光速勇者ハイナイン・プラス

飛鳥弥生

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第七章~君の勇気、僕の勇気

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 相も変わらず閑散とした駅前ロータリー。
 早朝ということもあり辺りには人っ子一人いなかった。客となるべき人がいないのだから、当然タクシーもなりを潜めている。
 自転車を駅前のプレハブ駐輪場に預け、孝彰は横断歩道を渡りアーケードの向かいにある平屋の駅舎に向かった。
 ロータリーの中央に威風堂々と佇む、所々枯れた花時計は七時の少し前を指していたが、そのくたびれ具合には時計という精密な印象は薄く、孝彰は駅舎の壁に掛かる、どこからか寄贈された丸時計で時刻を再確認せずにはいられなかった。
 鉄骨平屋の駅舎は最近改装されたばかりなのでぱっと見は奇麗だったが、歴史ともいえるほどの時間はペンキなどではごまかしきれなかったようだ。コンクリート床は渋味とも呼べそうな不思議な色をしており、そこを歩いたであろう無数の人々のくすんだ足跡が刻み込まれている。
 天井から吊るされた発車時刻の電光表示を確認してから孝彰は、駅舎の改札横に並べられた広告入りの黄色いベンチに腰掛け、膝の上に黒いスポーツバッグを載せた。
 スポーツバッグの右ポケットからナイロン製のウォレットを取り出し、そこから緑色の切符を二枚抜いて印刷された文字と電光表示を見比べる。
 二番線、七時十五分発エクスライナー、まだ時間があるので車両は到着していない。
 このエクスライナーという特急電車には以前、家族旅行の時に乗ったことがあった。
 スカイブルーにペイントされた車両は近未来的な流線形デザインで、特に子供に人気があり、孝彰のお気に入りでもある。古びた車両の居並ぶこの駅にエクスライナーが滑り込むさまは、何度見ても息を呑む思いであった。そこには、いかだと原子力潜水艦ほどの開きがあるのだ。
 孝彰の街から試験会場である近郊の市街地までの特急券と自由席乗車券は、真理恵が先週末に準備してくれたものだった。到着は八時三十五分となっていて、これはちょっとした旅行だな、と孝彰は切符を眺めて改めて思う。試験会場は下車して徒歩で五分程度だ。

 そもそも孝彰の志望高校は、自転車で四十分程度の通学圏内に位置していた。
 その高校は市街地の方にある工科大学、今回の試験会場への進学校だった。近年急増した受験者をその高校が、さばき切れなくなり、そんなこんなで遂に二年前から会場を近郊の工科大学へと移したのだった。
 しかしこれはその高校に入学し、そのまま工科大学へと進む数多くのものにとっては、大した違和感ではなく、むしろ当然とさえ思われている節があった。
 残念ながら佐原一家はそれほど先を見据えた選択をした訳ではなかったので、試験会場が大した遠方の工科大学だと知った時には少なからず驚いたものだ。誰より、孝彰自信が。

 鉄骨天井に取り付けてある拡声器型のスピーカから、七時を示すくぐもった時報が聞こえた。
 孝彰は切符を仕舞いベンチから腰を浮かし改札越しにホームを見たが、エクスライナーらしき車両はまだ来ていなかった。気になって再び電光表示を見ると、ちゃんと到着時刻が記されていた。
 エクスライナーは七時十二分到着となっている。少し早いがホームに向かおうと、孝彰は黒いスポーツバッグを担いだ。余裕を持って行動しろと担任も云っていたことだし。
 孝彰はいささか緊張した面持ちで改札目掛けて歩き出し、しかしすぐに「あっ」と声を上げて立ち止まった。重要な事をすっかり失念していたのだ。
 今日は木曜日。
 木曜日といえば『ハイナイン・プラス』の日である。放送時刻の午後五時には恐らく僅かに間に合わないからタイマー録画をしなければならないのに、それを忘れてしまったことに気付いたのだった。
 孝彰は手近に古びた公衆電話を見付け、テレホンカードをねじ込むと忙しくダイヤルした。オーディオに限らず機械にはからきし弱い真理恵だが、どうにかビデオデッキのタイマー録画を頼まなければならない。
 ぷるぷるというコール音を聞きながら孝彰は、どういった手順でそれを説明しようか懸命に考える。三回目のコールの途中で回線が繋がった。
「……佐原です」
 受話器からのその声に、孝彰は思わず息を止めてしまった。
 それは確かに真理恵には違いないのだが、しかし同時にとても真理恵だとは思えないほど低く押し殺したものだった。ぞっとした、というのが正直な感想だ。つい十五分前に聞いた真理恵の声がたとえ電話回線を通しているとはいえ、こうも変わるものなのか? 殆ど別人じゃあないか。
「あの……孝彰、だけど……」
 間違い電話の可能性を捨て切れなかったので孝彰はおずおずと名乗る。一瞬の沈黙を置き、受話器から悲鳴にも近い真理恵の声が響いた。
「タク! タクなの? 何て! ……良かった」
 震える声、泣いているらしい。でも、どうして?
「あの……母さん?」
 受話器を強く握り、耳にめり込ませる。徐々に鼓動が増して行くのがはっきりと解った。
「タク、あのね……。とっても大事な日だって解るから、云わない方がいいかも知れないけど……でもやっぱり伝えておいた方がいいと思うの。だから……」
 真理恵は酷く混乱しているようで、孝彰は「何?」と返すのが精一杯だった。派手な鳴咽をやり過ごし、真理恵は振り絞るように云った。
「……孝一さん、事故で病院に運ばれたって、さっき電話があったの」
 孝彰は後頭部を力いっぱい殴られたようなショックを受け、その手から受話器が抜け落ちそうになった。家を出る時のあの電話だ。
「事故って……?」
「私は……そう、今から病院に行ってくるわ。今日中に戻れるかどうか解らないから、家に帰ったら病院に電話してちょうだい。病院の住所と電話番号は書き置きしておくから――」
「僕も行くよ!」
 孝彰は受話器目掛けて怒鳴り付けた。訪れた暫しの沈黙は、孝彰には一時間くらいに感じられた。
「ねえタク……私、解らないのよ。孝一さんがどんな容体かも知らないから、タクにどう云ったらいいのか」
 泣き声の間に言葉を挟むようだった。
「試験を頑張って欲しけど、もし孝一さんが……」
 真理恵の言葉が切れ、孝彰の思考は音を立てるほどに駆け巡った。
 今、この瞬間に自分がとるべき行動とは一体何なのか? どうするのが最も正しいのか、どれならば後で悔やまずに済むのか。そして、今の自分には果たして一体何が……出来るのか。
 そこまで考えた時、唐突に冷静さが戻った。頭に上った血がさっと引き、孝彰は小さく深呼吸してから受話器を握り直す。エクスライナーの到着を知らせるアナウンスが駅舎全体に静かに響いたが、無視した。
「母さん、今から帰るよ。僕も一緒に病院に行く。そうしたい……いい?」
 発した声の落ち着きぶりに孝彰自身が驚いた。
「……ええ、解ったわ。タク……ありがとうね……ごめんね」
 かちゃりと音を立て受話器を置く。孝彰は公衆電話の前に立ったまま両目を閉じ、深い呼吸のもとで少しだけ考えた。
 どうだろう? これで良かったのか……。やがてゆっくりと目を開き、そして――
「いいに決まってるよ!」
 全力で駆け出したのだった。
 七時十五分、特急エクスライナーと入れ違いで孝彰の自転車が駅を出た。

 自宅前には黒塗りのタクシーが停車しており、その傍らに真理恵がいた。
 息を切らした孝彰は自転車を玄関脇に放り込むとすぐに、真理恵にならってタクシーに飛び込んだ。
 真理恵がぼそぼそと行き先を告げ、若い運転手の操るタクシーはするすると発進した。全力疾走してきた孝彰は、喘ぐような息遣いの横目で真理恵を窺う。
 ベージュのスカートに臙脂色のブラウス、その上にダークグレイのダッフルコートを羽織っている。普段の薄い化粧は当然無く、その表情は蒼白の一言だった。しきりにまばたきを繰り返し、たっぷりとした唇は僅かに開いたまま何事かを呟いている。普段のあの笑顔は欠片も見当たらない。
 すぐに住宅街を抜けたタクシーは、幹線道路に出てそのまま南下して行った。それはつい先程まで孝彰が向かおうとしていたのとちょうど正反対で、駅前ロータリーはどんどん遠ざかって行く。
 車窓から覗く反対側、市街地方向の車線はいつもの如く物凄い渋滞だった。数メートル進んでは止まり、をひたすら繰り返している。これが午前中ずっと続くのだ。孝彰はこちら側が空いていることを心底ありがたいと思った。
 車の流れは順調で、タクシーは二十分ほどで目的地の病院に辿りついたが、孝彰と真理恵はとうとう一言も言葉を交わさなかった。

 そこは救急患者を受け入れる総合病院だった。
 幹線道路から道一つ入った所にあり、広々とした車寄せと生い茂った緑を持つ静かな病院は、それでもやはり少しだけ気味が悪かった。静けさは不吉さをも同時に与えるのだ。
 正面入り口から建物に入った二人はロビーに面した受付に赴く。
 真理恵が受付のガラス小窓に顔を寄せ囁くように二言三言発すると、すぐに真っ白な女性看護師が一人、スリッパをぱたぱたと鳴らしながら駆けてきた。二人はそのナースに連れられて広々としたエレベータに乗り、三階の小さな病室に案内された。
 スライドドアをくぐり病室に入ると、医師らしき痩躯の男と看護師が三人いて、二人に気付いた面々が両脇に退くと、硬そうなシーツに包れて眠っている父親、孝一の姿があった。
「孝一さん!」
 両手を口に当てた真理恵が駆け寄る。が、孝彰は入り口から一歩も動かなかった。いや、動けなかった。
 孝一の傍に膝を突いた真理恵は、両目一杯に涙を浮かべ医師を仰ぎ見る。病室が異様な雰囲気で満たされ、孝彰は息をするのも忘れる思いだった。
「大丈夫ですよ」
 痩躯の医師はそう云ってから小さく頷いた。それを聞いた真理恵はへなへなとその場に座り込み、まるで空気の抜けて行く風船のように孝彰には見えた。
 崩れ落ちるように腰を落とした真理恵をナースが助け起こし、小さな丸椅子をあてがってから「御気分が優れない様なら……」と声を掛けた。真理恵は首を振って申し出を断り、かすかな寝息を立てる孝一を見詰めた。
 頭を包帯でぐるぐる巻きにされ、口には呼吸器、左手には点滴が繋がっている。が、胸の辺りが僅かに上下し、孝一の健在を暗に示していた。
 医師は膝を落として真理恵を向き、
「意識が戻るまでもう少し掛かりますが、命に別状はありません」
 と柔らかな口調で云った。真理恵は止めど無く溢れる涙を拭うこともせず、こくこくと頷いていた。

 暫くして、真理恵が落ち着きを取り戻した頃、医師は状況と容体を掻い摘んで説明した。
 それによると、孝一は今朝、今手がけている店舗物件の建設現場で、落下してきた鉄骨材の直撃を受けたらしかった。それが頭部だったこともあり、運び込まれた時はかなり危険な状態だったそうだ。
 すぐに病院に運ばれたことが幸いした、と医師は包み隠さず語った。先の、命に別状はない、という説明は半分は正しく、半分は状況を見た上での彼なりの判断だったようだ。
 一通り説明が終わり、二人を残し医師とナースは病室を出た。混乱と疲労でくたくたになった真理恵は孝彰を傍に呼び寄せ、頭を軽く撫でた。
「もう大丈夫だから、タクはお家に帰ってなさい。あとは私がするから、ね?」
 その声色には既に生気が戻りつつあった。孝一の寝顔と真理恵を交互に見て、孝彰は小さく頷いた。
 安堵した真理恵の様子に、孝彰は駅の公衆電話で自分がどんな判断をしたのか、そして、その判断に基づいた孝彰の役目はどうやら無事に終わったらしいことに気付いた。
 そう、孝彰は何としてでも真理恵を助けたかったのだ。
 子供の自分に何が出来るでもないが、それでも必死に真理恵を支えようとしたのだった。ただ横にいただけでどれほど役に立ったのかは孝彰には解らなかったが、ともかく、乗り切ったようだ。

 孝彰は病室を出てエレベータに乗り、一階のロビーに向かった。
 受付のナースが会釈をしたのでぎこちなく返すと、小窓の上に掛けてある時計が八時五分を示しているのが目に入った。今頃、エクスライナーはどの辺りだろう、そう考えると腹の辺りにずしりとくるものがあった。
 自身の取った行動が間違いだとは思わなかったが、しかし、捨て去ったものがどれほどなのか、それもまた実感するしかなかった。真理恵が電話口で云った「ごめんね」という科白が頭を過ぎる。あの言葉の本当の重みを、孝彰は今になって痛感したのだ。

 表の車寄せに出ると、先程は不気味と感じた緑が幾らかすがすがしく見えた。或いは励ましてくれているようにも。
 孝彰は必死に考えた。
 自分は決して間違っていないし、誰も悪くない。何もかも上手く行ったんだ、そう自分を納得させようとした。孝一は無事で真理恵が安心したのなら良いし、受験はやり直しがきくじゃあないか……。
 だがその甲斐空しく、遂にそれは悔し涙となって零れた。
 いっそ誰かが悪ければ楽だったのだろう、誰かに責任を押し付けられれば気が晴れただろう。孝彰はそんな誰かをとうとう見付けられず、結果、自分を嘲
あざけ
ることしかできなかった。
 車寄せの脇にある数段の階段に腰掛け、がっくりとうなだれることしかできなかった。
 渦巻く感情の果てで孝彰は、ふと思った。

 こんな時にもしも……。

 小鳥の囀りに混じって、ずっと遠くに何かが聞こえた。どうやら幹線道路を走る車の音らしい。どうともなく聞いていた地鳴りのようなそれは徐々に大きくなり……遂に!
「うわっ!」
 突然全身を襲った爆音に、孝彰は思わず両耳を塞いで飛び上がった。音というよりもそれは衝撃波に近かった。
 鼓膜はいうに及ばず、胸板のあたりまでも巨大な足で蹴られたようで、体が大袈裟に仰け反った。
 孝彰の目の前、車寄せに巨大なバイクが猛速度で横滑りしてきたのだ。
 数メートルを滑ったタイヤがアスファルト舗装に真っ黒な筋を刻み、白い煙がもくもくと立ち昇る。無骨な機械の塊といった風情のその黒いネイキッドバイクは一際大きな咆哮を上げると、唐突に静まった。
 何が何やらさっぱり解らない孝彰はぽかんと口を開けたまま、その巨大なバイクを見詰めた。
 ここは静かな病院であり、喧しい限りのそのネイキッドバイクは場違いどころの騒ぎではなかった。
 しかし次の瞬間、孝彰は今度こそ目玉が飛び出るほど驚いた。
 バイクと同じ色のツナギをまとったヘルメットのライダーは、孝彰に向け別のメットを放り投げると、右手で自身のフルフェイスのシールドを跳ね上げ、そしてこう云ったのだ。
「タク! まだ間に合うぜ! 早く乗れ!」

 ――神和彌子だった。
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