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0.プロローグ

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最後に目にしたのは全裸の男が興奮した様子でナイフを振りかざしてくる姿だった。
人生の終わりを悟った私は頭の中で十字を切って祈ったのだ。

―ああ、神よ。できる事ならばもう一度、そして今度は…

それから先は闇と静寂が襲った。

***

「んぁ…!」

チチチ…と鳥のさえずりが聞こえる。目を覚ませば、そこは朝日が差しこんだかつての私室だった。すがすがしい朝の光景、を前に動揺を隠せない。

(ど、どういうことなの⁉だって私は娼館で男に襲われて死んだはずじゃ…)

ベットから飛び降り、急いで机の上の書類を確認する。
一番上に置いてあった手紙の日付は彼女が殺された日から5年も前のものだった。

「な、…な…!」

手鏡を食い気味に覗き込めば、そこにはまだ少しばかり幼さを残した自分の顔があった。
それは貧困と性暴力で疲れ切った女の顔ではなく、箱入りに育てられた貴族令嬢の姿だった。

信じられないことだが、どうやら時間が巻き戻っている。仕組みも理由も分からないが。
唖然としながらも、少女・エカテリーナは状況を飲み込んだ。

(夢を見ているのかしら。それともさっきまでのが夢だった…?)

脳内で始まった現実逃避に、頭を振る。
悪夢と呼ぶには、あまりにも生々しく悲惨な記憶を“夢”の一言で片付けることはできそうになかった。


***


エカテリーナ・ポルーニン。北方地方に由来を持つポルーニン伯爵家の令嬢だ。ポルーニン一族は王国の北方辺境に領地を持ち、資源豊富な鉱山を独占している力のある家だった。家系が変わって幾代も立っていない王族はポルーニン家の後ろ盾を得ようと、この伯爵令嬢と次期国王となる第一皇子との婚約を結んだ。これが悲劇の始まりだった。

ロイド第一皇子はエカテリーナという婚約者がありながら、マリー・ダングストンという男爵令嬢に心底ほれ込んでしまった。嫉妬に狂った婚約者はマリーに散々な嫌がらせを行い、見かねた皇子がこれを告発し婚約破棄されてしまったのである。これに便乗した国王と有力貴族たちがポルーニン家に濡れ衣を着せ、領地を没収、ついに一族は路頭に迷うことになった。エカテリーナの家族はゆかりのある隣国へ亡命する事になったが、道中で盗賊に襲われ家族は皆帰らぬ人となり、エカテリーナ自身は下町の娼館に売り飛ばされるに至る。彼女もまた、サディスト気質の狂人に襲われ命を落としてしまうのであった。


「…なんて、物語風に自分の人生を振り返ってみたけれど、誤魔化しきれない程悲惨ね。」

手帳に先ほど書いた過去を読み返しながら、エカテリーナはぼやく。

「死ぬまであと5年。どうしようかしら。」

復讐?回避?ハッピーエンド…?
こちとら、そんなのもう既に心に決まっているのだ。

「富、権力、名声!今以上に得て見せますわよ‼」

おーほっほっほっ!

早朝の寝室にエカテリーナの高笑いが響き渡った。
この時エカテリーナ、齢13。
正真正銘のセカンドライフが火蓋を切って落とされたのであった。

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