青と蒼 〜フォークのあとで

ハマジロウ

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第1章

穏やかな日常

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佐伯青 大学4年 春


青は大学4年になり、蒼太は同じ大学の3年。

同棲生活は順調で、今日も一日が始まる。


青は毎朝5時50分に目が覚める。

元野球部で培ったリズムは変わらない。



ジョギング前の軽いストレッチをしながら、

寝室のドアをそっと開ける。



「蒼太、走り行くぞ。……起きれるか?」



布団の中で、蒼太がぼそっと動く。



「ん……先輩……今日は無理……」



蒼太はバイトが続いていて、

帰宅も遅かった。

疲れが抜けていないのは一目でわかる。



青は、無理に起こそうとはしない。



「そっか‥‥‥。じゃ、鍵閉めていくからな」




蒼太は半分寝ながら、

かすかに手を伸ばした。



「ごめん……先輩と走りたいのに……」



その声に、青の胸が少しだけ痛む。



玄関でランニングシューズの紐を締めながら、

青は小さく息を吐く。



(……蒼太、前は毎朝ついかてきてたのにな)



でも責める気持ちはない。

むしろ頑張っているのを知っているからこそ、

言えない。



「……いってきます」



誰も聞いていない部屋にそう言って、

いつものジョギングコースへ走り出す。



身体は軽い。

けれど胸の奥は、

少しだけぽっかりしていた。



(隣にいるはずの奴がいないだけで、

 こんなに違うもんか……)



走りながら、

そんな自分に気づいて苦笑する。




その頃、

部屋の中では蒼太が布団の中で目を覚ます。



「……先輩、もう行っちゃったか……」



眠気と疲れで起きられなかったことを

後悔しながら、

青のいない布団の温もりに手を置く。



「ほんと僕、

先輩と一緒に走りたいくせに……」



自分の弱さに、ほんの少しだけ落ち込む。




青が汗を拭きながら玄関を開けると、

蒼太がキッチンで朝食の準備をしている。



トースターの前でぼんやり立ちながら、

蒼太が申し訳なさそうに振り返った。



「……先輩、おかえりなさい。

 起きれなくて、ごめんなさい」



「なに謝ってんだよ。

疲れてんだから当然だろ」



「でも……先輩と走りたかった」



青は少しだけ目をそらして、

タオルで首元を拭きながら言う。



「その気持ちだけで十分だよ。

 ……出来るときでいいから」



「……先輩、ちょっとだけ寂しそう」



「気のせいだっつってんだろ」



蒼太はくすっと笑って、近づいてくる。



そして青のTシャツの裾をそっとつまむ。



「僕、頑張って起きられるようにします。

 ……先輩と一緒にいたいから」



青はその一言に、

胸がじんわり熱くなる。



(ほんと、ずるいくらい可愛いな……)



「……じゃあ明日は5分だけ早く起こしてやる」



「どんな優しさですかそれ!」



「文句あるなら起きろ」



「はーい」



ジョギングから戻ったあと、

ふたりは簡単な朝食をテーブルに並べる。



トーストを半分こしながら、

今日の予定をいつものように確認する。



「俺、今日は1限からだからもう出るぞ。

 レポート提出もあるし、

 早めにキャンパス行くわ。」



「‥‥僕は2限からだから……

 あと片付けと洗濯、やっときますね」



「そうか。蒼太、いつもありがとな」



ふいに言うその「ありがとな」が、

蒼太にはどうしようもなく刺さる。



同棲に慣れてきても、

青はどんな小さなことでも必ず礼を言う。



――この人と暮らせてよかった。



蒼太はそう思わずにはいられなかった。



「あ、先輩。僕、今日バイトあります。

 帰るの21時くらいになるかもです」



「そうか。無理してないか?

 授業も忙しいだろ」



「大丈夫ですよ。

 先輩よりはまだ余裕ありますから」



そう言う蒼太の目の下には、

少しだけクマがある。



青は気づいているけど、

あえて深く言わない。



「……じゃあ夕飯作っとくな。

 帰ってきたら温めるだけで

 食えるようにしとく」



「ありがとうございます……!

 あの、先輩は……先に食べててくださいね。

 帰ってきたらちゃんと食べますから」



青は慌ただしく用意をしながら



「わかった。じゃあ、行ってくる!」



蒼太はくすっと笑って、

青の腕にそっと触れた。



ほんの一瞬の触れ合い。

それだけで、

ふたりの距離は自然と近くなる。



「……先輩、いってらっしゃい!」



扉が閉まるまで、

蒼太はずっと青の後ろ姿を見送っていた。



その視線は、

まるで何年経っても変わらない“好き”

そのままだった。




* * *



大学キャンパスの大講義室。



教育学部必修の講義は、

人が多すぎていつものように

前列には座れなかった。



教授の声が遠く聞こえる中で、

青はノートを取りながら、

ふと意識が逸れる。



(……大学もあと一年で卒業か)



気づけば4年間はあっという間だった。



蒼太と一緒に暮らし始めてからは、

なおさら日々が早く過ぎていく。



(卒業したら、俺……どうするんだろ)



就職すれば、生活リズムは確実に変わる。

家に帰る時間も、自由な時間も、

大学の今とは違う。



そして――

蒼太との同棲生活は、どうなるんだろう。



その瞬間、

胸の奥がぎゅっと締めつけられた。



(……高校卒業のとき、

 あいつと離れるのがあんなに辛かったのに)



引っ越しで離れ離れになったときの寂しさが、

ふいに蘇る。



蒼太への想いは、

あの頃よりずっと強くなっている。

変わるどころか、

むしろ重さを増し続けている。



毎朝起きて隣にいること。

帰ったら「先輩、おかえり」と言われること。

それが当たり前になっている自分に気づく。



(……離れたくねぇな)



ぼそりと心の中でつぶやき、

青は小さく息を吐いた。



だがその瞬間――



(はっ……やべぇ。

もうすぐ、

教育実習と教員採用試験じゃん!)



急に現実に戻される。



就職は甘くない。

教師になるには試験も実習も

乗り越えなきゃならない。



(あー……色々考えても仕方ねぇ。

とりあえず‥‥)



青はノートを閉じて、ため息。



(……今日の晩飯、何作るか決めねぇとな)





その時、隣から肘で軽くつつかれる。



「おい佐伯、なんだよその顔。

悩んでんのか?」



「あ? いや……今日の夕飯、

 何作ろうかなって考えてただけ」



「……は?」



一瞬の沈黙のあと、友人が爆笑した。



「おいおいおい! 

 お前もう既婚者じゃねぇか!!

 夕飯の心配して講義聞いてねぇ大学4年、

 初めて見たわ!」



「うるせぇよ……ちゃんと聞いてたわ」



「はいはい、

 どうせ今日も“蒼太くん”の分だろ?

 なんだよその新婚生活かよみたいな会話」



「違ぇし。普通だろ、同棲なんだから」



「普通じゃねぇわ! 甘すぎて虫歯できるぞ!」



「お前が勝手に甘くしてんだろ」



と言いつつ、

青の口元はかすかに緩んでいた。



友人の茶化しで、少しだけ気が楽になる。



(……まあいいや。

 今日は蒼太の好きなやつ作ってやるか)



講義の終わりを告げるチャイムが鳴った。



青はゆっくり席を立ちながら、

胸の中の“未来への不安”と

“蒼太への想い”を

静かに整えるように深呼吸した。



* * *



夕方



蒼太は大宮駅前のカフェでバイトしていた。



午後の陽射しに照らされた

ガラス張りの店舗は、

どこか柔らかい雰囲気で居心地がいい。



蒼太は制服のエプロンを締めながら、

いつものようにキッチンのスタッフに

軽く挨拶する。



「お疲れさまです!」



「おつかれー、岡谷くん!」



蒼太は

高校からずっと運動部で鍛えた体力と

元からの愛想の良さがあり、

常連客にもバイト仲間にも

すぐに溶け込んでしまった。





ピークを過ぎた店内。

常連のおじいさんがコーヒーを飲み終え、

ゆっくり席を立って帰っていく。



「ありがとうございました。

またお待ちしてます」



「いつも元気だねぇ。頑張りなよ、岡谷くん」



そんな言葉に、蒼太は自然と笑顔になる。



カフェの仕事は、意外と好きだ。

スタッフ同士も仲が良く、居心地がいい。

小さなコミュニティの中で、

人と触れ合うのが楽しい。



お客さんが途切れ、

まったりした空気が店内に流れる。



蒼太は食器を下げながら、

テーブルを拭いていった。



バイト仲間の女の子が、

ちょっといたずらっぽい笑顔で

声をかけてきた。



「ねえ、岡谷くんってさ……

 いま付き合ってる人いるの?」



「え? あ、はい。高校の時の先輩ですけど」



「えー! そうなんだ! なんか残念~」



「えっ!? なんでですか!」



後ろから皿を運んできた男バイトが

笑いながら口を挟む。



「だってお前、誘っても合コン絶対来ねぇし、

 モテるのになー」



「そ、そんなことないですよ! 

 合コンとか苦手なだけで……」



「彼女がいるから合コン行かないなんて、

 その先輩の彼女さん、幸せ者だね~」



「え、いや……」



そこに店長が顔を出す。



「ほらほら、

しゃべってないで片付け進める!

クローズ前に終わらないぞ」



バイト全員

「はーーい!」



みんな軽く笑いながら、

それぞれの作業に戻っていく。




蒼太は黙ってテーブルを拭きながら、

胸の奥がちくりと疼くのを感じた。



(……“彼女さん” か……)



でも蒼太は、

自分の関係を軽々しく

説明する気にはなれない。



『高校の先輩で、僕の……彼氏で』



そんな風にあえて訂正する勇気もない。

ここは仕事場で、

相手は友人というより“バイト仲間”。



だから、

なんとも言えない複雑な気持ちだけが残る。



(先輩……僕、嘘ついたわけじゃないけど……

 やっぱり言えないな……)



青の存在は誇りだ。



ただ――

“気軽に言えない現実” 

が胸の片隅にひっそり沈んだまま、

蒼太はまた黙々と片付けを続けた。





* * *



夜の21時過ぎ。



蒼太は重い足取りで、

アパートの階段をのぼった。

バイト終わりの疲れが、

じわじわ身体にのしかかっている。



玄関を開けると同時に、

あたたかい匂いが鼻に届いた。



「おかえり、蒼太。今日も遅かったな」



「ただいま……先輩」



疲れを隠そうと姿勢を正すが、

どうしても顔に出てしまう。



青はそんな蒼太を見て、

息を吐きながら微笑んだ。



「ほら。

今日は蒼太の好きなハンバーグ作ったぞ。

ちょうど焼けたところだ。一緒に食おう」



蒼太の目がわずかに揺れる。



「……え、

 先に食べててくださいって言ったのに。

 待っててくれたんですか……?

 すみません……」



「俺が待ちたかったから待ってただけだよ。

 謝んなって。

 帰ってくるの楽しみにしてただけだ」



蒼太の中の疲れが、

その言葉ひとつでふっと溶けるようだった。



「あ……そうだ先輩。

 バイト先の店長から

 新作のケーキもらいました。

 後で一緒に食べましょう」



「お? いいじゃん。

そういうの楽しみなんだよ」



ふたりで夕飯を食べながら、

他愛もない話をして、笑って、

穏やかな時間が流れていく。



やがてケーキをテーブルに並べると、

蒼太はしばらく黙ったまま、

フォークを持った手を止めた。



「……あの、先輩」



「ん?」



「今日、このケーキ……店長に渡される時、

 『彼女さんと食べてね』って

 言われたんです」



「……そうか」



「僕……“違う”って言えなくて。

 いつも、モヤモヤして……

 ちゃんと伝えたい気持ちもあるのに、

 怖くて……」



目線を落としたまま、

蒼太は言葉をしぼり出すように続ける。



「先輩は、どうして大学で

 あんなに堂々としていられるんですか。

 僕は……胸を張れる自信がなくて……」



青はすぐに答えず、

蒼太を見つめたまま、ゆっくり息を吸った。



そして、心の奥にしまっていた記憶が蘇る。



* * *


青が高校三年最後の夏の試合、

決勝で惜敗したあと

仲間とキャンプにいった日、

翌朝、佐々木コーチが言った言葉。



『……人を好きになるのにさ。

 性別とか、世間の目とか……

 そんなの、

 本気で好きになったら関係ねえんだよ』



『最終的に、

 “自分がどうしたいか” だけで動けばいい。

 人目なんざ気にすんな。

 自分のわがままに正直でいいんだ』



* * *



青は蒼太の手元にそっと視線を落とす。



「……俺さ。

 昔、尊敬してる人にこう言われたんだ」



「『好きになるのに理由はいらない。

 性別なんて些細なことで……結局、

 自分がどうしたいかだけで決めればいい』

 って」



蒼太が顔を上げる。



「だから俺は、

ただ自分の気持ちに

向き合ってるだけなんだよ。

堂々としてるわけじゃない。

大した勇気も、特別な覚悟もない」



「ただ……

 俺は蒼太を選んだ。

 蒼太は俺を受け入れてくれた、

 それだけだよ」



「……先輩……」



青は、テーブル越しにそっと笑う。



「蒼太、大丈夫だ‥‥

 蒼太が周りに訂正しないのは、

 蒼太が弱いからじゃない。

 お前は相手の気持ちや、

 場の空気を考えられる優しいやつだ。

 だから流れに任せたんだろ」



「それでいい。

 全然間違ってねぇよ」



蒼太の目がうるみ、

胸の奥が熱くなる。



「……僕、先輩に

 そう言ってほしかったのかもしれないです」



「大丈夫だよ、蒼太。

 俺はずっと、お前の味方だ」



その言葉は深く、

静かに蒼太の心に落ちていった



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