだ。楽師団は単にシェンシャンを演奏するだけでなく、それを披露する相手となる王族や貴族、地方の有力者などとの付き合いもあり、精神的な強さや判断力、もちろん礼儀正しさや教養なども求められる。
「どうしても、日頃の鬱憤を晴らすために罵ってしまう方々もいらっしゃるから、私はあまり好きではないのですが」
そう話すハナは、儚げな美人であるので、入団の際はどのようにしてこれを乗り切ったのだろう、と内心コトリは独り言ちた。
「それにしても、コトリ様。あなたは以前から正妃様と面識がおありでしたの?」
次の瞬間、コトリとサヨに緊張が走る。が、それを顔に出すこともできず、微妙な表情になってしまった。もしや、王族であることを勘付かれてたのだろうか。
「皆様方の噂によると、恐れ多くも正妃様が私の演奏に良い評価をしてくださったとのことですね。ですが、これまでそんな雲の上のお方とはご縁がありませんでしたので、少々驚いております」
コトリはたどたどしくも、丁寧な受け答えを心がけた。ハナは物腰が柔らかな女だが、楽師団の序列ではニ位。ここまで上り詰めたからには、雰囲気に誤魔化された裏に何かがあるかもしれない。他の団員のことを思うと、どうしても警戒してしまう。
「別に、何かを咎めているわけではないのだから、そんなに畏まらなくてもいいのよ」
ハナもコトリの態度に何かを感じたらしく、一層にこにこしてみせた。
「ご存知かもしれないけれど、正妃様はこの王立楽師団の名誉団長であらせられますもの。やはり、お気に入りになるのは誰もが憧れるところ。コトリ様が羨ましいわ」
「おそらく、たまたまお目にとまっただけかと存じますが、ありがたいことです」
コトリも王女時代に培った上品な笑顔を維持する。無言の探り合いが始まったような気がした。墓穴を掘る前に、別の話題へ移りたいところである。
「あの、ハナ様。折り入ってご相談がありまして」
このように新人を自室でもてなす気概のある方だ。頼られることにも慣れているだろう。そう踏んだコトリは、弦が切れたままのシェンシャンに目をやった。
「実はこのシェンシャン、私のものではないのです」
「あら、そうだったの?」
ハナは御簾が降りてから広間へ来たらしく、あの一部始終を見ていなかったようだ。コトリは演奏会前の事件について説明した。
「それで、どなたが今あなたのシェンシャンを持っているのかしら?」
「ナギ様です」
「あぁ、あの子。また、古典的な意地悪をしたものね」
ハナは、やれやれ困ったとばかりに頭を手で押さえる。
「私から、必ずコトリ様の元へ返すよう、後で言っておきましょう」
「ありがとうございます」
コトリは、深々とハナに向かって頭を下げた。自分の運命だとまで思えたシェンシャンは、既に自らの半身のような存在だ。どうにか取り戻す見通しがついて、ようやく生きた心地がしたコトリだった。
◇
同じ頃、自室にいたナギは、コトリから奪ったシェンシャンを弾いていた。
「何、これ。ただのガラクタじゃないの。全然綺麗に鳴りやしない!」
王妃が認める音色ともなれば、どんなに素晴らしいシェンシャンなのだろうと期待していたのだ。しかし、ナギが弾いても何故だが安っぽい音しか出ない。試しに部屋付きの侍女に弾かせてみても、それは同じだった。
「ふんっ。見た目も地味なら、音もさっぱりだなんて、あの小娘にはぴったりだね」
怒りはますます膨らんでいく。
「これならば、貸してやるシェンシャンも、もっと安いものにしてやればよかった!」
ナギは、怒りをぶつけるように、シェンシャンを力任せに弾いた。途端に何かが弾け飛ぶ。それは鞭のようにしなってナギの顔を殴りつけた。
頬が焼けたように傷んだ。ナギは一瞬声を失い、慌ててそこへ手をやると、ぺっとりと赤いものが絡みつく。
見下ろすと、弦が一本切れて、シェンシャンからぶら下がって揺れているではないか。ナギを嘲笑うかのように。
「許せない」
ナギは静かに立ち上がった。
「許せるものか」
ナギはコトリのシェンシャンを掴むと、餅つきの杵のように大きく振りかぶる。
「死ね!」
直後、床が少し揺れて、くぐもった不穏な音が妙に大きく部屋に響いた。
ようやく一人なると、アオイは抑えきれぬ笑みを開放して、新人達の演奏を振り返り始めた。
今年の新人演奏会の総評は、かなり難しいものがあった。これを担うのは、アオイにとって六年目にあたる。今年程、わざと酷評せねばならないことに心が痛む年はなかっただろう。
しかし、ここは生存競争の激しい女の園。少々虐められたぐらいで心が折れるようでは、どうせこの先長くは居られない。そのような意味での耐性を診断する役目もあったのだ。
それにしても、今年は珍しい。三人が三人、全てが残ってしまった。いずれの演奏も基礎ができていて、将来が有望だとアオイは感じる。中でもコトリについては抜きん出ていた。
まずは、あの弦が切れた状態での咄嗟の判断には驚かされる。アオイも知識としては、同じ音を別の弦でも鳴らすことができるのを知ってはいた。おそらく、左手の指の運びがありえない程複雑になり、音の流れにも影響する。これを本番の最中にやってのけるのは至難の業だが、ものの見事に帳尻合わせができていた。同じ奏者だからこそ分かる神業だ。
編曲していたのも面白かった。女官を通して楽譜を渡してはいたものの、編曲してはいけないという定めはない。確かに課題曲そのものの旋律ではあったので、咎めることもないだろう。むしろ、彼女の豊かな感性や、引いてはこれまで多くの曲を弾きこなしてきたのだろうという事が垣間見えるものでもあり、上手くやられたな、というのが本音なのである。
もし自分があの立場ならば、あのように切り抜けられただろうか。そう思うと、アオイの心は自然と引き締まった。
もちろん、今のコトリは荒削りで、あんな迫真的な演奏は聴いているだけで肩がこる。けれど、それも楽師団の一員として場数を踏めば、角が取れて丸くなり、より良いものとなっていくだろう。
負けてはいられない。
やはりアオイは楽しみになり、ひっそりと相好を崩すのである。
◇
その頃、コトリ達三人はハナの部屋に呼ばれていた。また虐められるのではないかと身構えていた三人だが、一応これは演奏会の労いであるらしい。
「皆様、ご苦労さま。よく耐えましたね」
三人は、ハナの侍女から茶を振る舞われていた。おそらく帝国製であろうガラスの茶器に湯を注ぐと、中の茶葉がほぐれた後、茉莉花の白い花がふわりと咲く。その愛らしさに、女達の歓声があがった。
もちろんコトリやサヨは、こういった工芸茶が初めてではない。だがミズキは、不思議そうにずっと茶器の中を覗いていた。
「あれは、恒例行事のようなものなの。とても上品とは言えないしきたりですけれど、一応必要なものとして受け継がれているわ」
ハナによると、楽しいことばかりでない楽師団生活に順応できるかどうかの試しであったというのだ。楽師団は単にシェンシャンを演奏するだけでなく、それを披露する相手となる王族や貴族、地方の有力者などとの付き合いもあり、精神的な強さや判断力、もちろん礼儀正しさや教養なども求められる。
「どうしても、日頃の鬱憤を晴らすために罵ってしまう方々もいらっしゃるから、私はあまり好きではないのですが」
そう話すハナは、儚げな美人であるので、入団の際はどのようにしてこれを乗り切ったのだろう、と内心コトリは独り言ちた。
「それにしても、コトリ様。あなたは以前から正妃様と面識がおありでしたの?」
次の瞬間、コトリとサヨに緊張が走る。が、それを顔に出すこともできず、微妙な表情になってしまった。もしや、王族であることを勘付かれてたのだろうか。
「皆様方の噂によると、恐れ多くも正妃様が私の演奏に良い評価をしてくださったとのことですね。ですが、これまでそんな雲の上のお方とはご縁がありませんでしたので、少々驚いております」
コトリはたどたどしくも、丁寧な受け答えを心がけた。ハナは物腰が柔らかな女だが、楽師団の序列ではニ位。ここまで上り詰めたからには、雰囲気に誤魔化された裏に何かがあるかもしれない。他の団員のことを思うと、どうしても警戒してしまう。
「別に、何かを咎めているわけではないのだから、そんなに畏まらなくてもいいのよ」
ハナもコトリの態度に何かを感じたらしく、一層にこにこしてみせた。
「ご存知かもしれないけれど、正妃様はこの王立楽師団の名誉団長であらせられますもの。やはり、お気に入りになるのは誰もが憧れるところ。コトリ様が羨ましいわ」
「おそらく、たまたまお目にとまっただけかと存じますが、ありがたいことです」
コトリも王女時代に培った上品な笑顔を維持する。無言の探り合いが始まったような気がした。墓穴を掘る前に、別の話題へ移りたいところである。
「あの、ハナ様。折り入ってご相談がありまして」
このように新人を自室でもてなす気概のある方だ。頼られることにも慣れているだろう。そう踏んだコトリは、弦が切れたままのシェンシャンに目をやった。
「実はこのシェンシャン、私のものではないのです」
「あら、そうだったの?」
ハナは御簾が降りてから広間へ来たらしく、あの一部始終を見ていなかったようだ。コトリは演奏会前の事件について説明した。
「それで、どなたが今あなたのシェンシャンを持っているのかしら?」
「ナギ様です」
「あぁ、あの子。また、古典的な意地悪をしたものね」
ハナは、やれやれ困ったとばかりに頭を手で押さえる。
「私から、必ずコトリ様の元へ返すよう、後で言っておきましょう」
「ありがとうございます」
コトリは、深々とハナに向かって頭を下げた。自分の運命だとまで思えたシェンシャンは、既に自らの半身のような存在だ。どうにか取り戻す見通しがついて、ようやく生きた心地がしたコトリだった。
◇
同じ頃、自室にいたナギは、コトリから奪ったシェンシャンを弾いていた。
「何、これ。ただのガラクタじゃないの。全然綺麗に鳴りやしない!」
王妃が認める音色ともなれば、どんなに素晴らしいシェンシャンなのだろうと期待していたのだ。しかし、ナギが弾いても何故だが安っぽい音しか出ない。試しに部屋付きの侍女に弾かせてみても、それは同じだった。
「ふんっ。見た目も地味なら、音もさっぱりだなんて、あの小娘にはぴったりだね」
怒りはますます膨らんでいく。
「これならば、貸してやるシェンシャンも、もっと安いものにしてやればよかった!」
ナギは、怒りをぶつけるように、シェンシャンを力任せに弾いた。途端に何かが弾け飛ぶ。それは鞭のようにしなってナギの顔を殴りつけた。
頬が焼けたように傷んだ。ナギは一瞬声を失い、慌ててそこへ手をやると、ぺっとりと赤いものが絡みつく。
見下ろすと、弦が一本切れて、シェンシャンからぶら下がって揺れているではないか。ナギを嘲笑うかのように。
「許せない」
ナギは静かに立ち上がった。
「許せるものか」
ナギはコトリのシェンシャンを掴むと、餅つきの杵のように大きく振りかぶる。
「死ね!」
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