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しーたん

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第二十三話 -親友-

01

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 アウトリュコスが震えているジャヒーに優しく言った。
「…あいつのことは、俺らでなんとかする。これ以上魔界に被害を出したくなかったら、今回はもう諦めてそいつを渡してくれ」

 負けた…。悔しさと情けなさと切なさが混じってジャヒーの目が涙で滲む。
「…渡したら…ッ、私と……」

 涙でくぐもった声に銀髪の男の優しい声が返ってくる。 
「本気で付き合える男が見つかるまで、俺で良けりゃ好きなだけ付き合ってやるよ。…結婚はできねぇけど」

 うわぁぁんと漫画のようなジャヒーの泣き声が響く中、膝を折っているケイにアスクレピオスが頭上から言った。

「…自分にもし力があるなら、その力を世話になった者に恩を返すために使いたいと言ったな。その気持ちは今も変わらないか?」

 光が差すようだった。記憶喪失の自分が口にしたその言葉。
 それは、かつて生前の自分がまだ幼かった頃に。

「ああ……。ずっと…昔からその気持ちだけは変わらねぇ…ッ」

 片手を差し出して、アスクレピオスが自分を見上げているケイに言った。

「なら一緒に来い。冥界に戻ろう」
 

「クレス、ピラムは今どこだ?」
 訊いたアスクレピオスにヘラクレスが何か答える前にアウトリュコスが呟く。
「そういやさっきから、悪魔が全然来ねぇ…。てっきりケイが暴れたせいで近寄ってこねぇのかと思ってたが…まさかあいつ…」




 半壊した屋敷の中や外をうまく走りながらたまに威嚇の矢を打つ。
 通報によって駆けつけた悪魔からさらに通報が飛んでいるらしく、数は増えていく一方だった。
「俺一人やるのにあの数でくるか? 普通。…ま、俺は一人の方が戦いやすいんだけど………ッ」

 軽く息を切らしながら得意の連射で撃ち落しながらとにかく囲まれないように逃げ回る。
 一対多で戦うときに一番避けたいのは完全に囲まれてしまう状況だ。
 あのムカつく父親の血のおかげで弓術は神界で戦っても通用するレベルだから今のような状況でも負ける気はしないが。

「いや…そうでもないか」
 ピラムにしては珍しく屈託のない顔で笑う。

 生前、音楽家として生きていた彼を戦場に引っ張り出したのは周りの人間たちだった。半神《デミゴッド》の力は人間とは比べ物にならないくらい強い。世話になった人たちに頼みこまれれば断り切れず、予知で死が見えていたにも関わらず、勝てないとわかっている戦争で山のような軍隊を相手に必死で戦って…。

 戦死した自分の遺体を回収しに来てくれたアウトリュコスの姿は、今でも忘れられない。誰にも埋葬されず、ぐちゃぐちゃになってかろうじて顔がわかる程度の自分の遺体を冷めた気持ちで何日も幽《アストラル》界から眺めていたら、酷くバツの悪いものを目にしてしまった。

 兄が、戦場を探し回ってようやく探し当てた双子の弟の変わり果てた遺体をどんな気持ちで抱きしめて泣いていたのかは考えるまでもない。

 死ねない身体になってなお、もうあの光景だけは見たくなかった。




 銀の毛並みを持つ一匹の巨大な大狼《ダイアウルフ》が高速で宙を駆る。
 成人男性の軽く三倍は丈のある大きな体に月明かりが反射して綺麗な毛並みが波のように揺れていた。

 その背に乗る三人が小さく見える。
「リュコス…おま…ッ、こんなことまでできたのか…ッ?!」
 今更でもやはり驚いてしまうケイにどこからともなく響く声だけが返ってくる。
『…三人も乗せたのは初めてだけどな』

「リュコス、ケリュケイオンでピラムのところまで飛べないのか?」
 訊いたのはヘラクレスだった。
『そうしようにも、さっきから気配がすげぇ速度で移動してる。多分、一人じゃ相手にできない量に追われてる。直接飛ぶのはリスクが高すぎる。近くに飛んで追いかけるくらいなら俺の足で先回りする方が速ぇ』

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