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73そういう匂いがするんだ※

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★今回はハーヴィー王国で警察&諜報を担う第二騎士団団長ニゲラ視点のお話です。

 ハーヴィー王国王家第一王女、ローズマリー様。つい先日まで、我が国の正統な王位継承者第一位として目されていたものの、そのお姿を見たことのある者はごく一部。その存在の有無の真偽に関する話題は、上流階級の酒の肴になることも多かった。そういう僕も幻の姫君には興味があり、城の上層に入る機会がある度に、姫様にお会いできないかと周囲を見回してばかりだったのが懐かしい。

 そしてあの日。ついに、かの姫様が国民に対して披露された。この世に生まれ落ちてから十七年。その長きにわたり、城の奥深くに隠されるようにして育てられていた理由は、世界樹の管理人という重役が無くとも納得できる。その稀有な美貌、美声、存在の尊さは、武人の自分には到底表現し尽くす言葉を持たない。その場にいた全員が姫君に吸い込まれそうになる。

 ハーヴィー王国、全ての国民が恋をした。

 彼女が笑えば花が咲き、彼女が泣けば雨が降ってもおかしくない。そんなおとぎ話のような奇跡すら起こせそうな人物なのだ。

 僕はこれまで多くの人を見てきた。盗みをする年端も行かない子ども、傲慢チキな貴族のご令嬢、プライドだけが高い野心的な文官、他人を踏み台にするしか脳のない騎士、自らの身体すら実験対象にする研究者。それらのどれとも似ていない。唯一無二の存在。お姿を遠目に見るだけで、ありがたい気持ちにさせられ、体が熱くなる。

 あぁ、もっと近くでそのご尊顔を拝したい。

 しかし、僕、第二騎士団団長ニゲラは、多忙の上、嫌われ者であることを自負している。国中の悪と戦っていると言えば聞こえは良いが、結局のところ団員も普通の人間であり、世界樹の分身などではない。歴代団長から脈々と受け継がれてきた暗黙の了解や数々の意味不明な特例、しがらみに縛られて、ハーヴィー王国の正義の旗印となるには、いささか腐敗が進みすぎている。これは、もう組織そのものが悪魔に飲み込まれているため、手遅れだ。どんな薬も効かないだろう。そんな悪魔の親玉は、あんな清らかな姫様とご縁なんてあるわけがないのだ。

 ここまで自覚があるならば、団長としてすべきことをすれば良いという奴もいるかもしれない。だが考えてもみてほしい。それって、面倒臭くないか?

 僕はそこそこの贅沢をしながら、そこそこ長生きして、普通に老衰とかで死ぬ人生がいい。どこで間違ったのか、こんな大層な肩書をいただいてはいるわけだが、それをカードにもっと出世したり、派閥を作りたいわけではない。ただ他人の顔を窺って、できるだけ恨まれたりしないように要領よく立ち回り、目障りな者は闇に葬り、長いものには程よく巻かれて、その日その日をかろうじて生きているだけ。だからこそ、こんな汚れきった目には、姫様が眩しすぎて。眩しすぎて。もう、目が潰れそうだった。

 だから、まさか姫様から僕に会いたいと言ってくるなんて、天変地異の前触れか。きっと僕の部下達も、いよいよ明日こそ世界樹と世界の滅亡すると思ったにちがいない。

 そして、当日。高鳴る胸の鼓動が自分でも聞こえるぐらいにうるさい。前日は案の定興奮のあまり深く眠れず、徹夜明けのような顔色の悪さだ。右手と右足が同時に出るようなぎこちなさで歩き、どうにか姫様と約束していた城内の一室に辿り着く。


   ◇


「ニゲラ様の、日頃の働きに感謝いたします」

 駄目だ。この部屋には媚薬効果のある香でも焚いているのか? 目の前には絶世の美少女。しかもこちらに向かってほほ笑んで、あの小さな唇で僕の名前まで告げたのだ。

 おぉ、世界樹よ。今日が僕の命日なのか。悪に立ち向かうフリをして、あらゆる悪事に加担し、数多の人間を殺してきた僕。それなのに、最後の最後だからとお情けで、この世の美しさを凝縮した結晶のようなお方に会わせてくださったのか。今こそ祈る。世界平和を! 姫様の栄光を! 幼女の素晴らしさを賛美しながら、このまま逝ってしまいたい……

「こら、勝手に逝くな」

 ん? なんだ? 今誰か話しかけたのだろうか。やけに荒っぽい雰囲気の声。でも、耳障りはよく、その声は鈴のよう。でも、目の前には姫様お一人だ。それ以外の侍女達は壁際に整列して、口の無い人形のような静かさ。空耳かもしれないな。

「さて、ニゲラ様。実は私、あなた様に一つお願い事がございますの」
「お安い御用で! 何なりとおっしゃってください!」

 あ、僕、今すっげぇ変態の顔してる自覚がある。なぜか姫様に話しかけられると、涎と鼻水が出てくるのだ。何、この生理現象。

「実は、お兄様を騎士団総帥にと推すお声が最近高まっているようでして。私は、何かの誤りで王籍を追われ、騎士となってしまわれた兄のことを今でも大切に思っております。できることならば、お兄様にはお兄様に相応しい役についていただきたくて……」

 それは、僕の耳にもよく入ってくる話だ。最近、僕が一番付き合いが深かったのは、宰相トリガブート。彼は、騎士団の中でも一番死にやすい隊に自らの息子を追いやった。別に妾腹の子というわけでもないのにだ。さらには、クレソンまでもそこに押入れる始末。確かにあの隊は変わり者や嫌われ者、若干の問題児が多いが、うちの第二の実情と比べると、遥かにマトモと言える。

 転機になったのは、姫様の生誕記念式典か。あの時を前後して、クレソンは雰囲気が良い意味で変わったとの報告を受けている。さらには青薔薇祭での優勝。あれは、王子としての復活の兆しと、宰相の権力の低下を如実に国内外へ知らしめたものになった。

 調べてみると、表では未だに宰相派の甘い汁を吸っている貴族達も、水面下ではすっかりクレソン王子の方へ鞍替えする支度を済ませているところも多い。やはり、宰相は悪に手を染めすぎた。その原動力は愛娘を失ってからの姫様に対する狂った愛であり、ずっと施政を牛耳るにも既に年齢がかなり高い。貴族達の多くが次の代を見据えた時、誰を選べきなのかは一目瞭然なのである。

 僕も、そろそろ潮時か。

 そもそも第二騎士団は、宰相の直下部隊ではない。今までは、恐ろしい手ばかりを使う宰相に怯えるあまり、僕も尻尾を振っては忠犬の如く奴の手先となっていた。しかし、時勢はもう動いている。

 薄情かもしれない。卑怯かもしれない。
 一番の悪は、正義を司る僕かもしれない。

 だけど、死にたくないからな。
 僕はそういう奴なんだ、昔から。

 これからは、王子率いる親王派の役に立ってやろうじゃないか。まずは、部下の捕縛から始めようか。

「かしこまりました。騎士団会議が催された折には、第二騎士団団長として、クレソン王子を総帥に推薦させていただきたく」

 姫様に向かって、恭しく頭を下げる。顔を見なくても、彼女がにっこりしているのが伝わってきた。だから――。

「姫様、恐れながら私からも願いがございます」
「何でしょうか?」
「今日、この日に姫様とお会いできたという栄誉を永遠に忘れないために、記念になることを望んでおります」
「記念ですか」

 僕は顔を上げた。きっと、姫様にここまで接近してお言葉をいただけるチャンスはそれが最後。世界樹へ出発される前に、是非ともご褒美をいただきたい。

「踏んでください」

 僕の表情がガチだったのを悟ってくださったのだろう。姫様はより一層笑みを深めると、侍女達が慌てる声を無視してこちらへ歩み寄ってくださった。そして、その折れそうなほどに華奢な体からは到底想像できない馬鹿力で、僕の頭を勢いよく踏み抜いたのである。

 おぉ、この痛みこそが世界樹の恵み。姫様がもたらしてくださった快感。全身が喜びに痺れている。もっと、もっと踏んでほしい。本当は姫様に自ら触れてみたい。あの柔らかそうな頬。先程一瞬見えたドロワーズから伸びる細く白い足。いや、やはりこの可憐な桃色のドレスを剥いで、ささやかな膨らみしかない胸元を心ゆくまで愛でてみたい。きっと、「やめて」という声すら甘美で、どんな高級な酒よりも深い味わいがあるのだろう。あぁ、ここまでくれば、この小さな身体も僕を受け入れてくれるだろうか。世界樹の加護を持ち、世界を守る責務を背負った美しき聖女を、この小汚い中年太りの僕が犯す。なんて素晴らしいんだ!

「全く素晴らしくない! 帰れ!」

 次の瞬間、腹に重い衝撃が加わった。

 あれ、ついさっきまで目の前に姫様がいたのに、なぜ今は部屋の外に一人でつっ立っているのだろう。夢でも見ていたのだろうか。僕は頭をポリポリ掻きながら、ゆっくりと第二騎士団の詰め所へ戻っていった。


   ◇


「自分には、もう何が正しく何が間違っているのか、全く分かりません」

 鉄格子の向こうにいる糸目の男は、冷たい地面の上であぐらをかいてジッとしていた。何時間も前に牢番から与えられであろう飯も、一口とて食べていない。陽の差さない独房は、罪人の心をより頑なにさせていた。

「そんなこと、誰にも分からないな。ただ、何が生から遠く、何が死に近いのか。それを嗅ぎ分ける嗅覚を磨きあげることこそが、第二騎士団団員の掟なのだ」
「結果的に、女性の部屋を家探ししたことが、団長の逆鱗に触れたのでしょうか。それとも、団長までもあの女に取り込まれた……」

 男の声が途切れた。騎士服の背中がみるみるうちに黒くなる。

「言っていいことと、悪いことがある」

 僕は手元の鞭を握り直した。鞭の先には細かな棘がついている。この手の武器は上手くやれば収納がコンパクトで便利な上、細かな柵越しでも、罪人に罰を与えることができるのだ。

「僕は可愛らしいものが好きで、それを穢したくてたまらなくなって、時々ドジもやらかすけれど、それに靡いて完全に自らを見失うことはない。真の意味で、誰かに従うことは一生無いだろうな。僕は僕のために生きているんだ。そして、生きるためなら何でもする」
「団長。見損ないました」

 思わず、鼻で笑ってしまった。

 もう少し、真の意味で使える人材かと思っていたが、いまいち生き抜くという感覚や賢さは足りていなかったようだ。こちらを見上げる眼光には、不満の色しか無い。所詮は、そこまでの男だったということか。

「お互い様だな」

 きっとクレソンもその周囲も、僕の所業はある程度正確に把握していることだろう。このまま政変が起きたとすると、第二騎士団の未来は死しかない。あちら側へ回るならば、今だ。

「こんなことならば、早くエースの首を狙っておくのでした」
「トリカブート宰相は、それを望んていないのを知っているよな?」
「宰相様は甘すぎる。何の理由もなく生かしておくなんて」

 いや、理由はある。まず、彼女の年齢は、亡くなった宰相のご息女と同じぐらいなのだ。さらには、宰相の胃袋を掴んでいるらしい。大変人間臭い話だが、十分に生かしておく動機になるだろうが、この頭が硬い男には理解できないのだろうな。

 それに、うっかりエースを殺してみろ。エースを特別扱いしている姫様が発狂しかねない。親王派もいよいよ強硬手段に出るだろう。今までは、互いに「中心人物の殺し」という最後の一手は使わないようにして駆け引きを繰り返してきた。その禁じ手をこちらから使うのは、きっと思わぬしっぺ返しを食らうにちがいない。最悪、四肢引き裂かれた上で、あの世行きだ。

 糸目の男は、さらに目を細める。この暗さでは、もはや目が開いているのかどうか判断はつかない。

「団長もなぜ」

 ずっと信じてついてきた僕が、急に親王派に寝返るようなことをする。人間不信になる気持ちは分からなくもないが、同情はしない。

「そういう匂いがするんだ」

 これだけの状況になっても、まだ分からないのか。しばらくここで反省させた後は親王派のためになることをやらせようと考えていたが、やめた。野放しにすると、悪い意味でクレソン達を刺激しそうな気がする。

 仕方ない。
 僕が、殺してあげるよ。
 遺書ぐらいは書かせてあげてもいい。

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