さよなら自分

柚稀

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さよなら自分

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 「おい!金持って来いって言っただろ!」

 地面に倒れる。
 
 「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 腹を蹴られ、服が茶色くなる。地面に頭を擦り付けて顔がぐちゃぐちゃになるほどの涙と鼻水を垂らし何度も何度も謝る。

 「チッ……今度はもっと痛い目にあうからな」

 足音が小さくなっていく。恐怖が和らいでいく。
 必死にバイトをして貯めたお金を取られるのは、苦痛だ。蹴られるより、殴られるより……何より自分の生活に深く関わるから。
 鞄を抱きしめ、ビクビクしながらボロボロの家に帰った。
 男手ひとつで育ててくれた父は去年過労死してしまった。
 なんで、僕を置いて逝ってしまうんだ……僕は何も親孝行が出来ていないのに……。

 「ねぇ、昨日ウチの学校の生徒が暴力沙汰にあったらしいよ」
 「マジ?超怖いんだけど」
 「気をつけないとだね」

 暴力沙汰……そんなの毎日のようなことだ。僕にとっての普通。

 「おい幸人!今日は持ってきたんだろうな?」
 「……なにも無い」
 「は?」
 「お前らにやるもんなんて、なんもねぇっつってんだよ!」
 「……てめぇ、調子に乗ってんじゃねえぞ!」

 殴られる前にみぞおちに一発、二発と思いっきり殴った。今までしてきたことを後悔させるほどに……。微かな声で謝る不良を無視し、大股で家に帰った。
 夜、大抵の人は眠りに入った頃に裏通りで歩いている男達を何人も殴った。幸人のストレス発散のために……自分が消えるために……。
 どうしたらいいんだ。どうしたら幸人のストレスを無くしてやれる……もっと考えろ、もっと……。

 「信二?おひさー」
 「健人」
 「お前また出てきたのか」
 「幸人の周りにはクズしかいなくて……」
 「そうか……良かったらうちに来ない?俺、一人暮らしだから寂しいんだよね」
 「……いいのか?」
 「いいんだよ」

 お世辞にも、立派とは言えないアパートに招待された。だが、隙間風が多く冬には極寒になる自分の家に比べれば立派に見える。

 「また、金たかられたのか?」
 「まあな」
 「本当にろくな奴がいないな」
 「……なぁ俺はこれからどうすればいい?幸人のストレスを無くすにはどうすればいい?健人はどうしたんだ?」
 「簡単なことだよ。学校を辞めればいい」
 「……えっ?」
 「だから、学校辞めてそいつらと縁を切ればいい」
 「でも……いいのかな?」
 「そいつらと関わってなかったらここにお前はいないよ」
 「……どうしたら辞められる?」
 「辞める理由を言って退学願いを出せばいい」
 「辞める理由……」
 「適当でいいんだよ」
 「それで本当に幸人のストレスが無くなるのか?」
 「原因がそれならな。まぁ、その後は俺に任せとけ。ここに住んでもらえばいいし、バイトもしてるから金には困らないでしょ」
 「……分かった。あとのことは頼む」

 担任、主任、校長と話をして、退学願いを出して数日後に学校から電話で手続きが終わったことを伝えられた。私物は退学願いを出した日に全て持ってきていたため、学校に行く必要は無かった。
 退学してから数週間が経つ頃には健人の家に引っ越していた。
 あれから、俺が出ることは日に日に少なくなっていった。

 「ありがとな。お前がいなかったら、きっと俺はずっと幸人に辛い思いをさせていたと思う」
 「いいんだ。俺はお前らの気持ちも辛さも分かる。だから力になれて嬉しい。それに、幸人は信二がいてくれて良かったと思う」
 「……そう言ってもらえるのはありがたいが……きっともう俺はいなくなる。学校を辞めてから……健人と一緒に暮らし始めてから、幸人のストレスは少なくなっている。でも、やっぱり心配なんだ。また俺が出てくるかもしれないと思うと。だから、幸人のこと……頼む」
 「……分かった。任せとけ……だからお前は安心しろ。ありがとな。幸人を支えてくれて」

 次第にぼやけていく視界からいつしか雫が流れ、頬をつたって抱きしめてくれる健人の服に染み込んでいく。体を震わせながら嗚咽を漏らし、俺の声だけが静かな部屋に響き渡った。

 「僕を支えてくれてありがとう。僕はもう大丈夫だから安心して」

 幸人の気持ちが伝わってくる。そこには感謝の気持ちしかなかった。ただ「ありがとう」と。
 幸人の幸せともう自分が現れないことを願って俺は消えた。
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