止まり木旅館の若女将

山下真響

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止まり木旅館の若女将

お姉ちゃんと一緒

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「あら? そろそろお時間なのに、なかなかいらっしゃらないわね」

 本日のお客様は、アツイゾという世界からお越しの予定。名前通り暑すぎて、来る途中で息絶えちゃったのかしら。やぁねぇ、もう!
 私が玄関先で、左手を頬に添えて困り顔をしていると、読み通り彼が現れた。

「若女将、ちょっと見てきます!」

 彼、忍くんは庭師だ。武闘派なので、翔以上にがっしりした体つきをしている。超短髪の黒髪に年齢以上の深みを湛えた瞳。将来、渋いおっさんになる素質満載の彼は、私のことをかなり慕ってくれている。ちょっと面倒くさい時に、彼の前でこんな顔をすれば、もうイチコロ。ちょちょいのちょい!


 忍くんが敷地の門を開けた。すると、門前に少年がぽつんと立っている。なんだ、来てるなら入ってきなさいよ。
 例え子どもが相手でも、私は一切手を抜かない。

「ようこそおいでくださいました! ここは止まり木旅館。私は、楓と申します」

 私は、近づいてきた少年と目の高さを合わせるために、少し屈んだ。
 それにしても、小汚いガキだな。正直このまま宿に上がってもらうのは嫌だ。洗濯機に入れて丸洗いしたいところだ。

「僕ね、コルドって言うんだよ。涼しそうで良い名前でしょ!」

 コルド様は、泥だらけの無邪気な笑顔を私に向けた。ああ、なるほど。コールドね。きっと親御さんは、暑い国だから、せめて名前ぐらい涼しげにしてあげようと思って名付けたにちがいない。

「コルド様、早速お部屋にご案内したいところなのですが……少々お召し物やお身体が汚れておいでです。まずは、当旅館自慢の温泉に浸かっていただいて……」
「嫌だ!! こんな高そうな宿屋、絶対に後でいっぱいお金を請求するに決まってるんだ! 騙されないぞ!」

 地団太を踏んだところで、許してあげない。ここでは私がルールです! ……たぶん。

「うちには、もう、換金できそうなアイテムは無いし、父さんも魔物に食べられちゃったんだ」

 アツイゾって剣と魔法の世界なのよね。勉強家な楓さんは、ちゃんと書庫の資料を読んで調べてあるのです。偉いでしょ! 
 確か、台帳の情報によると、彼は貧しい農家の五男だと書かれてあった。ガキんちょの話では、私の想像以上に生活が困窮しているようだ。

「もう、頼みの綱だった家宝の聖霊剣まで売っちゃったんだ。だから、こんな高そうなところなんて泊まれないよ」

 ついに泣き出したガキんちょ。え? 私のせい? そんなわけないよね。
 その時、忍くんにスイッチが入った。

「剣?! 貴様、武器をもっているのか?!」

 しまった。忍くんには、特に必要ないと思って、アツイゾのことは伝えていなかったのだ。忍くんは、小汚いガキんちょの身体を調べ始めてしまった。
 アツイゾにおいて剣というものは、球状の宝石の形をしている。それを手で握って魔力を与えることで、宝石はちゃんとした剣の形に姿を変えるのだ。
 ちなみに、止まり木旅館及び周辺では、魔力とか分けわかんないものは使えない仕様になっている。だから、何も心配はない。

「楓さん! 何も持っていらっしゃいませんでした!」

 忍くん、先程お客様を貴様呼びしたでしょ? 敬語に戻ったから、今は見過ごしてあげるけれど、後でお説教決定ね。貴様呼びするのは、心の中ですればいいの。心の中で。

「コルド様、うちの者が大変失礼いたしました。当旅館は、コルド様のような方のために存在する宿でございます。ですから、お金は一切必要ありません。どうかご安心なさってください」

 できる限り優しそうな雰囲気で話しかけてみると、やっと泣き止んでくださった。やれやれ。

「それでは、温泉に参りましょうね! ええ?! 待って! お待ちくださいませ!」

 これでやっと宿に入っていただけると思っていたのに。なんと、コルド様は一目散に門へ向かって走ると、そのまま敷地から出ていってしまった。
 無駄なあがきを……。たまにあるのだ、こういうことは。これで帰ってくれるのならば世話がないが、そうもいかない。
 止まり木旅館の周辺は、どこまでも続く白い砂の地面と白い霧の世界が広がっている。すぐに、自分がどちらを向いているのかなんて、分からなくなってしまう。そして、空腹、眠気、精神障害などの理由で意識を失い、倒れてしまうのだ。倒れてしまえば、後は話が早い。自動的に、止まり木旅館の門前にワープさせられてしまい、振り出しに戻るのだ。
 さて、あのガキんちょは、何時間で帰ってくるだろうか。


 ……と心配していたが、案外すぐに解決してしまった。

「あれ……?」
「お気づきになりましたか? お帰りなさいませ、コルド様」
「なんで……僕……」
「不思議に感じていらっしゃるのですね。私も不思議です。でも、そういう仕様ですので、お気になさらないでください」

 コルド様は、たった一時間で止まり木旅館の門の前へ戻っていらっしゃった。元々衰弱しているご様子だったので、無理はない。
 それにしても! 戻ってらっしゃったコルド様が無防備なのを良いことに、お湯で絞った手拭いでお顔を綺麗に拭いて差し上げたわけですよ。そしたら、もう……なんて、可愛いの! ここに天使がいるよ! ごめんね、コルド様。もうガキんちょなんて、呼ばないから!
 コルド様は、まだぼんやりしていて、目元を手でこすっている。そんな仕草もまた可愛い。

「では、コルド様。今度こそ、温泉に入っていただきますよ!」

 コルド様は、頬をぷっと膨らませると、上目遣いでこちらを見た。そんな目で見られても、これだけは譲れない。ここは、ぐっと我慢だ。

「……えっとね、僕、お姉ちゃんと一緒なら、入るよ」




 その後、可愛い少年とお風呂できゃっきゃうふふ……にはならなかった。

 私は、大浴場の女湯で一緒に入ろうと思っていたのだけれど、コルド様は断固拒否。では私が男湯に……と思ったら、風呂場担当の研(けん)さんから出禁をくらったのだ。結局、翔がコルド様のお世話をしてくれた。
 ちっ……! 私はまだ諦めないぞ! 天使様とお近づきになるのは、若女将の私だ!!

「お疲れ様でございました。温泉はお楽しみいただけましたか?」
「温泉は、良かったよ」

 風呂上りのコルド様のお身体からは、湯上がりの清潔な香りと、湯気が立ち上っている。でも、明るい茶色の髪の毛から、ぽたぽたと雫がこぼれ落ちていた。翔、何やってんのよ! これじゃ、天使様が風邪引いちゃうじゃないの!
 私は、研さんに新しいタオルを用意してもらって、コルド様の頭の上にそっとかぶせた。

「しっかり拭いておきましょうね」

 私は、タオルの上から彼の頭を手で優しく押さえて、水分を拭き取ることにした。コルド様が痛みを感じることがないように、手つきには細心の注意を払う。
 本来は、こんな簡単にお客様に触れるなんて、やってはいけないこと。でも今回は仕方がなかったのだ。あまりにも可愛いから、頭を撫でてみたかった……とかじゃないからね! ふふふ。
 拭き終わると、コルド様は私を見上げてにっこり笑った。

「ありがとう。次は、一緒に入ろうね!」

 コルド様は、私に向かって両腕を広げた。細くて折れそうな白い腕。こんなにか弱い身体であんなに泥だらけになっていたということは、これまできっとたくさんの苦労をしてきたのだろう。
 よしよし。お姉さんが全部受け止めてあげよう! さあ、来なさい!!

「お姉ちゃん……」

 コルド様は、私の胸元に鼻をこすりつけて、クンクンしていた。駄目だよ、もう。着物の隙間から、息が吹きかかってきて、とってもくすぐったい。
 その時、彼の背後に白い扉が現れた。
 大人の目の高さぐらいのところに小窓があって、全体を覆っているレリーフもファンシー。天使様に相応しいと言えるわね。

「コルド様。お帰りの扉が開きました。浴衣は差し上げますので、このままあちらへお進みください」

 今回も、扉の出現はわりと早かった。コルド様、もう行ってしまうのね……。天使様、さようなら。引き止めたいのは山々だけれど、これも仕様だから仕方ない。
 コルド様は、翔にせっつかれて、扉の前に進み出た。

「この度は、ご利用ありがとうございました。もう二度とお会いすることがありませんよう、従業員一同お祈りしております」

 私と、翔、研さんは、深々とコルド様に向かって頭を下げた。

「楓お姉ちゃんの胸、まな板だった。やっぱり、うちの姉ちゃんの方がいい! だって、もっとふわふわしてるもん!」

 コルド様はけけけっと笑うと、光と共に扉の向こうへと消えていった。

「この糞ガキぃっ! ちょっと可愛いからって、調子乗るんじゃねぇぞ!! 二度と来るな!」 

 私が、扉が消えた空間に向かってパンチを繰り出していると、トントンと肩が叩かれる。

「楓さん、心の声がダダ漏れです」
「あら、いけない。私としたことが……」

 背後に居たのは、忍くんだった。そういえば、彼に言い聞かさなければならないことがあったような。
 はっ!
 ……はい、ごめんなさい。私もやらかしてしまいました。人の振り見て我が振り直せですわね。さすがに、これを見られた直後にお説教はできないか。おほほ。ラッキーだったわね、忍くん。でも次は、許さないわよ。

「そういえばコルド様は、『温泉は、良かった』とおっしゃっていたわね。温泉に入った時、何かあったのかしら?」

 私はなんとなく気になって、翔と研さんに尋ねてみた。

「ひ・み・つ♪」

 研さんは、こちらにウインクを飛ばした。この人、未だに男か女か分からないのよね。見た目は背の高いスタイル抜群な美女。ウェーブのかかった薄紫色の髪はハーフアップにしてあって、いつも毛先は右肩に流してある。少し長めの前髪はサイドに流してあるのだけれど、左目は髪に隠れてほぼ見えない。泣きぼくろまであるせいか、妙に色気がある方だ。

「私の過去と同じ。昔のことを話さなくても、ここに置いてくれるって言ってくれた楓さんなら、分かってくれるよね?」

 研さんは、元『お客様』だ。他の従業員も、大半は元『お客様』。研さんは、半年以上の長期滞在の末、ここの従業員になることを決意した。つまり、私共の力が及ばず、なかなかご満足いただけなかったのだ。
 従業員になるには、その人の名前を書いた木札を従業員控え室の壁に架ければ手続きが完了する。ただし、その後いくら旅館に満足したところで、もう扉が現れることはない。永遠に時の狭間の住人となる。

「それを引き合いに出されたら、何も言えないじゃない。でも、お客様のためにならないことは絶対にしないでね?! でないと、お尻ペンペンしますよ!」

 翔がプッと吹き出した。こちらは真剣な話をしているのに、失礼な人!

「楓、まな板だとか言われたからって、そうカリカリするなよ。撫で肩とまな板じゃないと、着物は似合わないんだぞ? その体型で良かったじゃないか。機嫌直せ」
「そ、そうかな?!」

 私は、身に着けていた若女将の戦闘着、藤色の着物を見下ろした。
 そうよね。私は、若女将。着物が似合わないと務まらないの! そうよ。私ってば、生まれながらの女将なんだわ!
 その時、廊下の向こうから、パタパタという足音が近づいてきた。

「楓さーん! シーツのお洗濯は終わりました!」

 巴ちゃんが、報告に来てくれたようだ。あれ? おお? まな板じゃなくても、着物が似合っている女の子が、ここにいるではないですか?! ちくしょー、また乗せられるところだったぜ。

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