返ってきた、ザマァ

かよ太

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俺の通う学校は、都心からかなり離れた山のなかに建てられた自然豊かな私立の高等学校だ。この校風に沿って校舎裏には、小高い丘に整備された広場があり、昼休みになるとピクニック気分の生徒がわんさか集まって楽しく一時を過ごしている。

しかし、そのまわりは深い森に囲まれているので迂闊に入って迷子にならないよう、立ち入り禁止場所も設けられていた。

俺は、その日も昼ごはんを食べおわると部活の午後練のため朝練の疲れを癒そうとごろんと寝転がっていた。

木漏れ日がちょうどいいあたたかさで俺をつつむ。鳥のさえずる音も心地よい。深呼吸をしてゆっくりと意識を飛ばそうとしていたら。


「もう、あんたみたいな男とはつきあいたくない!」
じつはこの昼寝の場所。その禁止場所を少し進んだところにあるため人がおらず、俺にとってはいいところなのだが今回はそれが裏目に出た。

なんと男と女がそれはもう盛大に修羅場を披露し始めたのだった……。



■ ■ ■



女の方はもうこらえきれないとばかりに男に罵声を浴びせている。反対に勢いにのまれて何もいえずにいる男。

「悪いけど、私から告白したことは忘れて。何か違ったの」
「違うって……」

男もようやく反撃に出たと思いきや、別れたいの一点張りの彼女に見事にフられてしまった。言いたいことを言って満足して女が去っていったあと、男はその場にしゃがみ込んで泣き出した。

俺という部外者がすべて聴いてしまったことも、ここにいることも知らずに泣いている。距離にして言えばかなり近い、木立三本分。

「ぐすっ、…く……うううっ」
可哀想な男だ。彼女に何をしたかは知らないが、まあ、次の彼女で気をつければいいんだよ。次があるさ。

そう肩を抱いて慰めてやりたいのは山々だが、代々、沖野(おきの)家の家訓には人様の色恋沙汰には首を突っ込むなとあるのだ(ウソ)。

まあ、そういうのは見ないふり。聴かなかったふり。
それが常識とちょびっとの優しさと、たくさんのザマァでできているわけだ。

「ふっ、ううう……うっ」
で。かれこれ何分経っただろうか。男の方もすぐにこの場を去るだろうと思いきや、未だに泣きやむ気配をみせない。嗚咽をがんばっておし殺しているのはわかるのだが微妙に漏れている。ぶっちゃけるが、実にうるさい。

「っ……ひっく、うっ。うっ」
睡眠は三大欲の一つなわけで、俺のフラストレーションはたまりにたまっていた。すでに夢の世界からお迎えが来ていたところを延々と邪魔され続けていたのだ、当たりまえだ。

「……ぐぅっく…っ、ううっ」

(あーー! 鬱陶しい……ッ!!)

とうとう堪忍袋の緒が切れた。

「お前なァ! いいかげん静かにしろ! びーびーうるせぇんだよ、バカ野郎っ!」
噛みつくようにがなると泣き虫男が驚いてこちらをむいた。泣きやんだはいいが、顔は涙でぐちょぐちょ。洟もでていて、かなりアウトな状態だ。それはトウモロコシを抱きしめる某国民的妹キャラを彷彿とさせる。がしかし、よく見れば女にもてる甘いマスクを持ったイケメンくんだった。

まあ、こんな容姿でまさかの泣き虫だったと知ったら、「カン違い」はあるだろう。さっきの彼女の台詞はここにかかっているのかも知れない。いや、かかっているに違いない。

俺は呆然とする男を睨みつけると顔を背けてふたたび寝ようとした。

「あ、あの……沖野先輩」
今度は反対に俺のほうが驚いた。名前を呼ばれて、今にもくっつきそうなまぶたを無理矢理こじあけてそいつをみた。

「おれ、サッカー部の後輩です……土岐田(ときた)といいます」
土岐田、土岐田ねぇ。この学校のサッカー部は毎年好成績を残すことで有名で、部員はかなり多い。俺が二年だから、こいつは一年だろう。新入部員も多いので、そろそろふるいにかけられて何人かは退部している頃だが、残ったやつらにそんな名前があったかどうか思い出せない。

「あの……先輩」
土岐田が恐る恐る近寄ってきたのは覚えているが、考えるのが面倒で気がついたらようやく意識を手放すことに成功していた。



■ ■ ■



土岐田と名乗った後輩は、このあいだは俺が寝そべっていたこともあって、よくわからなかったのだが、意識してみると随分と目立つやつだった。

サッカーをするには困らない程度の173センチの俺に比べ、身長が10センチは違いそうな巨漢の部類。そして、あの美形である。

(あんな大男が年甲斐もなく泣いていたのか……)

号泣していたアイツと今の練習風景に馴染んでいる土岐田のギャップにただ驚いていた。

「おっ、ようやくお前も土岐田に注目し始めたか」
基礎練でトラックにいる一年たちを見ていた俺に話しかけてきたのは鈴木靖臣(すずきやすおみ)だった。

「アイツ背もでかいし、新入生の中じゃ一番レギュラーに近いって。顧問が惚れ込んでスカウトしたとか、しなかったとか言ってたぜ」
「ポジションは」
「キーパー」
「ふうん」

(次の試合までにはスタメン入りしそうだな)

「しかもさあ、見てくれもいいだろ。ようやくサッカー部にも女子人気が訪れそうだ」
まあ、確かに女子に人気はありそうだが、あのフられた修羅場を見てしまった俺としては素直によろこべなかった。
なにせまだ一回も女の子とつき合ったことがない俺に、あの愁嘆場はかなり堪えたと言ってもいい。おまけの号泣も悲惨だった。

「なんだよオッキー、俺が彼女作るのがそんなにイヤかあ~」
「何言ってんだ、アホか」
「とか言っちゃって~俺しかいないもんね、こんなにオッキーのこと愛してるのっ」
靖臣は俺の肩に腕をまわし、動けないようにすると脇腹をなであげた。

「…っ! ……めろっ! ヤスっ!」
自慢じゃないが脇腹が弱い。去年の合宿で、トイレから帰ってきたヤスに抱きつかれた拍子にバレてしまったのだ。
「いいこと知ったぜ~」とにやにやと部屋の仲間たちに笑われた。それからというもの、こうやってなにかしらあるとからかってくるのである。

「いいかげんにしろ」
「なんだよ、怒るなよ。俺とお前の仲だろ~」
気の抜けるような笑顔を見せられて睨みつけると、もっと笑いかけられる。

「集合ー!」
部長が部員を呼んだ。さっきまで何の話していたのか、……二人とも忘れてしまったのだった。



■ ■ ■



昼休み。あんなことがあったことも忘れ、久しぶりに昼練がないと知るや、俺はいつもの場所でのんびりと惰眠を貪っていた。陽の光がやわらかく身体中を包む、この安らぎの時間が好きだ。うとうとと眠りに入ったとき。

「先輩、俺もいいですか……?」
またもや睡眠を妨害される。しぶしぶ目を開けると、土岐田が俺をのぞき込んでいた。

「お前……」
目の前に差し出されたのは、ペットボトルの飲料水だった。体を起こしてそれを受け取った俺に、にこりと笑うと是非を訊かずに横に座る。これはもしかして、このあいだの詫びだろうか。そういいように考えて眠気覚ましにぱりっとふたを開けて飲む。

「鈴木先輩と、どういう仲なんですか」
「ブッ!」
変な質問に、文字通り飲んでいたものを吹いてしまった。

「おま…っ、仲ってなんだよ、どんな仲があるんだよっ!」
「友達、親友……恋人、とか」
「あのなぁ、なんでヤスが恋人なわけ? あいつが女に見えるのか」
「見えませんけど、いつも仲良さそうですし……」
わけがわからん。内容がなんだか不気味すぎるので、とりあえず話題を変えるべきだ。

「俺のことよりそっちはどうなんだよ。仲直りくらいはしたのか」
「…あ……先輩は見ていたんですよね……」
声が小さくなる。落ち込みやがったか。

「実はつき合ってとせがまれてつき合ったものの……」
ちらりと俺を伺ってくる。

「今更隠すようなことかよ、はっきり言えよ」
「手を握りたいとか、抱きしめたいとかぜんぜん感じなくて」
なんだと?! こいつは敵か?!
彼女いない歴が全人生の俺に対する宣戦布告なのか?!

いや、彼女もこんな男を好きになるなんて……気の毒としかいいようがない。俺だったら、と思うと妄想が膨らむのだが。

「で、強引にデートをセッティングされて、かかさず出かけたりもしたんです」
デート。いったい何回行ったんだ。こんどはイケナイ妄想が、俺をもんもんと支配する。適当に相槌を打って先をうながす。

「それでとうとう痺れが切れちゃったみたいで、」

(うん? 痺れが切れる?)

わけがわからない。パート2。思考停止に土岐田は話を進める。

「それでとうとうホテルに連れて行かれて」
は? かかさず行ってたんじゃないのか!
どうやら俺の妄想はハジけすぎていたようだ。心の突っ込みが伝わらないように、とにかく落ちつけと自分に言い聞かせると、頭の中がクリアになってきた。
ちょっと待て。これはこんな晴れ晴れとした日に、お天道様の下で話す内容なのだろうか。
土岐田は恥ずかしそうに手で顔を覆う。くすんと肩が揺れる。

(な、泣く……っ)

「勃たなかったんです……っ」
「は、あアアア?!」

やっぱり白日に語る話じゃねーよ!



■ ■ ■



さすがにお天道様の元では羞恥が勝ったので、むりやり土岐田を部室に引っぱって続きを聞くことにした。彼女がいない歴・全人生の俺にはこんな話、こそこそにやにやとするものだと思うわけだ。

お互い備え付けのベンチに腰掛ける。体格の差がありありとわかってちょっとムカついたが、土岐田はそれどころじゃなく、涙が止まらなくなっていた。

「不感症ではないんです」
「というか、たまたまその娘が好みじゃなかったってだけのはなしだろ」
「でも……五人目ですよ先輩」
……ご?
いやいやいや。土岐田くんはとてつもなくモテるのだな。
自分から告白したのではなさそうだから……ふつうは据え膳なんとやらというが、まあ、十人十色と申しまして、世界には色々な人間がいるわけで。そんなこともあるのでは、ないのかね。

しっかし、なんで俺がこんな踏み込みすぎた相談を受けなきゃいけないのか。
親しい友人ならいざ知らず、部活の後輩だったとはいえあまり知らないヘタレ男の恋愛模様……もとい下半身事情に親身になどなりたくない。

「中学、高校つき合ったどの娘も、きちんと好きだったんです!」
ううう……とぼろぼろと気持ち悪いほど涙を流しだした。フられたときの悲しみが胸の内からあふれ出たのだろうか。

あのフられ方は確かに、忘れないまま残ってしまいそうだ……。すべて同じようなものだったならなおさら。
「まあ、気にすんなよ。次があるよお前なら。それに、本当に好きだったら自分から行動するようになるって。まだそんな相手に出会ってないのかもな」
あのときしてやらなかったことをする。ぽんぽんとやつの背中をなだめるようになでた。

「好きの意味が、相手とズレてたんだろ。親愛の好きと恋愛の好きは違うしさ」
……とご高説を垂れているが、もう一度いう、俺に彼女はいないのだ。いないから理想・妄想・想像で適当なことがいえるともいえる。

おそらく、今まで誰にもいえなかっただろう。こんなイケメンに恋愛の悩みなんてあるわけがないと思うもんな。だから、きいてやれば満足するだろう。

「ま、当分部活に専念しとけばいいんじゃねえの」
「せんぱい……」
じっと見つめて、手を握ってくる。そんなに心に沁みたのだろうか。照れるじゃないか。一端の先輩気取りもそう悪くもないかと思ったのが運の尽き。

「せんぱいっ」
いきなり滂沱の顔を寄せてきたと思ったら、抱きしめられた。

「え、ちょ……っ」
「先輩、俺……先輩をみてるとどきどきするんですよね……」
耳元で話しかけられ、腰にじくじく来た。こいつ、声もいいのかよ。

「せんぱい、キスしたい」
「へっ?」
頭の回転が追いつかない。どうしよう、大変なことになっていると頭の中で警告がでているのにパニック状態。

「先輩……先輩…っ」
「わっ、やめ、やめろっ! 俺は男だっ! あ……っ」
キスというよりも、犬みたいにべろべろと唇を堪能しながら、土岐田はそのまま口内に進入してきた。

怖いのなんのって、体が硬直して対抗することすら忘れてそのまんま。

「気持ちい……ね、先輩。俺勃ちそう…」
今度は首筋を執拗に舐めてくる。

「んっ、」
「先輩……いい匂い」
「やめっ、やめろ土岐田っ!」
「先輩、好きです。俺、先輩が……っ」
こんな状況で何を言うんだこいつは!
さすがに身体中に嫌悪感が走り、容赦なく土岐田を殴りつけた。

「……せんぱい、」
「お、俺はなっ、お前なんか好きにならねーからなっ!」
「なんでですか。俺やっと好きな人ができたんですよ」
「知るかっ」
「お願いです、先輩。俺とつき合ってくださいっ」



■ ■ ■



あれから土岐田は、俺に会うたび「好きです、つき合ってください」のあいさつをかかさなくなった。
なんのスイッチが入ったのか、恐ろしいことこの上ない。
止めろといっても止めないので、こっちはつき合いきれなくて段々疲れてきていた。

「よお」
朝練に出るため、いつもより早い電車の中で鈴木と鉢合わせした。鈴木とは同じD線を利用していて、最寄り駅は二つ違うだけ。軽くあいさつを済ませると、鈴木はさわやかな朝だというのに気味悪くにやにやしながら話しかけてきた。

「オッキー……お前最近、土岐田に懐かれてるよな」
「懐かれてない」
「いいや、毎日毎日、先輩先輩~ってすごいよ? 女の子にもてるどころか、目の敵だからね」
そりゃそうだ。女の子たちのラブコールを今は見事にはねのけているので、土岐田に相手にされなくなった彼女たちの恨みオーラはビシバシと俺に届いている。

あいつが俺に懐いていることなんて誰がみてもわかる。ベタベタ張りつきすぎてあからさますぎるのだ。
俺としては先輩に懐いているだけで、本当にセマっているとは気づかないで欲しいと思うわけだが……。
駅に停車すると乗客が増えてきた。

「混んできたな」
「鈴木。あんまりくっつくな、暑い」
「毎日通ってる電車の込み具合を知ってるくせに、よくそういうこといえるよなァ」
そういってぴったりと体を寄せてくる。
嫌がるとよろこぶ性格だったのを忘れていた俺も俺だ。身体に当たっている鈴木の通学鞄を思いきり押しかえす。

「なあ、やっぱり土岐田と何かあったのか」
「何かってなんだよ」
「無いならないでいいんだけどさ……」
「先輩方、おはようございます」
噂をすればなんとやら、土岐田だ。朝からこの腹の立つ美形を拝むのか、と心底ゲンナリする。

「偶然ですね、鈴木先輩」
「おはよう、お前もこっち方面だったんだな」
「ええ、A線でも通えるのですが、こっちでも大丈夫だと最近知ったので」
そうさ。おれがこっちの線だとわかったその日に変えやがった。言いたくないが、セマられたあの日から毎日、行きも帰りもいっしょなのだ。どうしたらこのオープンなストーカー男から逃げられるのか、対策も練られないまま今に至っている。
土岐田は当たり前のように俺の横に立った。身長差が有るだけに、隣にいられると圧迫感がある。

「あんまりくっつくなよ」
「鈴木先輩はいいのに、俺はだめなんですか」
「鈴木に聞こえるから、そういう冗談はやめろ」
「先輩……やっぱりいい匂いがします」
なにを言っても話の腰を折られるのは日常茶飯事だった。
黙っていればテレビの人気俳優すら顔負けなのに、土岐田の口は、開けば俺に対するセクハラしか吐かない。

「ほんと、仲良くなったなあ。その調子で、こいつに女の子でも紹介してやってくれよ。未だに彼女いないんだから」
「おい、変なこと言うな」
「今も……ですか」
「当たり前だろ、だからこうやって従兄のオッキーに彼女を~って、優しいねえ俺は」
「従兄だったんですか」
驚いて俺を見る土岐田に、にやにやするヤス。こいつ、絶対に気づいていて、しかもこの状況を楽しんでやがる。
弱味を握られてはいけないやつにバレてしまったのは、不運としか言いようがない。
車内のアナウンスで下車する駅の名前が聞こえてくる。ようやくこの地獄から抜け出せる。

「ガキの頃からのつきあいだからな。何でも知ってるぜ」
停車して扉が開く。蒸し暑い車内の空気が放出され、外の空気が肺に入る。

「行くぞ」
そのとき俺は、土岐田の熱いわけの解らない視線を背中に感じていた。



■ ■ ■



放課後なのにまだ日差しが熱い。もうすぐ夏がやってくる気配がする。

「先輩、今つき合ってる人いないんですよね」
こんなときにでも、恋愛ネタを蒸し返してくる土岐田は、汗をかいていないのか爽やかな顔をしている。

「じゃあ、」
「却下」
「まだ何も言っていません」
「一年、きちんとやることはやれ。他の一年は何してる」
「……グラウンド整備です」
「じゃあお前も行ってこい」

ったくなんでこうも毎日毎日つっかかってくるかな。能天気を自負する俺でもこれは重い。渋々と未練たらたらな顔をして去っていく土岐田をみる。

(男の俺を好きって? ありえないだろ。しかも、あいつが惚れたと思われるのはあの状況で、だ)

そりゃあ、後輩に懐かれるのは悪い気分じゃないが、キスまでされてセマってきた美男子からの答える気のない、告白(しかも毎日)なんて、やっぱり重いよ、土岐田。

ため息をつくと、校舎十五周の指示がでていたことを思いだし、まず水飲み場で水分を軽く補給することにする。

「沖野センパイっ」
女の子が俺を……呼んだ。思わず心臓が高鳴った。何の用だろう。もしかして……。そうだよ、これが甘酸っぱさを醸し出すよろこびの場面というやつだ。

「な、なに?」
冷静に。冷静になれ。ついさっき咽喉を潤したばかりだというのに、緊張で口の中はカラカラになっていく。手に汗もかいてきた。

「センパイは、土岐田くんと仲良いですよね」
土岐田かよ。

「部活の後輩だからね」
自分の顔がひきつっているのがわかる。あれだけうれしそうにくっついてるのをみたら、仲がいいと思うだろう。次にくる言葉なんて簡単に予想できてしまう。

「土岐田くんは今つきあっている彼女とかいるんですか?」
この質問にどう答えればいいかなんて簡単だった。だがしかし、俺はそれ以上に連日の土岐田に腹が立っていたので、余計な一言を添えることにする。

「いないんじゃないかな。彼女がいるって聞いたことないし」
「そうですか! 私土岐田くんと同じクラスで、彼いつも先輩の話を楽しそうにしているのをみてて……! ありがとうございますっ」

(あいつ……いったい何を話してやがるんだ?)

「部活中なのにすみませんでした……っ」
真っ赤になってうれしそうな、にこにこの笑顔をいただいてしまった。

女の子ってやっぱり、かわいいなあ。
これで土岐田が別の子を好きになったらいいのにと、そのときの俺はそう思っていた。



■ ■ ■



区大会が始まる前に、顧問同士が仲のいいというS山校と練習試合をすることになった。
俺にベッタリだった土岐田は、ここのところ機嫌が悪い。俺を見つけると、じいっと睨みつけて近寄ることもせずそのまま去っていく。

「オッキー、後輩いじめしてんの? あんなに懐いてたじゃん」
「知らねえよ。あいつとは元々こういう仲なんだよ」
「お~怖い怖い」
ヤスはこんな感じで、俺たちの親交具合に茶々を入れるのが楽しくなっているようだった。
本当に最悪だ。

「よお、久しぶりだな。元気にしてたか」
相手校の二年レギュラーの持宮(もちみや)だ。一年のときに大会でハットトリックをやらかして、今では記者に囲まれるほどの好選手だったりする。気さくな奴で、試合前と後にはこうやってお互いの話をしたりする仲だ。

「練習試合だ、楽しくやろうぜ」
ヤスが話しかけると、つられるように俺たちに人の良さそうな笑顔をふりまいた。

「あいつは?」
背の高い土岐田に気がつき、それにすかさずヤスが自慢げに答える。

「今年の新人、土岐田って言うんだけど有望株だぜ」
「あー、土岐田だったか。お~い土岐田あ!」
後ろを見ると、土岐田は呼ばれた中に俺がいることを確認したため、近寄りたくないそぶりをした。しかし、知り合いを無視するわけにはいかないため、できるだけ俺と距離を置くように持宮に近づく。

「……持宮先輩、お久しぶりです」
「お前でかくなったなあ、春休みで何センチ伸びたの。あの時は同じくらいだっただろう」
「ええ、十センチ以上伸びました」
「うちに来いって言ったのに来なかったし」
「すみません」
持宮は馴れ馴れしく土岐田の肩に腕をまわす。

「今からでも遅くはないぞ、どうだ。来ないか」
「おいおい、うちの大事なルーキーを抜こうとしないでくれよ」
ヤスが止めようとしつつ、楽しそうな会話に腹が立った。ストーカー男なんていなくなればいい。

「いいんじゃね、行けば」
「お、おい?」
ヤスは俺の頑なな態度に動揺して、土岐田を見た。土岐田は少し驚いた表情をすると、ばつが悪そうに顔を背ける。あんだけくっついてきたくせにもう手のひら返ししやがって。だから女子にも嫌われるんだよ。

「おっ? おゆるしが出たな」
とその場の雰囲気を読んだのか読まなかったのか、持宮は笑った。



練習試合が終わり、通学鞄を引っ提げて帰ろうとしたところを土岐田に呼び止められた。
嫌がる素振りをあいつに見せたが、これで俺たちの関係に終止符が打てるのなら、なあなあにするよりはいいかと思いなおして従った。前まではうるさいくらいに騒いでいたのに、土岐田は無言だった。

連れて行かれたのは校舎の裏。顔を合わせたくないのか、背中越しに話しかけてくる。

「S山校に行けばってどういう意味ですか」
「そのまんまだろ」
一刀両断しすぎたのか、沈黙が訪れる。それに、俺に言いたいことはこのことではないはずだ。

覚悟を決めたのか肩がゆれる。

「……クラスメイトに、俺に好きな人はいないと言ったそうですね」
「彼女がいるかって聞かれたんだよ」
いきなり振り返った土岐田の目には涙が溜まっていた。そういえば、感情が高ぶると泣きだすんだった。

「先輩!」
肩を掴まれて校舎の壁に押しつけられる。

「なんだよ……」
「先輩、俺の好きな人は誰ですか」
真剣な顔をするので、俺の今の感情とあまりにも温度差がありすぎた。冷ややかに顔を逸らす。

「誰ですか!」
「……」
「俺は先輩が欲しい。キスも。それ以上のことも……っ」
止めるまもなく土岐田が覆い被さってきて、顎を掴まれると唇が重なった。

「やめ……っ、ん……んっ」
最初はちょっと控えめだったのが、だんだんと感情を抑えきれなくなったのか、荒くなって舌をからめてくる。

「ん……んっ……!!」
膝に力が入らなくなってくる。倒れそうになるのを避けるため後ろの壁に体重を押しつける。すると、もっと深くまで奪おうとする土岐田が離れまいと距離を縮めてきた。

こいつのキスは、いつだって気持ちいい……。

「…ん!……ぅん、ぁ、……っ!」
しまった。土岐田を見ると、熱に浮かされた濡れた眼と口唇が壮絶な色香を放っていた。

「ねえ、先輩今……」
「……黙れよっ、」
確かに今……、受けるだけじゃなく応えた。ねちねちと執拗に口内を舐め回す熱いそれに。

……まさか、俺は。

「先輩の好きな人は、誰です」
びくりと体がはねる。覆い被さって耳を舐めるように囁いてきた。にこりと笑う土岐田に、怒りを感じたのは言うまでもない。

「先輩、好きです」
そう言ってもう一度顔を近づけてくる男に、俺は悔しさを捨てることができないまま手を背中に回した。
俺の負けだ。……いや、こいつの根気勝ちか。
それに、この涙に弱いのだ、俺は。

「うっ、うっ、」
「おい……」
「すみません、うれしくて……」
ザマァ、と思って内心バカにしていたこいつに。
男なのにほだされてしまったのが運の尽き。

「とりあえず、泣きやめよ」
ヤスのにやけた顔を思い出して、あいつだけには絶対にバレてはいけないと固く誓う。背中をあやすように撫でながらそう思った。
きっと、こいつが盛大にバラすのだろうとわかっていても……。

「まあ、なんだ。明日からよろしくな」







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