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81話し合っちゃった

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 空気が凍っている。全ての決断は、私に委ねられているようだった。私が、お父さんを肯定するか。もしくは、空間の魔術にはそんな突飛なことできそうとないと一蹴するか。

 でも、そのどちらもしたくない。だって、そもそも、私の中では答えが決まっているのだから。どんな事態になっても、これは変わらない。私が騎士をクビになって初めて自覚することができた揺るがぬ本気。それは――。

「お父さん、ごめん。例え、それができたとしても、私は日本へは帰らないよ」
「え」

 お父さんにとっては、想定外だったようだ。

「でも姫乃、日本に帰ったらもっと快適な暮らしができるぞ。魔物もいないし、娯楽もたくさんある。好きな職業に就くこともできれば、遠出だって楽だ。いろんなことに挑戦もしやすい。夢も持てる。お父さんは姫乃のことを思えば……」

 うん。気持ちは嬉しい。やっぱり、私が異世界に来てからの話を聞いた上で、いろいろ複雑だったんだろうね。娘なのに男装しなきゃいけなかったり、魔物と相対したり、宰相一派から目をつけられたり。日本にいた頃は想像もつかなかった程スリルのある毎日だよ。

 でも、ここでの生活が愛おしいし、何より――。

「私、好きな人ができたの。私は彼の夢を叶えたい。それが、今の私の夢なの」

 私の隣で、ハッと息を飲む音が聞こえた。クレソンさんだ。そちらの方を見ると、目を潤まして今にもこちらへ飛びつかんばかりの勢いだ。でもお父さんの前だから、かろうじて待てをしている。うん、今だけは王子っていうよりも私無しでは生きていけない子犬に見えて仕方ないよ。好き。

 その時、前方でパタリと何かが倒れる音がした。あ、お父さん。お母さんが頭を床に打たないようにとギリギリ支えに入ったけれど、間に合わなかったようだ。

「お父様は御退場のようだな」

 アンゼリカさんの涼やかな声。もしかしてアンゼリカさん、実家のお父様とあまり仲がよろしくなかったりする?

 その後は、村長が呼び寄せた村人達によってお父さんは建物の奥へと運ばれていった。その際村人から「お前ら、この方に何か無体を働いただろう!」という目で睨みつけられたけれど、何もしてないもんね。え、してないよね? 大丈夫、後で私もお見舞いに行くからさ。

 そんなわけで、ここからはお母さんとのお喋りが再開した。そう、お母さんはお父さんについていかずに、私を選んでしまったのだ。ごめん、お父さん。

「それにしても、お母さん」
「なあに?」
「私、お父さんとお母さんの恩人にご挨拶したいな」

 私は、背後で村長が青い顔をして立ち上がったのに気づかなかった。

「そうねぇ。あのお方がたまたま行き倒れてなかったら、今頃どうなっていたことか」

 あくまでマイペースに思いを馳せるお母さん。そこに待ったがかかった。

寿子ひさこさん。それだけは……」

 寿子というのは、お母さんの名前です。呼びかけたのは村長だった。

 あれ? 存在を秘匿していたのはうちの両親じゃなくて、その恩人さんの方なの?

「村長、それは分かっているのですが、もういろいろと手遅れに思われます。だってほら……」

 さっきまで完全に他人事みたいな顔をしていたマジョラム団長を始めとする王都組。その全員が一言一句聞き漏らすまいと耳を傾けている。

 そうだよね。村を上げて隠している人物なんて、大物だと言っているようなものだもの。そして、お母さんが使った「あのお方」という言い回し。これ、もうビンゴなんじゃない?

 もう、遠回しな探り合いでは埓が明かない。ここは私が出番かな。

「ねぇ、クレソンさん。もしここに王妃様がいたら、この村はどうなるの?」
「通常ならば、長年に渡り国がずっと捜索していた王妃を軟禁していたとして罪に問われ、村は跡形もなく消え去ることになるだろう。何しろ、母上は隣国ミネラール王国から嫁いできたお方。両国の友好の証でもあったのだ。それがこんな形で隠れていたとなると、何の処罰も無いのでは行方や安否を心配しているミネラール王国にも顔が立たない」
「でも、王妃様は自らの意志でここに留まっているのかもしれないわ。その場合は恩赦があっても良い思うのだけれど」
「それだけでは足りないな。ここの特産物を優先的に王家に納めること。ここにある他の街や村では見られない技術の数々を無償で各地に広めることに尽力すること。何より、母上を父上の元へ寄越すことが最低条件となるだろう。その上で、さらにどの程度の罪を追求するかは王の采配次第だろうな」

 王は長年王妃と離れ離れになり、孤独の中で生き続けてきた。その苦しみや悲しさの深さはいかほどか。それでなくても王座というものは、日々肩に重圧がかかるものだ。小賢しい宰相や、出世欲丸出しで何の当てにもならぬ近衛たる第一騎士団の騎士達。本当に王の味方となりえるのは王妃様ぐらいだったのだろう。その心の支えたる彼女がいなくなって、ものの見事に壊れてしまった王がどれだけまともな判断を下すことができるのか。それは私を含め、他の皆にも想像がつかないようで、一様に難しい顔をクレソンさんに向けている。

「つまり、俺達はこの村を滅ぼしに来たようなものなのか?」

 口に絹着せぬステビアさんがボソリと呟く。部屋の周囲にあったたくさんの人の気配が一気に余談を許さない程に臨戦態勢に入った。これが限界だ。

「クレソンさん、私は思うんです。王妃様がいなくなったのは、何が悪かったんですか? 誰が悪かったんですか? それを決めつけて、どこかに皺寄せをして、犠牲にして、また誰かが孤独になったり、泣いたりするようなことになるのは、はたして良いことなのかな」

 エースは、私の微妙な変化に気づいたらしい。少しびっくりした顔で私の方を覗き見る。

「クレソンさんのお母さんである王妃様は、マリ姫様が巣立っていくのが悲しすぎて、見送る自信がないと落ち込んでらっしゃったんですよね」
「そうだよ」
「そうです。それだけなんです。王妃様は元々この国の方ではありませんし、同性のマリ姫様のことは本当に特別なんです」

 もちろん、本当は息子のクレソンさんのことも大切に思っているだろうけどね。

「極めて人間らしい理由で姿を消しているんですよ。それを誰が責められるんですか? そういう弱さって、誰しもが持ってると思うんです。私にも、クレソンさんにも、王様にも」

 気づいたら、部屋の外から届いていた殺気も少し和らいで、部屋の中も村長を含めて全員が私の話に耳を傾けているようだった。

「そして、村の方々を見てください。皆、『あのお方』をお守りするために必死なんです。これはきっと、村の皆さんの決意と優しさの賜物なのではないでしょうか。それだけその方は皆から慕われているし、ここにいるべき理由があるのだと思います」
「エース……」
「私は政治の難しいことは全く分かりません。でも、虐げられたり、弱くなったり、悲しくなったり。いろんな経験をして、またもう一度立ち上がろうとしているクレソンさんには、他国の王子にはできないような、あともう一歩進んだ一手を打ってほしいです」

 クレソンさんは、いろんなことを考えているのか、しばらく何も話さなかった。私を責めるつもりはないようだった。普通は不敬にあたるようなことをしてしまったんだけれど、私とクレソンさんの仲で何も言わずにおくのは、かえって不義理な気がしたのだ。

 ここで質問してきたのはマジョラム団長だった。

「エース、まるで『あのお方』というのが、王妃様その人であるような口ぶりであったな。どこでその確証を得たのだ?」

 途端に村長の顔がさらに強張ってしまう。だよね。この村が咎められるとしたら、真っ先に首が飛ぶのは村長だもの。この人は本当に考えていることが顔に出やすいみたいだけど、最後まで決定的なことは口にしない。でも、もうここまでにしようよ。私もがんばるから。このままじゃ、誰もが不幸になっちゃう。それは、皆が本当に望む結末なのかな?

「そんなの、村長を見れば分かるじゃないですか」

 私はわざとヘラヘラ笑ってみせた。

「村長。私は娘として王妃様に御礼を言う権利があると思っています。王妃様のところへ案内してください」

 今度はキリッと表情を引き締めて、無言の圧力を村長にかける。村長は、結界に閉じ込められた人みたいに慌てふためいていた。

「今回私達が退いても、あなた方は完全に疑惑の目を向けられ続けることになります。この村は防御力が高く、王城並に安全な場所かもしれませんが、正直言って私の白の魔術を使えば簡単に攻め込めます」

 白の魔術は空間を操る魔術。一番えげつない方法でいけば、村を結界で囲って、中の酸素を極端に薄くするとか、中に強大な魔物を放つとか、いろんなものがある。もちろんそんなことしないけどね。でもそれだけ兵器になる力を私は持ってしまった。

 そんな力は元女子高生の私にはあまりに重荷だ。でもうまく使うことでクレソンさんの役に立つならば、そしてクレソンさんが君臨する国の人ができるだけ健やかで幸せに暮らせるならば、私は怖い力も使いこなしてみせる。

 力は実際に行使する以外にもたくさんの使い道がある。今みたいに、交渉の場では切り札にできるはずだ。以前の私ならこんなやり方しなかっただろうけれど、今は守りたい人がいるから手段は厭わない。

 さぁ、どう出る? 村長さん。

 村長さんは、ふっと私のお母さんの顔を見た。お母さんは大きく頷く。

「皆で決めたじゃないですか。あのお方の意思を尊重しようと。今回のことも、彼女に決めてもらったらどうですか?」
「うむ。そうじゃな」
「それに、何かあっても皆で体を張って守り切ると誓いました。できることは何でもしていきましょう。全てをやり終えて、それでも駄目なら、またその時に覚悟を決めればいいことです」

 お母さん――。異世界に来て、お父さんと二人、森の中を彷徨って、奇跡的に魔物にも襲われず村に辿り着いて。これは私が体験したことのない生きるための修羅場。きっと私が知っているよりも、ずっとすっと凄い人になっちゃったのだろう。

「寿子さん……」

 村長は俯いて一筋の涙を流した。そして、部屋の中をぐるりと見渡す。

「儂らも、ここまでくるには本当に紆余曲折があったのじゃ。それだけはご理解いただきたい。その上で、あのお方の口から、真実を聞いていただきたい」

 全員が大きく頷いた。あの杓子定規な性格に見えるマジョラム団長も含めてだ。

「では、案内させてもらおう。我らの王妃様の元へ」

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