不倫の果てに

あらのい

文字の大きさ
上 下
1 / 1

果てに

しおりを挟む
結論から言うと、一緒に歩いていたわけではなかった。僕たちは。

演技をしているのはわかっていた。互いに。

もちろんそれは必要なことだ。

でもさ、互いに疲れてきているのを感じている。

何に対して、見栄を張ろうとしているんだろう。

君の欠けたを僕は埋められると思っていた。僕は君が僕の欠けたを満たすと思っていた。

それは全て思い込みだったんだろうか。
そんな素敵なもんじゃないよ、ねえ、夢見ているんだよ。と君はつぶやく。

6月の紫陽花に包まれて青や紫に囲まれてずっと歩いていると、現実感がなく
ぼやけたシャボン玉に包まれた気持ちになる。

たぶんこれは夢だ。そういう夢を僕は知っている。

確かな感触があるのに、なぜか、つじつまが合わない。

夢の中の僕とは別の声が僕を包む。これは夢だ。と。告げ口をしてくる。

夢は現実の今までの総合的な情報をもとに脳の、心の求める像を映し出す。と言われている。紫陽花の花言葉はなんだっけ、とぼんやりと考える。

もっといい人いるから、さ、もうやめときなよ。ねえ、わかってる?

わかっている。完全には手に入らないことを。

わかっていないことをわかっている。

人と違うと思ってる?そんな素敵なものじゃないの。もっとさ、現実をみなよ。

結局、君は自分の言葉に変えちゃうんだよ、全部。

そう、変えてしまう。でも、全部が問違いだったとは思わない。通った心がなしにはならない。ゼロにはできないよ。

そう、叫んだつもりだったが、ぼんやりと水滴が滴った後の水面のようなぬらりとした振動で声はその場で響かず立ち尽くすだけだった。

間違ってるよ、間違ってる、ちがう、ちがう、ねえ、違うってば。

ねえ、やっぱり違うんだよ。

なんども、繰り返しそう言う。

なぜか君の声だけははっきりと明瞭に。

ああ、6月だなと思う。この気持ち、6月のようだ。

じめっとしていて蒸し暑い様で雨の合問に感じるうっすらと感じる風は肌を濡らしさらさらと寒くする。

夢が薄らと遠のいていくのを感じる。いくつもの場面が瞬間瞬間に流れる。

けれども、脳ではわかっている。けれども、自分ではシーンが見えるだけで、
そこに含まれる意味までは理解できない。それが繰り返される。

けれども、まだ、君は目の前にいる。

果てしなく、遠い所に立っているのに
言葉ではない、何かで君に叫ぶ。

わかっているんだよ、僕だって、何もかもが知れ渡っていて、なにもかもが全部やってきたことは身に振り返ってきているって。

これは、結局は自分の中での妄想なのだろうか。

けれども、わからないと思ったから、そんな甘いもんじゃないから。

想像じゃ駄目なんだ、触れないとわからないじゃないか。

ちがうよ、ちがう、、、声は実際に耳で聞こえるのに、心で響く。記憶なんだろう。

これもそうだろ、実際じゃないか、実際じゃないか。

それをわからなければ、先に進めないんだと思っていたんだ。

ここまで来ると何が現実で、何が夢なのか、、境界は結局は自分の認識次第なのだろうか。

流されゆく意識の中で最後に聞こえたのは、やっぱり違うんだよと、紫陽花の咲く中で迷子になって間違って咲いてしまった白いカンボクのように、はかなく口をゆがませ眦を伏せる姿だった。

目が覚めるといつものけだるい電車の音が聞こえている。

無意識に体にしみこむそれは、いつも僕の左半身を叩きのめしていくのだろう。

おかげさまで毎朝左首から始まり、左の背中部分、、ふくらはぎから足元まで、
一本のプラスティックのように固く筋肉が硬直している。

僕はすでに夢の覚えていない。
起きて、あ、また首が痛いやと思った時には、すでに記憶の泥沼に埋もれてしまって掬いだすことはできなくなっている。

けれども、現実では思い出せないくせに、眠りの中で、同じ夢だと気づき、
ああ、またこの夢か、楽しいな、又見れて良かったなどと思っている。

本当にそれが同じ夢なのかもわからないくせに。

いつもと同じようにまずは冷蔵庫から冷たいグレープフルーツジュースを取り出して、グラスに注く。筋肉をほぐすそうだからタイマッサージで整体を受け、体が伸びなく、先生にいつだって笑われるくらい体の硬い僕は、いつでも常備してあるのだ。

それから、漆器にフルーツグラノーラをいれ牛乳を注ぐ。一緒に脂質異常症と判定され、医者から若いのに大変だねという顔で見られるのが嫌な僕はLDLコントロールの為の外国から取り寄せたサプリメントを服用し、朝食を始め、すぐに終える。

厚手のカーテンを閉めると夜勤明けで寝た時に何時わからなくて混乱してしまうから、いつもレースのカーテンのみを閉める。そこから朝日を浴びて体の目を覚ました後、部屋に飾られている、観葉植物に水を与え始める。パキラ、シェフレラ、カラデュームなどのよく見る観葉植物やチランディア、多肉植物、よくわからない南国の植物、部屋に置くのには合わないと植物屋に言われながら僕の身長より大きくなった姫ヤシ、ラベンダーティーツリーなどなど計18個に水を上げた後、窓を開け、ミニトマト、キュウリ、ラベンダーやブルーベリー、レモン、オリーブや原種のバラの一種である樺太いばらなど計17個に水を与える。これだけで30分はかかる。ちょっとした運動だ。目の前の一軒家に住んでいるおじいさんはこれだけ植木を持って来た人を見るのはこの20年で初めてだよと呆れたようなきらきらとした目で僕に話しかけてくれた。僕は苦笑するしかなかった。


今日は久しぶりの休みだ。僕は介護職に就いている。

身体の疲れは精神の疲れにも影響する。

身体と精神の疲れが同時に襲ってくるこの仕事はとても疲れる。

現場現場でやることが違う為、キャリアは積みあがらないから他の場所ではまた一からの仕事覚えとなる。大変なものだ。

ある意味やればやっただけ自分の心に帰ってくる禅のような仕事なのかもしれない。

洗濯物を干してから、ふと目についた熟れたブルーベリーとトマトをほおばり
思いの分だけ味が良くなる、やはり自分というものが何事もなんだなと暑さにうなだれながら思考を頭に雲のように浮かべる。

けれども、強すぎても駄目なんだろう、では自分とはどの程度のものが許されるのか、自分とはなんなのか、許されるものはなんなのか、結局はうっすらと自分がない人間の方が良いのかしら、相手に合わせても得るものはないしと思考に暗雲が立ち込め、今にも雨が降り注ぎそうになり、これは体の疲れだろうから、
少し休ませようと本を読むことにするが、入らない、頭の炭水化物が受け付けないとなると、やはり夏バテだろうと扇風機の風を顔に当ててのんびりしていると目の前のアパートから聞こえる自転車を止める音に耳が反応してしまい、家じゃのんびりできないなと苦笑していると、いつのまにか表示されているスマホの画面の文字を見て、空気が無くなる音を聞く。

意識がふと遠のき、周りが見えなくなることを目の前が真っ暗になるとはいうが、本当は暗くはならない。

ほんとうは、肉体的には暗くはならない、脳で意味をとらえられなくなる状態になる。

そうしてゆっくりと氷が解けるように意味を理解していく。

電話をかけて、互いによそよそしい初めてのデートの相手みたいな気の使い方で話した後、その車を見つけて、縁石にぶつけないように気を付けて乗り込む。

ひさしぶり、元気にしてたか、とその人は言う。

ステップワゴンから外観が黒のプリウスに、ギアや、内装が素人目にもかなりチュー二ングされているのがわかる。

ああこの人らしいなと思った。

それなりにだよ、そうえば、今日だったよねと準備していた用紙と印鑑を持ち出す。

照れくさそうにその人は、朱肉あるかとつぶやくように言う。

もってるよ、いまだすとそれだけの言葉なのに考えて呟く。

この人は変わらない、変わらず、あのころのままだ。

なのに、頭が薄くなって、体も細くなって、どうして、憎しいのに憎しみきれない。

昔は音楽を流していたのに、いつも言葉だけが、車内のゆったりとした座り心地の良いシートに吸い込まれていく。

これで、おしまいだよ、とその人はいう。

ああ、そうと答える。

そうえば、妹、学校卒業したぞ。

そうなんだ、めでたいね。

もう、先生になれるみたいだ。

そうなんだ、今度治療してもらおうかな。

そうだな、行って来いよ。

そうするよ。

なあ、もう飯食べたのか、行くか?

いや、もう食べたから、今日は、いいや。

そうか。

うん。

じゃあ、またな、また、連絡する。

うん。

結局ろくに目を合わせる事もなく、会話を続けてそうして車からでる。

でも、なぜだか、声をかけなければいけない気がして。

この車、いいじゃんという言葉を選んでしまう。
それが答えではないと知りながら。

ああ、ん、ありがと。

とはにかんだ表情を見た後、再び縁石にぶつけないように気を付けてドアを開けて車を出る。

車がロータリーを出るまで見送ってから、再び家に戻る。

家に戻ってから、食事の準備をする。

食事を食べながら、別に飯ぐらい、行けばよかったなと少しの後悔をして、なにも考えたくなくなり、強い酒を飲み、しびれた脳みそを抱えて、唯一の優しい救いに身をゆだねる。なにも考えなくていい。穏やかな眠りにつく。

しばらくして、6階ほどのエレべーターから落ちたのにただ体がふわりとした感覚で痛みがなく、また、現実の自分が落ちる感覚を得ているのを感じて、ああここにいるのは夢の自分かと気が付く。再び夢の世界にいるのだ。

夢の中にいるときには楽しい事が多い。

刺される夢だとか、落ちる夢も夢だと途中から気づくことが多く、夢ならばと
その中ではとても楽しんで体験する。

とても臨場感があるのに、体に降りかかるはずの感触がある様でないのはむしろ面白い。火事の中飛び込んでも、淫靡な夢でも、水を飲んでさえ夢の感触で、実感はない。しかし、心の痛みは感じる。

放たれた言葉は現実よりも深く心に入る。脳が見せる自分の言葉だとしても、だ。分かっているが、それは現実のものとして残ってしまう。だから、夢の中ではあまり話をしないようにする。

話しをし始めると、夢をリセットするため、夢の自分に夢だと告げ、目を覚ますようにしている。そうしてリセットした直後はぼんやりとして、現実と夢の境がわからなくなるが、もう一度設定を変えるよう脳でイメージして最初は覚えている夢の感覚をなんとなくイメージを見て、徐々に眠りに落ちるようにすれば、なにかと話をすることなく、無音映画の
ように、シーンだけで楽しむことが出来る。

ねえ、どうしたの。

声が聞こえた時、あわててリセットしようとする。

起きろ、これはまずい夢だと、いったん離れて、おいしく頂こうじゃないかと、
いつものように念じる、が気持ちの悪い感覚を覚えてはきだしそうになる。

ダイビングしているときに残圧が少なくなったオクトパスから空気を取り込むことが出来なくて、喘いでいるような感覚に近いそれを感じて、起きるのをやめた。

原因をぼんやりと長いようで短いようなゴムのような時間で夢の自分が思い出していると、そうえば、酒を飲んでいたか、と気が付き、抜け出すのをやめる。こういう時は起きてもあまりいい事がない。ならば、悪い夢でも時が過ぎるのを待てば酒が抜ける。

悪い思い出と酒は時が流してくれる。とふにゃふにゃとした感覚の中にいると
ふたたび、何かが、話してくる感覚があり、現実と夢のはざまから夢の中へもう一度シフトする。ゆっくりと服に水が染み入ってその重さで水におぼれていくような感覚で落ちていく、体とベッドの間の空気に体がくっつき、そこにへばりついて体が重いのに、脳で感じる自分自身の重みを感じなくなり宙に風船のよう
に思考が軽く浮かんでいくかのような空気との一体感を覚えた時、同時にはっきりと夢の中に戻っていくのを感じ、再びそこに戻る。

ねえ。

と声の持ち主は伝えてくる。

夢の中では、顔はわからない。不思議な顔だ。現実でははっきり誰だというのはわかるのにまったく知っている感覚はない。しかし、懐かしさを覚えて、そうして大事な存在だと知っている。まるで認知症みたいだな、と現実の頭が答えを出す。

夢の自分が必死であんなものとは違うんだ、ちがう、一緒じゃないと否定していると再び、おつかれさまと声が伝わってくる。

聞こえるというより、伝わってくるのだ、夢の中では、どんなに違くでも
小さな声でも、明瞭に聞こえるよりは感じるようにその声を受け取ることが出来る。

ひさしぶりと声をかける。

そうかな、どうだろねとその人物は返してくる。

確かにわからないよねとからからと笑う。

そう、分からない、結局夢から覚めたら忘れてしまうのだ。

どうせ、自分のやまびこだとまだ現実の頭でシニカルに判断していると

今日はどうだったと話してくる。

今日は、と答えに詰まる。

今日は疲れたんだ。暗い気持ちで咳く。

そう、どうかしたのと本当に心配そうにそれは慰める。

自己愛の激しいやつだなと自分の脳に嫌になる一方で抱えた重荷から解放される。

そうして、一方的に独白する。

分かってるんだよ、互いに。

おやじの初めて泣いているのを見たのは、生まれの母親が死んだ時だった。

そうして互いに同じ傷を負った。二回目は、ばあちゃんと激しく喧嘩してたとき
喧嘩が終わって、一緒に死のうといったときにいやだと、あえなくなると言ったときに泣いていた。

三回目は冗談のようにいなくなりたいと言ったのに真面目にだめだと抱きしめ
られたときに四回目は再婚して四年目で離婚して車で去っていくのを見た時にベッドで魂の抜けたように座っているのをみて五回目で喧嘩して俺にはどうしたらいいのかわかんねえよと殴られてそれ以降は家を出たから分からない。

おれは、おやじの強がりも、弱いとこも全部知ってるんだ。

同じだから、結局、おれも、おやじも似たものどうしで、互いがなんとなくわかるんだ。

だから、分かるのに、分かりたくないんだよ、大嫌いなんだ、いやなんだよ
こうなったのも、おやじのせいだって、したいんだ、でも、できないんだよ
どこにも、怒りを持っていけなくて、それもぶつけたいけど、その痛みがわかるから、どうしようもなかった。

いつの間にか、紅葉が綺麗な公聞の中を並んで歩いていた。ここも歩いた場所で、結局は脳の見せるリプレイなんだろうなと現実的な感覚を捨てる。

夢の中ではせめて自由でいさせてくれと何かに祈る。

ふと、モミジの写真を背伸びして撮っている姿を見て、ぐっと心が痛み泣きそうになる。

戻れない日々を思うと、どうしても、心が痛む。だから嫌なんだ夢の中で、なにかに話すのは。

結局は独りよがりなんだ、すべてが。

分かっている。けれど、みんなそうじゃないか。

おやじだって、かあさんだって、それぞれが自分で、ないがしろにしたつもりで
ないにしても、でも、傷ついた。わかってる、互いにそうだ、傷を受けた。

話せば分かり合えたのかもね、でも、どうしようもなかった。

互いに、どうしようもなかった。どうしようもなく、傷ついていた。

夢の中で泣いても、何もならない。ただ、空虚な心が響いていくだけだ。

過ぎたことをほじくっても、むなしい、思い出しても、誰も分かり合うことはできない。

孤独ではないのかもしれない。普通だったら、ね。

自分が障碍者だったり、目にわかるかけた人間だったらどれだけ生きやすかったか。

でも、普通の人間だった。経験のせいで感覚が少しわかるだけの普通の人間だ。

群れることが必要なんだ、そうして生きやすくしていくんだ。様々なことからそれらが軽減してくれる。

潮風の香りがする。ここは、夜景がとても美しい。

多くの人がいるのに闇の中だと二人しかいないようだった。

ライトアップされた灯台を見上げて続ける。

けれども、浅はかさを見ると耐えられなかった。

こいつらは何をしているんだ、どうしてこうも容易く人を傷つけられるんだ。容易く、欺き、奪い取るんだって。

ベンチに座り、コアラの弁当を食べている。

口の中に頬張り、声は出ないはずなのに、声は出ている。

本当に浅ましい人間ばかりだと気が付いたのは、不倫をした人間をへらへらと
そのままにしたことだったんだ。

一番最初から、どうしてなにもしなかったのか。そしてなにもしなかった人間が
へらへらと泣いたり、怒ったりできるのか。どうせ、独りよがりだ。と。結局はわかりあえないのに、わかりあえたふりをして、表面だけで生きている。その気持ち悪さを当然のごとく、息を吸うように生きて行っている。

ねえ、僕が好きだった先輩がいたんだよ
その人は不倫をしていたんだ。した理由はわからない。

寂しさからかもしれない。そして、繰り返したんだ。

それをただ見ていた人間はなにも言わず受け入れていて、それどころか、同じことを始めて、当然のように自然にふるまっている。

気持ちが悪い。そう思った。

大きな魚が円形のプールで泳いでいる。たくさんの群れを成して優雅に泳いでいる。群れからはみ出した魚が大きな魚に飲み込まれる。

水族館でもこういうのあるんだねと君は笑っている。

、、、、。再婚した母は少々うつ病だったんだ。気が弱かったのかな。

ふと、からかったんだ、浮気しているかもねって。

初めての夫婦喧嘩はそれだった。軽いものだった。歯磨きをしている間にすぐ終わった。

元母親に聞いても違うと言って、でも、僕はそれが原因だと思ってる。

それを言わなければ、きっと、何かが違っていたんだと。

許せないと思った。こいつらは、と。固執している、馬鹿だと思われていい
けれども、傷つけている誰かがいると知らせたかった。

でも、無駄だった。

逆に自分が同じことをしてみようと思った。それでわかる世界があるならば、と
何も得ることはなかった。結局は欲だ。

そして、独りよがりだ。自分を当てはめているだけ、押し付け合いで何も得ることはない。正気じゃない。これを良い、楽しい事としてる人たちの頭が理解できなかった。

ただ、傷のなめ合い、傷の作りあい、自己愛の写し鏡を都合のいい言葉で偽っているだけ。

これが何か、意味のある行為とは全く思えなかった。

正直嘘をついた。君と付き合っているとね。

その嘘は広まって、噂をしてた。村八分にもなった。この馬鹿たちは結局は
何も変わらないんだなと思った。

いつものようにはしゃいでいる君の後ろ姿をみた。

さらさらと涼しい日陰の中の新緑の中で、うだるような暑い夏の海で。

少し寒いけど、暖まる紅葉の中で、手が荒れているから手をつながないよと白い息を吐いた雪の中で。


反抗的に始めたものだった。

けれども、いつしか、本物じゃないのかと思える瞬間があった。

そうして理解した。痛みを。同じ馬鹿者に成り下がった自分の魂が嫌いだった。

楽しかった、心から。

おやじは、さ。
たぶんやっぱり、浮気してたんだ。

泣きながら話す。

死んだ母親の遺影の部屋でそういうことをする男だ。

知ってるんだ、その人が再婚した相手じゃない事も。

そして、その人は僕がよくスキーで仲良く話していた人のことも。

その人が帰り際、僕をなでていくことも。

だから、言わなきゃよかったんだ。

それが真実になったんだ。言葉の重みが違ったんだよ。

きっとおやじも分かっているんだ。分かってるから、恨みがつもって、こうして跳ね返ってきたんだ。

俺が全部壊したんだよ、そう、吐き出す。

蓮華の花を写真を撮っている。しずくがうまく取れないとこぼす。

俺は生まれて来なければ、よかった。こうして現実がこうも裏切っていくのなら、自分が裏切るのなら、こんなにもつらいなら、生まれて来なければよかった。

景色のいい高台に着く。そうして黒く鈍く光る墓石に汲んできた水をゆっくりと上から流す。

結婚相手でもないのに、墓に連れてくるとはねと苦笑している。

声が重なる。その時の陽気な声と、いまの陰惨なみじめな声とがかさなり、不協和音となり心を腐らせる。

この黒い石にしか大切なことは話せなかった。

分かってる。自分とのやまびこで、結局は象徴的なもので、石屋が削って、葬儀屋が焼いて、仏屋が金で戒名をしたためて、そうして作ったものだと。理解してる。でも、ここには確かに自分の一部があって、つながりがあって、一時でも安らぎがあって、自分を曲げないようにしてくれた。

それの何が悪い、なにがわるいんだ。ふざけるな、この黒い石にしか話してないのに、なぜ、それ以下の人間がいる、なぜ想像できない、痛みが、なぜ、なぜ分からないんだ、どうして他人を馬鹿に出来る、他人を侮辱する、ではお前たちがやってきたことはそんなに立派な物なのか、ふざけるな、何をしてきた、お前らはへらへらと、なにをしてきたというんだ。

墓石の前の空いている、いつかなにかが入るスペースにうつむいて腰かけていた僕は、目をあげるとまた、場面が変わっているのに気が付く。

結局は独りよがりだった。なにも、できなかった。

暗い、公園で、手をつなぎ、キスをしている二人をぼんやりと眺める。

間違っている。あきらかに、逃げ出したい、けれども、もう一度戻りたいと思う。

夢の中ですら、か、苦笑いする。また、一人ぼっちだな。

雨の音がする。また、暗い公園だ。彼女の過去の独白を聞いてる自分を見る。

同じ絶望を感じる。守りたい。そう思っていただろう、うぬぼれるな。

そうじゃないだろう。と現実に叫ぶ。そうじゃないだろう。と。

一年、また一年と同じ服を着て、同じ自分を着たり脱いだりしているのをみて
どうやらこれが、人問なのだなと思う。

結局は同じだなと、苦笑する。苦笑いをして、しかし、どうも、やはり不公平だと裁量は世間というが、その裁量はこうもあいまいで個人的な集団のリンチのようなもので、どうしてこうも、いやらしいのかしらと許されるべきではないのではないか、けれども、許されたいと思っているのか。

しかし、ゼロではない。それだけは確実だ。ゼロではない。それを捨てては
本当に化け物になってしまう。夢の中でも、得た心の痛みは本物なのである。

また場面が変わる。制服を着ている。テニスをしている自分を見る。

あのころに戻りたい。あのころはどうして必死にすべてが楽しかったのか。

電話を取る。自殺未遂を聞く、睡眠薬の多量摂取だ。家にあわてて帰る。

場面がまた切り替わる、次々と駆け巡る。テニスで組んでいた、岩野の自殺を聞く。

地元の図書館で星のバイク事故で亡くなったのを一年後に知る。

一緒にダイビングをした叔父の親友の直樹さんがダイビング事故で死んだため
器具を貰い受ける。祖母の死、祖父の死。次々とかけていく。

ふと気が付くと、見たことのない景色の中に立っている。

目下には暗く濁った灰色の波がよくみえないが、うねっているのを感じる。

夢の中のはずだが、距離感がわからない、ぼんやりとしたなか、しかしはっきりとした恐怖を感じる。

なぜこんなところにいるのか、周囲を見渡す。どうやら崖のようだ。

おかしいな崖の端っこなんて来たことはない、これは夢の総合的な混ざりものなのだろうか、ここまで具体的なのか。

足もとに転がる石ころの感触まで感じ、潮風はいやに鼻につく。

ごうごうと耳もとで通り過ぎていく。

風は背後から海の方へと流れて行っている。

後ろに下がろうとするが、できない。

下がろうとした分、もろく崩れ滑り落ちそうになっている。

冷や汗が出てくる。屋上で下を見続けて、ふと唾をたらし、下に落ち、炸裂していく、それを思いだす。

それが自分だったら、、、。と嫌に思い出してしまう。
なぜか、押され押され、ほぼ全体重を後ろにかけているのに、前につんのめるような感覚になる。支えきれない。

そう思うと同時に、似たような感覚を思い出す。そうしてこれは初めての物ではないと気が付く。

これはなんどか見た夢なのだろうか、しかし、それにしては随分とリアルだ。

夢の中での痛みは確かにない、けれども、はっきりと夢とわかるものでもない。

夢の中での心の痛みは確かに現実なのだ。心が死んでしまったら、現実では
どうなるのか。

ごうごうと、どうしても、やまない。

背後からごうごうと押されていく。

後ろを向く余裕すらない、それは果たして潮風なのか。

三時間ほどたった気がする。

ふと、もういいやと思う。

崖から、飛び降りる。

快楽に似た何かが、背中を走る。

これもどこかで得たものなのかしら。

そんなことを考える間もなく、もうすぐ答えがわかる。

これは夢なのか、現実の終着点なのか。

もう起きることがないかもしれないのに、なぜかぬくもりを感じて

それを受け入れ、真っ暗が続いた。

しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...