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113姫様とのお別れ※

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★今回はラベンダー視点のお話です。

 あの日、王妃様発見の報を受けて、城はにわかに沸き立った。それも、どちらかと言えば悪い方向に。

 どこの国の城でもそうだろうが、城勤めをする者はいくつもの派閥に分かれている。ハーヴィー王国も例に漏れず、宰相派、親王派、その他中立派に分かれていて、親王派の中でもローズマリー様と王、クレソン様で、親衛隊とまではいかないが別々の諸派に分断されていたのだ。

 もちろん親王派の中の最大勢力はクレソン様を中心にまとまった陣営。次はローズマリー様と続く。王については昨今の振る舞いなどから失望する者が多く、言わずもがなの実態だ。

 そこへ王妃様がお戻りになるとなれば、今後誰につけば自分の身がより安全になるのか、利益を得られるのか、取らぬ狸の皮算用を始める者も多い。結果として、最大勢力のクレソン様の勢いを認めると共に、クレソン様をないがしろにしがちだった王妃様は、もはやトラブルメーカーでしかなく、彼女に何かを見出す者はほぼいなかったのだ。むしろ、お戻りになってもすぐに排斥に動こうと画策する者まで現れる始末。城内が途端に不穏な空気になっただけでなく、きな臭くなったのはこのためである。

 もちろん私はローズマリー様派だ。私としては、ローズマリー様視点で全てを考える。ローズマリー様のお心次第で私の振る舞い方も決まるのだ。

「姫様は、いかがなされるおつもりなのですか?」

 私はローズマリー様に心酔しているものの、独特の感性と類まれなる美貌、そしてこの世ならざる者のような存在感を持つ姫様のお考えは、到底計り知ることはできない。こうやって直接お尋ねするのが、確かというものだ。

「どうするもこうするも、母上がようやく帰っていらっしゃる。国民には、長きに渡り城を不在にした母上のことを快く思わぬ者も多いだろう。だからこそ、家族ぐらいは温かく迎えて、一人で何もかも抱え込まなくて良いことを知ってもらわねばならない」

 私は、一瞬返事をするのすら忘れてしまった。まさか、ここまで寛大な方だったとは。いえ、姫様のお優しさは以前から見を持って知っている。そうか。そういうことか。私は、ひとまず同じローズマリー様派の侍女達と協力し、王妃様がお戻りになる数時間のうちに城内の受け入れ体制を徹底的に整えた。

 姫様は姫様で、王にに王妃様を迎え入れる心得をアドバイスまでしていたらしい。それを知ったのは、随分後になってからのこと。お陰様で城内はすぐに静かになった。王がかつての威厳を取り戻し、王妃を咎めることもなくただ「おかえりなさい」と受け入れる寛大さを見せ、姫様も王妃様を慕う姿を見せたのだから。

 各派閥の人間は、皆こう思ったことだろう。これは世界樹がもたらした奇跡に相違ない、と。けれど私は、世界樹の次期管理人である姫様あってこその出来事だったと考えている。とにかく驚くほどスムーズに、王妃様は城での生活を再開されたのだった。

 姫様と王妃様の再会は、王妃様の私室で行われた。立場上、姫様が母親の部屋を訪れるという形になるのは致し方ない。私も侍女として、姫様に同行させていただいた。

 王妃様は以前よりも健康的なご容貌になり、それでいて粗野な感じは無く、相変わらず気品には溢れている。大きく変わったのは姫様を見るその眼差しだ。

 以前は、ある意味病的だった。きっと彼女にとって姫様は自身の一部のようなものであったのだろう。この関係性は、私も自分の母親との関係性を思い返しても少しは分かるところがある。同性の親子には特別な絆があるものだ。けれど、それを拗らして姿を消してしまった王妃様。今は、何と穏やかなことだろう。あれだけ毎日「行かないで、行かないで」と姫様に追いすがっていたが嘘のようだ。

「よくお戻りくださいました、お母様」

 姫様はにっこりとして、無垢な笑顔を王妃様に向ける。王妃様はただただ頷いた後、こうおっしゃった。

「ローズマリー、大きくなりましたね。良い方に囲まれて育ったからこそ、美しく賢い娘になったのでしょう」

 そして私達侍女の方に向き直ったかと思うと、なんと頭を下げてくださったのだ。私の隣にはカモミール様もいらっしゃる。彼女に向けて何か謝罪の体を取りたかったのか。と思ったが、そうでもないらしい。私は王妃様と目が合ってしまった。意図が飲み込めず、私は目を白黒させてしまう。

「お母様は、皆に礼を言いたいのです。私は皆がいてくれたお陰で、ひとりぼっちにはなりませんでした」

 そういうことだったのか。姫様のお声の後、私も畏まって礼をとった。けれど、そこまでしていただくようなことは何もしていない。私達侍女は姫様にお仕えしているが、やはり母親にはなれないのだ。本当に必要な真の愛情は、然るべき人から与えられてこそのものである。

 あ、そうだ。ここで私はハッとする。王妃様以外にも、姫様のお心を救うことのできる人物がいたことに。

 エース様。彼女は不思議な人だ。姫様の前世のご学友でありご友人だという。しかし、それだけではない縁が二人の間にはある。私はそのことに度々嫉妬してきたが、確かにエース様は人を惹きつける力のある女性であることは認めざるを得ない。現にクレソン様の心を鷲掴みにしている程だ。

 その後は、王妃様から離れていた間のこと、寿子様やサフランとの出会い、そしてエース様達捜索隊との顛末などが語られた。姫様が王妃様とお会いになるのはその後も続く。離れていた時間を埋めるように、頻繁にお茶会を催しては、他愛のない話から、クレソン様主導のお仕事のお話まで、たくさんの会話をなされていた。

 これがいつまでも続けばいいのに。こんなに仲の良い親子が再び離れてしまう時が近づいているのは、二人にお仕えする全員が存じていることだけれど、誰も本音を漏らすことはできずにいた。

 そんなある日のことだ。

「ラベンダー、折り入ってお話があります」

 珍しくお部屋の中で過ごされているにも関わらず、異世界風ではなくハーヴィー王家の姫君らしい装いをお召になった姫様が、私を真剣な瞳で呼び止めた。

「私はもうすぐここを離れます」
「存じております。かねてからのご指示通り、その際の準備も既に済ませております」

 私は何をおっしゃりたいのかが分からなくて、若干しどろもどろだ。

「ラベンダーの有能さは知ってます。でも準備は荷物や式典の段取りだけではありません。一番大切なものが残っています」

 私はヒヤリとする。見逃していたものがあったのだろうか。

「気づいておりませんで、申し訳ございません。それは何でしょうか? すぐに支度いたします」
「これはラベンダーの仕事ではない。私がせねばならないことです。ほら、顔を上げて、ラベンダー」

 姫様は、御自ら私の手を取ると、しっかりと握りしめてくださった。

「これまで本当に本当にお世話になりました。出立までに私に残されている仕事は、きちんとお別れをすることです。特にラベンダーには」
「姫様……」

 とても言葉にはならない。私は姫様の優しさやお気遣いに触れ、感激のあまり気絶しそうだった。

「ここからは、素の状態で話そう。いざという時はちゃんと姫として振る舞うから、今だけは許してほしい」

 私はこくりと頷く。

「ラベンダー。知っての通り俺には前世がある。前世の日本という国には魔術なんて無いが、代わりに科学技術というものが発展していて、正直言って今よりもとても便利だった。そして、俺がいた時代はたまたま戦争も無くて、武器を手にするのはごく一部の限られた職業の者のみ。世の中は一応平和で、独特の文化が花開き、今でも俺にとって馴染みがあるのはそこでの暮らしだ」

 姫様が直接私に語ってくださったことはないが、これまでエース様や寿子様と会話されているのを側控えとして伺っていたことはあるので、どういうことをおっしゃりたいのかは、何となくは察しはつく。

「だから、こちらでも前世みたいな格好ばかりしてしまうし、何より俺は男だった。間違っても姫とか呼ばれるようなご身分でもなかったから、いろいろ苦労させてきたな。でもそれは、ラベンダー、お前もそうだろう」
「いえ、とんでもございません」

 と言いつつ、姫様が殿方のような物言いになること、そのような格好をお召になりたがることの理由がもっと早く分かっていれば、姫様をきつく諌める回数ももっと減らせたのに、と思ってしまう。姫様は私の内心を読んだのか、ふっと笑った。

「とにかく俺は、生まれながらにしてかなり特殊な姫だった。それをここまで姫らしく育て上げてくれたのは、ラベンダーを始めとする侍女達の皆のお陰と思う。本当に、家族のように寄り添ってここまで歩んできたよな」

 確かに、城勤めの時間は長い。家にいるよりもずっと長い。親兄弟よりも、姫様とお顔を合わせたり、お仕えしていることの方が多かった。だからこそ、私は――。

「ラベンダー、泣くな」
「すみません」
「謝ることはない。きっとこうなるんだろうなと思ってたんだ。だからこそ、ラベンダーとはきちんと別れの時を設けたかった」
「私は……私は、どこまでも姫様についていきます。世界樹の所へも!」
「それはできない。ラベンダーには、ラベンダーにしかできないことをやってもらいたいな」

 私は涙を拭って顔を上げた。

「ラベンダーには、良いご主人がいる。引き離すと、俺が彼に呪われそうだ。それから俺は、ラベンダーにはこれを広めてもらいたい」

 すると姫様は、カモミール様の方へ視線を投げた。カモミール様は小さく頷くと一度部屋を出て、すぐに戻っていらっしゃる。ワゴンに乗せて運ばれてきたのは、大量の紙だった。

「これは、俺がこちらに来てからのことを思い返しながら書き留めたもの。そして、前世での出来事を綴ったものだ。この国、いや、この世界は魔術が発達しているが、唯一通信という遠くの地同士を繋ぐ技術はかなり遅れていることもあり、情報伝達もままなっていない。さらに言えば、娯楽も少ない。どうか俺の記憶とも言えるこの遺産を、ラベンダーの手で再編し、この世に広めてくれないか? 広め方はエースなどと相談すれば良いだろう」
「そんな大切なものを……私に?」
「ラベンダーならば、信頼できる。そして時々俺のことを思い出してほしい」
「……はい」
「これだけの量をまとめるのは骨が折れるぞ。俺がいなくなっても悲しんでいる暇がないぐらい忙しくなるだろう。だけど、この最後の命令は覆さない。ラベンダーには、全うしてもらう!」

 姫様たってのお願い事。私の中で使命感が膨らんでいく。姫様の素晴らしさを世に広めたいということは、常々考えていたことだ。そうだ。姫様がいらっしゃらなくなっても、姫様の記憶や存在感はこの世にずっと留まらせることができる。これこそが私の仕事!

「はい!」

 私はしっかりと返事した。姫様はふんわりと笑って私に抱きついてくださる。私は少し躊躇いながらも、姫様の背中に腕をまわした。恐れ多くも身分を超えて、私達は思いを一つにした。

「なんか、悪いことしてる気分になるな。ラベンダーは人妻だし」
「私もです。今なら、本気で姫様に浮気できそうです」

 二人でクスクス笑っていたら、カモミール様に咳払いされた。

 その後、私には、夫から侍女長という、これまた大層なお役目をいただくことになる。サフランという新人侍女を従えつつ、私の本領を発揮していく日々がスタートしたのだった。




 姫様。
 
 私の中で、姫様は永遠です。

 これからは、世界樹へ祈りを捧げるというよりも、世界樹と一体になられる姫様の健やかなる御代を願い続けたく存じます。




 さようなら。
 私の、姫様。

 ずっと、ずっと、お慕いしております。

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