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第5章 想い出と君の涙を

5章 第2話

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 陽介さんの車──と言ってもマネージャーの車だそうだが──に乗る事数分。
 陽介さんは車のオーディオと自分のスマホをBluetoothで繋ぐと、俺にぽんとデバイスを渡して、「好きなのかけて」と言ってきた。暫くスマホを弄りつつ陽介さんの契約している音楽サブスクリプションサービスから楽曲を適当にかけた。陽介さんが最近お気に入り登録したと思われるワンオクの最新アルバムを流してある。
 ちなみに、撮影自体はもう終わって、今は打ち上げ中。陽介さんは、夜に東京でラジオ出演が決まったらしく、このまま新幹線に乗って東京に帰るらしい。
 玲華も撮影が終わるや否や、新幹線でもう帰ってしまったそうだ。荷物等もまとめてあって、ほぼ身なり一つで長野駅から帰った。荷物の宅配手続きやアパート退去の立ち合いなどはマネージャーの田中が行うようだ。
 凛は会場の打ち上げに残って、共演者さんやスタッフさん方と挨拶周りをしているようだ。準主役と言えでも、実質主役みたいな扱いなので、帰るに帰れないのだろう。

「撮影はどうでしたか?」

 とりあえず気になっていた事を訊いた。
 俺は結局、あの後どう台本が変わったのかについても何も知らされていない。作品の結末を知らないのだ。

「完璧。RINちゃんがメインヒロインに昇格して、キスシーンも完遂したよ。RINちゃん無所属だから事務所NGとかもなくてがっつり舌まで行かせてもらった」
「⋯⋯そうですか」

 息が詰まりそうになったが、俺は何とか平静を装いそう返す。
 もし仮に、凛がその選択をしたとしても、俺には止める権限がない。

「⋯⋯冗談だよ。もうちょっと焦るかと思ったのに、つまんないな」

 溜め息を吐いて、彼はホルダーに置いてあった飲みかけの缶コーヒーを口に含んだ。
 よかった、冗談だったのか。表情に出さずにほっと一息つく。撮影期間で養ったやせ我慢の能力は健在らしい。

「見事なまでにキスシーンNGを監督に出していたよ。今更シーン取り直せないから、監督もそれ飲まざるを得ない感じで。REIKAちゃんもそこに援護射撃打ってさ。ほんと、高校生の女の子二人にあの重鎮が頭抱えさせられるんだから、面白い撮影だったよ」

 見てる方は冷や冷やものだったけどね、と陽介さんは付け足した。
 結局ラストはラブシーンはほとんどなく、告白をしてこれから"達也"と"沙織"が付き合う、というところで終わったのだと言う。無難な終わり方と言えば無難の終わり方だ。
 あの後は玲華、すなわち"優菜"の独り語りのシーンが増えて、凛や陽介さんの負担はそれほど重くはなかったそうだ。恋には破れたが実質的な主演はREIKA、という形を貫いたのだ。主に、"優菜"が"沙織"との対決であの独白に至った過程の描写を増やしたのだという。犬飼監督が『責任を取ってもらうぞ』と言っていたのは、こういう事だったのだろう。
 精神的なダメージが大きかったのもあって、これまでNGを出さなかった玲華がそこからNGを頻発。屋内の撮影では朝方まで行われたそうだ。

「で? "達也"の方は答えを出したけど、リアル達也の方は? ⋯⋯って、さっきのキスシーン云々で何も言わないって事は、もう答えは出てるのか?」
「別に⋯⋯凛がそれを受け入れたというなら、俺は何も言えませんから」
「ほう⋯⋯? 撮影中は俺に嫉妬心ギラギラだったのになあ?」
「まあ、それは言わないお約束です」

 言って、互いに笑い合う。やっぱり彼にはバレてしまっていたようだ。

 ひたすら山の中の道を陽介さんは窓を開けて走っていた。
 もう12月になる時期なので結構寒いのだが、陽介さんが山の綺麗な空気を吸いたいとの事だった。今はこのあたりの絶景スポットに向けて車を走らせている。

「それで、用事って何ですか?」
「ああ、そうそう。忘れないうちに先にダッシュボードの茶封筒取っといて」
「茶封筒?」

 助手席のダッシュボードを開くと、茶封筒が確かに入っていた。中を見ると⋯⋯諭吉が10人。

「え? なんです、これ」

 諭吉10人を一度に触った事なんてあるはずがないので、一気に強張る。

「バイト代。給料も払うっつっただろ? 内訳は俺のポケットマネーから5万、事務所から5万で合計10万な。これでも時給換算したらちょっと安いかなって思うけど、まあ高校生だしこれくらいでいいでしょ」
「はい!? いやいや、こんなもらえませんって! 俺、何もしてないですし⋯⋯」
「そんな事ないって」

 陽介さん曰く、本当は彼1人で10万支払いたかったらしいが、案外駆け出しの俳優とは思ったほど給料が高くないらしく、余裕がないそうだ。最初は5万だけ支払うつもりだったが、それを聞いたマネージャーが「あれだけ働いてくれたのにそれだと安すぎる」と言って、臨時スタッフを雇ったていにして事務所から人件費を捻出してくれたのだという。

「いや、明らかに5万でも貰い過ぎですって⋯⋯俺の仕事量を考えても」
「だから、そんな事ないんだって。君はよくやってくれたよ。今回の映画の最大の立役者は君だと思ってる。それを考えると、10万なんて安いさ」
「そんな⋯⋯俺なんて、何も」
「君がいたから、あの二人の演技力も増した。臨場感どころか本気の女同士の絵が撮れた。そのせいで脚本まで変わったけれど、それ含めて良い作品になったと思ってるよ」
「それは⋯⋯あの二人がもともと凄かっただけで。俺はあそこに居合わせただけのただの高校生で、せいぜい誰でもできる雑用とか掃除とかをやってたくらいですから⋯⋯」

 そう。俺は、誰でもできる事しかやらなかった。どんなに小さくてもいいから、役割が欲しかったのだ。
 俺がいて良い作品になったというけれど、それはもともと凛と玲華の潜在能力が高かったからだ。俺が彼女達に演技を教えたわけではない。
 ただ、陽介さんは俺のその言葉に異を唱えた。
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