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04魔物が来ちゃった

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 私は、全ての料理を平らげるのを泣く泣く諦め、クレソンさんに続いて食堂を飛び出した。

「どこへ向かっているんですか?」

 息を切らせながら尋ねてみる。クレソンさんはこちらをチラッと見ると、またニヤリとした。オレガノ隊長と話していた時と同じ顔。

「今度、一緒に走り込みの練習をしようね」

 あ、と思ったときにはもう遅かった。クレソンさんは私を物のようにひょいっと担ぐと、先程までの倍以上のスピードで走り出したのだ。通りかかった侍女さん達が黄色い声を上げている。軽く片手を上げてそれに応えたクレソンさんは、砂を吐きたくなるぐらいキザで甘い顔をしていた。

「クレソンさん、やっぱり女の子が好きなんですね」
「可愛いものは正義だよ」

 クレソンさんは私にウインクしてみせる。一応少年という設定の私にまで、そんなことをしなくていいのに。いや、そんなことよりも私は、コリアンダー副隊長の話の裏付けがとれてしまったことに、少しがっかりしているのだ。

 でも、こんな無駄話をしている余裕はすぐに無くなってしまった。たくさんの肖像画や骨董品っぽい壺が展示された部屋の中を通り抜けたかと思うと、クレソンさんは窓の縁に足をかけて身を乗り出したのだ。ちなみにここは、城の三階である。

「ここから飛び降りるなんて無茶ですってば!」
「いつものことだから大丈夫」

 クレソンさんはしっかりと足を踏み切ったかと思うと、高くジャンプして窓から外へ躍り出た。風を切る音。そして、ジェットコースターに乗ったときに感じる無重力感が全身を襲う。骨折を覚悟した私は思わず目をギュッと瞑った。けれど、意外にも着地はソフトなもので。地面に降り立っても何の衝撃もやってこなかった。

「死ぬかと思いました」
「まだ始まってもないのに、死なれちゃ困るな」

 クレソンさんはカラカラと笑いながら、私の頭をそっと撫でると再び高速で走り始める。すぐに見えてきたのは大きな青い門だった。

「ここは東門だよ」

 私が入隊希望を出した白い西門よりも少し立派な門だ。でも、そんなことよりも目に飛び込んでくるのは、おびただしい数の妖怪。まるで百鬼夜行がやってきたかのように、黒っぽくて気味が悪い形相の動物が、一斉に門に押しかけているのだ。お陰で、空が少し暗く感じる。

「これ程の魔物の大群は、ここでしか見れないよ」

 クレソンさんは楽しそうにそう言うと、ようやく私を地面に下ろしてくれた。すぐに腰から下げていた剣を抜いて、何やら不思議な言葉を囁き始める。すると剣のまわりがふわっと青く光って、燃えるような熱を発するようになった。

「エースも……そうだね。今回はここで見てて。第八騎士団第六部隊の戦い方をね!」
「え、待ってください!」

 クレソンさんは、私を置き去りにして門の方へ突っ込んでいく。見回すと、あちこちからクレソンさんと同じ黒服を纏った男性がたくさん集まってきて、思い思いの武器を手に果敢に魔物へ立ち向かっていった。

 その中心にいるのはオレガノ隊長。彼の身長をゆうに上回る大槍を扇風機みたいに高速回転させながら、雨みたいに降ってくる魔物と魔物からの攻撃を次から次へと弾き飛ばしている。

「全員揃ったか?!」

 オレガノ隊長は、不敵に笑いながら辺りを見渡した。

「はい!」

 第六部隊の面々の声がきれいに揃う。同時に覇気とでも言おうか、魔物だけでなく人間の私をも圧倒するような気が発せられた。その瞬間、私はうっかりその場へ座り込んでしまう。夕飯は何食べようかな、とかどうでもいいことを考えて軽く現実逃避してしまうぐらい、目の前には信じられない風景が広がっているのだ。

 まるで特撮の映画みたい。
 もしくは、高度なCG映像。

 魔物達は奇声を上げながら、容赦なく城や人に向かって火炎や吹雪を放ちまくっている。中には体が半分人型だったり、大きな羽を使って強風をこちらに叩きつけてくる魔物も。そんな光景が私の目と鼻の先に広がっている。まさしくファンタジー。

 夢だよね? と思いたいけれど、時折こちらに飛んでくる魔物の死骸とその臭いが、それを否定する。そう、これは現実なのだ。私の心臓はここから逃げろとばかりに煩く鼓動を打っている。

 一方、全く怯むことなく相対しているのが第八騎士団第六部隊だ。彼らは、一見統率が取れていないかのようだけれど、実は隊員それぞれが自分の役目を持っている。弓をつがえている人は飛んでいる魔物を撃ち落とし、クレソンさん達のような剣士はオレガノ隊長の槍を運良くすり抜けた小型の魔物を捌いていた。

 全員がエリート。目にも止まらぬ速さで魔物を倒していく。私には、とてもじゃないけれど、できそうにない。日本にいた時も、蟻一匹殺すのにも躊躇していた私が、隊員としての役目を果たせるだろうか?

「エース、こんなところにいたのか」

 声がした方を振り返ると、コリアンダー副隊長が立っていた。

「すぐに慣れろとは言わない。だが、これが私達の日常なのだ」

 コリアンダー副隊長は胸元から細くて白い棒を取り出すと、その切っ先をビシッと魔物の大群の方に向けた。

「さくっと終わらせてくる」
 
 そしてツカツカと他の隊員さんの方へ歩いていってしまった。何だかカッコイイけれど、杖を出したということは魔法でも使うのかな?

 この予想は正解だった。

「副隊長が来たぞ!」
「副隊長遅いですよ」
「早くいつものお願いします!」

 隊員から安心したような声が上がる。コリアンダー副隊長は一瞬肩をすくめた後、何やら呪文のようなものを小声で唱え始めた。そして。

「失せろ!」

 コリアンダー副隊長が吠えると同時。彼が構えた杖の先端から稲妻のような閃光が真っ直ぐ門へ向かって走り抜けていく。

 そして世界は、白く染まった。

 魔法が一気に辺り一面に拡散する。あらゆる悪しきものに等しく死を与えていく。魔物達は断末魔の叫びを上げながら一斉に消滅していった。

 全身に鳥肌が立ったのが分かる。轟音と共に爆風が巻き起こり、身軽な私の体が一瞬宙に浮いた。これは自然災害どころではない。天の裁きとも言える超常現象。こんなものを人の手で引き起こすことができるなんて、あまりの驚きに言葉が出ない。

 やがて、戦闘の音が静まり返り、白みがかっていた視界が元の色を取り戻し始めた頃。灰と化した魔物の死骸を踏みつけながら、こちらへ誰かが近づく音があった。

「エース、腰抜かしてないだろうな?」
「オレガノ隊長」
「コリアンダーの必殺技『死の大爆発』。これを喰らった魔物は、余程の強さがない限り一発であの世行きっていう超高等魔法だ。一日に一発しか放てないことだけは致命的だけどな!」

 さらにコリアンダー副隊長もやってくる。

「その致命的な欠陥魔法に頼り切った作戦しか考えられない隊長は、どこのどなたでしたっけね?」
「機嫌損ねるなよ。お前がいるから、この第八騎士団第六部隊はみ出し者の寄せ集めはこれだけの無茶な任務を与えられても生きながらえてるんだから」
「そんなに褒めてくださるなら、休みください。後、事務仕事も押し付けないでください」
「それはできない相談だな」

 コリアンダー副隊長はやれやれとため息をついている。オレガノ隊長は人遣いが荒そうだけれど、なんだかんだで慕われている隊長なのだろうな。それにしても、はみ出し者ってどういう意味だろう?

 続いて、クレソンさんもやってきた。剣についた魔物の血を布で拭いながら歩いている。

「エース、怪我は無い?」
「はい。見学していただけなので」
「よかった」

 クレソンさんはにっこりと優しくほほ笑む。さては、こうやって無意識に女の子をたらしこんでいるんだな? 衛介一筋の私まで、うっかり陥落しそうになったではないか! でも衛介亡き今、異世界にまで来てしまったのだし、私もそろそろ別の人を好きになってしまってもいいのかもしれない。衛介は、そんな私を許してくれるかしら?

 そして、何となく空を仰いだ刹那。再び、視界が暗くなった。

「あ、あれ……」

 私が馬鹿みたいに口をパクパクさせながら空を指差すと、他の隊員さん達も一様に天を見上げる。

 バーヴィー王城に、再び悪夢が襲いかかろうとしていた。

「クレソンさん。オレガノ副隊長のアレは、今日はもう使えないんですよね?」
「そうだな。例外なく一回だけだ。ほら」

 クレソンさんの視線の先を追うと、地面に蹲るコリアンダー副隊長の姿があった。先程までの背筋がピンと伸びていて、堂々とした風体だったのに。私は慌てて副隊長の元に駆け寄った。

「大丈夫ですか? あ、すごく顔色も悪いですね」

 あれだけの大魔法をぶっ放したのだ。術者に何のダメージも残らないわけがない。

「そんなことより、あれを」

 コリアンダーさんは汗を滴らせながら、城に迫りくる魔物の大群第二弾を睨みつける。

「どうしましょう」
「どうしようもこうしようもない。人と魔物は食うか食われるかの関係。それだけだ。倒さない限りは、城丸ごとやられる」

 すでに、遠距離戦闘ができる隊員は、気力を振り絞って魔物への攻撃を開始していた。けれど今でも、私以外の全員が満身創痍なのだ。これ以上は闘えない。

「エース、君にこれを」

 コリアンダー副隊長は、よろよろと自分の杖をこちらへ差し出すと、私の手に無理やり握らせようとした。

「君ならできる。後は、頼む」
「え……コリアンダー副隊長!!」

 私の必死の声も虚しく、そのまま彼は眠るように目を閉じてしまった。

 私には、何もできないのに。
 この世界に来たばかりで、入隊したばかりで、王城の中なんて右も左も分からないのに。まして魔法なんて。

 なのに、コリアンダー副隊長の思い、そして王城と第八騎士団第六部隊の命運を託されてしまったのだ。

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