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第二章~佐原邸
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駅前アーケードを出て、ひしめく住宅街に入るまでの十分足らずの道程で二人は、彌子がまとまった休暇により帰省していてあと二週間は街に留まること、孝彰の高校受験が来月に迫っていることなどを、駄洒落や内輪ネタを交えつつ語った。
懐かしい面子に挨拶を、とぶらぶらしていたらしき彌子なので、孝彰を見付けたのは半分は偶然で、半分は必然だった、とも。
当面の話題がそろそろ尽きそうになって、漸く佐原{さわら}邸、とはやや大袈裟だが、孝彰の自宅に辿り着いた。その両脇を固める折り込み広告掲載の典型のような建売住宅は、火事になったら紫の煙でも立ち昇りそうな謎の建材の塊に見える、とは彌子からの評論である。
「おかえり……まぁ! ミコちゃんじゃないの! あらあら! お久しぶりねぇ」
ぺらぺらの木造二階建てに張りついた両開きドアから孝彰の母親、佐原真理恵{さわら・まりえ}と、彼女から発せられた黄色い声が飛び出した。
「こんちわ、おじゃまします」
彌子が伸ばした指二本を右眉に当て、敬礼のようにお辞儀をすると、真理恵もそれを真似てから「後で挨拶してね」と云い、狭い入り口を譲った。
世代を越えるコミュニケーション。
二人のそんなやり取りは昔から変わらずであり、彌子の図々しさと真理恵の寛大さにより実現している、決してどちらの資質も欠かせない絶妙なものだった。
少なくとも孝彰は、自分の母親に対してそんなに図太く接することは出来ない。彌子は孝彰よりもずっと真理恵と親しく見え、しかし真理恵は彌子に対して、親子や娘というよりも友達のような態度が常だった。
スニーカを脱ぎ散らかして玄関脇の急勾配階段を昇る孝彰の背に、
「タク、ジュースでも持ってこようか?」
と真理恵が声を掛ける。
「うん、お菓子あったかな?」
「クラッカーでいいの? 朝ご飯の」
「いいよ」
穴蔵のような階段室を抜けると、途端に目の前が広がる。
階段は廊下を介さず直接居間に繋がっていた。
二階に設えられたその板張りの居間には、小さな天窓による頭上からの採光と、構造的制限の許す限り穿たれた引き込み窓によるちょっとした眺望があり、佐原邸は外観から受ける印象以上に慎重で丁寧な造りになっていた。こちらも彌子の科白で、昔も似たようなことを言っていた覚えがある。
孝彰は別の住宅、例えばクラスメイトの家などにあまり出向かないので比較対象がなく、そんなものかな? と昔も今も首を傾げるだけだった。
彌子を壁際のソファに案内し、孝彰は駆け足で居間を出ていった。
適度に硬い革張りのソファに腰掛けた彌子は、ふむ、となにやら唸りつつ、ぐるりと周囲を見渡す。
白漆喰を塗りこんだ壁と天井。
くすんだ床板には小さな傷が幾つかある。薬によるわざとらしい艶や、日の丸の地のような科学的白さは何処にも見当たらず、そこはリビングではなく、暖かさを込めて、居間と呼ぶのが相応しい。
数少ない調度品は木の素地色でまとめられていたので、大きなテレビモニターや凝った音響設備を始めとする家電製品の黒さがちぐはぐに見える。
これらは孝彰の父親、佐原孝一
さわらこういち
によるもので、彼のオーディオマニアっぷりの変わらずに、彌子はにやにやした。偉そうなウーファーの上に座る手縫いの兎人形達が真理恵婦人のささやかな抵抗を物語っていたが、戦況は芳しくない様だった。
「どお? 懐かしの我が家は?」
小皿とグラスを大振りの木卓に載せて現れた真理恵は、意味ありげに微笑んだ。
彌子は「落ち着くねぇ」としゃがれた声を上げ、背もたれに反り返った。
「何処となく品があるんだよね、真理恵さんの趣味はさ」
今度は枯れた風に。
「ふふ、らしいこと云うのね。孝一さんのお陰よ」
「店舗デザインには品なんてもの、ないない。だからやっぱり真理恵さん」
「ありがとう。私、買い物に出掛けるけど、ゆっくりしていってね」
指を額に翳してから真理恵は降りていった。入れ違いで、手書きラベルを張り付けたビデオテープを数本抱えた孝彰が戻ってきた。
「真理恵さん、出掛けるってさ。買い物だってよ」
「うん。ミコ、今日は何時までいられる?」
云いつつ孝彰はクラッカーの載った小皿を肘で押しやり、木卓にテープを並べる。テープは全部で五本あった。
「十八時、かな」
「それだけ?」
孝彰の表情がふっと陰ったのを見て取った彌子は、ぱちんと手を合わせた。
「すまん! 暇ってのは本当なんだが、外せない野暮用があってね。都合、悪い?」
顔をしかめた孝彰は腕を組み「うーん」と唸る。
「じゃあ、どれにしよう……」
「どれ? ビデオのこと?」
お伺いを立てるような低さから彌子は見上げた。
「うん。どれも面白いからさ、困ったなぁ」
孝彰は、花嫁を決めるかのごとき慎重さでラベルを順番に見比べる。彼の独り言に彌子は「なんだ」と呟き、安堵の溜め息を吐いた。繊細なんだか単純なんだか、年頃の子供は良く解からん、そんな意味の溜め息を。
「おいおい、タクさんよぉ」
五本を三本にまで絞り込んで、しかしそれからどうしても進めない孝彰に、彌子は唇の端を釣り上げて云った。
「このあたしに二番や三番を拝ませようなんて、そんなつもりじゃあ無いだろうねぇ」
上目遣い。孝彰は一瞬きょとんとして、
「……ああ! そうだね!」
弾けるように笑った。
「うむ。解かれば宜しいぞな」
彌子は冷えたオレンジジュースを大袈裟に呷{あお}り、クラッカーを頬張った。真似るように喉を潤した孝彰は、今度は微塵の躊躇もなく一本のビデオテープを取り上げ、ラベルを彌子に向けた。
「これ。これが一番……」
「一番?」
「カッコイイんだ!」
そこには孝彰の手書きらしい不揃いな字で『ハイナイン・プラス 1、2』、その下の方に『消すな』と記されていた。
今時にビデオテープを記録媒体に選ぶ辺りがオーディオマニアの息子らしい、そんなことを思った彌子だったが、当然口にはせず、ただ「へぇ」と返すだけだった。
懐かしい面子に挨拶を、とぶらぶらしていたらしき彌子なので、孝彰を見付けたのは半分は偶然で、半分は必然だった、とも。
当面の話題がそろそろ尽きそうになって、漸く佐原{さわら}邸、とはやや大袈裟だが、孝彰の自宅に辿り着いた。その両脇を固める折り込み広告掲載の典型のような建売住宅は、火事になったら紫の煙でも立ち昇りそうな謎の建材の塊に見える、とは彌子からの評論である。
「おかえり……まぁ! ミコちゃんじゃないの! あらあら! お久しぶりねぇ」
ぺらぺらの木造二階建てに張りついた両開きドアから孝彰の母親、佐原真理恵{さわら・まりえ}と、彼女から発せられた黄色い声が飛び出した。
「こんちわ、おじゃまします」
彌子が伸ばした指二本を右眉に当て、敬礼のようにお辞儀をすると、真理恵もそれを真似てから「後で挨拶してね」と云い、狭い入り口を譲った。
世代を越えるコミュニケーション。
二人のそんなやり取りは昔から変わらずであり、彌子の図々しさと真理恵の寛大さにより実現している、決してどちらの資質も欠かせない絶妙なものだった。
少なくとも孝彰は、自分の母親に対してそんなに図太く接することは出来ない。彌子は孝彰よりもずっと真理恵と親しく見え、しかし真理恵は彌子に対して、親子や娘というよりも友達のような態度が常だった。
スニーカを脱ぎ散らかして玄関脇の急勾配階段を昇る孝彰の背に、
「タク、ジュースでも持ってこようか?」
と真理恵が声を掛ける。
「うん、お菓子あったかな?」
「クラッカーでいいの? 朝ご飯の」
「いいよ」
穴蔵のような階段室を抜けると、途端に目の前が広がる。
階段は廊下を介さず直接居間に繋がっていた。
二階に設えられたその板張りの居間には、小さな天窓による頭上からの採光と、構造的制限の許す限り穿たれた引き込み窓によるちょっとした眺望があり、佐原邸は外観から受ける印象以上に慎重で丁寧な造りになっていた。こちらも彌子の科白で、昔も似たようなことを言っていた覚えがある。
孝彰は別の住宅、例えばクラスメイトの家などにあまり出向かないので比較対象がなく、そんなものかな? と昔も今も首を傾げるだけだった。
彌子を壁際のソファに案内し、孝彰は駆け足で居間を出ていった。
適度に硬い革張りのソファに腰掛けた彌子は、ふむ、となにやら唸りつつ、ぐるりと周囲を見渡す。
白漆喰を塗りこんだ壁と天井。
くすんだ床板には小さな傷が幾つかある。薬によるわざとらしい艶や、日の丸の地のような科学的白さは何処にも見当たらず、そこはリビングではなく、暖かさを込めて、居間と呼ぶのが相応しい。
数少ない調度品は木の素地色でまとめられていたので、大きなテレビモニターや凝った音響設備を始めとする家電製品の黒さがちぐはぐに見える。
これらは孝彰の父親、佐原孝一
さわらこういち
によるもので、彼のオーディオマニアっぷりの変わらずに、彌子はにやにやした。偉そうなウーファーの上に座る手縫いの兎人形達が真理恵婦人のささやかな抵抗を物語っていたが、戦況は芳しくない様だった。
「どお? 懐かしの我が家は?」
小皿とグラスを大振りの木卓に載せて現れた真理恵は、意味ありげに微笑んだ。
彌子は「落ち着くねぇ」としゃがれた声を上げ、背もたれに反り返った。
「何処となく品があるんだよね、真理恵さんの趣味はさ」
今度は枯れた風に。
「ふふ、らしいこと云うのね。孝一さんのお陰よ」
「店舗デザインには品なんてもの、ないない。だからやっぱり真理恵さん」
「ありがとう。私、買い物に出掛けるけど、ゆっくりしていってね」
指を額に翳してから真理恵は降りていった。入れ違いで、手書きラベルを張り付けたビデオテープを数本抱えた孝彰が戻ってきた。
「真理恵さん、出掛けるってさ。買い物だってよ」
「うん。ミコ、今日は何時までいられる?」
云いつつ孝彰はクラッカーの載った小皿を肘で押しやり、木卓にテープを並べる。テープは全部で五本あった。
「十八時、かな」
「それだけ?」
孝彰の表情がふっと陰ったのを見て取った彌子は、ぱちんと手を合わせた。
「すまん! 暇ってのは本当なんだが、外せない野暮用があってね。都合、悪い?」
顔をしかめた孝彰は腕を組み「うーん」と唸る。
「じゃあ、どれにしよう……」
「どれ? ビデオのこと?」
お伺いを立てるような低さから彌子は見上げた。
「うん。どれも面白いからさ、困ったなぁ」
孝彰は、花嫁を決めるかのごとき慎重さでラベルを順番に見比べる。彼の独り言に彌子は「なんだ」と呟き、安堵の溜め息を吐いた。繊細なんだか単純なんだか、年頃の子供は良く解からん、そんな意味の溜め息を。
「おいおい、タクさんよぉ」
五本を三本にまで絞り込んで、しかしそれからどうしても進めない孝彰に、彌子は唇の端を釣り上げて云った。
「このあたしに二番や三番を拝ませようなんて、そんなつもりじゃあ無いだろうねぇ」
上目遣い。孝彰は一瞬きょとんとして、
「……ああ! そうだね!」
弾けるように笑った。
「うむ。解かれば宜しいぞな」
彌子は冷えたオレンジジュースを大袈裟に呷{あお}り、クラッカーを頬張った。真似るように喉を潤した孝彰は、今度は微塵の躊躇もなく一本のビデオテープを取り上げ、ラベルを彌子に向けた。
「これ。これが一番……」
「一番?」
「カッコイイんだ!」
そこには孝彰の手書きらしい不揃いな字で『ハイナイン・プラス 1、2』、その下の方に『消すな』と記されていた。
今時にビデオテープを記録媒体に選ぶ辺りがオーディオマニアの息子らしい、そんなことを思った彌子だったが、当然口にはせず、ただ「へぇ」と返すだけだった。
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