琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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75奏での考察

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 翌朝、コトリは小鳥の置物を部屋に飾って、一人小さく溜息をついた。白地に紅い模様の入った可憐な木彫りの小鳥である。

「大丈夫、よね?」

 小鳥に話しかけているようで、独り言に近い。

 コトリは首席の取り方について、さらに詳しくサヨから聞いていた。

 まず、前回、つまり今年の春の園遊会では、アオイの組とハナの組の一騎打ちだったらしい。

 ハナは常日頃から仲間を勧誘しては、その足場を確固たるものにしている。一方アオイはそのようなことはせず、基本一匹狼なのだが、園遊会の折にはハナの派閥に属さなかった者達を適当に集めて、練習に励んでいる。なのに、なぜか烏合の衆のはずのアオイの組が勝っているそうだ。

 このニ大派閥の形は今も続いている。それはここ数年崩れずにいるものらしい。つまり、首席をとるためには、これから先輩二人に対して喧嘩を売らなければならないということだ。

 単純に考えて、これは試練である。

「カナデ様、顔色が良くありませんね。昨夜はあまりお休みになれませんでしたか?」

 サヨがやってきた。手には米菓子が載った盆がある。これはコトリの好物だが、気分が晴れることはない。

「考え過ぎはよくありませんよ。できることを着実にして、その時を迎えるしかありません。それに心配せずとも、カナデ様には神々がついておられるのでしょう?」

 コトリは、サヨにウズメやククリと会ったこと、神気が見えるようになったこと、クレナとソラの各地にいる社に属する神々と顔合わせをしたことを話していた。

 サヨは、それだけの味方があるならば、何も怖くないと思えるのである。それ以前に、彼女自身はコトリそのものと、そのシェンシャンの腕や音色に惚れ込んでいるので、何が起こっても首席がとれるのは間違いないと思いこんでいる節もある。

「そうね。でも、私だけが神の加護を受けていても意味は無いわ。アオイ様の言うように、楽師団として……集団での奏ででどれだけの力が出せるかと言う事も大切ですもの」
「私は、カナデ様さえ奏でてくだされば、それで世の中は良くなりますでしょうし、耳にも心地よく思います」

 コトリは苦笑した。

「ありがとう。だけど、これだけは言わせて? 今まで私は、一人きりで弾いてきた。だからこそ、今は皆で弾くのも楽しく思えるの。ただ、ぴたりと息があっているだけの奏では面白くないないかもしれないけれど、その向こうにまだ見たことのない景色があるような気がしてならないわ」

 留守中、楽師団という集団の演奏について、コトリなりに考える事が多かった。その中で見えてきたのは、皆で力を合わせることの尊さだ。

 コトリは、あれからも何度か社に通って、ウズメの手引のもと、様々な神々の眷属達とシェンシャンの合奏を試みてきた。集まる面々が違えば、その度にまた新たな音楽が生まれる不思議。相手がどのような心持ちで向き合っているのだろうと鑑みる心は、いつしか音の優しさに繋がっていく。

「音を奏でる理由は、人それぞれだと思うの。楽師として身を立ててお金を稼ぐため。土地に恵みをもたらして、人々を喜ばせるため。自らが紡ぎ出す音で大きなことを成し遂げる喜びを得るため。いろいろあるけれど、たぶん全ては、心を通わせて共感したり、内に秘める何かを解き放つためにあるんじゃないかしら。それしてそれは、確実に聴く人の心を捉えて離さないものなのよ」

 サヨは盆を卓の上に置くと、コトリの真摯な語りかけにますます耳を傾ける。
 コトリは続けた。

「一人の時は、真っ直ぐに音と向き合うだけでよかった。それはまるで、真っ暗な空間にぽかんと浮かんでいるだけなの。でも、誰かと弾くと、互いに手を差し出し合って、しっかり握り合って、その伝わってくる体温を分かち合い、皆で一つになれるのね。共に至高の音楽を目指していく過程も、それが成し得た時も、一人の時とは全然違う喜びと楽しさがあるのだわ」

 目を輝かせるコトリは、新たな翼をつけて飛び立とうとする金糸雀のようだ。サヨは、やんわりと目を細める。

 楽師団に入るとなった時には、王女育ちの主が本当に馴染めるかどうか不安だったのは事実だ。だからこそ、自らも志願して楽師となり、コトリと他の楽師の間に立ち、緩衝材としての役目も果たそうと思っていた。
 けれど、何のことはない。既にコトリは、真に楽師団の一員になろうとしている。

「なんだかカナデ様は、私が離れております間に随分と成長されて、少し知らない方になったようです」

 嬉しさと寂しさが半分ずつ。サヨは目尻を指先で拭った。
 コトリは少し考えて答える。

「たぶん、そんなことないわ。私はこれまでも、今も、これからも、サヨの友だということは変わらないもの」
「コトリ様……」

 コトリは、ふと肌恋しくなってしまった。サヨに向かってそっと腕を伸ばす。気づくと、サヨからも差し出されていた。すぐに四つの手が絡み合うようにして集まって、硬い組紐の結び目のように強く握りあう。

「私、サヨにも神々を紹介したいわ。そして、神気が見えるようになってほしい。同じ景色を眺めたいの」

 サヨが、はっとした顔をする。

「それです!」
「何が?」
「それが叶うのならば、アオイ様やハナ様に太刀打ちできるかもしれません。神気が見えるようになりたい方を、こっそりと募って仲間を集めるのです」

 先輩二人ができないことをすれば、コトリの元にも人を集められるかもしれない。サヨは力強く頷いた。





 その日の夕方、コトリの元に花が届けられた。カタクリだ。紫の上品な色で、下に俯いた花は慎ましく愛らしい。

 コトリは上機嫌だが、サヨはどこか不満そうだった。何がいけないのかというと、送り主がヨロズ屋のソウだったのだ。これまでは、用がある時は必ずサヨを挟んでいたというのに。さらに、選ばれていた花もよろしくない。

 カタクリは、花を咲かせるまでに七年もかかる種であり、本来こんな暑い季節にはお目にかかれない。となると、どこか遠くの高地から運んできたのだろう。そんな手間をかけてまで、コトリに花言葉である「寂しく耐えている」、つまり会いたいという恋心のようなものを伝えてくるとは、喧嘩を売られたような気分だった。幸いコトリはそういった事に気づいていない様子なので、そこはいい気味である。

「それで、ソウ殿は何と言っているのですか?」

 サヨからすると、ソウは新興の商人の一人に過ぎず、そんな青二才が王女であるコトリにやすやすと手を伸ばすなど言語道断だ。どうしても、棘のある声色になってしまう。
 しかし、コトリは読み終えた文を丁寧に畳み直し、それを大切そうに胸元へ押し付けていた。

「やっとお会いする約束ができたのです」
「やっと?」
「えぇ。三日後の昼に。以前からお願いしていた神具も仕上がったそうよ」

 その日は、サヨにとっても大切な日だった。

「カナデ様、日を変えませんか?」
「どうして?」
「私は、その日、父に呼ばれておりまして、マツリ様とお会いすることになっているのです」
「兄上と? もし私のことを尋ねられたら元気にしていると伝えてちょうだい。私は一人でヨロズ屋に行けるから、心配しないでいってらっしゃいね」

 コトリの屈託のない笑顔に、サヨは本音を伝えることができない。懸念しているのはそんなことではないのだ。相手はやり手の商人。しかも男。年頃の娘なのだから、もう少し警戒心を持っていてほしい。

 しかし、王宮と楽師団という狭い世界しか知らないコトリを、束縛しすぎるのも心苦しいものがある。サヨは、菖蒲殿の護衛達へ、常以上に気を配るよう言い含めようと心に決めた。


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