謎色の空と無色の魔女

暇神

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真章

真一章 悲劇

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 あれから、私達は色んな所に行った。川沿いの大都市、辺境の町、幾つもの島々からなる島国。その全てが、私にとっては宝物になった。

 そして一年が過ぎ、もう一度、あの村に行く事になった。

 村に戻るか、このまま行商の皆と一緒に旅をするか。私は、今も決められずに悩んでいる。
「大丈夫?ライラちゃん」
「う~ん……村が恋しい気持ちはあるけど、皆と一緒に居たいのも事実だし……う~ん」
 私は時々唸っては、結局結論も出ずに終わってしまう。そんな事を繰り返している内に、村に着く予定の前日まで経っていた。
 その日、私は皆に、故郷に帰りたい気持ちはあるのかと聞いた。皆にも生まれ故郷があって、家族や友達が居たのだろう。そこを離れて旅をする気持ちを、聞いておきたかったのだ。
「故郷……ねえ。私は時々、あの街並みを思い出して、泣きそうになるわ。いくら自分が選んだ事とは言え、故郷の思い出は、確実にある物よ」
「俺はそうでもないかな。俺の故郷ね、偏屈な爺共が多かったんだ。前時代的な思想が嫌になって、あの町を出たんだよ」
「俺は……寂しくなる事もある。だがな、そういう時は、故郷の連中の顔を思い出すんだ。俺を送り出してくれた時の、あの清々しい顔をな。そうすると、あいつらに恥じねえ生き方をしてやるって、力が出て来るんだ。まあ、こればっかりは他人の指図で決めちゃあいけねえ。明日、故郷のやつらと話して、それから決めな」
 ああ、皆にはいつも助けてもらってしまう。皆、それぞれの故郷に、それぞれの思いがあるのだ。例え良い物ばかりでなくとも、そこには必ず、『思い』がある。
 私も明日、皆に会って、話して、それから決めよう。
 私はその日、皆の事を考えながら眠った。厳しかったけど優しかったシスター。よく話しかけてくれた男の子。近所の悪ガキでさえ、今は懐かしい。ああ、早く皆に会いたいな。

 夢を見る。

 いつも同じ夢。

 村の皆と笑う夢。

 だけど、今日は少し違った。

 いつも夢が覚める、その直前。

 振り返ると、そこには


 どこまでも黒い髪の女の人と、まるで、黒い水に複数絵の具を垂らしたような色の空があった。


 目が覚める。服は汗でべたついて、嫌な感触がした。
 只、少しの違和感を感じた。いつもの風景。寝る前と、何一つ変わらない筈の風景に、僅かな違和感を感じる。
 気付くと、私は走り出していた。何で走っているのか分からない。只、少しでも早く、一秒でも早く、村に行こうとしている。何故?分からない。そうしなければならないと、そう感じている。
「ライラ!急にどうした!」
「分かんない!だけど!村が!」
 きっとこの時、私は凄い速さで走っていたのだろう。普通なら、いつもなら、もっと遠い筈の故郷が、村が、早く見えたからだ。

 『そこ』に着いた時、私はやっと、違和感の正体を掴んだ気がした。

 燃えていた。地面が、森が、もう原型を留めていない建物が、恐ろしい程綺麗な青色に。
 立ち尽くしていると、馬車に乗った皆が追い付いて来た。
「何だこりゃあ……」
「分からん。只、こっちの方には、確かライラの故郷が……」
「ライラちゃん!」
 不意に、後ろから抱き着かれる。多分リョウコさんだろう。耳元で泣いている声が聞こえる。私は、そんなリョウコさんの腕を解いて、ふらふらと前に進む。
 きっと……こっちには教会がある筈なんだ……シスター達と暮らした、あの教会が……教会は神様に守られているから、きっと無事で……皆もきっとそこに……
 記憶を辿りながら、私は教会に着いた。いや、正確には『教会だった場所』に。
 そこにはもう、何も残っていなかった。青色の炎と、焼け焦げた瓦礫以外は何も。
 私は、それでも信じられなかった。きっと、地下室に居るんだと、そう考えようとしながら、私はそこに近づいた。教会に、地下室は無いのに。
 私は、一晩中探し回った。シスターの声を、匂いを、姿を。私物の一つ、思い出が詰まった何か、何でも良かった。只、私はここで、シスター達と暮らしていたのだと、そう思える何かが欲しかった。
 辺りが明るくなった頃、遠くから馬の音が聞こえた。何頭かの、統率のとれた馬の足音が。
「生存者一名!まだ幼い女児です!」
「保護しろ!報告にあった、商人見習いだろう!」
 私は、多分鎧か何かを来た人達に、馬に乗せられて、町へと連れて行かれた。まだ、何も見つけていないのに。シスター達との思い出を、皆と過ごした証拠を。

 町に着いてから、私は兵士さんから、いくつかの質問を受けた。何があったのか、何か見なかったか、君は誰なのか。私に答えられる物など、ほんの少ししか無かったが、私はそれらに、全て正直に答えた。
 質問も終わり、兵士さんが帰ろうとした時、私は兵士さんに質問した。
「ねえ、なんで私の故郷は無くなったの?」
 兵士さんは、少し驚いたような、不気味がるような目をしながら、「分からない」と言った。

「なんで皆死んじゃったの?」

「なんで何も見つからなかったの?」

「本当に、私はあそこで暮らしてたの?」

「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」

 兵士さんは、怯えた目をして出て行った。代わりに、一人の男の人が入って来た。
 彼は私の前に座り、「すまない」と謝った。
「ねえ、なんで私の故郷は無くなったの?」
「我々に答えられる事は少ない。だが、『アレ』は厄災だ」
 それから、彼は淡々と話を続けた。神話に登場する、空の青を奪った魔女。彼女が世界の均衡を崩した事で、神々は彼女を殺そうとして、厄災を作った事。厄災は、十数年前、勇者によって倒された、魔王が封印していた事。勇者が魔王を殺した事で、厄災が解き放たれ、数年に一度、人の世を襲う事。そして、今回はその対象が、『偶々』私の村だった事。
 それでも、私は一つ聞きたかった。
「私は……本当にあそこで暮らしてたの?」
 私の問に、彼は少し間を置いて答えた。
「私は君を知らない。だが、あそこで一つ見つけた物があった。これがもし、君の知る誰かの私物なら、答えになるだろうか」
 そう言って、彼は一つ、布で包まれた何かを差し出して来た。私は、それを恐る恐る開いた。もし、これが私の知らない何かだったら?もし、これが彼が用意しただけの、只の売り物だったら?
 最後の一枚を捲った時、私は目を見開いた。
「これは……」
 この十字架に、私は見覚えがあった。シスターがいつも身に着けていた、銀で出来た十字架だ。
「恐らく、君の村の聖職者の物だろう。壊れた建物の中で、確かに輝いていたんだ」
 私はそれを聞いた途端、あの村であった事、その全てを思い出した。記憶の欠けた部分でさえ、色鮮やかに、美しく、確かに、思い出は蘇った。自分は、あそこで過ごしたのだと、そう感じるに足る物だった。
 私は、涙を流しながら、自分の存在を確かめる。
「私は……私は……」

 あの村で生まれた、魔法を使える人間。ライラだ。
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