ネジレ写真部物語

かよ太

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01(完)

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「ったくさあ、あいつ、本当にムカつくよなァ~」
 下校途中にそう言ったのは、俺の右隣にいる北尾(きたお)だ。

「ふつーさあ、副部長がやるはずの機材の確認なんて、新入部員にいきなりやらせないだろ。マキだっていいかげん反撃に出るべきなんだよ」
「今日も非道かったのか」
 北尾の右隣にいる深瀬(ふかせ)が言う。北尾、深瀬、俺の三人は、高校入学の時に仲良くなって以来、下校できる日があれば、こうして一緒に帰っている仲間だ。

「まあ今日も、いいとは言えない……かな」
「なんかもう、イイ使いっぱしりみたいな感じなんだよ!」
 少し前で歩いていた北尾は立ち止まって、俺たちを振り返りながら眼を三角にしていた。

「そんなに非道いんだったら、一度顧問に相談してみたらどうだ」
「いや……それはおおげさだと思うし、大丈夫だよ。暴力を受けているわけじゃないし」
 話題に上っているのは、俺と北尾の所属する、写真部の先輩のことだ。なぜか入部まもなく目をつけられてしまったため、なにかと先輩命令と称して、いろいろなことを押し付けられていた。もちろん、北尾や他の新入部員にはそんなことはなく、ただ俺だけが集中してその先輩にいいように使われているのである。

 ちなみに俺たち二人が写真部なのに対して、深瀬の方はというと、身長が高いこともあってそれを活かしてバレーボール部に入部している。とても優秀なブロッカーで、一年なのにレギュラーを取り夏の県大会では表彰された選手の一人でもある。

「あれは精神的暴力っていうんだぞ! そんなのあるのか知らないけど!」
「というか、北尾がオーバーなんだよ」
 俺のことなのにこんなにも怒ってくれる北尾には申し訳なかったけれど、先輩のあれが「精神的暴力」というのとはちょっと質が違うような気がしていた。

 それは業務を押し付けた後、もくもくとするしかない俺を放置するのではなく、自分も作業の手助けをしてくるからだ。それもなぜか、またやってしまったという顔色をみてしまうものだから理由がありそうで邪険にできずにいた。

「おっと、……じゃあ俺こっちだから。またな~!」
 自転車通学(学校に自転車置き場がない)の北尾、バス通学の深瀬、俺はというと三駅向こうが最寄り駅の、電車通学。この部活話は、駅でバラバラになる俺たちの少しだけの帰り道のネタだった。



  ■  ■  ■



 写真部は、週三回行われることになっている。

「おい、槙山(まきやま)。これ整理しとけ」
 放課後の部活の時間、他のみんなはカメラを持ってわいわい部室を出て行くのに俺は呼び止められた。今日もお決まりの頼まれごとで部活が始まった。先輩の頼みごとは、週の中で多くて毎回、少ない時はない時もある。ようするに気まぐれなのだ。

 北尾がそれを聞きつけて、怒りをあらわにして手伝ってくれようとしたけれど、被写体が決まったとこのあいだ嬉しそうに花壇の花を撮るのだと教えていてくれたので断った。
 とはいえ俺がこう反抗もなしに先輩命令をきいているのは単なる縦社会だからとかではなく、断る理由も特にないからだった。

 この学校は、最初の一年は部活の入部が必須だったため、熱中して写真を本格的に撮りたいという北尾に誘われてなんとなく入ったのが俺の入部動機だった。だからこれといったモチベーションもないので、先輩から指示をしてもらっていると思えば部活の時間をつぶせるという算段もなくはなかった。

 指をさされたダンボールを目の前にして視線を落とすと、中身はネガだった。 そのネガを、部活用と新聞部へ渡す用が混ざってしまったのでそれを分けるという作業だった。一体どうしてそんなことになったのかは、先輩が杜撰な管理で部活動をしているとしか言いようがない。

 そうしているうちに部員はいなくなって部室には俺以外誰もいなくなった。もくもくとネガに張ってある付箋を見て分ける。先輩自身が撮ったもののネガだから、人が多い。先輩は、風景よりは人間など動くものを被写体に選ぶ人だ。固体で動きのある、反転を分けていく。いつになったら終わるのか、途方もない量に辟易しながら、ダンボールに手を突っ込んでいく。

(ん……あれ、これって……)
 ネガは光に翳さなければその内容も見えにくいし、意識してみなければプライバシーに触れることもない、とそう思っていた。 けれど、知っているシルエットが何枚も続けば気づかないはずはない。

(これは、北尾だ……)
 手が震えた。よく見れば他のものにもちらほらと北尾の百面相が記されている。ずっと頭の隅ではわかっていても繋げたくなかった、思い当たることが、今一本に繋がる。……そうか、だからか。だから先輩は俺に当たるのだ。

「先輩、こういうことだったんですね」
 よう、遅くなったな、とドアを開けて声をかけてくる先輩に話しかけた。先輩なんてまともに見れない。ネガに釘付けだった。

「みたのか」
 先輩のその言葉のトーンはばつが悪そうだった。やっぱりそうだったのだ。ちらと、視線をあわせると、それは、頼みごとをした後のあの「やってしまった顔」だった。

「俺たち……俺たちは、ただの友達です。何を勘違いされているのかわかりませんが、……いい迷惑だ」
 声は震えているだろう。ネガを握っている手だって同じように震えている。俺は一呼吸置いて立ち上がった。ネガを床に落としてしまったけれど、それを無視し、部室から……何も言わない先輩から逃げた。



  ■  ■  ■



 告白しよう。俺はなんとなく、先輩が恋愛感情で好きだった。あまり好かれていないことはわかっていたけれど、それでもいろいろな物事を任せられるたびに無視されているわけじゃないからと自分に言い聞かせていた。あれが、俺に対するあてつけだということは考えないことにしていた、のだ。けれど。それが事実だった。認めたくないことにそれが本当の事だったのだ。先輩は北尾が好きで、その傍にいる俺が許せないのだ。

 北尾みたいな元気で表情がくるくる変わる人間が友達だというだけで、毎日が明るくなって、うれしいし楽しい。だからそんな俺が傍にいるのが許せなかったのだろう。面倒見のいい北尾はいつも俺を気にしてくれていたから。

「あれ、マキ! 帰るのかあ?」
「ああ、悪い。先に帰るよ」
 花壇で楽しそうに女子部員とコスモスを撮っていた北尾は笑顔で俺を呼んだ。隣にいる女子部員も北尾と一緒に、また次の部活でね、と声をかけてくれる。
 やはり、北尾はいいヤツだと思う。あてつけにされたとしても、それは自分の境遇のせいで、北尾が悪いわけでは決してない。

(そんなもんだよな、人生はさ)
 考えすぎてかっこつけたように達観してきた俺だったが、校門を出たところで深瀬に出会った。お互いに部活のある身だ。両者とも驚きの顔が浮かぶ。

「どうした、マキ」
「深瀬こそ。……お前、部活は」
「今日はミーティングだけだったんだ」
「そうか……」
 言葉が続かない。俺たちが二人になると、いつも言葉は少ないけれど、こんなに重くなることはなかった。これは、深瀬に相談してもいいのだろうか。

「その顔は、例の先輩だろ」
 さすがは察しのいい深瀬だ。あたっているよと、苦笑いをしていると困った風に言葉を続けた。

「そいつ、北尾が好きだったんだろ」
「なん……で、」
 驚く俺に目をあわせてそらすと、深瀬は気まずそうに頬を掻く。

「実は俺も昔経験があってな。あの時は中学の女の先輩だったが、あいつ末っ子のせいか年上には好かれるんだよ」
「ああ、末っ子だっけ」
 深瀬と北尾は中学が一緒だった。高校になって、北尾に声をかけられた俺が加わって三人でいるようになった。北尾のことはちょくちょく深瀬からいろいろと聞いていた。末っ子の甘え上手のためか、年上に好かれやすい性格をしていて、先輩は北尾。そして、北尾に輪をかけて面倒見のいい兄貴肌の深瀬は後輩に、というわかりやすい人気があるのだ。

「じゃあな。……あんまり、考えすぎるなよ」
 そう言う深瀬がバス乗り場に行くのを俺は見送った。



  ■  ■  ■



 改札口を抜けて、時刻を見ると次の電車まで15分。さっきの深瀬との会話で気持ちがほんの少し軽くなったけれど、ベンチに腰掛けると憂鬱な気分が再び襲ってくるのを消し去ることはできなかった。

(なんだよ、俺……これって失恋したってことじゃないか)
 プラットホームにへばりついているガムの黒い痕をみていた。それに吸い込まれそうになる意識に、目の前が暗くなって気つけば、頭上から影が落ちていた。

「てめえ……、何ほっぽって一人帰ろうとしてんだよ。先輩命令はちゃんときけ」
 さっきの表情とは打って変わって怒っている先輩だった。文化部で先輩至上主義をふりかざす人もなかなか珍しいような気もする。それに対して、別段反抗する気も起きない。けれど……、

「やめます」
「は、」
「俺、今日で退部するって決めたので。先輩にはお世話になりました」
 そうだ。やめればいいのだ。そうすれば、先輩にこれ以上の厭味を言われなくてすむし、北尾と一緒にいるからという理由で嫌われなくてすむ。

「お前、何を言い出すかと思えば、あれはな……」
 ホームに案内アナウンスが、俺が乗って帰る電車が次にくると告げる。

「誰にも言いません。安心してください」
 電車が到着すると、俺は降りる客を待って乗った。後ろには先輩がいた。そういえば、先輩の最寄り駅は学校の二個先だ。とても気まずい状況にゴトンゴトンと電車の揺れる音が耳に入ってくる。 そして、先輩の降りる駅の無感情なアナウンスが入る。

「お降りのお客様、本日傘の忘れ物が大変多く――…」
 忘れ物。そうだ、ここで忘れて行けばいい。明日からは、失恋の痛手をさすりながら、少しずつ治していくしかないかもしれない。少しでもこの気持ちを忘れてしまえるように……、

「一緒に降りろ」
「え、ちょっ……!」
 気が抜けていたため、強引に引っ張られるまま抵抗という抵抗もできずに、電車から降りることを余儀なくされた。

「当分俺の帰る電車、来ないんですけど」
「今日は泊まっていけ」
 ……何を言い出すのだろう、この人は。ろくにきちんとした会話もしたことがないのに、泊まりだって。しかも「家に寄っていけよ」という段階が見事にすっ飛ばされている。一体……何なんだ。

「と、……とにかく、俺はもう先輩と話すこともないし、帰ります」
 掴まれた腕を引き剥がそうと躍起になる。痛くはないけれど、強い力だった。

「お前はどうしてそう強情なんだ。俺がお前と話したいんだってわからないのか」
「わか……りますけど」
 何を話すって言うんだ。失恋の痛みに、その上、何を。もしかして、ばれたから仕方ないといって口止めをする気なのだろうか。もしくは、北尾に仲介しろとか。
 駅をでて、左に曲がる。コンビニの前を通り、商店街が見えてくる。

「あの写真は、……なんだ。その……」
 何でソコで照れるんだ。

「あれだ、俺が頼まれて撮ったやつなんだ」
「それって犯罪じゃ……」
「知るかよ、写真部っていったら写真販売だろうが。部費なんかあればあるほどいいし、売るって言ったってモノクロだから需要なんてほとんどねえよ」
 なんだか俺に言い訳をしているように聞こえる。先輩の嘘をついていなさそうな声に、本当に、あんなにたくさんの北尾の需要があるということなのだろうか。と彼の人気が高いという可能性は嘘じゃないとも思い直す。しかし、それとこれとは違う。今は俺の問題なのだ。

「先輩も薄々気づいていると思いますが、俺は別に写真が好きで部活に入っているわけじゃありませんでしたし」
「お前なあ……、人の話をきいていたか。辞める必要はないだろう」
 先輩は、マンション住まいだった。家族構成はたしか、一人っ子で両親は共働き。ズボンから鍵を取り出して差し込んだ。俺は、七階から見える沈む夕日をぼおっと眺めていた。

「いいんです、俺先輩に嫌われるのがつらいんです」
「へ?」
 ガチャンと鍵を開ける音がする。驚いている先輩は呆然としながら俺を家に招き入れる。先輩の驚きぶりにどうしていいのかわからずに、俺は先輩の次の行動を待つしかできない。

「まさか」
「なんですか」
「俺……お前が気づいてんだとばかり」
「何をですか」
「俺がお前のこと好きだって事」
 は……? 先輩が、俺を……好き?

「確かに毎回毎回お前に仕事押しつけてはいたが、ちゃんと俺も一緒にやってただろう」
 今度は俺が驚いて呆然としているのがわかるのか、先輩は顔を背けてしまった。

「……悪かった。お前も、黙って言うこときいてるから勘違いしてた」
「だって、いつも怒って」
「あれは……北尾とは仲がよくて、俺に対しては頑なで……、どうしたらいいのかわからなかったんだよ」
 俺は驚きの反動からこの世に帰ってこれていない気がする。先輩の声はきちんと聞こえているけれど……。

「あんな言い方するつもりはなかったんだ」
 俺はどうも話をするのがうまくないな、と徐々に先輩の口から紡がれる言葉に、心臓がさわぐのをとめられなかった。先輩はそこに座れと、居間に俺をあげた。

「……それでお前の返事は」
 さんざん人に考え込ませておいて、にこやかに笑う。それが無性に腹が立った。どうしたらいいか迷ったあげく、電車を降りたときの先輩の会話を思い出した。

「今日は、……と、泊まります」
 そう言うと、先輩は俺を見てはにかんだのだった。





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