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ヤンデレルート
ヤンデレ編3
「ああ、そんなに怯えないでいいんだよ。もしかして、俺が父さんを殺したと思ってる? 嫌だな、誤解だよ。父さんはいつも飲む薬の量を間違えちゃっただけなんだ。警察もそういう見解で事故処理はとっくに終わってる。あくまで不幸な事故だったんだよ?」
怯えてなんかない。しかしこの状態では反論もできない。
馬鹿だよね、と陽介は父親の死が何でもないかのように笑っている。その目に悲しみの色は浮かんでいるようには見えない。
医者が、普段から自分が飲む大事な薬の量を間違えるだろうか。還暦こそ過ぎているが認知症でもない、フルタイムでシャキシャキと働く現役の医師がだ。
陽介の言葉への猜疑心が生まれるが、とにかく今は陽介とちゃんと話したくてその意思を示すように発声を試みた。
腕を縛られて転がされて、ううとか、んんとか間抜けな声しか出せない俺に対して陽介は冷たく言い放つ。
「ああ、喋りたいの? でも今はその必要はないよ。修一の声は心地良くてとても好きだけど、今は必要ない」
必要ないと繰り返す陽介の言葉に不安を覚える。そしてその予感は的中してしまった。
「もう話し合いなんて必要ないんだ。だから喋る必要はない。少なくとも今はね。」
話し合いが必要ないなんてことあるか。むしろ最も優先するべきことじゃないのか。少なくとも今はということは、後々なら話し合う気があるということか?
俺が疑問に思っていると、陽介は訝しむ俺を無視したように「俺はね」と語り始めた。
「俺はもう信じないことにしたんだ。修一の言葉も、人格も信じない。修一の行動に期待もしない。俺が信じるのは……何だと思う?」
俺に聞かれても、お前が俺の口を塞いでるんだから答えられるわけないだろうが。
俺は恨めしそうにじっと陽介を睨み、その言葉の続きを待つ。
「修一、俺が信じるのはね」
俺の何もかもを信じないと言っておいて、一体何を信じると言うのか。俺はいつの間に陽介の信用を失ってしまっていたのか。もしかして、陽介は俺を憎んでいるのか?
「お前の『Ωの本質』だよ。それが何より、言葉や感情なんて不確かなものよりよっぽど信用できる」
ーーΩの本質? 一体何を言っているんだ。
確かに俺はΩだが、それが俺の全てを構成しているわけではない。Ωである前に一人の人間だし、俺特有の人格だってある。Ωであることが俺の全てではないのだ。
「修一はΩだ。いくら修一自身が否定したところでそれは変わらない。どんなに抑えようとも、Ωの本質からは逃れられないんだ」
それは分かっている。だから発情抑制剤を定期的に飲んでいるし、発情期の周期が来れば今日のように保護帯を着けている。
確かに俺は自分がΩであることを不服に思っている。否定したかった。でも現実はそうはいかず、だからこうして自分なりに対処しているのだ。
だから十分に抑えられていると俺は思っていた。
なのに、陽介はそれを否定する。
「ねぇ、俺のこと好き?」
言葉では伝えられないので頷く。
「俺のこと愛してる?」
もう一度、陽介の目を見ながら同じように頷いた。
「そうだろうね」
その返答に拍子抜けした。
何だ、俺の気持ちを信じているんじゃないか。ではさっきの発言は何だったのだ。俺の言葉も、愛情も信じないというのは嘘だったのか?
俺は今ひとつ陽介の発言の真意が掴めなかった。
「知ってる? Ωはね、犯されれば犯されるほどその相手に好意を抱きやすくなるんだ。そしてその感情は番にされる事でより強くなるんだよ」
突然とんでもないことを言い出した陽介に俺は驚愕した。
「科学的な証明はされてないけど、そういう統計データが世界中から出てる。嘘だと思う?」
驚いて目を見開く俺を無視して、陽介は出来の悪い生徒に諭すように説明する。
「人類が生き残るために集団で生活を営む社会性を得たように、君たちΩは適者生存の過程でそういう体質を得たんだ。ストックホルム症候群を知ってるだろう? 誘拐なんかの犯罪被害者が生存戦略として加害者を愛してしまうことだよね。それと似たようなものなんだ。君たちΩは世代を重ねて、力の弱い自分たちの生存戦略としてそういう性質を得たんだよ。αに無理矢理犯されたΩだって、セックスを続ければいずれはそのαを好きになる。αからΩへの性犯罪の被害報告が少ないのも、その辺りが原因の一つなんだろうね」
驚きのあまり硬直する俺に、陽介はさらに言葉を続けた。
「ヘテロセクシャルだった修一が、男の俺を好きになってくれたのは全く不自然なことじゃない。自然の摂理なんだ。だから俺は、お前が表面上紡ぐ言葉や態度や行動より、お前の中にある『Ωの本質』が何より信用できる。人間の人格や感情なんて所詮、肉の器に入った紛い物に過ぎない。精神はたやすく肉体に影響されるんだよ。だから、修一は自分がΩであることを否定しなくていい。素直に受け入れて、認めたらいい。そうしたら俺もお前も、きっと今より幸せになれるのに、何で抗う?」
突然の暴論に言葉を失う。色々反論したいことが山のようにあるが今はとにかく錯乱している陽介を刺激せず、この異常事態から脱出したい気持ちの方が強かった。
「だからその体に教えてあげなくちゃならない。修一が誰を好きで、愛して、求めるべきなのか。有象無象のブスで下劣な女どもに渡してたまるか。修一は、危なっかしいからね。それにお人好しでしょ? お前は自分がここまでと決めたラインからは絶対に譲らないけど、そこまでならいくらでも譲歩するよね。そんなことしてたら、ちょっとタイプの女に騙されて子供ができちゃったから責任とって、なんて言われたらきっとあっさり結婚しちゃうだろう?」
陽介の表情が歪む。
怖い。これ以上聞きたくない。頼むからもう、喋らないでくれ。
俺はこんな陽介を見たことがなかった。
「それできっと、男女の暖かい家庭を築くんだ。俺のことなんか忘れてね。そうだろう? 離婚した時みたいにさ」
陽介のことを忘れたことなんかない。独身である以上、俺を好きだと言ってくれる女性の中から何人かとは寝たが、結婚まで考えられるような人はいなかった。結婚したいと思ったのは、今までの人生で陽介だけだった。今日だってそう思っていたのだ。だから、指輪を用意した。
でも、今はーー。
陽介の話を聞くに、彼は今常軌を逸した状態にある。俺が今しなければならないことは、ここから逃げることだ。今二人きりでいるのはお互いにとって得策ではない。後日落ち着いた頃に、第三者を交えて冷静になって話し合うべきだ。
俺は逃げる算段をつける。
手は縛られているが足は自由だ。走って逃げられる。ドアも鍵さえかかっていなければ肘を使って開けられそうだ。それに大きな物音を出せば近隣の誰かが気付いてくれるかもしれない。隣室や下の部屋の住人とは面識がないが、異常な物音が続けば警察に通報するくらいはするだろう。
そして警察官が来たら言うのだ。俺たちは元夫夫で、これただの痴話喧嘩だと。縛られているのは少し行き違いがあっただけで、被害を訴える気はないということを。
問題はタイミングと、施錠されているかもしれない玄関の鍵だ。指先は自由なので時間さえあれば鍵だけなら後ろ手で開けられるはず。まさか、チェーンはかかっていないだろうか? 高い位置にある鎖状のそれが掛けられていたら外すのは難しい。後ろ手では届かないし口も使えない。
それでも逃げるには玄関に向かうしかない。窓から逃げようにもそれははめ込み式で、開くことは開くが成人男性が通れるような幅ではなかった。仮に通れたとしてもここは13階だ。とても手を縛られたまま身ひとつで降りられるような高さではない。
俺はこんな部屋を借りた過去の自分を恨む。こんなことになるなら、これから家を引っ越すときは低層階にしようと心に決めた。
そして俺は陽介の前から、自分の家からの脱出を決意しタイミングを見計らう。
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