琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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外伝8 最後の姫が選ぶもの

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 確かに黙って頷くわけがない、とチグサはこれまでのセラフィナイトとの会話を振り返る。強い眼力だけで先を促すと、セラフィナイトは地面に転がっていた杓子と小鉢を拾い上げた。朝餉に使ったものを放置していたらしい。

「器。これが俺だ。いま空っぽだが、物を受け入れたり、包み込んだり、支えることができる。使い途はあるのに、ただ中身が無いというだけで無用の長物に成り下がっているんだ」

 セラフィナイトは、地面の砂を掻き集めると、杓子で掬って小鉢に流し込んだ。

「だが、紫の神具の力が入ると、多少見れたものになってくる。入ってるもの、支える物の質次第で、より存在意義が増す」
「私の神具師としての力が欲しいのね」
「いや、それだけじゃ足りない」

 セラフィナイトは、チグサを挑戦的に見据える。

「心が欲しい。まだ生き長らえてもいいな、と思えるぐらいに、強い……もの」

 もの。と言われたが、物ではないだろう。チグサには、それが何を指すのかが分かってしまった。

「あなたも、所詮人なのね」
「それ以外に見えたら、目がおかしい」

 チグサが、ふいに笑う。向かい合うセラフィナイトもだ。

「だから、お前の力と心で、俺を皇帝にしてくれないか。俺が生きる道は、それしかない」

 これは、互いに互いの身を削る密約だ。セラフィナイトは、帝国にいる兄弟達との熾烈な争いに負けて死ぬかもしれないし、チグサはセラフィナイトを皇帝として推すことをミズキから反対されるかもしれない。

 こんな軽い調子で、決めて良いことではないのだ。しかし。

「分かりました。あなたの人生を貰い受ける代わりに、私も私の全てを捧げましょう」
「本当に、いいんだな?」
「何度も言わせないで。私にも私の事情があるのよ」

 チグサは、相変わらず臥せったままの実母のことを思い浮かべた。最近では食べられる粥の量もめっきり減ってしまい、まだ死ぬような齢でもないはずなのに、どこか存在が危うい。

 たまに口を開いたと思えば、チグサを有力者へ嫁に出せなかったとばかり。本来ならば、ミズキと番うのはチグサであるべきだったとまで言い出す始末で、手に負えない。

 故に、チグサは決まって、「もう貰い手が無いみたいなこと言わないで」と反発するのだが、内心では不安でいっぱいだった。

 結婚について身近な者で思い出すのは、カケルとコトリ。彼らは長年の両片思いを実らせ、晴れて夫婦になった。そこにいるだけで砂糖を振りまくような甘さの二人。今は都を出ているので、その幸せ感を目の当たりにして、自分との違いに落胆する機会は少なくなっている。

 そして、言わずとしれたこの国で最も有名な夫婦である、サヨとミズキ。すれ違いが続いているものの、互いに想い合っているところは傍目にも分かる。何より、並び立った時の華やかさは群を抜く。似合いの二人だ。

 さらに、ユカリとハトと来れば、まだ婚姻を結んでから日が浅いというのに、すっかり熟年夫婦のような趣がある。阿吽の呼吸が既に形成されているのだ。

 そんな彼らを近くに感じながら、羨ましいと思わない方がおかしい。けれど、チグサはそんなそぶりを出すことはできないし、それは彼女の矜持が許さなかった。

 だからこそ、他とは違うやり方で、自分の今後を決めるのも良いのではないか。例えば、見込みのありそうな男を見繕って、自分のために育てていくのも一興。上手く行けば、この大陸で一番位の高い女になれる。きっと実母の鼻を明かすと同時に、やっと笑顔にさせることができるだろう。

 とは言え、これは完全に博打だ。
 セラフィナイトは、曲がりなりにも皇帝の血を引いているだけあって、何もせずとも強者と覇者の貫禄を思わせる。とは言え、今は囚人。この男にどこまで大きな夢を託しても良いのか、もちろんチグサにも分からない。

 分からないが、ピンと来たのだ。
 この男とは、縁があると、直感が告げていた。

 何より、曖昧なものに縋るというわけではなく、なぜだか根拠のない自信をもって、自らこの縁を選びとろうとしている。自分で決めたものならば、先々が何があっても妙な後悔の仕方はしないであろう。そう言い聞かせると、チグサは鷹揚に頷いてみせた。

「分かった」

 考えていた以上の言葉を引き出せたのか、セラフィナイトは満足げに微笑む。

「あなたが皇帝になれば、妻の母国、紫は守り切ると約束してちょうだい。それとも、こんな打算のある女はお嫌い?」
「いや、それぐらい頭が回る娘でないと、隣には置きたくないな。それと」

 セラフィナイトが、枷のついたままの腕をチグサに差し出す。

「これは、あくまでお願いだ。交渉でもなく、命令でもなく、俺個人との約束をしてほしい」
「何かしら?」
「決して、俺を裏切らないでほしい」

 セラフィナイトは、なぜだか自分で放った言葉なのに、本人が一番驚いた顔をしている。それを誤魔化すように何度か首を振ると、改めてチグサを見つめた。熱い視線。

「誰かに襲われても、踏まれても、命じられても、除け者にされても、後ろ指を刺されても、俺はチグサを大切にしよう」

 チグサは、初めて名を呼ばれたことに気がついた。途端に、差し出されたその手が、その指が、あまりに痛々しく感じられて、堪らなくなる。

「これは、もう要らないわ。私があなたを開放してあげる」

 そして、やはり神具であった手枷を手際よく解除するのであった。しかし、これがチグサにとって思わぬ結果を引き起こすのである。

「あー、ありがとな。これで自由だ」
「え?」

 あまりにも雰囲気が変わったセラフィナイトに、チグサは目を丸くする。先程までの真剣な雰囲気は嘘のように無くなっている。

「さて、良い交渉もできた。後は、それを違えたりされないように、匂いつけをしておく方がいいよね?」

 こんなに軽い男だっただろうか? とチグサは内心混乱して、見動きがとれない。

「では、抱かせてもらおうか?」
「嘘、そんな」
「チグサも望んでたじゃないか。そちらこそ、嘘だったの?」
「好いてもいない、好かれてもいない女を抱くなんて、虚しくないの?」
「好いていないとは、誰も言っていない。つべこべ言わず、さっさと抱かれときな。この国、最後のお姫様」

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