悪魔のシェアハウス

ユキマル

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孝志編

第33話『 堕 ち る 』

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 ――最初、立花冬美を『美人』だなんて思ったことはなかった。



 むしろ、その逆だ……


「ねぇ、このにおいって」

「し!しずかに、聞こえちゃうよ」

「別に、聞こえたっていいじゃん。本当にくさいんだから」

(……また、アイツか)


 俺、犬飼孝志は、一年生の頃から立花冬美と同じクラスだった。
 その頃から立花は、悪臭を放つ『クラスの問題児』

 みんな、騙されたと思っても不思議じゃない。立花は入学式の時、今の姿からは想像できない綺麗な服を着ていたから。綺麗だったのは入学式だけで、立花は毎日同じ服を着て登校してきた。

 日に日に服の汚れも目立ってきて、髪も伸びっぱなしで――すぐに、汚い女の子に変わってしまった。
 立花と友達になろうと積極的に話していた同級生もすぐに彼女と距離を置くようになる。

「あのさ、風呂…入らないの?」

 この頃の俺は、まだ両親も仲が良くて、ちゃんと毎日三食ご飯が出てきて、笑って過ごせる『普通の家』だった。他人を気にする余裕があったんだ。

「?いぬかいくん。おふろって、なに?」

 立花が俺の方に顔を向ける、前髪が伸びっぱなしで顔はほとんど見えない。顔がこっちに向いた瞬間に強烈な匂いが鼻を刺激して「うっ」と声が出てしまった。

「っ……お前、お風呂知らないの?」

「うん。せまいへやに、上からお水、流れるところならあるけど」

「それって、もしかしてシャワーじゃない?シャワーは?入らないの?」

「……使い方、わかんない」

 そう言って、立花はまた下を向いてしまった。

「ハンドルをひねるんだよ、父さんがそうやってた。あったかい水にも変えられるよ!」

「そ、そうなんだ……」

 俺は自分が知ってる限りのことを身振り手振りで立花に伝えた。臭いのが嫌ってのもあった……でも、一番はクラスメイトが虐められている姿も、虐める姿も見たくないから。

(こういうのって、ふつう先生が教えてくれるんじゃないの?)

 俺のクラスの担任は、はじめてクラスを受け持つって言ってた。優しくて、いい先生だとは思う……でも、男子が「たちばなさんってされてんじゃねーの?」って聞いた時の反応を見て、この先生は「ダメだな」って思った。


『ど、どうかな…そういうのは先生の仕事じゃないから。立花さんのご両親にはあとで先生が相談しておくから』

 生徒の質問にすごく困った表情をしていたのを覚えている先生も新人で、どうすればいいか分からなかったんだろう。あの後、先生が立花の両親に相談したのかはわからない。……何も変わってないところを見ると電話すらかけてないのだろう。

「えっと確か、青が水で、赤があったかい水だよ!」

「両方……うん、わかった。お母さん、夜にはいないし……やってみようかな」

「あ、ちゃんとシャンプー使わないとダメだよ!かみが綺麗にならないから」

「しゃんぷー……うん、わかった。ちゃんと使う」

「ありがとう」立花はすごく小さな声でお礼を言った。

 唇がうっすらと笑みの形を作ってるのが見えて、少しだけ安心した。

(どうして、クラスメイトも先生も、お風呂のこととか、シャワーのことくらい教えてあげなかったんだろ……)

 子供の俺が出来ることを、どうして大人ができないのか不思議でしょうがなかった。立花と話が終わって後ろを振り返ると、俺たちを見てヒソヒソ話をする女子の集団が見えて俺は眉をひそめる。

(立花が関わらなければいいヤツ等なのにな……)

 立花をイジメてる時のアイツらの顔は、なんか気持ち悪くて嫌いだ。

(くさいと思うなら、教えてあげればいいじゃん)

 俺は子供ながらに立花のことを普通に可哀想な女の子だと思ってた。
 でもさ、今ならわかるんだ……立花は可哀想な女の子なんかじゃない。

 アイツの近くにはそういった――『常識を教えてくれる大人』がいなかっただけだった。人は、他人に無関心だ。余裕のある人しか、他人のことなんて気にしてられない。あの時の俺は、家族が大好きで……



 世界で一番幸せだと思っていたから。



 シャワーに入るようになったからなのか、立花は臭いと言われなくなった。服は相変わらず汚いままだったけど、髪は綺麗になって、変な匂いもしなくなって、ようやくアイツは『普通の女の子』になれたんだ――。





◇◇◇





「……なにが、普通だよ」


 立花は……いや、冬美はあの日からずっと変わらずに苦しんでいたんだ。


 さっき見た光景が、ずっと頭から離れない――。




『死んだ!アイツ死んだよ!!あはっ、ははっ最高!!』



「孝志!!」


「!……誠」


 後ろから走り寄って来た誠に声をかけられる。

「もう、食べ終わったらあの話しようと思ったのに、何も言わないで立ち上がるからビックリしたよ」

「えっ、あ、ごめん。ちょっと考え事してた」


 さっきのことで頭いっぱいになった俺は、すっかり作戦のことも忘れて立ち去ろうとしていたらしい。風呂に入って、少し気が緩くなったってのもある。

(でも、誠にどう話す?冬美のことを話すのか?あの、壊れた冬美を……?)

「五十嵐くんも心配してたよ?もしかして、なにかあったの?」

「いや、なにも」

「ま、まさか、メイドにバレた?」

「それは無い!ちゃんと、メイドの、陰には、入れた。………能力も、わかったよ」

「!?えっ、あの短時間で能力もわかったの?」

 俺の言葉に誠が嬉しそうな声を上げる。喜ぶ誠とは反対に俺の心境は複雑だった。

「うん………」

「よ、よかったぁ~」

 作戦のことを心配していたのか誠は安心したように長いため息を吐いた。

「じゃあ、僕の部屋で――」

「悪いっ、誠………!」

「孝志?」

 このまま誠の部屋でメイド能力を教えることはできる。でも、今日見たモノの衝撃がすごくて、少しだけ気持ちを落ち着かせる時間が欲しかった。

「今日は、ちょっと疲れた……報告は、明日でもいいか?」

「えっ、あ、孝志っごめん!孝志に一番大変な事任せてたのに……僕、また自分のこと考えてた」

「そんなことねぇよ。でも、あの能力って精神的に疲れるんだ。シェフも一回能力を使ったら一日は休めって言ってたし」

「そうなんだ……わかったよ。じゃあ今日はお互い何もしないで寝よう。実は、僕も、ちょっと今日は疲れたから」

「疲れたって、お前の方こそなんかあったのか?」

「ちょっとね。でも、大丈夫!大したことじゃないから。……じゃあ、おやすみ」

「ん。おやすみ、また明日な」

 話してる間にお互いの部屋に到着したのか、誠は疲れたような顔をして部屋に入っていった。誠の部屋の扉が閉まったのを見届けても、しばらくその場を動けなかった。

(……誠も、何かあったんだな)

 いつもの明るさに少しだけ暗い感情が見えた。誠は「大丈夫」と笑っていたけど――

「はぁ、アイツの大丈夫は信用できねぇんだよな……」

 誠は少し……五十嵐と似てる。二人とも友達のためなら無理できるやつだ。まぁ、俺も人のこと言えねぇけど……。

 誠を見届けて自分の部屋に入ろうとしたけど、ドアノブに手をかけたところで止まる。

「……っくそ、ダメだ。頭から、全然消えねぇっ」

 沢山の人の悲鳴、笑い声、怒鳴り声、叫び声、そして……室内に飛び散る鮮血、無数の死体……


 ――指のない手。


「……っ」


 部屋に入り静かに扉を閉めると、その場にしゃがみ込んだ。

「明日……誠に、どう説明すればいい?」

 メイドの能力のことは話せる。この日のために、俺たちは貴重な時間を使って訓練したんだ。一日で能力が知れたなんてラッキーじゃないか。

「あれは、話さなきゃ、ダメだよなぁ……」

 シェフが言っていた。メイドの能力は『言霊』で、対価は『指』だと。

 俺も、この目で『指の無い右手』をハッキリ見た。指が対価だと知れば、ここに来てから冬美に感じていた『違和感』に納得ができる。

「っ、指が無いから、いつもメイドが冬美の飯を切り分けてたんだ」

 冬美が食事中に箸を使うことは無い、いつも利き手じゃない方の手……左手を使って全ての料理はフォークで食べていた。五十嵐が一度だけ「お前、少しメイドに甘えすぎじゃないか?」と注意していた。その忠告に冬美ではなく、メイドが答える――。

「私、冬美ちゃんのこととっても大好きなんです。お世話してるのは私の我儘なので許してくださいませんか?五十嵐様」

 冬美の環境をある程度知っている俺たちは、メイドの言葉を受け入れるしかなかった。それから、同時に思ったんだ「この世界くらい、アイツも甘えてもいいんじゃないか?」って……注意は五十嵐の一回きりで、誰も冬美の食事に関してなにか言うことはなくなった。

 誠は「萌え袖ってやつだよ!可愛いよねぇ」とオタク全開で冬美の姿に興奮していたけど、服の柄が変わっても、ズボンから短パンになっても、アイツは指先が見える服を着てなかった。


 それも、全部—―『対価』を隠すためでしかなかったんだ。


「あいつ、たぶん。俺たちよりも早く、メイドと契約してたんだ……下手すりゃ、メイドと風呂に消えた……あの日にって可能性もあるよな」

 だとしたら、度胸ありすぎだろ、あいつ……!

「あーっ!くそ、おれは……っどうすりゃ、いいんだっ」

 やっぱり、馬鹿な俺なんかが、悪魔と契約するんじゃなかった。誠から悪魔と契約をしに行く話を聞いた時、アイツの青ざめた顔と震える肩を見てすぐに「誠には無理だ」って分かった。何を言われても、俺が悪魔と契約するって決めた。


(俺は、アイツらといると、自分も何かできるんじゃねぇかって、勘違いしちまう)

 きっと五十嵐や誠なら、俺が今悩んでることもすぐに答えを導き出せる。

 俺は――


「誠も、五十嵐も……冬美も、助けてぇ……っ」


 誠を大好きな家族のところに返したい。五十嵐の無くなった腕を戻して、元の世界に戻してやりたい。笑顔の裏でずっと苦しんでいた冬美を救いたい……!

「でもっ、どうすれば助けられる?おれの頭じゃあ、絶対、むりだ……」

 久しく感じなかった、一人の恐怖が俺の感情を強く揺さぶる。悩んでも、俺は……正しい答えを知らねぇから。誠は、俺のことよく「凄い」って言うけど――

「俺は……なんも、すごくねぇんだ」

 アイツ等みたいに頭もよくない、自分が経験したことでしか言葉に出せない。いつも、直感で思ったことを口にしているだけで――俺は、何も持ってない。

 一人になると、嫌な事ばかりを思い出す。



『ちょっと!犬飼さん宅のお子さんよねぇ?このゴミ袋の中、ペットボトル入ってるんだけど?』

 隣に住むおばさんは迷惑そうにするだけで、ゴミの分別のやり方も教えてくれなかった。

『お前はっ!なにをやったのかわかっているのか!?父さんが稼いで買った米を無駄にしたんだぞ!?』

 父さんは叱って、殴りつけるだけで、米の炊き方を教えてくれなかった。

『え?風邪の治し方?そんなの自分の親に聞けばいいじゃん。俺に聞くなよ』

 友達に風邪を引いた時の看病のやり方を聞いても、ソイツは知らなかった。

『児童相談所に連絡したら?え?せ、先生は忙しいから、犬飼くんなら一人でもできるわ、もう三年生なんだもの』

 先生に言われて児童相談所に行ったけど、何を話せばいいのかわからなくて、相談所が閉まるまで外で見ていることしかできなかった。

『孝志、パパのことよろしくね。大丈夫、孝志は優しい子だから。パパと上手くやっていけるわ』


 出て行った母さんは、父さんとどうすればうまくやっていけるのか、何も教えてくれなかった。
 俺の人生には答えのないものが沢山で……求めても誰も教えてくれなくて――


「ふっ…くっ…っ」


 ポタポタと絨毯に涙が零れ落ちる。全員を助けたいなんて、欲張りだってわかってる……きっと他の人が聞いても「無理だ」って言われるのなんて目に見えてるのに、俺は、アイツ等が大好きだから、大切だから……


「助け、たいよ……っ」

 考えても、俺の頭では答えなんて出てくるわけもない。とにかく、涙だけでも止めようと、袖や手のひらで何度も拭った。泣いたのなんて久しぶりだ、もしかしたら、冬美の闇に引っ張られてるのかもしれない。さっきから、ずっと胸の奥が苦しくて、頭が痛い。

(それだけじゃない。きっと、体に精神が引っ張られてるんだ……っおれ、もうすぐ大人になるのに、男なのに、馬鹿みたいに泣いて)


「っ…ぁ」


 『あの時』の記憶が蘇って自然と右手に目が向けられた――。


「確か、こっちの手って…」


 ――シェフと手を繋いでいた方の手だ。


『っごめん』


『あぁ、勘違いするな。呆れているわけではない。ある程度は予想していたが、ここまでだとは俺も思っていなかった』

『怯えるのも無理はない。この暗闇は、普通の人間なら耐えられないものだ』



「……」


『しぇ、シェフ。と、隣にちゃんといるんだよな?』


『あぁ。心配なら手をつなぐか?』


『!お、おねがいします』


『……冗談で言ったつもりだったんだが…』



「……っ」


 俺は右手から目線を足元に移した。そこにあるのは――


 俺の影だ。



「……なぁ」


 俺は右手を自分の影の上にそっと置いた。自分の影には入れないことは知っている……手を置いても他の影の時のように波打っていなかった。


「シェフ」

 流れる涙をそのままに、悪魔の名前を呼んだ。この時間なら、まだ厨房の清掃をしているかもしれないと思ったけど—―








 「……泣いているのか」


(やっぱりな、シェフなら来てくれると思ってた)


 後ろに感じる人の気配に俺はどうしてか安心してしまう。口元が緩んで、流れた涙が口内に入る。涙は、すごくしょっぱかった。


(悪魔は人を騙す、誠には油断するなってさんざん言われたけど――)

 俺は、シェフに背を向けてしゃがみ込んだまま言葉を続けた……

「なぁ、俺はどうすればいい?どうすれば誠をここから出せる?冬美を助けられる?五十嵐の腕を……っどうすれば取り戻せる?」

「俺に、聞くのか?……悪魔だぞ?」

 シェフが少し困ったような声を出す。

「っだって、はじめてだったんだ。わかんねぇこと、聞いても、ちゃんと答えてくれる、大人……っシェフが、はじめてだったんだ……!」


「……!」



 母さんが帰ってこなくて、どうしていいか、わからなくて


 ご飯の作り方も、洗い物のやり方もわからない。


 父さんは怒鳴って殴るだけで、どうすればいいのか一つも教えてくれなくて



「人生に答えなんてないのはわかってる」



「でも……おれには――『道標』すら、なかったんだっ…!!」


 シェフは俺が何を聞いても正しい答えを、俺にわかりやすく教えてくれた。俺が間違えても、怒らなかった、殴らなかった――。


「教えてくれよ……っ大切な人を助ける方法。おれ、馬鹿だから、わかんねぇんだっ」


 シェフが悪魔だっていい。この人なら、裏切られたっていい……


 ――信用したいんだ。


 涙も鼻水も止まらない、酷い顔のまま、後ろを振り返る。そこに、答えをくれる大人がいるから――

「孝志……」

 振り返ると、やっぱりそこにはシェフがいた。シェフは帽子のつばを掴んで一度だけ下げると、そのまま俺の方に静かに歩み寄った。シェフは、俺の目線に合わせるようにしゃがむと、俺の涙を優しく指先で拭ってくれた。

「その大切な人の中に……お前の父親はいないのか?」

「……っ」

 俺はシェフの問いかけに、無言でうなづいた。その言葉で忘れてしまいたい映像が鮮明に脳裏に思い起こされて、鼻がツンと痛くなって涙がボロボロと溢れ出した。

「お前と契約してから、常に影を繋げて、お前たちの会話を聞いていた……俺は、お前が父親の話をするたびに、妙な違和感を感じていたんだ」

「っ、違和感……?」

「あぁ、他の人間が聞けばお前の父親に対する思いは、強いと感じるだろうな……だが、俺にはお前が………『そうじゃなければいけない』と、強く自分に言い聞かせてるようにしか聞こえなかったんだ」

「…!」

「お前の中には、すでに………父親に対しての『愛』は無いんだな」

「………そう、だよ」

 流石としか、言えなかった。

(本当に、沢山の人間を見てきたんだろうな)

「愛とか、わかんねぇけど……俺は、俺なりに頑張ったんだ。母さんが、父さんのこと支えてくれって、きっと、そうすれば……また、前みたいに戻れるって」

「それは無理だな。お前の父親は簡単に変われるような人間ではない」

「っ、ははっ……話、聞いただけで、俺の父さんのことも、わかるんだな」

「いいか、離婚など子供には関係ない。ましてや、たった数年しか生きていない子供に40代の世話を任せて行く母親など親ではない。結局は同じことを繰り返し、子供が不幸になる」

「……うぅっ」

「お前は……母親の『言霊』に捕らわれてしまって、抜け出せなかったんだな」

「っ!」

 シェフの言葉に流れていた涙が止まった。涙の代わりに出てきたのは、ずっと内に秘めていた言葉だった――。


「俺は、父さんに負担だって、思われたくなくて……金稼ぐことが、どれだけ大変なのか知れば、少しは父さんと同じ目線になれるかなって」

 卒業まで、ずっとバイトをした。……飯作れるようになったら、話すきっかけも作れるんじゃないかって思ってたんだ。


(でも、ダメだった。俺は……)



「帰る、場所すら、なくなったんだ……」


「……どういうことだ?」


 卒業式の日、当たり前だけど父さんは来なかった。誠たちと別れて家に帰ると、玄関に父さんの靴があって、その隣には、知らないハイヒールが並んでいた。


 その時から、嫌な予感がしていた。




『本当だ。犬飼さんと似てませんね』


『髪色が母親譲りなんだよ。ほら、孝志。新しいお母さんに挨拶しなさい』 


『孝志くん、はじめまして。私、犬飼所長と同じ会社に勤めてる佐藤佳織って言います』


『父さんも第二の人生を歩もうと思ってな!お前の面倒な子育てからも解放されるし、どうせ卒業したら出て行くんだろ?なら、荷物は早めに片付けてくれよ』 



 ――世界が崩れる音がした。



「っ誠は、俺が父さんと仲良く歩いてる姿が見たいなんて言ってくれたけど……俺、アイツに言えなかったっ……!」

(本当は、俺の方が父さんから捨てられたのに……)

「おれは、ここから出たい理由を『父さん』にするしかできなかったんだ……っ!」

 俺は何度も思った。誠が、家族を嫌いになればいいって……そうすれば、この場所に残れるって――。

「でも、俺、アイツの家族の話、好きなんだ……アイツが大切にしてるもの、なんも持ってねぇ俺がさ…奪えねぇよ……っ」

 話してるうちに、また鼻の奥がツンっとした。涙を堪えるために、唇を嚙んで、下を向いた時―

「っ!!」

 大きな手が、肩に触れて、前に強く引き寄せられた。

「……俺は、妻子を知らないまま人間を捨てた。……子供の泣き止ませ方などは知らないが」

 シェフが喋るたびに、額から低い振動が伝わってくる……。

「これで泣き止め」

 俺はシェフに抱きしめられていた。シェフの服からは、夕食の時に嗅いだミートソースの甘いトマトの匂いがした。

(昔、父さんに抱きしめられたときって……どんな匂い、してたっけ)

 もう、忘れてしまった……忘れるくらい、俺と父さんの距離は遠くなっていたんだ――。

 黒いコック服はツルツルしてて、掴みづらかったけど、俺は何度も滑る指先を、動かしてシェフの背中に手を伸ばして、縋るように掴んだ。


「お前の大切な友人を助ける方法はある。だが……過酷な道だぞ?」

 シェフの低く響く声が耳元に伝わってくる。ちゃんと現実を教えてくれるのもシェフのいいところだ。

「……そんなこと、わかってるよ」

「お前は……一人、残るつもりなんだな」

「うん。外に出ても、俺の居場所はないから。でも、あいつらは違う、未来があるんだ」

 誠には家族がいて、仕事がある。
 冬美はきっと、五十嵐がなんとかしてくれる……誠だっている。

「五十嵐は、アイツはなんでもできるんだ。頭も良くて、優しいから……二人を任せられる、いい医者にだってなるよ」

「お前は?」

「俺は…なにもないよ。もう俺に残ってるものって、アイツ等しかいないんだ。だから、俺が出れなくてもいい……アイツ等だけは、元の世界に返してやりたいんだ」

「……そうか」

 俺の言葉を聞き終えると、シェフは俺の頭に手を伸ばして更に強く抱きしめた。

「いいか、よく聞け。これは、今回の作戦に置いて大事なことだ―――」

 そして、俺の耳元に唇を寄せると、誰にも聞かれないよう、囁くように言った――

「えっ、監視って」

 聞こえた言葉に驚いて俺はシェフから体を離して、シェフの顔を凝視する。冗談を言っていないことは、目を見ればわかった。

「影を繋げて……『ソイツ』を常に監視しろ。耳を澄まし、一言も聞き漏らすな」

「っでも」

「いいか。お前が今からすることは、お前が守りたい人間たちに対しての『裏切り行為』のようなものだ」

「う、うらぎり……」

「お前は、今日から嘘をつき続けなければならない。――とくに、誠には注意しろ」

「誠に?」

 五十嵐の方じゃなくて?

「悪魔と生活することでアイツの中の『第六感』が異様に育っている。五十嵐様の次に注意すべきは、一番お前の身近にいる男だ」

「誠が……」

「風呂場の時、誠が能力の根源について発言したのを覚えているか?……ポーカーフェイスを装っていたが、恐らくあの場にいた悪魔全員驚いていたと思うぞ」

「あぁ、あの時か…!」


『もしかして、その心の闇がーー能力の根源なの?』


 いきなり誠が突拍子もないこと言い出すから、俺は風呂の熱さにやられたんだと思っていた。後で誠に聞いたら、本人も「よくわかんないけど、気づいたら先の言葉が出ていた」と首を傾げていた。


(あれが、第六感?なのか――)

「限定された空間での極限状態。覚醒してもおかしくはない……まぁ、そこが人間の面白いところだと思うがな」

 そう言ってシェフは俺から体を離した。

「孝志、右手を出せ」

「右手?」

 俺はシェフに言われるまま、右手を出した。すると、シェフは空いた方の手をゆっくりと口元に持っていき、指先に牙を突き立てた。ブツッと牙が皮膚を突き破る音がして、そこから少量の血が溢れ出す。

「!?シェフ、いきなり何して」

「お前は、これから『三人の悪魔』と契約しなければならない」

「さ、三人の悪魔って」

 シェフは言葉を続けながら、指先の血を使って俺の手のひらに何か、英語のような文字を書き始めた。

「多重契約は、対価を考えればあまり勧めはしない。対価は基本的に体の一部を奪うものだからだ。しかし、三人のうち契約した悪魔の中で俺を『主軸』にすれば……お前の対価は、見た目だけならば誤魔化せる」

「誤魔化すって、どうやって」

 文字を書く手が止まって、伏せられていた瞼が上がって赤い瞳が俺を射抜いた。その瞳はいつもより強く、赤く、光っているように感じた。

「……『共有』だ。契約した悪魔たち全ての裏をお前に繋げる。味覚を共有できたように、失った身体機能もリンクして補う。そうすれば失ってないように動かすことができる」

「それって、つまり……影を繋げたら、体を失わずに済むのか?でも、そしたらシェフの能力がバレるんじゃっ」

(それだけは、絶対に避けなきゃダメだっ……!)

 俺の心配をよそに、シェフは呆れたような、心底めんどくさいっといった表情を浮かべながら首裏をかいた。

「お前がこれから契約する悪魔は、なんというか……特殊なやつらが多い」

「特殊?」

「あぁ、そうだな。悪魔は変態や変人が多い」

「へ?」

「例えば、「命の保証はありません。絶対に死にます」という注意書きのあるアトラクションがあるとする」

「どんなアトラクションだよ」

「そのアトラクションに喜んで参加するのが、悪魔だ」

「え~……でも、なんか、わかる気がする」

 シェアハウスのメンツを頭に思い浮かべてみると、シェフの説明がしっくり来た。うん、アイツ等なら喜んで参加するわ。

「悪魔は長く生きてる分、とにかく刺激が欲しい生き物だ。だから、俺が能力を隠した状態で何をしても、恐らくアイツらは何も言わない……むしろ、俺の反応、孝志の反応含めて楽しむために喜んで協力するだろう」

 シェフは話が終わると再び手のひらに目を向けて文字を書いた。

「さっきから、俺の手になに描いてるんだ?」

 正直言って少しくすぐったい。

「契約書だ。……簡易的だがな。よし、これでいいだろう」

 書き終わったのか、シェフが俺の手を離してゆっくりと立ち上がる。



『ここで真名と共に誓え。これから先、契約する悪魔の主軸は『影の悪魔』だと』



「っ……!」


 ――声が変わった。

 
 最初に契約した時のようにシェフの声が二重に聞こえて頭が痛くなる。契約の時も思ったけど、この声は苦手だ。聞いてるだけで、不安になって、怖くなって、自分が本当にここに存在しているのか、わからなくなる。

(し、真名って、確か……名前のことだよな)

 俺は痛む頭を手で押さえながら、なんとか立ち上がりシェフを見上げた。
 鈍い俺でも、次にジぬんがしなきゃいけないことは、わかるから――。




「っ俺は〖犬飼孝志〗は、誓うよ。俺の悪魔は『影の悪魔』だけだ……!」




 そう、宣言した瞬間だった――


「いっっっっ!!!?」



 右手に激痛が走った。

 痛みに驚きながらも右手を見る――


「っ!!血が、消えて……っ」


 皮膚に溶け込むように、血で書かれた文字がすぅっと手のひらの中に消えていった。それと同時に痛みもゆっくりと治まっていく……。


「はぁ……っはぁ……これで、いいのか?なにやったか、正直よくわかんねぇけど」

「あぁ、契約は成立した。……時間がないな、早く行くぞ」

 シェフはしゃがみ込む俺を立ち上がらせると、手を引いて出口に向かって歩いていく。

「へ?ちょっ、ちょっと待てよ!行くって、どこに?」

「シンさんのところだ」

「シンさんって…」



 ドアノブに手をかけたまま、シェフが俺の方に振り返った――






「お前が次に契約するのは―――『嘘を見破る悪魔』のシンさんだ。」





「!?」










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