上 下
3 / 15
逆行までのプロローグ

第3話 脅しの裏で

しおりを挟む
 嘘が上手い女は、ある意味で魅力的かも知れない。それがどんなに酷い嘘だったとしても、自分の魅力に付加してしまうのだ。「彼女は、とても魅力的な人だ」と。莫迦な男は、その魅力にまんまと引っ掛かってしまう。

 良い女の条件は、必ずしも善人とは限らないのだ。彼女の場合は……そう、どう考えても善人ではなかった。今までの行動を見ても分かるように。彼女の中にあるのは、愛する男の独占と、そこに付随する様々な特典だけだった。
 
 彼女は王子に尤もらしい嘘(普通の会話と見せかけて、王子にフィリアの名前を言わせたのは、流石としか言いようがない)をついて、その不安を見事までに消し去った。

「どうもお体の調子が悪いようで。今、私の部屋で休んでいますわ」

「そうか」とうなずく王子は、彼女の話をすっかり信じていた。「それは」

「大変ではありません。私は、当然の事をしただけですから」

 ネフテリアは「ニコッ」と笑って、王子の手を握った。彼女の手は、冷たかった。まるで体温を忘れたかのように。王子が「ありがとう」と笑った時も、その温度を変わらず保ちつづけた。

「ネフテリア」

「はい?」

「君にはいつも、助けられているね」

 を聞いて、少女の頬が赤くなった。

「何処かの誰かが頼りないからです」

「なっ」と、今度は王子が赤くなった。「僕が頼りないって」

 王子は彼女にムッとしたが、彼女が彼の身体を抱きしめると、その気持ちを忘れて「ネフテリア?」と驚いた。

 ネフテリアは、彼の声に応えなかった。

「王子」の声が切ない。「私の前からいなくならないで下さい」

「ネフテリア……」

 王子は、彼女の頭を撫でた。

「大丈夫。僕は、君の幼馴染だからね。何処にも行くわけがない。僕達は、ずっと友達だ」

「ずっと」

 友達、の部分が胸に刺さるも……ネフテリアは、顔には「それ」を出さなかった。

「私は」

「ん?」

「嫌です。ずっと友達なんて」

「ネフテリア?」

 ネフテリアは王子の身体を放し、彼の前から少しだけ離れた。

「今度のパーティーですが」

 から少しだけ間を開ける彼女。

「私と一緒にまた」

「ごめん」

 王子の顔がまた、赤くなった。

「その日は……その、先約があって」

 ネフテリアは、その言葉に胸が締めつけられた。

「あの子、ですか?」

「ごめん」の言葉が重かった。「それは、言えない」

「そう、ですか」

 少女の額に陰が覆った。

 ネフテリアは無感動な顔で、王子の前から歩き出した。

「彼女が目を覚ましたら、医務室に連れて行きます」

「僕も一緒に行くよ」

「ダメです」

「え?」

「貴方と彼女では、身分が違います。ここは、私に任せて下さい」

 彼女は王子に頭を下げて、彼の部屋から出て行った。部屋の外は静かだったが、構わず自分の部屋に戻った。部屋の中では、少女達がフィリアの周りを囲んでいた。

「ネフテリア様」

 フィリアは不安な顔で、相手の目を見つめた。

「なに?」と、それを見つめ返すネフテリア。「どうしたの?」

「い、いえ。王子はその、何かおっしゃっていましたか?」

 忌々しい質問だが、一応礼儀として「ええ」と答えた。

「とても心配していたわ」

「そうですか」

 あの! と、フィリアは椅子の上から立ち上がった。

「これから」

「の事はもちろん、分かっているでしょう? この事は、誰にも言わない。あなたを心配する王子にも」

「……はい」

 ネフテリアは、部屋の扉に目をやった。「ここから出て行きなさい」と言う合図だ。

「土曜日のパーティーだけど」

「はい?」

「貴女も行くの?」

「いいえ。最初は、行くつもりでしたが」

「そう。まあ、妥当な判断ね。一人だけのパーティーは、淋しいでしょうし」

 フィリアの瞳が潤んだ。

「……はい」

 彼女は涙の線を描いて、部屋の中から出て行った。

 少女達は、その背中に胸を痛めた。

「ネフテリア様」

「ん、なに?」

「ネフテリア様は、土曜日の夜」

「もちろん、行くわよ。王子と一緒にね」

「そう、ですか?」

「なに? 不満があるの?」

「い、いえ! その様な事は」

 他の少女達も、「ありません!」とうなずき合った。

「王子と一緒に楽しんで下さい」

「ええ」と笑った彼女の顔は、周りの少女達を震わせた。「もちろん」

 ネフテリアは嬉しそうな顔で、学校の授業に必要な教科書やノート類を準備しはじめた。


 彼の部屋に行ったのは良いが、その扉を叩く勇気が無かった。

 少女は不安な顔で自分の周りを見、それからまた、正面の扉に視線を戻した。「うう、どうしよう」と迷っている間に正面の扉が開いた。扉の向こうには、エルス王子が立っていた。
 
 王子は彼女の登場に驚くも、すぐに「どうしたんだい?」と微笑んだ。
 
 少女はその質問に震えたが……覚悟を決めたのだろう。真面目な顔で「王子にお話ししたい事があります」と言った。

「実は……」から続く話は、王子を大いに驚かせた。

「その話は、本当かい?」

「ほ、本当です! 私は、彼女に虐められて」

 王子は彼女の話に戸惑う一方、内心では「落ち着け」と言い聞かせていた。

「とにかく、今は様子を見よう。下手に動いたら、またやられるかも知れないからね」

「わ、分かりました」

 少女は王子に頭を下げると、何処かホッとした顔で、自分の部屋に戻って行った。

 王子は、その背中をじっと見送った。

「ネフテリア、君は」
しおりを挟む

処理中です...