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最終話 新しい風(後篇)
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未来の風が優しいか?
それとも、厳しいか?
それは、実際に吹いてみないと分からなかった。
自分の中で「ああだこうだ」と考えても、結局はただの想像に過ぎない。想像は、現実の事象を超えられない。「自分の想像が役立つ事」と言ったら、そこにある程度の余裕を持たせる事だけだった。その余裕があれば、気持ちの方も落ちつく。それが決して完璧ではなくても、応接間の空気を和らげ、身体の緊張をほぐす程度なら、それなりの役目を果たしてくれる。俺が応接間の長椅子に腰かけ、相手がその真向かいに座った時も、それが働いてくれたおかげで、年相応の(だと思う)態度こそ見せたが、それ以上の醜態は晒さずに済んだ。
俺は真面目な顔で、正面の令嬢を見つめた。正面の令嬢は、話に違わぬ美少女だった。中身の方が少し明るくはあったけれど、あらゆる所作や口調に品位が見られ、俺に「初めまして」と微笑む顔や、「今日はどうぞ、よろしくお願いします」と言いながら頭を下げる動きからも、同年代とは思えない落ちつきが感じられた。俺は、その雰囲気に思わず驚いた。彼女はたぶん、こう言う席に慣れている。慣れていながら、それに緊張も覚えている。俺に照れくさく笑いかけた顔からは、それを示す雰囲気が感じられた。
俺は、その雰囲気に好感を覚えた。「恋愛」の域まではいかないが、それでも「好き」と感じてしまう感覚。つまりは、「友情」の愛を覚えたのである。友情の愛は、恋愛の愛よりもずっと清々しい。余計な疑心暗鬼や、狡猾な損得勘定がない分、その相手とも真正面から話せる。自分の本心をさらせる。相手の本心をすべて推しはかったわけではないが、彼女の微笑みから覚えた感覚は、それを推しはかれるだけの充分な証拠になっていた。この子の事はたぶん、信じても大丈夫だろう。世の中には嘘が上手い人、計算が速い人も多いが、彼女の態度からは、そう言う雰囲気が感じられなかった。
俺はその雰囲気に「ホッ」として、相手の目をまた見かえした。
「こらこそ、よろしくお願いします。セリアさん」
「セリアでいいよ?」
口調が砕けたのは、照れかくしか?
「その方がドキドキしないから。あたしも、貴方の事を『ザウル』って呼びたいし」
「分かった。君がそう言うなら、それでいいよ?」
「ありがとう、ザウル」
彼女は、嬉しそうに笑った。俺も、それに笑いかえした。俺達は互いの笑顔を見あったが、双方の両親(俺の場合は、召使いだが)が妙な気を遣ったせいで、それまで見あっていた視線をすぐに逸らしあってしまった。
俺は、自分の召使いを思いきり睨んだ。
「ちょ、待てよ! そんな」
「事は、ありません。私達がいては、話せない事もあるでしょう。あとは、若い二人でお楽しみください」
召使いは「ニコッ」と笑って、応接間の中から出ていった。彼女の両親も、それにつづいて出ていった。彼等は(おそらくは、召使いの案内で)、館の中を歩きはじめた。その足音がここまで聞こえてきたが、自分の気恥ずかしさがそれに勝っていたせいで、足音の雰囲気は聴きとれても、それがどこに向かっているのかは分からなかった。それがやがて聞こえなくなった時も、同じような空気をずっと味わいつづけていた。彼等は(たぶん)俺の心情などまったく察しないで、「館の中がどうなっているのか?」を見つづけた。
俺は、その感覚に腹立った。本当に失礼な連中もとえ、召使いである。
「まったく」
目の前の少女も、その言葉にうなずいた。彼女もまた、俺と同じような気持ちを抱いていたらしい。
「本当だね、こっちはまだまだ」
少女は、その続きを飲みこんだ。それを発するのがたぶん、「恥ずかしい」と思ったのだろう。正確なところは推しはかれないが、自分の両足をフラフラとさせる動きや、俺の顔から何度も視線を逸らす態度からは、その何とも言えない気まずさが感じられた。彼女もまた、年相応の少女なのである。彼女は俺の顔に視線を戻して、照れくさそうに「ニコッ」と笑った。
「ごめんね、ザウル」
「いや。こっちこそ、ごめんね? セリア。何かこう、変な気を遣わせちゃって」
セリアは、その言葉に首を振った。それがとても可愛かったが、本人にはそれをあえて言わなかった。そんな事を言えば、相手はもっと困ってしまう。こう言う相手を困らせるのは、俺としてもあまり気持ちよくなかった。セリアは長椅子の上に視線を落として、その表面をじっと見おろしはじめた。
「ザウルは」
「うん?」
「ずっと一人で暮らしているの?」
俺は、その質問に眉を寄せた。その質問を聞いて、気持ちが暗くなったからである。
「まあね。昔は、自分の親がいたけれど。今はずっと、一人で暮らしている。領主の仕事も、基本的には一人でやっているし。それ以外の諸々も、必要とあれば」
「寂しくない?」
「え?」
「ずっと一人で頑張って、寂しくない?」
俺はまた、彼女の質問に暗くなった。だが、今回は違う。質問への返事に余裕が少しだけあった。
「寂しいよ? 寂しいけど、とても寂しいわけじゃない。俺には自分の好きな事、たくさんの趣味があるからね。それをやっていれば、その寂しさも感じなくなる。趣味は俺を救ってくれる物、その人生に生きがいを与えてくれる物だよ」
「そっか。それは!」
セリアは「ニコッ」と笑ったが、その目は何処か悲しげだった。たぶん、俺の話に胸を痛めたのだろう。表面上では穏やかに笑っていたが、俺が彼女に「ニコッ」と笑いかえすと、やはり悲しげな顔で、その目を静かに震わせていた。彼女は、テーブルの上に目を落とした。
「よかったね」
「うん」
「よかったけど、やっぱり辛いよ」
それで俺達が押しだまったのは、彼女のせいではない。俺達はそれぞれにテーブルの上を見つめたり、応接間の絵に目をやったりして、今の空気が消えるのをじっと待ちつづけた。俺は、彼女の顔に視線を戻した。「彼女にこれ以上、気まずい思いをさせてはならない」と思ったからである。
「ねぇ?」
「なに?」
「君は、何が好きなの?」
セリアは、その質問に唸った。質問の内容自体は難しくなかったが、それを答えるのにやや困るところがあるらしい。
「あたしは、何もないの」
「何もない? まさか!」
そんなわけがないよ、と、俺は言った。
「『趣味』とまでは、いかなくてもさ。好きな事の一つくらい」
「うんう、本当にないんだ。『楽しい』って思う事は、あるけど。『それが好きか?』と聞かれたら、すぐに『うん』とはうなずけない。あたしは一つ一つの出来事を楽しめるだけで、特定の物に打ちこめる……それこそ、ザウルみたいにさ? 『自分は、これが好き』って言う物がないの。だから、周りの人達に『好きな事をしろ』とか言われると困っちゃう。自分が何をしたいのか、それがまったく分からないからね」
「なるほど。それじゃ、今回の話も?」
セリアは、その質問に首を振った。それはもう、嬉しそうな顔で。
「この話だけは、別。これだけは、あたしの意思で決めたんだ。『この結婚はたぶん、あたしの人生を変える事だ』ってね。普段は働かない直感が、『ビビビッ』と走ったんだ」
「ふ、ふうん、そう。それで?」
「うん?」
「その直感は、正しかった?」
セリアはその質問に迷ったが、やがて「分からない」と笑いだした。
「だから、『それ』を確かめたいんだ。自分の直感が正しかったかどうか、を。この目で」
「その目で?」
「うん」
彼女は真剣な目で、俺の目を見つめた。
「ねぇ、ザウル」
「なに?」
「あなたの趣味を見せてよ?」
「俺の趣味を?」
「うん、貴方がずっと打ちこんでいる趣味を。貴方の人生を支えている、その生きがい達を。あたしは、自分の何かを見つけるために」
「分かった」
「え?」
「それなら見せる、俺の趣味を。君がそれで、自分の何かを見つけられるなら」
セリアは、その言葉に微笑んだ。またしても、嬉しそうな顔で。
「ありがとう。それじゃ、さっそく見せて!」
「分かった」
俺は応接間の中から出て、自分の部屋に彼女を連れていった。部屋の中には今までと同じ物が置かれていたが、例の記録器だけは別で、机の中に隠していた。あの中には、俺の初恋が入っている。形にしてはならない思い出が、そのままの状態で収められている。「記録器」の名前通りにね。それを現実にしてしまうのはたぶん、この子にとっても失礼だろう。
初恋の記憶は、大切だ。
大切だから、彼女の事も捲きこんでいけない。
思い出の海に彼女を沈ませてはならない。
彼女はあの子とは別で、あの子もまた彼女とは別なのだから。違う女性を同じようには愛せない。同じように「好きだ」と思う事も。俺が彼女達に見せられる敬意は、精霊との思い出を封じて、今の女性に誠意を見せる事だった。
「これが、俺の部屋だよ」
俺は部屋の道具を見わたして、それらの一つ一つを指さした。「そうすれば、彼女にも分かりやすい」と思ったからである。俺は彼女に道具の特徴を話して、「それがどんなに面白い道具か」を述べた。
「すべての物を上手く使えるわけじゃないけどね? それでも楽しい事には変わらないよ? 『今日は、何をしようか?』とか、『あの道具を使おうか?』とかさ。その迷いすらも、楽しみになる。一定の生活、単調な日々もいいけれどね? そう言う迷いも、また」
セリアは、その言葉に押しだまった。どんな気持ちかは分からないが、その言葉に色々と考えてしまったらしい。
「羨ましい」
「え?」
「『そう言う迷いがある』って言うのがさ、とても眩しく見える」
「そうかな?」
「そうだよ」
セリアは、部屋の椅子に目をやった。どうやら、「そこに座っていい?」との事らしい。
「ごめん」
「うんう、いいよ。嫌じゃなかったら、好きだけ座って」
「ありがとう」
彼女は「ニコッ」と笑って、椅子の上に座った。
「あたし達は、さ」
「うん?」
「変な言い方だけど、『自分』として生まれてきたじゃない? 『自分』と言う存在にさ、その身分を含めて。あたし達は、自分以外の何者にもなれない」
「う、うん、確かにそうだけど。それが?」
「ザウルは」
「うん?」
「貴族の家に生まれて、『よかった』と思う?」
「それは……」
分からない、と、俺は言った。
「でも」
「でも?」
「それが俺だからね。良いも、悪いもない。俺はどんな身分であろうと、俺以外の何者でもないから。セリアは、自分の存在に不満を抱いているの?」
今度は、彼女の方が押しだまった。彼女は部屋の中をしばらく見わたしたが、俺の顔に視線を戻すと、淋しげな顔で「クスッ」と笑いはじめた。
「不満はないけど、その代りにぼんやりしている。自分の前に見えない道を作られている感じでさ? あたしは、そこを無理矢理に歩かされているの。本当は、もっと違う道を歩きたいのに。自分でその道を歩きたいのに。見えない壁が、道の両端に伸びている」
「『せい』なのは、分かっている。分かっているけど、それが自分を同時に守っているのも事実」
「うん……。あたしは、自由に生きたい。自由に生きたいくせに『それ』が怖い。正反対の色がずっと、心の中を渦まいている。あたしは、自分が思う以上に臆病なんだ」
「臆病じゃない人間なんていないよ。俺だって」
「ザウルだって?」
「怖いモノは、怖い。今の生活が脅かされるような」
「そう。なら!」
「うん?」
「あたしの事もきっと、怖いんだね?」
俺はその言葉に眉を潜めたが、やがて「まさか」と笑いはじめた。
「それは、ありえない。君は俺にとって、新しい風だからね。新しい風は、新しい世界を呼んでくる。今まで見た事がない世界を、新しいドキドキを運んでくる。君は、そのドキドキを運んできた人なんだ」
セリアは、その言葉に赤くなった。そんなに照れられては、俺まで恥ずかしくなってしまう。
「やっぱり、正しかった」
「え?」
「この話を受けて、本当によかった」
「そ、そう?」
「うん!」
セリアは椅子の上に座ったまま、嬉しそうな顔で自分の足をパタパタさせた。
「貴方も、あたしの新しい風だから。あたしに素敵な世界を、趣味の世界を見せてくれる」
「そっか」
俺は、その言葉に笑った。彼女も、それに笑いかえした。俺達は互いの笑顔をしばらく見あったが、やがてその視線を逸らしあった。たぶん、お互いの同じ事を考えたのだろう。相手のもう一度見あった視線からは、ある種の共鳴が感じられた。
俺は彼女の前に歩みよって、その目をじっと見はじめた。
「式の余興は、どうする?」
「そうだね。結婚式に余興なんて普通はしないから、ここは思いっきりやろう! この部屋には、そう言う事に使える物もあるかもしれないからね。あたし達は、あたし達の趣味を楽しめばいい」
「そう言う事」
俺は「ニコッ」と笑って、部屋の中を見わたした。部屋の中にはもちろん、趣味の品々が置かれている。
「さて。式の余興は、何をしようかな?」
それとも、厳しいか?
それは、実際に吹いてみないと分からなかった。
自分の中で「ああだこうだ」と考えても、結局はただの想像に過ぎない。想像は、現実の事象を超えられない。「自分の想像が役立つ事」と言ったら、そこにある程度の余裕を持たせる事だけだった。その余裕があれば、気持ちの方も落ちつく。それが決して完璧ではなくても、応接間の空気を和らげ、身体の緊張をほぐす程度なら、それなりの役目を果たしてくれる。俺が応接間の長椅子に腰かけ、相手がその真向かいに座った時も、それが働いてくれたおかげで、年相応の(だと思う)態度こそ見せたが、それ以上の醜態は晒さずに済んだ。
俺は真面目な顔で、正面の令嬢を見つめた。正面の令嬢は、話に違わぬ美少女だった。中身の方が少し明るくはあったけれど、あらゆる所作や口調に品位が見られ、俺に「初めまして」と微笑む顔や、「今日はどうぞ、よろしくお願いします」と言いながら頭を下げる動きからも、同年代とは思えない落ちつきが感じられた。俺は、その雰囲気に思わず驚いた。彼女はたぶん、こう言う席に慣れている。慣れていながら、それに緊張も覚えている。俺に照れくさく笑いかけた顔からは、それを示す雰囲気が感じられた。
俺は、その雰囲気に好感を覚えた。「恋愛」の域まではいかないが、それでも「好き」と感じてしまう感覚。つまりは、「友情」の愛を覚えたのである。友情の愛は、恋愛の愛よりもずっと清々しい。余計な疑心暗鬼や、狡猾な損得勘定がない分、その相手とも真正面から話せる。自分の本心をさらせる。相手の本心をすべて推しはかったわけではないが、彼女の微笑みから覚えた感覚は、それを推しはかれるだけの充分な証拠になっていた。この子の事はたぶん、信じても大丈夫だろう。世の中には嘘が上手い人、計算が速い人も多いが、彼女の態度からは、そう言う雰囲気が感じられなかった。
俺はその雰囲気に「ホッ」として、相手の目をまた見かえした。
「こらこそ、よろしくお願いします。セリアさん」
「セリアでいいよ?」
口調が砕けたのは、照れかくしか?
「その方がドキドキしないから。あたしも、貴方の事を『ザウル』って呼びたいし」
「分かった。君がそう言うなら、それでいいよ?」
「ありがとう、ザウル」
彼女は、嬉しそうに笑った。俺も、それに笑いかえした。俺達は互いの笑顔を見あったが、双方の両親(俺の場合は、召使いだが)が妙な気を遣ったせいで、それまで見あっていた視線をすぐに逸らしあってしまった。
俺は、自分の召使いを思いきり睨んだ。
「ちょ、待てよ! そんな」
「事は、ありません。私達がいては、話せない事もあるでしょう。あとは、若い二人でお楽しみください」
召使いは「ニコッ」と笑って、応接間の中から出ていった。彼女の両親も、それにつづいて出ていった。彼等は(おそらくは、召使いの案内で)、館の中を歩きはじめた。その足音がここまで聞こえてきたが、自分の気恥ずかしさがそれに勝っていたせいで、足音の雰囲気は聴きとれても、それがどこに向かっているのかは分からなかった。それがやがて聞こえなくなった時も、同じような空気をずっと味わいつづけていた。彼等は(たぶん)俺の心情などまったく察しないで、「館の中がどうなっているのか?」を見つづけた。
俺は、その感覚に腹立った。本当に失礼な連中もとえ、召使いである。
「まったく」
目の前の少女も、その言葉にうなずいた。彼女もまた、俺と同じような気持ちを抱いていたらしい。
「本当だね、こっちはまだまだ」
少女は、その続きを飲みこんだ。それを発するのがたぶん、「恥ずかしい」と思ったのだろう。正確なところは推しはかれないが、自分の両足をフラフラとさせる動きや、俺の顔から何度も視線を逸らす態度からは、その何とも言えない気まずさが感じられた。彼女もまた、年相応の少女なのである。彼女は俺の顔に視線を戻して、照れくさそうに「ニコッ」と笑った。
「ごめんね、ザウル」
「いや。こっちこそ、ごめんね? セリア。何かこう、変な気を遣わせちゃって」
セリアは、その言葉に首を振った。それがとても可愛かったが、本人にはそれをあえて言わなかった。そんな事を言えば、相手はもっと困ってしまう。こう言う相手を困らせるのは、俺としてもあまり気持ちよくなかった。セリアは長椅子の上に視線を落として、その表面をじっと見おろしはじめた。
「ザウルは」
「うん?」
「ずっと一人で暮らしているの?」
俺は、その質問に眉を寄せた。その質問を聞いて、気持ちが暗くなったからである。
「まあね。昔は、自分の親がいたけれど。今はずっと、一人で暮らしている。領主の仕事も、基本的には一人でやっているし。それ以外の諸々も、必要とあれば」
「寂しくない?」
「え?」
「ずっと一人で頑張って、寂しくない?」
俺はまた、彼女の質問に暗くなった。だが、今回は違う。質問への返事に余裕が少しだけあった。
「寂しいよ? 寂しいけど、とても寂しいわけじゃない。俺には自分の好きな事、たくさんの趣味があるからね。それをやっていれば、その寂しさも感じなくなる。趣味は俺を救ってくれる物、その人生に生きがいを与えてくれる物だよ」
「そっか。それは!」
セリアは「ニコッ」と笑ったが、その目は何処か悲しげだった。たぶん、俺の話に胸を痛めたのだろう。表面上では穏やかに笑っていたが、俺が彼女に「ニコッ」と笑いかえすと、やはり悲しげな顔で、その目を静かに震わせていた。彼女は、テーブルの上に目を落とした。
「よかったね」
「うん」
「よかったけど、やっぱり辛いよ」
それで俺達が押しだまったのは、彼女のせいではない。俺達はそれぞれにテーブルの上を見つめたり、応接間の絵に目をやったりして、今の空気が消えるのをじっと待ちつづけた。俺は、彼女の顔に視線を戻した。「彼女にこれ以上、気まずい思いをさせてはならない」と思ったからである。
「ねぇ?」
「なに?」
「君は、何が好きなの?」
セリアは、その質問に唸った。質問の内容自体は難しくなかったが、それを答えるのにやや困るところがあるらしい。
「あたしは、何もないの」
「何もない? まさか!」
そんなわけがないよ、と、俺は言った。
「『趣味』とまでは、いかなくてもさ。好きな事の一つくらい」
「うんう、本当にないんだ。『楽しい』って思う事は、あるけど。『それが好きか?』と聞かれたら、すぐに『うん』とはうなずけない。あたしは一つ一つの出来事を楽しめるだけで、特定の物に打ちこめる……それこそ、ザウルみたいにさ? 『自分は、これが好き』って言う物がないの。だから、周りの人達に『好きな事をしろ』とか言われると困っちゃう。自分が何をしたいのか、それがまったく分からないからね」
「なるほど。それじゃ、今回の話も?」
セリアは、その質問に首を振った。それはもう、嬉しそうな顔で。
「この話だけは、別。これだけは、あたしの意思で決めたんだ。『この結婚はたぶん、あたしの人生を変える事だ』ってね。普段は働かない直感が、『ビビビッ』と走ったんだ」
「ふ、ふうん、そう。それで?」
「うん?」
「その直感は、正しかった?」
セリアはその質問に迷ったが、やがて「分からない」と笑いだした。
「だから、『それ』を確かめたいんだ。自分の直感が正しかったかどうか、を。この目で」
「その目で?」
「うん」
彼女は真剣な目で、俺の目を見つめた。
「ねぇ、ザウル」
「なに?」
「あなたの趣味を見せてよ?」
「俺の趣味を?」
「うん、貴方がずっと打ちこんでいる趣味を。貴方の人生を支えている、その生きがい達を。あたしは、自分の何かを見つけるために」
「分かった」
「え?」
「それなら見せる、俺の趣味を。君がそれで、自分の何かを見つけられるなら」
セリアは、その言葉に微笑んだ。またしても、嬉しそうな顔で。
「ありがとう。それじゃ、さっそく見せて!」
「分かった」
俺は応接間の中から出て、自分の部屋に彼女を連れていった。部屋の中には今までと同じ物が置かれていたが、例の記録器だけは別で、机の中に隠していた。あの中には、俺の初恋が入っている。形にしてはならない思い出が、そのままの状態で収められている。「記録器」の名前通りにね。それを現実にしてしまうのはたぶん、この子にとっても失礼だろう。
初恋の記憶は、大切だ。
大切だから、彼女の事も捲きこんでいけない。
思い出の海に彼女を沈ませてはならない。
彼女はあの子とは別で、あの子もまた彼女とは別なのだから。違う女性を同じようには愛せない。同じように「好きだ」と思う事も。俺が彼女達に見せられる敬意は、精霊との思い出を封じて、今の女性に誠意を見せる事だった。
「これが、俺の部屋だよ」
俺は部屋の道具を見わたして、それらの一つ一つを指さした。「そうすれば、彼女にも分かりやすい」と思ったからである。俺は彼女に道具の特徴を話して、「それがどんなに面白い道具か」を述べた。
「すべての物を上手く使えるわけじゃないけどね? それでも楽しい事には変わらないよ? 『今日は、何をしようか?』とか、『あの道具を使おうか?』とかさ。その迷いすらも、楽しみになる。一定の生活、単調な日々もいいけれどね? そう言う迷いも、また」
セリアは、その言葉に押しだまった。どんな気持ちかは分からないが、その言葉に色々と考えてしまったらしい。
「羨ましい」
「え?」
「『そう言う迷いがある』って言うのがさ、とても眩しく見える」
「そうかな?」
「そうだよ」
セリアは、部屋の椅子に目をやった。どうやら、「そこに座っていい?」との事らしい。
「ごめん」
「うんう、いいよ。嫌じゃなかったら、好きだけ座って」
「ありがとう」
彼女は「ニコッ」と笑って、椅子の上に座った。
「あたし達は、さ」
「うん?」
「変な言い方だけど、『自分』として生まれてきたじゃない? 『自分』と言う存在にさ、その身分を含めて。あたし達は、自分以外の何者にもなれない」
「う、うん、確かにそうだけど。それが?」
「ザウルは」
「うん?」
「貴族の家に生まれて、『よかった』と思う?」
「それは……」
分からない、と、俺は言った。
「でも」
「でも?」
「それが俺だからね。良いも、悪いもない。俺はどんな身分であろうと、俺以外の何者でもないから。セリアは、自分の存在に不満を抱いているの?」
今度は、彼女の方が押しだまった。彼女は部屋の中をしばらく見わたしたが、俺の顔に視線を戻すと、淋しげな顔で「クスッ」と笑いはじめた。
「不満はないけど、その代りにぼんやりしている。自分の前に見えない道を作られている感じでさ? あたしは、そこを無理矢理に歩かされているの。本当は、もっと違う道を歩きたいのに。自分でその道を歩きたいのに。見えない壁が、道の両端に伸びている」
「『せい』なのは、分かっている。分かっているけど、それが自分を同時に守っているのも事実」
「うん……。あたしは、自由に生きたい。自由に生きたいくせに『それ』が怖い。正反対の色がずっと、心の中を渦まいている。あたしは、自分が思う以上に臆病なんだ」
「臆病じゃない人間なんていないよ。俺だって」
「ザウルだって?」
「怖いモノは、怖い。今の生活が脅かされるような」
「そう。なら!」
「うん?」
「あたしの事もきっと、怖いんだね?」
俺はその言葉に眉を潜めたが、やがて「まさか」と笑いはじめた。
「それは、ありえない。君は俺にとって、新しい風だからね。新しい風は、新しい世界を呼んでくる。今まで見た事がない世界を、新しいドキドキを運んでくる。君は、そのドキドキを運んできた人なんだ」
セリアは、その言葉に赤くなった。そんなに照れられては、俺まで恥ずかしくなってしまう。
「やっぱり、正しかった」
「え?」
「この話を受けて、本当によかった」
「そ、そう?」
「うん!」
セリアは椅子の上に座ったまま、嬉しそうな顔で自分の足をパタパタさせた。
「貴方も、あたしの新しい風だから。あたしに素敵な世界を、趣味の世界を見せてくれる」
「そっか」
俺は、その言葉に笑った。彼女も、それに笑いかえした。俺達は互いの笑顔をしばらく見あったが、やがてその視線を逸らしあった。たぶん、お互いの同じ事を考えたのだろう。相手のもう一度見あった視線からは、ある種の共鳴が感じられた。
俺は彼女の前に歩みよって、その目をじっと見はじめた。
「式の余興は、どうする?」
「そうだね。結婚式に余興なんて普通はしないから、ここは思いっきりやろう! この部屋には、そう言う事に使える物もあるかもしれないからね。あたし達は、あたし達の趣味を楽しめばいい」
「そう言う事」
俺は「ニコッ」と笑って、部屋の中を見わたした。部屋の中にはもちろん、趣味の品々が置かれている。
「さて。式の余興は、何をしようかな?」
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