とある夏の神社にて

暁 明音

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 それからまた、一年がたった。
 私はすっかり去年のことを忘れ去って、祖父の家に到着するや否や、海やら祭りやらを楽しんだ。
 神社へ遊びに出掛けたのは、到着して三日後のことだった。

 特に用も無く神社へ行く。すると、女の子がドラム缶の側に立っていた。
 それでようやく、私は去年の出来事を思い出す。
 思い出したと同時に、女の子がこちらを振り向く。
 なんとも間が悪い…… 向こうは何一つ覚えていないだろうけど、こちらは覚えているから、とぼけるにも無理がある。

 とにかく、さっさと挨拶しながらこの場を立ち去ろう……
 そう考えて、私は頭を下げながら駐車場の近くにある、階段の方へと向かって走った。
 走っていると、枯れ葉か木の根か分からないものに足を取られ、前にころんでしまう。

「いってぇ~……!」

 私はゆっくりと膝を立て、痛みが走る膝小僧を見下ろす。
 血がにじんでいた。

「大丈夫?」

 その声にビックリして、私は振り返った。
 いつの間にやら女の子がそばに立っていて、こちらをのぞき込んでいたのだ。
 口から心臓が出るかと思った。

 ひょっとすると顔が赤くなっていたかもしれない。
 それを見られるのが嫌で嫌でたまらなかったから、私はなるべく無表情のまま立ちあがって、無言のまま、さっさと階段を下りていった。


 坂道側ではなく、駐車場や階段側から帰ると、坂道の方へ戻るように移動することになる。つまり、神社を迂回うかいするように、グルリと回るのだ。

 はるか下にある家々の屋根や、自分がいる道のすぐ下側にある、古いお堂の屋根を見下ろしながら、私は走った。振り返らずに走った。

 女の子が追ってきていないかを確認したのは、駄菓子屋の前に着いたときであった。



 その数日後、祖父の家からつ前の日だった。
 朝から母も父も出掛けてしまい、何もすることがなかった。
 ひまで暇で仕方がない。
 アニメもゲームも、ちょっと飽きていたし、早く読み終えるマンガは言わずもがな。持参した本も読み終わっている。テレビはつまらなく思っていたから見ていないし、動画も少々、見飽きていた。

 こんなときは、少し散歩をしようと思って外へ出るに限る。そして、適当に散歩しているようでも、結局は神社へと向かっている自分がいた。

 これはもう、仕方のないことだ。
 なぜなら、海の方はすでにクラゲだらけだし、行こうとは思えない。釣り人が多い港には行かないようにと、両親から釘を刺されている。

 同年代の子がいれば話は別だが、山の上にいるから、周りに年頃の子供がいない。一昨年おととしまでは、二歳くらい上の兄妹きょうだいが近くにいたけれど、引っ越してしまったから、誰もいない。
 そうすると残るは、神社しかない。だから神社へ遊びに行こうとするのは、ごく自然なことであった。


 竹林を越えたあたりで、私はあることを思い出した。
 カブトムシというのは、『みつの木』と呼ばれる木に集まってくるらしい。叔父おじさんの話では、その木が神社に存在すると言う。

 これは、ぜひ確かめなければならない。
 急にワクワクしてきた私は、杉並木の坂道を、いつも通り蹴りながら登って、神社の境内けいだいに出てきた。

 出てきて早々、やっぱり女の子の姿があった。しかも今度は、こっちを向いたまま立っている。
 やけに出会うなと思いながら、そういえばと、数日前のことを思い出す。
 ちょっと恥ずかしいけれど、ここで引き下がっては男がすたる…… なんて、仕様も無い自尊心を燃やしながら、ズカズカと女の子のそばへ近付いていった。

 少し声の調子を整えてから、

「ねぇ、この辺りに住んでるの?」

 と、いきなり突拍子もないき方をした。
 このあいだ、格好悪いところを見せたばかりだし、舐められては困るからと考えたからだ。
 でも、女の子は普通に答えてくれた。

「住んでるよ、この近くに」
「じゃあ、この神社って、みつの木がえてたりする?」
みつの木って…… 何?」
「カブトムシを取るんだ。カブトムシが寄ってくる、みつの木だよ」

 私の方は、なんで分かってくれないんだという思いであったが、分からない方が当たり前だ。
 でも、驚くことに彼女は理解してくれた。

「ああ、樹液の出てる木ね? あるよ」
「本当?!」

 私のワクワクしていた心に火が付いたせいで、嬉しさと期待の感情がれた。
 ぶっきらぼうな私の表情が一転したからなのか、女の子が少しやわらいだ顔になっている。

「どこにあるの?」
「こっち」

 そう言って、彼女は樹液がある木のところまで案内してくれた。その木は、特になんの変哲もない普通の木で、黄色くも無ければ、液体が流れ出ている様子もない。想像とは随分と違った木だ。

「まさか、これなの……?」
「そうだよ。ほら、あの部分を見て」

 女の子は人差し指を、木の幹にある、少しくぼんだ穴のあいている部分へ差していた。
 その部分は黒っぽく湿っていて、光沢のある何かが付いている。

「何、あれ?」
「あれのことでしょ? みつって……」
「あれがみつなの?」
「そうよ。知らなかったの?」
「始めて見た…… みつって言うから、黄色かと思ってたのに……」
「それ、蜂蜜はちみつでしょ?」

 女の子が少し笑った。

蜂蜜はちみつみたいな味なのかな?」
「試してみたら?」

 私は好奇心から、樹液を指ですくい取って、そっとめてみた。

「うえぇッ……?!」

 苦くて渋くて、舌をイガイガさせるような不快感…… およそみつとは思えぬ味に、私はビックリしながらつばを吐きだした。

「うわっ、マズッ! なんだこりゃ! 渋柿みたい……!」

 顔をクシャクシャにしかめている私を、女の子はあきれ笑いしながら、

「本当にめるなんて思わなかった…… 近くの水場で、口でもゆすいだら?」
「水?! 水、どこにあるの?!」
「――こっち」

 女の子に連れられて、『水浄清すいじょうせい』と横書きで書かれてある、神社のお清めの水に案内してくれた。ちなみに、これを右から左に『清浄水せいじょうすい』と読むことを知らず、しばらく『水浄清すいじょうせい』と読んでいたのは内緒である。

「これ、飲めるの?」

 自分でも分かるくらい険しい顔で、水場を指差して言った。
 女の子が首を横に振って、

「ゆすぐだけ。飲んじゃ駄目だからね?」

 と言いつつ、尺で水をすくって、私に差し出してくれた。いそいでそれを受け取った私は、水を口にふくむ。
 そうして、うがいをして口の中の苦さを取り除いた。

「うげえぇ~…… こんなに不味まずいの、渋柿以来だ……」
「渋柿まで食べたの?」
「だって、お父さんが食べてみろって言うから……」
「だまされやすいって言うか…… そもそも、アレは虫がめるモノよ?」
「でも、蜂蜜はちみつは虫の作ったヤツだけど甘いし……」

「そういう美味しいものは、ちゃんとご先祖様が全部、見つけてくれてるから。――キノコなんかは、絶対に口に入れちゃ駄目だからね?」

「知ってる。お婆ちゃんに言われた」

 こうして、私と女の子は突然に知り合いとなった。
 昔の私は、こんな感じで知り合いを増やしていった。
 まだまだ謎の多い子だったけど、とにかく話をするのが楽しかったから、お互いに色々と話した。
 夕方まで話をしたと思う。

 どんな内容を話していたかは、残念ながら覚えていない。大方、最近のゲームやら動画やらの話と、学校の話だろう。

 女の子は分かったような分からないような表情で、相づちを打ってくれていた気がする。
 私も私で、時折、女の子が話す話題がちょっと分からないことがあった。
 本の話になると、オマケで集められるカバヤ文庫がどうとか言うし、ビニール紐をリリアンでんだときの話とか、ビーズの装飾品とか、いまいちピンと来ない話題が割とあった。

 でも、言いたいことは分かるし、楽しそうなのも分かる。別に、それらがどういう意味を持っているかなんて、子供の頃はどうでも良かったんだと思う。ただ、同じ時間の中で過ごしたことが、私にとって重要なのだ。

 陽が落ちる前に、私は女の子と別れた。
 別れ際の話の内容は忘れたけど、今度は私も彼女も笑顔だったことだけ、ハッキリと覚えている。
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