異世界農家のスローライフ

asahi

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霧狼の咆哮と守るべきものたち

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 森が新緑の香りで満ちはじめ、春の陽光が木々の葉の間から優しく差し込む季節。
 開拓地の畑には、悠馬が育てた麦が青々と伸び、豆やサンタリラも元気に葉を広げていた。

「そろそろ支柱を足してやらないとな……」

 悠馬は汗をぬぐいながら、畑に杭を打ち込み、豆の蔓を絡ませるための横木を組んでいた。

 ふと横を見ると、小さな霧狼──シエルが、尻尾をぴょこぴょこと揺らしながら畑の畝を駆け回っていた。

「シエルー、そこは踏んじゃダメっていつも言ってるだろー!」

「きゅーん……」

 しょんぼりとした声を上げ、シエルはぺたんと伏せた。
 まだ仔犬のように幼いが、日々リリーナと悠馬に育てられ、体つきも少しずつ大きくなってきている。

 毛並みは淡い灰色に近く、背には青い斑模様が広がっていた。瞳は澄んだ空のような色で、どこか神聖な光を宿している。
 そして何より──シエルには、ある特別な“力”があった。

「悠馬~! お昼できたわよ!」

 小屋からリリーナの声が届いた。彼女はエプロン姿で、木の盆にスープとパンを乗せている。

「よっし、昼休みにしようぜ、シエル!」

「きゅっ!」

 小さく鳴いて駆け寄るシエルを抱き上げながら、悠馬は笑顔で小屋へ向かった。


 昼食を終えたあと、ふたりは木陰でのんびりと横になっていた。
 ユキがその傍らで反芻しながら寝そべり、ポコは母のピコの翼の下でまどろんでいる。

「……こうしてると、本当に時間がゆっくり流れるわね」

「だろ? 毎日こんな風に過ごせるなら、前世で苦労した甲斐もあるってもんだよ」

 風が吹き抜け、草の匂いが漂う。

 リリーナはシエルの頭を撫でながら、ふと呟いた。

「そういえば……シエル、最近少し“霧”をまといはじめたの、気づいてた?」

「霧?」

「ええ。魔力を持った霧狼は、生後半年を過ぎる頃から、自分の魔力を“霧”として放つようになるの。まだ不安定だけど……この子、力を秘めてるわ」

「へぇ……すげぇな、シエル。お前、やっぱり特別な存在なんだな」

 シエルは得意げに尾を振り、胸を張るように鳴いた。

 ──しかし、その午後。
 思いもよらない危機が、彼らのもとに忍び寄っていた。


「ユキ!? どうした、そんなに鳴いて!」

 小屋の奥で草を食んでいたユキが、突然短く警戒音を鳴らし、尻尾を立てて外を見た。

 悠馬が駆け寄ると、リリーナがすでに弓を手にしていた。

「何かが……来る!」

 森の方から、明らかに“獣の気配”が近づいてくる。
 ただの野生動物ではない。これは──“魔物”の気配。

「シエル、ピコたちを頼む! リリーナ、俺は前に出る!」

「気をつけて!」

 斧を手にした悠馬は、小屋の前へと飛び出した。

 森の影から現れたのは──

 鋭い爪と血に濡れた牙を持つ“牙鬼狼(がきろう)”。
 魔物化した野生の狼で、その体長は成人男性をゆうに超える。目は赤く濁り、理性のない本能の獣だ。

「ちっ、なんでこんなやつがここに……!」

 悠馬は斧を構えた。だが、牙鬼狼はただの獣ではない。動きは素早く、硬い毛皮は通常の斧では簡単に傷つけられない。

「くっ──!」

 飛びかかってきた牙鬼狼の爪を、ぎりぎりでかわす。
 斧を振り下ろすが、浅い傷しか与えられなかった。

 次の瞬間──

「きゅおおおおおおおん!!!」

 響き渡る、霧を切り裂くような咆哮。

「シエル!?」

 シエルが、悠馬の前に立ちはだかっていた。
 その小さな体から、淡い青白い霧が、ふわりと立ち昇る。

「まさか……!」

 霧が広がる。視界がぼやけ、森の木々がかすむ。

 その中で、シエルは跳んだ。
 青白い残光をまとって牙鬼狼の背中に飛び乗り、小さな牙で首筋をかじる。

「グァオオオオオオオッ!!」

 牙鬼狼は雄叫びを上げて暴れるが、霧の中では動きが鈍る。

 悠馬はその隙を見逃さなかった。

「今だあああああっ!!」

 渾身の力で振るった斧が、霧の導きとともに牙鬼狼の肩口に深くめり込む。

 悲鳴とともに、巨体が地に崩れ落ちた。


 戦いのあと、霧は静かに消えていった。

 リリーナが駆け寄り、シエルを抱きしめる。

「よくがんばったわ、シエル……!」

「お前……すげぇよ。ほんとに、みんなを守ったんだな」

 シエルは少しふらつきながらも、嬉しそうに尻尾を振った。

「でも……無理はさせられないわね。霧狼の力は幼体には強すぎる。きっと、しばらくは眠るかも……」

 悠馬が抱き上げると、シエルは小さく「きゅ……」と鳴いて、すやすやと眠りに落ちた。


 その夜。

 小屋の暖炉の前、悠馬とリリーナはシエルを毛布で包んでそっと寝かせていた。

「今日、守られたのは、俺たちの方だったな」

「ええ。シエルも、家族を守りたいって思ったのよ。……あなたと同じように」

「……俺たち、ちゃんと“家族”になってるんだな」

 リリーナは微笑み、そっと手を差し伸べた。

 悠馬はその手を握る。温かく、やさしい、そのぬくもり。

「今日みたいな日があったから、もっと誓いたくなった。……俺、この森で、お前と──本当の家族になりたい」

「それって……また“予行演習”? それとも──」

「今度は本番だよ。……リリーナ、俺と結婚してくれ」

 リリーナの瞳が、ほんの一瞬だけ潤んだ。

 そして、しっかりとうなずいた。

「──ええ。喜んで」


 森の夜は静かに更けていく。
 小さな命が仲間を守り、絆が深まり、ひとつの決意が芽生えた。

 それは、たしかに“家族”になるための一歩。

 次の朝、彼らはきっとまた、新しい命と、新しい日常に出会うだろう。
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