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第壱章 《カツフエエ・パリス》の人々
参. KとN
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私は、ふわ/\のオムライスに手をつけた。オムライスは、ランチメニユーの中で私の一番のお気に入りだ。
こゝのオムライスは、どういふわけか、泡が消えるやうに卵がとろけるのだ。見た目はどこにでもある、トマトケチヤツプのかゝつた、ラガアマンが持つて走つて行きさうな、至つて普通のオムライスである。修さんに訊いても、普通に作つてゐるだけだ、とニヤ/\しながら答へる。どうなつてゐるのかはわからないが、兎に角美味しいのだ。
先ほど来店した二人組(正確にはそのうちの片方)によつて、凪いでゐた店内は、俄に時化つた。
「サツちやん!オレ、いつものの冷たいやつとライスカレー!それと・・・水羊羹!」
「は~い、ブラジルね・・・。Kちやんは?」
「己はね・・・ナポリタンと、いつもの。・・・温かいのね。デザアトは・・・何でも良いや。Nが決めて?」
「は?何でオレが?・・・みたらし団子で良いんぢやねェ?」
「良いの?Kちやん?」
「あゝ。たまには団子も良いな」
「はい、かしこまりました~。・・・パナマ・・・ね。以上?」
「あとはね、サツちやん!」
「やだ、Nちやん、ここはさういふの、やつてないの。いつも言つてるでしよ。ねえ、Kちやん」
Kと呼ばれた男は、フゝ、といふ微笑のみで答へた。蔚藍の着流に鶯の羽織、それに歯の少し減つた下駄を履き、鍔が解れかけた麦わらを被つてきてゐた。それを無造作に脱いだせいか、うねりの強い短髪が更に波打つてゐるが、当人は気づかないのか気にしないのか、愉快さうに煙管をふかしてゐる。
「さういふことぢやなくてサァ、お店終はつたらサ、一杯付き合つてよ。奢るからサ。ね、今日だけでもサ、お願い!」
N氏は、幸子を拝むやうに合掌した。
腕捲りして、その白くほつそりとした腕が露になつたワイシヤツにタイはなく、代はりに、上から二つ目までの釦がだらしなく開けられてゐる。それを除けば、檳榔子黒のベストとスラツクスに栗梅の革靴、といつた出で立ちは、大通りを闊歩する「紳士」(見てくれだけ)さながらだつた。
「お生憎様。今夜はお友だちと会う約束なの。また今度ね」
「えー、いつもさうぢやん。サツちやああん!」
N氏の、桃花眼が悲しそうに細められた。
拗ねるN氏をよそに、幸子はK氏にぎこちなく一礼し、厨房へ向かおうとした。そのとき、
カラン/\!
「はーははは、ははは。まだ/\だなア、若えの。」
厨房脇の裏口がけたゝましく開き、酒焼けしたジイさんの笑い声が響き渡つた。
東 善男さん、私たちより前からの常連客である。
こゝのオムライスは、どういふわけか、泡が消えるやうに卵がとろけるのだ。見た目はどこにでもある、トマトケチヤツプのかゝつた、ラガアマンが持つて走つて行きさうな、至つて普通のオムライスである。修さんに訊いても、普通に作つてゐるだけだ、とニヤ/\しながら答へる。どうなつてゐるのかはわからないが、兎に角美味しいのだ。
先ほど来店した二人組(正確にはそのうちの片方)によつて、凪いでゐた店内は、俄に時化つた。
「サツちやん!オレ、いつものの冷たいやつとライスカレー!それと・・・水羊羹!」
「は~い、ブラジルね・・・。Kちやんは?」
「己はね・・・ナポリタンと、いつもの。・・・温かいのね。デザアトは・・・何でも良いや。Nが決めて?」
「は?何でオレが?・・・みたらし団子で良いんぢやねェ?」
「良いの?Kちやん?」
「あゝ。たまには団子も良いな」
「はい、かしこまりました~。・・・パナマ・・・ね。以上?」
「あとはね、サツちやん!」
「やだ、Nちやん、ここはさういふの、やつてないの。いつも言つてるでしよ。ねえ、Kちやん」
Kと呼ばれた男は、フゝ、といふ微笑のみで答へた。蔚藍の着流に鶯の羽織、それに歯の少し減つた下駄を履き、鍔が解れかけた麦わらを被つてきてゐた。それを無造作に脱いだせいか、うねりの強い短髪が更に波打つてゐるが、当人は気づかないのか気にしないのか、愉快さうに煙管をふかしてゐる。
「さういふことぢやなくてサァ、お店終はつたらサ、一杯付き合つてよ。奢るからサ。ね、今日だけでもサ、お願い!」
N氏は、幸子を拝むやうに合掌した。
腕捲りして、その白くほつそりとした腕が露になつたワイシヤツにタイはなく、代はりに、上から二つ目までの釦がだらしなく開けられてゐる。それを除けば、檳榔子黒のベストとスラツクスに栗梅の革靴、といつた出で立ちは、大通りを闊歩する「紳士」(見てくれだけ)さながらだつた。
「お生憎様。今夜はお友だちと会う約束なの。また今度ね」
「えー、いつもさうぢやん。サツちやああん!」
N氏の、桃花眼が悲しそうに細められた。
拗ねるN氏をよそに、幸子はK氏にぎこちなく一礼し、厨房へ向かおうとした。そのとき、
カラン/\!
「はーははは、ははは。まだ/\だなア、若えの。」
厨房脇の裏口がけたゝましく開き、酒焼けしたジイさんの笑い声が響き渡つた。
東 善男さん、私たちより前からの常連客である。
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