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8.ハーベスト家伯爵令嬢は深窓の令嬢?(3)

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エカテリーナの策が効して、ソフィア・ハーベストは数週間後華々しい茶会デビューを果たした。顔が広いエカテリーナがソフィアの書いた小説を知り合いに布教した結果、小説は若い貴族たちの間でちょっとしたブームになり、ソフィアはその作者として注目を集めたのだ。またエカテリーナの助言に従ったソフィアはヘアスタイルやコーディネイトが得意なメイドを新たに雇い、少しばかり垢ぬけたこともあって、すぐに貴族たちの社交の輪に入ることに成功した。
 この件で、エカテリーナはハーベスト伯爵夫人とソフィア令嬢から感謝され、ポルーニン家とハーベスト家の友好関係は幾何か深まったという訳だ。

「聞きましたよ、エカテリーナ。僕のフィアンセはまたひとつ偉業を達成したらしいですね。」
「偉業だなんて大袈裟ですわ。ロイド様。ところでどうしてこちらに?」

エカテリーナは現在、木の下で政治学についての本を読んでいる。それは庭の奥まったところにある一等大きな栗の木で、エカテリーナのお気に入りの場所なのだ。今日は皇子の訪問があるなぞ聞いていないし、彼が自力でエカテリーナの居場所を知る事は不可能に思えた。

「突然いらっしゃるなんて珍しいですね。」
「すみません、非礼であることは重々承知なんですが…どうしても貴女に会いたくて。屋敷の者たちがあなたはきっとここに居るだろうと教えてくれたのです。」

(ちっ…箝口令を敷いておくべきでしたわ。)

ロイドはそっとエカテリーナの横に腰を掛けた。
2人はしばらく何も言わなかった。すっかり秋めいた風が吹きぬけて、エカテリーナのドレスの裾が優しくそよめく。

「お疲れなんですか?」
「え…」
「なんだかそんなお顔をしているような気がして。」

突然口を開いたエカテリーナの言葉にロイドは目を丸くしたが、すぐにはにかみながら答える。

「ふふ…貴女に隠し事はできませんね。」
「無理は禁物ですわ。少しお休みになられては?」
「…そうですね。ではお言葉に甘えて少し休ませて貰おうかな。」
「えっ、ここで、ですの⁉」

なんと、皇子はいそいそとエカテリーナの横で寝そべっているではないか!
今度はエカテリーナが驚く番だった。

「エカテリーナ、手を見せて頂いてもいいですか?」
「は、はぁ…」

おそるおそる差し出された手をロイドは嬉しそうに掬うと、じっと眺めてからぎゅっと握りしめた。しばらくロイドの好きにさせていたが、いい加減に本のページを捲りたいエカテリーナは意を決してロイドの方に視線を向けて言った。

「あの…ロイド様?わたくし本の続きが読みたくてですね…」
「…」
「ロイド様?」

ロイドの応えはない。返ってきたのはすーすーといった呼吸音だけだった。
どうやら眠ってしまったらしい。長いまつげは木漏れ日を受けて、ロイドの頬に長い影を作っていた。

「…そんなにお忙しいのなら、わざわざこちらに来て頂かなくてもいいのに…」

なぜこんなことをするのか。私に会いたいというのは本当のことなのか。

一瞬だけ頭によぎった甘い期待にエカテリーナはすぐに頭を振って否定する。けれども健やかに眠るロイドを起こすのも忍びなく思われ、結局彼が目を覚ますまで読書は諦めたエカテリーナであった。

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