つもるちとせのそのさきに

弥生

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転.なゆたのかなたへ 弐

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【弐.傭兵、千年の孤独を耐えた神子の物語を聞く。】


 ジーンを横抱きにしながら施設シェルターに向かう。
 昔この道を辿った時と比べると、とても同じ場所とは思えないような牧歌的な風景が広がっていた。
 木々から差し込む木漏れ日。小動物が枝の上を走り、小鳥たちがさえずっている。

 折り重なった魔物の死骸で死臭が漂っていた暗い森は、今では光が差し込む穏やかな森へと姿を変えていた。



「ほら、見えてきたぞ! らい施設シェルターだ! ……ん? どうした? 痛そうな顔をして」
「いや、先ほどの性癖の暴露がボディーブローのように効いてきているだけです。問題ない……」
「大丈夫?おっぱい揉む?」
「げほっっ!! 一旦! 一旦エロ本の知識から離れましょうか!!!!」
「難しいな……せっかくお前のアーカイブで勉強したのに」
「い、いいですか坊ちゃん。人には、知られてもいい情報と知られたくない情報とがありましてね! 心が抉られますからね!! 坊ちゃんは人の痛みを知りましょうね!!」
「例えば『まだ博士研究員ポスドクから昇格できないのね。まったく、立派なのはナニだけね。さようなら』ってメールでリンダにフラれた事とかか?」
「そういうところだぞ!!」

 なんてやつだ!! 何百年前の忘れた古傷を的確に抉ってきやがる!!!!

「なんで俺がフラれたこと発掘サルベージしてるんだよおおお!! 抹消したはずなのに!!」
「リンダが乗り替えた教授ドクターに昇進予定のマイクに宛てたメールが残っていて……」
「まさか俺寝取られてたの!?」
「マイクが話のネタにお前がフラれたことをメールで拡散していたぞ?」
「知りたくなかったその情報!!!!!」

 何百年越しの衝撃の事実!!
 うああああああ!!! 手で頭を抱えたい!! いや今手を離したらジーンが落下するからしないけど!!
 というかブラックボックスの開け方がえぐい!!
 どれだけ情報収集能力高いんだよ!!

「まぁ、お前が嫌がるなら善処しよう」
「そうしてください……」

 はぁ、施設シェルターに入る前からどっと疲れた……。
 前よりもジーンが酷く……。

 …………。

 いや、前もこんな感じだったわ。
 普通に酷かったわ。
 一日に何度も頭抱えてたいたな……。

 坊ちゃん、フルスロットルで不条理が爆走しすぎじゃないでしょうか……。

「と、とりあえず一旦降ろしますよ……施設シェルターのロックは前と一緒ですか?」
「大体同じだが、手を触れなくても開くぞ? 制御装置を深くまで探ってみたら、虹彩認証機能もついていたからな。後でお前のも登録しよう」
「へぇ、便利ですね。さすが施設を使いこなしていますね」
「まあな! この私だからな! もっと褒めても良いのだぞ!!」

 ジーンの瞳で認証が下りたのか、施設の扉が自動で開く。
 俺が魔樹になってから、どれくらいの時間が経過したかまではわからないが、ジーンの口ぶりからするとだいぶ経っているだろう。
 施設の中は別れた時と比べると格段に物が増えていて、乱雑な様子になっていた。
 白い廊下の左右に崩れ落ちんばかりの書物の山や文献の写しが積み上げられている。

「わりと資料が多いですね」
「世界中から古今の文献を集めていたらこうなっていた。整理しないといけないとは思っていたのだが、なかなかここまで手が回らなくてな」
「へぇ、旧世代以降はあまり文明が発達しないように管理者に抑制されていたと思うんですが、活版印刷まで行けた時代の資料もあるんですね」
「興味あるのか?」
「多少は。今日嫌というほど思い出しましたが、俺の本分は傭兵じゃなくて研究者ですからね。興味はあります」
「奥の図書室の資料はデータ化されているからな。この数万倍の資料が圧縮されているぞ」
「そんなに……」
「一番文明が栄えていた頃の資料だけではなく、お前たちが生きていた時代の資料も大量に眠っていたからな」
「すごいですね」

 俺たちが生きた時代の、もっと先の文明。

 この施設シェルターが作られた時代は、管理者たちの技術レベルに一番近付いた高度な文明を持っていた。
 長年墓守たちで研究していたけれども、あまりにも高度な文明過ぎて、当時はまだすべての解明には至っていなかったはずだ。
 それをジーンの手で成し遂げたのだとしたら、それこそ凄いことだろう。


「時間はたっぷりある。今度おすすめの文献を紹介しよう」
「そりゃ楽しみですねって、そうだ坊ちゃん。さっき『世界中から』って言ってましたけど、どうやって資料を集めたんですか?」
「ああ、墓守を使ったんだ」
 廊下を歩きながら、なんでもないことのようにジーンが答える。

「お前が魔樹になってから何人か墓守が様子を見に来てな。その時にお前から託された金貨を使って依頼したんだ」
「なるほどねぇ。……不老不死…まぁ、俺たち墓守の場合は抗体が変異して“死ねなくなった”という状態が近いかもしれないですけど、事情を知る者たちとは交渉がしやすかったでしょうね」
「その安心したけど複雑という顔を見ると、その後の交流が気になっているようだな!」
「まぁ、気にはなりますよね」
「長い間取引を続けてきたからな。私の世話をしたいと申し出る者がいたこともあったが…」
「へぇ」
「まぁ、お前以外に世話をされる気はなかったからすべて断ったがな」
「……」
「嬉しそうに手で口を押えるなら、その手で私の頭をなでるぐらいしたらどうだ」
 気恥しげにわしゃわしゃっとジーンの頭をなでる。
 ジーンは目を細めて気持ちよさそうにしている。なんだこの可愛い生き物は。

「あ……そういえば一度だけ、管理者からその状態は“孤独かどうか”の審議が入ったことがある」
「“孤独かどうか”?」
「ああ。私と管理者との取引の一つに“孤独の中で最後まで狂わずにいられるか”という条件があったからな」
「………」
 愛猫を撫でるようにわしゃわしゃと撫でていた手を止める。

「何度も言うが、“お前の100年”よりは他愛ない契約だぞ? まぁ、依頼という形でも稀に墓守と関わっているので“孤独”という状態ではないんじゃないのかと管理者が難癖をつけてきたのだ」
「……坊ちゃんはなんて答えたんです?」
「墓守だろうが私の守るべき民草の一種だぞ。たとえ人語を交わすことができても、庇護対象であるあの者たちが私の慰めにでもなると思うのか? 肩を並べられる存在だと思うのか? と」
「……」
「逆に、お前たちは家畜である我らを友と呼び、孤独を紛らわそうとするのか? と質問してやったのだ!」
「………っ」
「答えは“否”だ。すぐに管理者は納得したな」
「………」
「どうした、安心したか? 私にはお前だけだぞ?」
「いえ……人間への認識が管理者と同等でドン引いています…」
「なぜだ!?」
 そうだった。この神子様……中身はともかく、理想だけは気高く、すべての民草は“救わねばならぬ者”と……保護対象としか見ていなかった……。

 本当に、坊ちゃんは昔から“神子”であった。悲しいほどに、孤独なほどに。

「ちゃんと私にとって民草は保護対象だぞ!! ただ空気中の微生物と同じぐらいにしか興味が持てないだけで!」
「例えが酷いな。ちなみに俺への興味は?」
「お前のすべては“私のもの”だからな。一片の欠片でさえ知らないことがあるのは不愉快だ!」
「………愛が、重い……」
「先に重い愛をぶつけてきたのはお前の方だろう!?」

 俺も大概拗らせに拗らせていたが、坊ちゃんも相当……相当拗らせている。

「だから嬉しそうに悶絶して口を押えるぐらいなら、その手で私を愛でろ」
「……はいはい、仰せのままに」

 坊ちゃんの体を引き寄せてぎゅむぎゅむとしながら、広間の前までくる。
 生活空間の前の扉には、もう一段セキュリティが掛けられているらしく、虹彩認証で扉が開いた。
 廊下の様子から中も酷く乱雑かと思っていたが、資料は多いがある程度片付いていた。

「わりと片付いていますね」
「日常的な埃などは空気清浄器と小型清掃機械が済ましてくれるからな! あとはたまに墓守が清掃に来ている」
「そうなんですね。ちなみにどのグレイブ?」
「名前は忘れた。ただお前の事を知っていた奴だぞ。あと、次会った時にはグレイブの名で話しかけるな」
「え、閃光の……とかそういう通り名でしか呼んでいないんですが……」
「お前以外のグレイブがいるのが嫌だったからな。全員名称を旧世代の時のものに戻させた」
「え!? なんで!!?」
「当たり前だろう? 私にとってはグレイブは一人だけなのだ!」
「理由がすげえ理不尽!!」
「そのどこかの誰かさんは! 85年目の夜伽の後にやっっっと名前を教えてくれたが!」
「あ、それは」
「それまではずっっっとグレイブが名前だと思っていたからな!!!!」
「ごめんて」
 ぽすぽすと叩いてくる坊ちゃんを宥めながら、今回は非を詫びる。

「まぁ、次に会った時と言ったが、数は少なくなっているかもしれん。色々と文献を読み漁っている間にお前たちの変質した体を戻す方法も生み出せたからな。お前が知っている者の中で土に戻った者もいるかもしれないな」
「墓守は不老不死でしたからね。知る限りでは管理者に抗って分解された者か、魔素を取り込みすぎて魔物化したものぐらいでしたから」

 そうか、彼らの中では土に……旧世代で失った家族の元に旅立てた者もいたのか。

「まぁ、中はある程掃除しているとはいっても、整備が全然できていないのだ。お前の仕事は山積みだからな! 奉仕しろよ!!」
「はいはい、精一杯奉仕させていただきますよ。……まずは食事ですね。凝ったものは作れませんが、坊ちゃんのご希望通りにオムライスを作りますよ」
「うむ!」
 坊ちゃんの気が晴れたのか、満面の笑みで頷いた。

 適当に冷蔵施設に投げ込まれた食料を確認しつつ、調理台に立つ。
 坊ちゃんは覗き込んだり背中をべたべたと触ったり、腕に纏わりついてきたり邪魔をしつつ邪魔をしながら邪魔をしていた。
 うーん、邪魔……。
 むしろ邪魔しかしていない。


「俺は本気で、おんぶ紐で坊ちゃんを背中に括りつけることを考えるべきか……」
「わー! オムライスだ!! おい、そのとろとろふわふわに作れた方を寄越せよ!」
 わぁ、うん。ウン百年と25年も生きてきた生物とは到底思えない。

 作りたてのオムライスの乗った皿を持って移動するが、その間もうろちょろと纏わりついてくる。

 食卓についてケチャップを渡したら、勢い良くオムライスにかけ始めた。
 ジーンがテーブルに飛ばしたケチャップを拭きとりながら、もぐもぐと美味しそうに食べ始めた彼を見守る。あーあ、リスみたいに頬袋いっぱいに詰め込んで。
「ん? なんだ。食べないのか?」
「いや、もうなんか胸いっぱいで」
「食べないなら貰っていいか!」
「いや、食べるから。食べるからって、うわ!! ごっそり持っていったな!?」
「にやにやしながら見ているのが悪い」
 酷い言いようだ……。
 強奪されて山を崩されたオムライスを自分も食べていく。

「美味だった……」
 腹が満たされて纏わりつきたい気持ちが少し落ち着いたのか、ジーンは満足そうにソファーで寛いでいる。
 俺はその間に片づけをすることにした。

「デザートはプリンがいいな!」
「はいはい」
「紅茶も入れろよ」
「はいはい」
「そうしたら私を撫でて可愛がるのだぞ!」
「はいはい、今食器を洗っていますからね。すぐにやりますからね」
 あーくそ。なんだよ。猫かよ。お猫様かよ。我儘クソ可愛いな。

 すべてを終えて坊ちゃんの望むままに撫でていると施設のランプがついた。

「ああ、そうだった。この時分に来ると言っていたな」
「来客……墓守か?」
「ああ、頼んでいたものを持ってきたのだろう」

 ジーンの前にふわふわと飛んできた小型の……制御装置? それに入室の許可を出したようだ。

 坊ちゃんは書類の山から何かを探そうとしている。

「お久しゅうございます。以前ご依頼いただいていたものを持ってまいりました」
 許可されて施設に入ってきた男が丁寧にお辞儀する。
 深くローブを被ったままの男の顔は見えなかったが、声には聞き覚えがあった。

「ああ。さすが定刻通りだな」
「はい、随分と昔から予定されておりましたので」
「お前が時間に遅れたことはなかったな。らい、お前が起きた時のために必要なものを取り寄せておいたのだ。この施設でも作れることは作れるが、まぁせっかくだからな」
 墓守の男が差し出してきたのは、俺用の衣類や日用雑貨、簡易的な装飾などであった。
 ……中には墓守達が仲間同士で情報をやり取りするために製作している端末なども入っていた。

「私の知識では情報量が多すぎるからな。それである程度のことはわかるだろう。その荷物で足りないものは追加で頼んでくれ。ああ、助かったぞ。こちらが依頼されていたものだ」
 ジーンが書類の山から引き出してきたのは、小さなICチップの入った透明な箱と手書きと思われる紙の束。
 それを男に手渡していた。

「ありがとうございます。確かにお預かり致しました。これで研究が進みます」
 墓守が恭しくジーンの手からそれを受け取る。
 どうやらジーンは古今東西の文献や細々とした雑貨の対価として、別の遺跡で発掘された旧世代の遺物の解読を行っているらしい。

「まぁ、旧世代の家畜の増産に関わることが書いてあったな。すでに失われた技術は再構築に時間がかかるが、後半の特性に関わることなら今の文化レベルでも導入は難しくないだろう。お前たちの判断で民に卸してやってくれ。他に何か問題などはあるか?」
「北方にて乳幼児に蔓延する疫病が発生した模様です。対策を練っておりますが、原因の特定に手間取っておりまして……」
「北方……それってラース山脈よりも北のバレル地方のことか? うーん、確か1500年ほど前に同様の疫病が流行ったような……。気温上昇によりラース山脈の永久凍土から溶け出た水に……溶け出ていた金属が原因だったような……いかんな。随分と昔に読んだ資料すぎて確証が持てない……確か350年前に読んだ資料の中にあったと思うので探してくる。少し待っていてくれ」
「ジン様、ありがとうございます!」

 う、うちの馬鹿可愛いジーンがなんかすごく賢そうなことを言いながら寝室に向かっていった。

 え、本当に俺の知っているジーン???

 墓守と二人取り残された空間で、静寂が広がる。

「……久しいな。漆黒。…いや、ライ・カラスマ」
「探求……いや、もうグレイブとは呼ばれないんだっけか?」
 男は深くかぶっていたフードを乱暴に外す。
「……本当にお前だったんだな。あの御方の……ジン様の待ち人は」
「その呼び名はなんだ?」
「神と自称した管理者を克したあの御方を、神子などと呼ぶ不敬者はもうこの世界にはいない。だが、あの御方は自身の名を呼ぶ許可を誰にも与えなかった。だから墓守たちで考えた結果、そうお呼びすることにした」
「墓守たちって……随分と気難しい奴も居ただろうに……」
 男は切れ長の鋭い目を一層細め、唇をゆがめる。

「お前は、本当に何も知らないんだな」
「………魔樹になっている間以外は、全て知っているが?」
 男の逆鱗に触れてしまったのだろう。
 学者肌で荒事に慣れていない男の手が俺の胸倉を掴む。

「あの御方の苦労を知らぬお前が、知ったような口を聞くな」
 距離を詰めて掴みかかってきた男の手を、骨が軋むほど掴み返す。
「いきなりなんだ」
「あの御方が……あの御方がいったいお前を取り戻すためにどれほどの時間をかけたと思っている」
「ぜひ、ご教授頂きたいものだね」
「千年だ」
「………っ」
「お前が人の姿を失ってから千年もの間、あの御方は世界を救い続けてきたのだ」
 ひゅっと、声にならない悲鳴を吸う。

 千年。
 千年だって……?

 百年が続く永劫とも呼べる戦いの日々も。
 一年のうちたった一日でも、彼に会えた。だから、血反吐を吐く年月も耐え抜くことができた。

 それを、千年も…孤独の中で………?

 たった一人で?

「あの御方は、一日たりとも欠かすことなく、お前の根元にある拡散装置の上で血を流し続けた。千年もの間、毎日……毎日……気が遠くなるような歳月……。少量では効果が無い。不死に作り変えられたとはいえ、痛覚や感覚は他の人間と同様な身体だ。どれほどまでの苦痛を伴うだろうか」
「そん……な……ジーンは何も……」
 少なくない年月を、俺を取り戻すために使ってくれていたことはジーンの口ぶりから察してはいた。
 それほどの時間、彼に孤独を与えてしまっていたと。

 けれど、千年。
 そんな、俺の百年ですら耐えがたい苦痛だったというのに。それを……それを千年も。

「それだけではない。あの御方の凄さを……お前は何も知らないのだな。いいか、あの御方に旧世代の資料の読み方をお教えしたのは私だ。数日かけて……。だが、私にできたのは極一部の知識の伝達のみだった。あの御方は、真っ白だった。何も知らぬ無垢な御方。そこに膨大な……無限とも思えるような知識を蓄えていった。すべて、あの御方自身の力によって、我々墓守が叶わないほどの知性を獲得していったのだ」
 俺の知らないジーンの姿に、息を止める。

「お前にわかるか? あの御方は天才でも秀才でもない。学問には適さぬ御方であった。ただ、“私には時間があるのでな”と言って、凡庸な才能で、圧倒的な時間をかけて、全てを獲得していったのだ!! お前も私も学問の徒の端くれ。知識の獲得にはある程度の自信があるだろう。だがあの御方は、100覚えて80を忘れるのならばと信じられないほどの時間を費やし、我々が到底できないほどの高みまで登り詰めたのだ。時間をかけて、全てを……すべてを解読していったのだ。非凡な才が時間を掛ければそれなりのものになるだろう。だがあの御方は、凡庸な才で、努力というただそれだけの才であれほどまでの博識を習得していったのだ。カラスマ! その壮絶さが、お前にはわかるか? 限りない時間を寝食を惜しんでまであの御方は探求していったのだ!! その知識によって、我々では成し遂げることのできなかった、神を下すことができたのだ!!」
 掴みかかる男を掴んでいた腕を力なく卸す。

「そんな……ジーン……そんな……」
「一度お尋ねしたことがある。なぜ、そこまで千年の時を耐えれるのかと。何が貴方を突き動かすのですかと。……魔樹の元、あの御方は答えた。“私は一生分の愛を与えられたから”と。“愛の重さを幾千もの物で表し、愛の深さを幾万もの言葉で表す者もいるだろう。だが、私の知る一番深い愛を渡してきた者は、物も言葉も残さなかった。ただ、私の未来のために、自分のすべてを差し出した。私のために、百年もの間、決して苦痛を悟らせなかった。私は真実、あの者に愛されていた。だから、百年でも千年でも、あの者を取り戻すためならば耐えられるのだ”と」
「……っ」
 胸倉を掴んでいた男の手が離れる。
 俺は、顔を覆ってしまった。
「“たまに孤独に耐えられなくなって、あの者の欠片を求めて情報の海を探ってしまったが”と恥ずかし気に話されていたが、もう誰もあの方をお止めすることはしなかった」
 一度音が鳴るほどに強く胸を叩かれる。

「あの御方は、自身の犠牲で世界を浄化し、自身の知識で神を掌握した。救いを求めて山に入った民に知恵を授け、多くの町を間接的に救うこともあった。この世界の救世主メシアとなったあの方を、畏敬の念によって我々はジン様と呼ぶことにした。だが、あの御方は神に成り代わることは望まなかった。神無き世界を望んだために、この世界の正史に名を刻むことを拒んだのだ。どうか、頼む。世界を救ってくださったあの御方を落胆だけはさせないでくれ。どうか人類を、あの御方が救う価値のないものだったと思わせることだけはしないでくれ」

 ああ、本当に……愛が重い。
 なんて重さで返してくるんだあの坊ちゃんは。

「……劉。悪りぃ、謝罪する。俺の知らない坊ちゃんを知るお前に少し嫉妬した。軽率な態度を取ってしまったことを謝罪する」
「謝罪を受け入れよう。私も御髪に指を絡めて独占欲丸出しでイチャイチャいちゃいちゃする貴様に猛烈に腹が立ったのだ。許せとは言わんが、能天気に何も知らないお前が心底腹立たしい」
 ……返す言葉もない。
 返せる言葉が一切ない。

「お前の生涯をかけて、ジン様に奉仕しろ。正直ジン様の名を呼ぶことを許され、こ、恋人などという立場にいることができる貴様を吐血しそうなほどに羨ましくて憎悪しそうになるが、それもこれも最初にお前の献身があったからだ。ジン様を幸せにしろ。それだけが我らの望みだ」
「ああ、約束しよう」

 神経質な昔のままに、青筋を立てながら差し出してきた彼の掌を握る。
 共に研究をしていた昔の同志、劉錫停。
 そういえばこいつはこんな男だったなと酷く懐かく思い出した。


「あの神々しいほどに美しく、民衆への慈悲の心に溢れ聡明で思慮深いジン様が貴様のような男に心を許しているのが酷く癪に障るが、あの御方の望みならば致し方が無い」
「なんて?」
 ソウメイでシリョフカイ? なんて言った??
 聞こえたが意味がよく理解できない。

「ジン様は失われていた我々墓守の名前を取り戻してくださった御方だぞ。我々の不死の身体を土に戻す方法も、あの御方が研究してくださったのだ。中には家族の元に還った者もいたが、多くの墓守は取り戻した名前と共に悠久の忠誠を誓った」
「……」
 いや、確かあのクソ坊の理由はそんな大層なものじゃ……。

「我々はジン様の御用聞調達隊ファンクラブを結成し、永久にあの御方の幸せを遠くからそっと見守ろうと決意したのだ」
御用聞調達隊ファンクラブ!?」
「ちなみに私が組織の№2だ。初期メンバーと共に結成した」
 まさかの狂信者ねっきょうてきふぁんだと!?

「貴様がジン様に無体を働こうとしたら他の墓守と共に死なない程度に痛めつけるからな」
「真顔で迫るのやめてくれないか!?」
「あの穢れなき無垢で聖女のようなジン様に……貴様などが手を触れるなど……」
 いや、あの……俺の知るジーンと、こいつらの語るジーンの乖離が激しすぎて脳がバグる。
 聖女のような……ってあいつさっきオムライス食べてるときに「童貞を殺す服というのも作ってみたが、お前は童貞ではないし、効果はないだろうか」って真剣に聞いてきた奴だぞ!!
(俺にクリティカルヒットで一撃死するので是非夜に着てくださいとお願いしておいたが)
 初手開幕俺の息子が大変なことになりそうな事ばかり言っていた奴だぞ!?


 いや、確かに行動は一致している。間違いなくジーンがやったことで間違いない。
 けれど、人さまから見たジーンってそんな印象なのか??


 俺の脳がゲシュタルト崩壊している間に、寝室から出てきたのか、ジーンが古い文献を片手に戻ってきた。
「あったあった、やはり記述に間違いなかった! 過去の文献では雪解け水に溶けた特殊な金属毒が飲み水から母親の身体に入り、毒が濃縮された母乳によって乳幼児に影響が出ると記述されていた。まずは母親の口に入るものを沢の水から変えて様子を見るように伝えてくれ」
「ありがとうございます、ジン様! これにより救われる命があることでしょう」
「ああ。この金属毒は大人には影響はあまりないが、未成熟な子どもには害があるからな。飲み水から気をつけてやってくれ」
「承知いたしました」
 劉がまた深くフードを被り、深く頭を下げる。

 劉は御用聞調達隊みまもるかいとして施設の不足している資材を確認してから山を下るようだった。

 俺は劉の準備してくれた衣類や雑貨を整理しながらジーンに問いかけた。

「坊ちゃん、俺のこと愛しているんですか?」
「ふふ、お前ほどではないがな」
 なんて、はにかむもんだからその愛らしさに昇天するかと思った。





 ちなみに、死ぬほど余談だが。
 帰り際に呼び出された劉からある道具を渡された。

「あの御方にお前風情が触れるなど憤怒で狂いそうになるが、もしもあの御方が望まれた時のためにな」
「……ナニコレ」
「ストロベリーミルクの香りのする軟膏だ。それとこちらはバニラのフレーバーのする避妊具」
「…………コレナニ?」
「あとはもしも切れてしまったときのための傷を塞ぐための軟膏だ。あとは拡張するときにつかうのはこの薬だ。たっぷり使って拡張しろよ」
「……ぇ……」
「あの御方の為だからな。いいか、あの御方を苦しめてみろ。死ぬ一歩前までは削るからな」
「……」

 え、なんでゴムの大きさが特大で俺の息子サイズ知っているの? とか。
 なんで俺睨まれながらこの夜のお供にセット渡されているの? とか。
 色々と聞きたいことが山ほどあったけど。

墓守改め御用聞調達隊きょうしんしゃ一同より、の念が色々と込められた一筆を見て、一体どこからどこまで知られているの?? って全俺が泣いた。
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