マヨネーズが泳いだ日

川本 薫

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マヨネーズが泳いだ日

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『ねぇ、やっぱりカレーでいい? 』ラーメンを食べようって誘ったくせに、ショッピングモールのフードコートでカレーの看板を見て、千の気持ちは変わったようだ。

『仕方ないね』
私は店の前に置かれたメニュー表を見て、オムカレー、千は牛すじカレーを頼んだ。

『サミ、先に、席取っておいて』
千がカレーを待つ間、私は一番隅っこの席に座った。改めて周りを見渡すと、世の中、本当に不景気なのか? と疑うほどの人の多さ。この人混みが苦手で、この人混みの流れの中で食べるのが苦手で、千に誘われなかったら日曜のフードコートなんて絶対に、ごめんだった。

『サミ、おまたせ』
千は店員みたいになれた手付きで、両手にトレーを持ってカレーを運んできた。

『サミ、飲み物はお茶でいい? それとも無糖の紅茶? 』
『無糖の紅茶で』
よく気が利くもんだと、自販機へ向かう彼のバンドマンのような細い後ろ姿を見ていた。

ペットボトルの紅茶と麦茶を手にして、千は、席に座ったと思ったら、鞄の中から携帯用のマヨネーズを出してきた。

『もしかして、そのカレーにかけるん? 』
『うん』
千は、迷いなくカレーに芸術的にシュシュとマヨで宇宙のような細い線を書いた。

『ねぇ、もう死語かもしれんけど、千は、マヨラー? 』
『うん、なんにでも、本当にマヨかける』
『まあね、マヨは何にでも合うもんね。むしろ、合わないものを見つけるのがむずかしいかも。マヨにわさびでも合うし、マヨに七味でも合うし』 

カレーを食べながら、マヨの話に夢中になるわたしたちはなんかおかしい。そもそも、千と私の関係もちょっとおかしい。千は、一人で外食ができないらしい。できないというか、外食は誰かと食べたいらしい。だから、なにか食べたいものがあると、多分、スマホの電話帳の一番上から順に『ごはん、いこ』ってメッセージ送ってるんだと思う。

千と出会ったのは、和さんのライブ。たまたま席が隣でお互いに一人で来ていた。ライブがはじまるまでの時間に『はじめまして。僕は、石崎千と言います』と話しかけられて、私は『白井サミです』と答えた。今思えば、なんで名前を言う? とおかしなはじまりだった。けど、ライブが終わってからアストラムラインの駅まで一緒に歩きながら、音楽の話をする千は嫌な感じではなかった。その時、少しだけ彼女の話も聞いた気がする。千の初対面のイメージは棘のないバンドマン。

それから、時々、音楽のことでラインがきて、しょうもないと思えば既読スルーしたし、興味があるものには返事した。彼女がいるから、私からラインをしたことはなかった。確かなことは聞いてないけど、いつからか食事に誘われるようになった。

私の中では『一度、一緒に食べて、つまらなければ次から断ればいいやぁ』と思っていた。

ーねぇ、新しくできた仁多米を使ったおにぎり屋さんのランチに行かない? ー


千はその時はマヨネーズを持ってきてなかった気がする。女子でもないのに、ようこんなお店知ってる、と感心したことは覚えてる。

毎回、本当に、ご飯を食べるだけ、食べ終わったら『またね』と別れる。それが1ヶ月に一回のときもあれば、2ヶ月連絡がないときもあった。もし今の二人に名前をつけるなら『飯友』だろうか? 目の前に千がいるというのに、私はそんなことを思いながら、オムカレーを無言で食べた。千はマヨネーズをかけた牛すじカレーを『旨いなぁ』といちいち声を出しながら食べていた。

オムカレーは、量が少なく見えたのに、ご飯がぎゅうぎゅうに型に押し込まれていたのか、予想以上にお腹いっぱいになった。美味しかったけど、私はやっぱりオムライスの方が好きかも。

『ねぇ、サミ、このあと、珈琲付き合ってよ。少しだけ聞いてもらいたい話がある』
『今、ここじゃあ、駄目? 』
『うん、あんまり人に聞かれなくないから、もう少し席が離れてるところがいい』
そう言われてお腹がいっぱいなのに、一階のスタバに行った。

ホットコーヒー2つとチャンククッキーを頼んで、千は、隣が空いてる席に座った。

『サミ、実はさ、彼女とは別れたんだ』
『ごめん、正直に言うとなんとなく、そうかなぁ? って』
『その理由がさ、ちょっとおかしいんだ。マヨネーズと私、どっちが好きなの? って。いやいや、マヨネーズと人間なら、もちろん、人間でしょ、と思うんだけど、僕が携帯用のマヨネーズが少なくなって、直接口付けて、チュウチュウ吸ってたら、怒りだしてさ。なんか、他の女の人の乳首を吸ってるみたいに見えるって』
千がものすごい真剣な顔でおかしなことを言うもんだから、私は眠くなりかけた目がぱっちりと開いた。

『千、ごめん、ちょっと笑いが止まらない』私は千の口から乳首なんて言葉が出るから、ドキッとしたというよりも本当に笑いがとまらなくなった。マヨネーズに嫉妬してる彼女よりも。

『サミ』ちょっと千はムッとして、話をやめた。そして、悪乗りした私はつい、うっかり聞いてしまった。

『千、彼女とマヨネーズ、どっちを舐めたかったん? 』 
『はあっ、僕の真剣なマヨ愛をそういうふうにエロく笑い話にされることが最高に許せない』そう怒りながら、千は突然、鞄からマヨを取り出してコーヒーの中に入れたのだ。

『千、コーヒーだよ? 』
『知ってるよ』 
『千がさ、マヨネーズをいかに好きかはわかった。だけど、コーヒーだよ? 』
『サミまで馬鹿にするから、勢いでいれた』
私は悪いけど、目の前にたちこめるコーヒーの匂いより、大好きなチャンククッキーより、千の彼女の台詞が強烈で、頭の中は、チュウチュウとマヨネーズを吸う千で占領されていた。

『サミ、さすがにコーヒーにマヨは駄目だ』
『当たり前じゃん、で話はそれだけ? 』
『いや、サミはさ、なんで僕とご飯食べてるの? 』
『誘われたから』
『それだけ? 』
『それだけ』
『僕に感情は? 』
『特別な感情はないよ』
自分でもちょっと悪いなと思うぐらいはっきりと言った。
『僕はサミが浮かんだから、怒ったふりして彼女と別れたんだ』
と言ったかと思ったら、マヨを持って水鉄砲みたいに、ちょっとだけ私の頬に向かって飛ばした。

『千』
私が言う前に、千は紙ナプキンで少し顔を隠して、私の頬についたマヨを舐めた。

『千、マヨネーズは水鉄砲じゃないし、私はマヨで味付けなんてされたくありません』と千の顎を人差し指で持ち上げた。

ちょっと真剣に怒ったふりをしたけど、やっぱりチュウチュウが浮かんで笑いが出てくる。
『人の顔見て笑うなんて本当に失礼だよ。サミ』千は本気で怒ったのか、席を立って、一人で店を出ていった。

マヨのことで彼女と別れて、マヨのことで飯友とも絶交かぁ。私はお皿に残ったチャンククッキーをティシュでくるんで鞄にいれた。さて、帰ろう。入口のバス停でベンチに座ってバスを待った。花壇のほとりにドライフラワーみたいに枯れたたんぽぽがあった。綿毛だけがまだ生きてますと言わんとばかりにふわふわしていた。誰かあのたんぽぽに気づく人はいるだろうか? なんて考えていたら、千がそのたんぽぽを手にとって綿毛をふうっと飛ばした。

『僕も帰るから』そう言って私の隣に座った。
『彼女と仲直りしたら? やっぱりマヨのことで別れるなんておかしいよ』
『いや。彼女は多分、気づいてたんだ。僕が他の誰かに夢中になりそうなことを。だから、マヨに嫉妬してるふりをして確かめたんだよ』

『ごめん、誰のことも本気で好きになったことのない私にはちょっとわからないや』
バスがきて、千はやっぱり私の隣に座った。そして、途中で乗り換えたのに、やっぱりついてきて、私の隣に座った。そして、あろうことか、私の部屋までついてきた。

『千、何がしたいの? ストーカーのつもり? 』
『サミに教えてあげるよ。マヨネーズの美味しい食べ方』
『まさか、チュウチュウするの? 』
『チュウチュウはしないけど、パンやちくわはある? 』
『一応、食パンとちくわならあるけど、千、ごめん。今、お腹いっぱい』
『じゃあ、お腹がすくまで待つ』
千はそう言いながら、ちゃっかりと部屋に入った。いや、私が拒否しなかったんだ。

私は鞄の中からチャンククッキーを取り出して、テーブルの上に置いた。千は積み重なった本棚の本を真剣に見ていた。

『サミ、意外に本、読むんだね』
『あっ、暇だからね、本屋さんで目があれば買うかな』
『本当に誰とも付き合ってない? 』
『誰か付き合った人がいたら、この状況はまずいでしょ? 』

どうでもいいことを話しながら、部屋に西日が差し込んできたとき、千が立ち上がった。

『そろそろ作るから、手伝って』
千は食パンもちくわも半分に切った。そして、自分の鞄の中からマヨを取り出して、それをあたためたフライパンにぶちゅーと絞り出す。一気にマヨの香ばしい匂いが部屋に充満して、食パンもちくわもフライパンにのせた。ほんの三分ほど。見た目はフレンチトーストの薄いバージョンって感じで、ちくわはちくわだった。

私は電気ケトルで沸いたお湯でコーヒーを作って、冷蔵庫にあったハムを千切りにして、溶き卵に鶏ガラスープを混ぜた。それをさっとフライパンで炒めて、お皿の上の食パンとちくわの横に並べた。

『なんか、朝ごはんみたいだね』
『たしかに、たしかに』
千はマヨネーズをかけるのかと思いきや、そのまんまでハムタマを食べた。

『なに? これ? 塩コショウじゃないん? 』
『鶏ガラスープだよ』
『めっちゃ旨い、マヨより旨い』
『まあ、鶏ガラスープもマヨみたいなもんだからね。鶏ガラスープを混ぜた溶き卵を熱したフライパンに投入してさ、そこに冷やご飯をいれて炒めるだけで結構美味しい焼き飯ができるんよね』

ふーんな顔で千はあっという間に食べた。そして、私がまだ食べてる途中だというのに、
『じゃあ、ありがとう』
そう言って立ちあがった。

『じゃあね』
玄関のドアをそっと閉める。

こういうのも、ありかっ。押し寄せたかと思ったら、さっと引く。

ー波処方ー

私は絶対に自分からは連絡しません。さっきまで千の口が触れていたマグカップとちょっとだけ卵がついたお皿をしばらく見ていた。

何一つ、本当に何一つ、そんなことはしてないというのに、千の作ったマヨトーストとマヨちくわを口にすると、千が体の中に入ってきたみたいで、きっと私のハムタマも千の体の中に今頃、いるんだと思ったら、なんだかイヤらしい。私は残りのトーストを思いっきり、噛じった。


口の中には棘のないふわふわした綿毛のような優しさが充満して、これから私の体のいたるところに宿りそうな予感がした。

とある春の日の夕暮れのマヨネーズの匂い。

それが私にとっての最高のマヨネーズの食べ方だと気づけたのはずっとずっと後だった。



『サミ、これが美味しいんだってさ』
今、冷蔵庫の中には、チュウチュウできない瓶のマヨネーズがどんとある。































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