止まり木旅館の若女将

山下真響

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止まり木旅館の若女将

いつでもおいで

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 げほっ! ごほっ、ごほっ……
 私、止まり木旅館の若女将、楓と申します。本日、大人になってからは、初めての風邪を引いてしまいました。

「楓さん、本日のお客様のことは、私にお任せください!」

 今日は、ヒビタビ一族の方が、お越しになる予定。ヒロビロ草原を季節ごとに移動しながら生活をしている人だ。
 しかし、私はふらふらで、着物を着たもののよろけるばかり。見かねた巴ちゃんが、女将の仕事を代行してくれることになった。

「巴ちゃん、ごめんね」
「大丈夫ですよ! 楓さんが、事前に受け入れの段取りをしてくださっていましたから、楽なものです。それに、良かったですね」
「何が良かったの?」
「これで、馬鹿じゃないって証明できたじゃないですか!!」

 『馬鹿は風邪引かない』説か……。すぐさま否定できなかったことが悲しい。
「後で、看病する人を寄越しますから。ちゃんと横になって休んでいてくださいね」
 巴ちゃんは、私の額の上にある手拭いを冷たいものと取り替えると、ささっと部屋を出て行ってしまった。
明るい時間に、自分の部屋で横になっているなんて、不思議な気分。私は、身体中の関節が痛いなと思いながら、じっと天井を見つめていた。 




 しばらくぼんやりしていると、廊下の方から何やらすごい物音と、何人かの呻き声が。何やってるのよ?! もうすぐお客様がお越しになるのだから、皆持ち場に戻って!!
 でも、すぐにその音は消えて、部屋の障子が開かれた。

「具合どう?」
「翔、来てくれたんだ」

 看病に来てくれるのは、手の空いている密さんかな?と思っていたので、少し驚いた。

「さっき、ちょっと騒がしくて悪かったな」
「ううん、大丈夫。何かあったの?」

 そう、私が尋ねた瞬間、障子に付いている鍵がガチャンとかけられた。外から?! なぜ?! 翔がすぐに様子を見に行ってくれて、内側から鍵を外してくれた。けれど、障子の裏側につっかえ棒が仕掛けられていたのだ。これでは、障子を開くことができないから、外に出られない。
 つまり、こういうこと。翔と二人きり。私の部屋に閉じ込められてしまったのである。
 以前、シャーマンのおばあちゃまがいらっしゃってから、なんとなく翔のことを意識してしまっている私。こんな状態で、私の身はもつのだろうか……。ただえさえ調子が悪くて動悸しているというのに。
 翔は、一瞬、手甲から何かキラリと光るものを覗かせていたけれど、すぐに引っ込めた。

「ま、いいか」

 そう呟いた翔は、懐から何やら硬そうな素材でできた平らで黒い四角の物を取り出した。

「それ、何?」

 私は、少し咳き込みながらも、質問した。

「タブレット型端末機」

 それって……もしかして……!! テレビのCMで時々出てくるアレなんじゃないの?! 営業マンが出先で押し売りするのに活用したり、ゲームしたり、運動会で我が子を撮影したり、殺人事件が起きた時に犯人の場所を割り出すのに使う道具でしょ?! カッコいいー!!
 興奮のあまり、私はまたゴホゴホ咳き込んでしまう。
 翔は、私が起きあがろうとするのを助けてくれた。咳き込む私の背中を優しく撫でてくれる。

「これ、お前が思ってるのと違う使い方するから。とりあえず! せっかくの機会だ。今から説明するから、よーく頭に叩き込めよ」
「はい、先生」

 翔は、私の頭を軽く小突いて、使用目的と、タブレット型端末の使い方、さらに注意点を教えてくれた。

「こんな薄っぺらなもので、お買い物できるのね。知らなかったわ」
「なかなか便利だろ? ちょっとしたものだったら、これで注文してくれ。でも、これはどこでも使えるわけじゃない。俺の部屋の中でだけ。しかも、あの扉を開けた状態じゃないと駄目なんだ。品物が届くのも、扉の向こうだしな」
「それじゃ、翔がいない時には使えないのね」
「そう言うと思って、ちゃんとこれを用意してる」

 翔は私の手を取ると、何かを握らせてくれた。開いてみると……

「鍵?!」
「そう、俺の部屋の合い鍵。ほかの奴は誰も入れるなよ? 入れるのは、俺とお前だけ」
「……分かった」

 私は、翔の方を見た。

「いつでもおいで」

 にっこりする翔。
 ……何なんだ、この破壊力!! いつも無愛想な顔ばっかりしてるのに、なんでこんな時だけ満面の笑みなのよ?!
 しかも、いつでもおいで、だって!! そんなこと言われたら、私……
 翔は、私より五歳年上。気づいたら、止まり木旅館に居て、一緒に育った。そう言えば、十歳ぐらいまでは、お風呂も一緒に入っていたわね。今考えれば、恐ろしい。
 ひとつ私と違うことと言えば、彼は小さい頃から仕入れの仕事をしていたこと。でも、それぐらいのもの。いつだって、一番身近な男の子であり、一番の私の理解者であり、保護者だった。
 だから、まさか、こんな気持ちになるなんて思ってもみなかった。けれど、私は気づいてしまっている。この感情に名前をつけるのならば、きっと……

 私、あなたのこと、好きになってもいいですか?

「何か、顔赤くない? ごめん、無理させたかも。でも、だってほら、ほかの奴に聞かせられないから、なかなかこんな機会ないし」

 私は、翔に促されて、再び横になった。すると、翔は、私の襟元の合わせを少し緩めて、私の首元を触り始めたのだ。
 嘘?! いくら誰もいないからって、こんなこと……! こっちは全身が痛くて動けないし、どうしたらいいの? でも、なぜか、足掻こうっていう気には、あまりなれない。

「うん、まだ腫れてるな」

 その時だった。

――ビュッ!!

 何かが唸りを上げながら高速で飛翔する音が聞こえた。驚いて視線を上げてみると、壁に一本の矢羽が突き刺さっているではないか! 翔は、私を守るように、私の上に覆い被さっている。
 もしかして、誰かがお客様とトラブルを起こしたとか?! 私、体調が最悪なのに。なんてタイミングなのよ!! 私は、自分の顔から、血の気がさっと引いていくのを感じた。
 すると、廊下の方から呑気な声が。

「楓さーん、すみませーん! お客様が遊びで放った矢がこちらに飛んでしまったみたいでー」

 は?! 遊びって何なの?! ヒヤリとさせられて損したわ!

「こちらは大丈夫よ。お客様のものだったのね」

 そして、敗れた障子の穴からは、巴ちゃんの目元が覗いた。

「楓さん……」

 巴ちゃんがなぜか、すごくキラキラしている。そんな感激するようなこと、何も起こっていないと思うのだけれど。

「ついに、ついに……!! 楓さんも、大人の階段を……!! 私、今夜、お赤飯炊きますね!!!」

 巴ちゃんは「お祝い! お祝い!」とか言いながら、すぐに走り去っていった。
 え?! もしかして……?! それは、誤解です!! 私、まだ何もされてませんからー!!

「大人の階段……」

 私のかすれた声の呟きには、すぐ近く、耳元から返事が返ってきた。

「登ってみる?」
「だ、駄目!! だって、私、アレだし、それに、ちゃんとお風呂入って……んんんんんー?!」
「明日、俺が風邪引いたら、お前のせいだからな」

 翔は、どうせ張り替えるんだからとか言って、障子に二つ目の穴を空けると、そこから手を外に出してつっかえ棒を外し、部屋から出て行ってしまった。
 ちょっと、もう。何するのよ。二回目だからって、そうそう慣れるものじゃないんだからね?! ほんと、心臓に悪い人。
 私は唇に残る余韻を味わいながら、頭まですっぽりと布団をかぶりこんだ。




 その夜。本当に夕飯にお赤飯が出てきてしまった。皆から生温かい目で見られたのは言うまでもない。

「楓さん、良かったですね!」

 今日に限って、潤くんは私をマークしていなかったのだ。おかげで、潔白を証明できないままでいる。

「だから、違うんだって!!」

 この歳になって、必死に否定せねばならんのも、また情けなし。
 でも、鯛のお頭付きはいらないでしょ?! しかも、それ、今日のお客様にお出しするはずだったものじゃ……?! それに、そこまでおめでたいことなのかしらね? 失礼なっ!! 
 もし本当にそういうことが起こったら、お祝いとしてチーズ入りクロワッサン一年分と、高級メロンの盛り合わせを要求してやるぞ!

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