植物標本

真糖飴

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ハーバリウム

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 命令には素直に従った。重力を無視した異様な光景を前に、眼を瞠るのも無理はない。

 布団を汚さず地に落ちず、命の分身達の周りを水のようなものが纏っている。軽く指で触れてみて、サラサラ感のないそれが何か大いに想像出来た。


「これは――」

「植物を長期保存させられるオイルだ。危険だったやつと、弱っていた幾つかには回復魔法を施してから浸した。このオイルの中にいる植物は標本状態となり、毎日水を与えなくても生命活動を維持し続ける。お前の契約が完了したら、これを纏わせようと前々から準備していたんだ。枯れる心配がなくて安心だろう?」

「でも、自然劣化は防げても、故意のものは――げほっげほっ」

「だからさっさと帰ってくればよかったんだ、全く」


 気温が下がっている外で、雨に打たれた身体が喉に不調をもたらしていた。さらに寝起きで何も喉に通していない今の状態は、痛みと乾きの両方を訴えている。

 ご主人様が背中を擦ってくれる手つきからは、先程のような怒りが不思議と感じられない。まるで心配してくれているかのような……なんて、都合のいい解釈をしてしまいそうになる。


「……さっき、また四月生まれの被害者がでたそうだ」


 正直な身体がピクリと跳ね上がった。それをこの人は見逃さなかった。


「そんなに怖がらなくても、私がお前以外の芽吹を求めることはないよ」


 どういった手段を使ったのか、魔法警察が突き止められていない事件の犯人を知っていると、目にそう込められている。確信が持てていると分かるその顔を見て、とぼけるのは負の印象を与えてしまうだけだと感じた。だからといって何も言えず、閉ざした口は開けられない。

 顎に添えられた手はそのまま軽く上へと持ち上げられた。それを反抗せずに受け入れて、必然的に目と目を合わせる形となる。愛おしそうに見つめてくれる水色の瞳には奥底に狂気が宿っていて、それは紛れもなく普通の人間とは違うもの。


 ――獲物を見つけた生き物の……捕食の眼。


「例えお前を選んだ理由が、あそこにいる四月生まれがお前だけだったからなんて小さなものでも、共に過ごせば愛着は湧く。他は考えられない。それが……執着の激しい水人族という生き物だ」


 どんな病も瞬く間に治す、この世の物とは思えない味と美しさを秘めた水を生み出せる水人族。彼らは植物を主食として生きている。水人族であるこの人は、四月生まれに宿る植物を求めた。


 芽吹という代償を得た者達が分け与える植物は高価なりとも市場で手に入るが、それらは所詮人工的に作られた水や川の水、雨水で育ったもの。味はただの植物と変わりない。

 だが、水人族が生み出した水で育った植物は違う。この人が求めているものはそれだ。

 芽吹という代償から生まれ、水人族の水で育った植物。


 ボクは食料としてここに連れてこられた。

 食料としてこの人に買われた。

 食料だからこの人に愛される権利を得た。



 あの恐ろしい世界で向けてくれた、温かな救いの眼差しを再び向けられるのなら。



 それはボクにとってこの上ない幸せだ。





 けれど……四月生まれは沢山いるから。ボクが不要になれば、ご主人様はボクを殺せる。だからボクは、ボクの代わりとなれる四月生まれを、殺してきたのに……。


「不安にさせてしまっていたね」


 背中に回された手と頭に回された手に、全身を包み込まれた。


「私はお前が大事だよ。大事なものは、一生側に置いておきたい。傷を付けず、汚さず、綺麗なままで──観賞用として」

「ご主人様?」


 直ぐにその身体が離れて行き、寂しさが込み上がる。

 それも一瞬のこと。ご主人様が奥の小さな物置スペースのカーテンを開けた途端、そんな気持ちは消え失せた。



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