銀のリボンを結んで

吉岡果音

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契約

羊男

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 ピピッピピッピピッ!


 携帯のアラーム音で凜子は目覚めた。


「あ……、夢……、か」


 鮮明な印象として残る夢だった。神秘的な銀の瞳を持つ男性の声が、まだ凜子の耳に残っている。


 ――「契約」ってなによ。私まだ高校生なんだから、親の同意がなければ契約なんてできないし。


 なぜそんな夢をみたのだろう、ちょっと不思議に思いながら、凜子はいつも通り朝ごはんを済ませ、手早く学校に出かける支度をする。


「行ってきます」


 清々しい五月の風に凜子の黒髪が躍る。いつも通りの時間に余裕を持った登校。部活があるわけでも、友達との待ち合わせがあるわけでもないが、凜子は足早に歩いていく。

 青空に向かって伸びる深緑の葉を瞳に映し、凛子は思う。


 ――いつか……。見つかるのかな。自分だけの、トクベツ。


 凛子にはまだ、夢や志す目標といったものがなかった。高校二年生の春。凛子の友人には、すでにはっきりとした進路の希望を持ち努力を重ねている者もいる。だが自分はなにができるんだろう、どう頑張ればいいんだろう――。夢に向け一心に打ち込む友人の姿を少しうらやましく感じていた。

 凛子は、進学か就職かまだ進路は決めていないけれど、いつか人のためになるような仕事に就きたい、そう漠然と考えていた。しかしそれがいったいどういう方面の職種なのか、具体的には考えつかなかった。考えてもわからない。とりあえず、その日やるべきこと、学ぶべきこと、それから気になる楽しいことに集中することで精一杯だった。

 気持ちのいい晴天。このところ、穏やかな晴れの日が続いていた。


 ――今日も暑くなりそう。うーん。髪、切りたいかも。日曜にでも美容院行っとけばよかったなあ。


 ふと、そこで今朝見た夢、銀の長い髪の男性を思い出した。


 ――あんなに髪が長かったら、めんどくさいだろうし暑いよね。それに羊みたいな角。変なの。ほんと、変な夢。


 容姿や佇まいの美しさに思わず見とれたけれど、別に凜子の理想のタイプなどではなかった。凜子はどちらかというと、見るからに男らしい印象の男性のほうが好みだった。なぜ自分の夢にあんな人物が登場したのかわけがわからない。


 ――羊男。


 羊男の羊皮紙。眠れないときの定番のまじないは「羊を数える」ということもあり夢といえば羊。なんだか羊だらけだ、と凜子は思った。

 いつもの通学コース。前方に見えるのは、見事なサツキの咲いている民家の庭。四季折々の美しい花々を咲かせるその家の庭は、通るたびに凜子の目を和ませる。お気に入りの場所。凜子はその角を曲がる。いつも通りに。


 ――え!?


 急に、景色が変わった。


 ――なに? どうなってんの!? ここはどこ!?


 信じられないことが起きていた。凜子は知らない風景の中にいた。

 凜子の目に映っているのは、古いヨーロッパの街並みのような家々だった。いつもの見慣れた住宅街ではない。


 ――ありえない!


 石畳の道をたくさんの人が歩いている――石畳――凜子の行動範囲の中にそんな道路はないはずだった。ヨーロッパ風の家だってなかった。歩いている人々も皆外国人のようだった。日本人らしき人はいない。そのうえ、人々は皆不思議な衣服を着ていた。ある人は民族衣装のような服、ある人はなんと甲冑を身に着け武装し、またある人は全身覆うようなマントを身にまとい――。


 ――なにこれ!?


 この光景はなにかに似ている、と凜子は思った。


 ――あ、ゲーム! ファンタジーゲームの感じだ!


 凜子は全身から血の気が引いていた。立ちくらみがし、倒れそうになった。


「おねえさん。変わった格好をしてるね」


 通り過ぎざま金髪の幼い男の子が凜子に声をかけた。にっこり笑い、凜子の返事を待たずに、前方にいる両親らしき人物の元へ駆けて行った。その男の子も男の子の両親も、やはり民族衣装のような変わった格好をしていた。


 ――変わった格好はあんたたちよ! 私は普通の制服姿なんだから!


 凜子はただ茫然と立ち尽くす。これは夢なのだろうか――。しかし、さっきまで間違いなく普通にいつもの道を歩いていた。確かな感覚だった。眠ってなどいないのは間違いない。でもこの現実離れした光景はなんだろう――。凜子は青ざめ、頭の中は混乱していた。


 ――ええと。私……。いったい……、どうしちゃったの!?


 不意に、後ろから聞き覚えのある声がした。


「凜子さん。おはようございます」


 凜子は急いで振り返り声の主を確認する――。立っていたのは、先ほど夢で見た銀髪の美しい青年だった。


「羊男!」


「……ずいぶんな言われようですね」


 瞬間、凜子の頭の中のパズルがぴたりとはまったような気がした。この奇妙な現象は、この男が引き起こしたに違いない、そう凜子は確信した。どういう理屈かはわからない、しかし、絶対にこの男のせいだ、そう思った。


「ちょっと! あなたいったいなにしてくれんのよ!? これはどういうこと!? いったいぜんたいどうなってんのよ!? 説明してよ! てゆーか説明しなくてもいい! 一刻も早く私を元のところに戻しなさいよ! 私、これから学校に行くところだったのよ!? 遅刻したらどうしてくれんのよ!? まあ遅刻しなくてもどうしてくれんのよ!? 私は常に、絶対に、カンペキに早めの行動を心がけてるから遅刻はありえないだろうけど!」


 凜子は早口で銀髪の青年に詰め寄った。


「……かわいらしいのに、案外強気なんですね」


「かっ……!」


 自分のことを「かわいらしい」と評されて、凜子はたちまち真っ赤になった。


「ちゃ、茶化さないでよ!」


「私の名は、ミルゼです」


「別にあなたの名前なんて聞いてない!」


「羊男ではありません」


 銀の瞳の青年――、ミルゼは穏やかな笑みを浮かべていた。


「やはり、覚えていらっしゃらないようですね」


「わ、私がなにを忘れたっていうのよ!?」


 凜子の瞳を動じることなくまっすぐ見つめるミルゼに、美しい銀の輝きを放つ瞳に、凜子はなんとなく気おされていた。凜子は思わず視線をそらす。


「私と凜子さんは契約を交わしました」


「契約!?」


 ――あ! あの夢の中の出来事!?


「あれは夢の中のことでしょ!?」


 そんな夢の話をされても、と思ったが、そもそも夢の中の登場人物と会話をしている、そこが初めから奇妙な点であり、そうすると夢の人物に夢の話の正当性を持ち出されたらこちらとしては納得するしかないのか、と凜子はわけがわからなくなっていた。


「凜子さんは確かに判を押してくださいました」


 ミルゼは凜子の判が押された羊皮紙を目の前に出した。


「そ、そんなの字も読めないしわかんないよ! それに……!」


 羊皮紙の判は、凜子の名字ではなく「凜子」と名前の判になっていた。


「私、名前のハンコなんて持ってない!」


「これは凜子さんの印です」


「そ、それに私未成年だから、親の同意がいるんだから!」


「私たちの世界にそんな概念はございません」


「無茶苦茶よ!」


 ――なんなの!? いったい!? ありえない! 私の人生にこんなわけのわからない出来事が起きるわけない!


 凜子は真面目で堅実、いつも現実的な思考で物事を判断してきた。友だちが恋の占いやおまじないの話などで盛り上がっていても、自分からその輪に混ざることはなかった。別にそういった話を批判的に思っていたわけではない。ただ、苦手だった。非現実的な不可思議なこと、よくわからないあいまいなことはどう受け入れていいかわからず、関わりたくなかったのだ。それがどうだろう。今は理不尽な世界に見事どっぷりと首までつかってしまっている。
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