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51恥ずかしくなっちゃった

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 マリ姫様からのご招待は、それから三日後のことだった。勤務時間中だけれど、班長、副隊長、隊長の許可をもらってクレソンさんと一緒に登城している。

「姫乃、元気だった?」

 マリ姫様は、私がずっと連絡をしていなかったことを咎めるでも拗ねるでもなく、ただへらっと笑っていた。それがまた、胸に堪える。

「うん、元気だよ」

 衛介は元気だったかな? そう問おうと思ったけれど、呼びかけ方で戸惑ってしまった。私の目の前にいるのは確かに彼の魂を持っている。でも、別人でもある。

「マリ姫様は、お元気でしたか?」
「誰かさんが張り切って式典を盛り上げてくれたお陰で、何となくホームシックだよ」

 マリ姫様は、ぷっと頬を膨らませた。よかった。やっと素直に話してくれた。

「ごめんなさい。言い訳にしかならないけど、式典の後もいろいろあって……。今の私は騎士だから、青薔薇祭にも出なくちゃいけないし」
「だよな。姫乃、武道系は何もしてなかったから大変だろ?」
「まぁね。でも、苦手なりに足掻いてみるよ」
「ま、怪我しないように注意しろよ。祭りで結果が出なくたって、姫乃は十分よくやってる。あのプロジェクションマッピングみたいなショーだって、ちゃんと騎士団の中でうまく連携を取れてる証拠だ。それにあの魔術、すっごく綺麗だった。来賓の貴族達や隣国からの使節団も度肝を抜かれたんじゃないかな」

 自国のお姫様に絶賛されちゃったよ。嬉しいけれど、くすぐったい。

「俺はあぁやって姫乃から盛大に誕生日を祝ってもらえて、本当に幸せだと思った。でもな、それと同じくらい寂しくなったんだ」

 突然マリ姫の声のトーンが落ちる。

 「もう、俺の知ってる姫乃はいないんだなって。姫乃はもう、俺の幼馴染の姫乃じゃない。ここ、ハーヴィー王国の騎士、エースなんだ」

 マリ姫様は泣きそうな顔をする。私ははっと息を飲んだ。

「私も、同じようなことを考えてたよ。衛介は、もう長い間マリ姫様としての人生を歩いてて、マリ姫様としての運命を受け入れようとしているでしょ? それはもう、私の知ってる衛介じゃないもん」
「そっか、お互い様だったんだな。お互い転生したり、転移したり。日本にいた頃には想像もつかなかったぐらい、人生がまるっきり変わってしまった。そして俺と姫乃は、いつも隣にいた気軽な存在じゃなくなって、それぞれが別々の大きな役目を背負っている。それでも!」

 マリ姫様の声が急に大きくなった。私は驚いて、ビクリとする。

「それでも俺は、姫乃との絆を信じてる」
「私もだよ。衛介は、私の中でずっとずっと特別な人。私がこちらの世界に来て、衛介の存在を知ってどれだけ救われたか。どれだけ嬉しかったか。衛介はちゃんと分かってる?!」

 何だか、衛介が本格的に遠くへ行ってしまいそうな気がして。私の感情は、堰を切ったように溢れ出す。でもマリ姫様は、ぎこちなくしか笑わない。

「姫乃。俺は、マリ姫だ。マリ姫としてこの先も生きていく。だからな、これだけは言っておく」

 私は居住まいを正した。隣に座るクレソンさんも、どこか身構えた様子でマリ姫様を見つめている。

「俺と姫乃は、男女のどうのこうのにはならない。ま、見ての通り、今の俺は女だしな。でも、強い絆が俺と姫乃を結びつけて、この世界で再び巡り合えた。そういう意味で、俺は誰よりも姫乃のことを愛してると思う。だから、別れの時までは姫乃と繋がっていたい。それを、決して、決して忘れないでほしい」

 とうとう、マリ姫様の目から大粒の涙が溢れてしまった。

「クレソン。こんな俺を、許してくれないか?」

 え、そこで尋ねるのがクレソンさんなの? しかも、別れの時ってどういう意味だろう? クレソンさんに目を向けてみたけれど、彼も戸惑った様子だった。

「俺、マリ姫は、先般十八歳になった。つまり、世界樹の管理人としての成熟まであと僅かだということ。だから旅立ちの日が迫りつつあるこの機会に、お前ら二人には話しておきたいことがある」

 マリ姫様は、静かな声で語り始めた。それは、マリ姫が眠っている間に現在の世界樹管理人から聞いた話。世界樹と管理人の関係のことだった。

 世界樹の管理人は、北の森を進んで世界樹の所まで行く。そこで、管理人の体は世界樹に取り込まれて一体化してしまう。同時に、古から脈々と受け継がれてきた知の集合体の一部となり、管理人個人としての存在は消えてしまう。管理人的には、そこから身動きが取れないものの、世界中のあらゆる出来事を知ることができ、寿命がとてつもなく長くなるという感覚になるらしい。

「つまり、俺は実質的に、世界樹に辿り着いた時点でマリ姫としての生涯を閉じることになる」

 私とクレソンさんは、どう反応したら良いのか分からなくて、ただ唇をわなわなと震わせていた。

「そんな……死ぬのと同じなの?」

 私はてっきり、世界樹に着いたら浦島太郎に出てくる龍宮城みたいな立派お屋敷があって、そこでずっと贅沢な暮らしをしながら長い時を生きることになるのかと想像していたのに。マリ姫様曰く、世界樹は見た目こそ樹木の形をとっているけれど、この世界の根幹とリンクしている神的な存在だと言う。

「いや、違う」

 マリ姫は穏やかな口調で続けた。

「確かに、俺という個人は死ぬことになるのだろう。それでも俺は、世界樹に取り込まれたって、俺のことを全ての人間が忘れたって、ずっと姫乃が好きだ。そして、姫乃が幸せになればいいなって心底思ってる」

 私は唇を噛み締めて上を向いた。それでも涙はこらえきれずに頬を伝う。どうしよう、止まらない。

 衛介、どうして今なの。なんで日本にいた時に言ってくれなかったのよ。こんな遺言を伝えるような場になって、そんなこと言うなんて狡すぎる。私なんか、ずっとずっと好きで、好きで、好きで……!

「姫乃、泣くなよ。もう二度と会えないはずだったのに、こうして会えて、話ができるだけで十分じゃないか」

 マリ姫はあくまで冷静だった。マリ姫様は、日本で十五歳になる直前に他界。それから十八年も生きてるから、実質的に私よりもクレソンさんよりも年上の感覚なのかもしれない。それでも、自分の実質的な死を目の前にしてここまで落ち着いていられるなんて。いや、衛介だってたくさん怖かったり、不安だったり、寂しかったりするはずだ。なのに、それを全て抑え込んで私と向き合ってくれている。

 私は、衛介のことが愛おしくて仕方なくなった。

「マリ姫様。私だってちゃんと頭では分かってるんだよ。でも、なかなか気持ちが追いつかない。マリ姫様が管理人を継がないといけないのは絶対のことなのに、どうしても苦しくて、辛くて」
「そうなると分かってたから、クレソンと二人で呼んだんだ」

 マリ姫様は、クレソンさんに目を向けた。

「俺は、小さい頃から姫乃のことばかり考えてた。それは、日本にいた時も、マリ姫になってからも、ずっとだ。だから、姫乃はこの世界にやって来てくれたんだ」
「姫乃は、世界樹ではなく衛介がこの世界に呼んだってことなのか?」
「たぶんな。世界樹の管理人の交代には様々な条件があるんだ。まず、俺が世界樹の所へ無事に辿り着けるように、誰かに守ってもらわねばならない。他にも、管理人交代の瞬間、一時的に脆くなる世界樹の加護を補佐してくれる人も必要だ。これは、俺が絶大な信頼をおく人間でなくてはならない」
「それが、伝承にもある『救世主』という存在なのだな?」
「その通り。俺が次代管理人になった時点で、姫乃は『救世主』に決定したも同じだった」

 クレソンさんは、ちょっと怒った顔をする。

「つまり僕は、姫乃を守れという意味で、今日は呼び出されてるのか」
「そうとってくれても構わない。でも、もっと気楽に考えてみてよ」

 どういう意味だろう?

「俺がいなくなったら、姫乃はどうなる? 今ならば、何かあっても姫の特権を使って姫乃を守ることはできる。俺はクレソンと違って王族だからな」

 クレソンから殺気が放たれた。部屋の中に緊張感が走る。

「でも、俺が世界樹の管理人になれば、姫乃を無条件に守ってくれる奴はいなくなる。こいつのことだから、しばらくは落ち込んだりするかもしれないし。ここでお前の出番なんだ、クレソン」
「僕の?」
「うん。クレソンなら、姫乃のことを大切にしてくれるだろう?」
「もちろん」

 私本人そっちのけで、何だか話がどんどん進んでいく。

「良い返事が貰えてよかった。今日は、姫乃のことを正式に頼もうと思ってたんだ」
「言われなくとも」
「強気なこと言うより、ちゃんと奴らを片付けろよ」
「分かってる」

 やっとクレソンさんとマリ姫様に笑顔が戻ってきた。

「でもな、クレソン。姫乃は譲るけど、負けるつもりはさらさら無いからな。お前はたかが百年も生きればいいところだが、俺はお前の何倍も何倍も長く姫乃を愛し続けるんだ。これだけはお前に勝てる!」

 これを聞いたクレソンさんは、目の前のテーブルをパンっと叩いて身を乗り出した。

「君は、死んだら姫乃なんてどうでもよくなるのか? 僕は死んでも愛する。永遠に。そして、もし僕が先に死んでも姫乃が不自由することがないような国を作り上げる!」

 クレソンさんそう言い切ると、チラリと私の方を向く。わー。きゃー。恥ずかしいよー。

「その意気だ。これだけ啖呵を切った限りは有言実行してくれよな。俺は世界樹となって、ちゃんとお前を見ているぞ」

 マリ姫はちょっと尊大な態度で笑っていたけれど、ふと表情を引き締めた。

「というわけで、お兄様。くれぐれもエースのことを、よろしくお願いしますわね」
「今更そんな口をきかれてもな」

 私もクレソンさんも苦笑してしまう。

「そうだな。悪い、悪い。じゃ、これから公式の場以外では、ダチってことでいこうぜ! 下世話な話も大歓迎だ」

 なぜか力強く握手を交わし合う私の幼馴染と新たな想い人。私は若干引いて、頬を引きつらせていた。

 その時だ。

「さて、お三方」

 あ、カモミールさんだ。そうだね。このスケールの大きすぎる告白とかいろいろは、侍女さん達にも聞かれてしまってたのよね。

 うーん、恥ずかしい。

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