スカイブルー・ティアーズ~奪えない宝石~

ゆきれの

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第一章

疑惑と再会

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第八話 疑惑と再会


 神殿の手前までユファが近づいていくと、鋼鉄の甲冑を纏った門番二人がユファの前に立ちはだかった。
まるで人間の兵士のような武装の門番に戸惑いながら、ユファは居住まいを正し、きっぱりした口調で述べる。
「長のユリア様にご面会したいのですが、取り次いでもらえませんか。わたしはユリア様の孫娘で……ハメルの里出身の、ユファです」
「……」
 門番二人は顔を見合わせ、小声で何やらやりとりをかわし始めた。
ユファはそれが終わるのを、居心地の悪い気分で待った。
「通りなさい」
 やや間が空いて、話がついたらしい門番二人は、入り口の堅固な石門を左右同時に押して開いた。重い石の扉が地面の砂をひく、ざらついた騒音が響く。
里の検問は仕掛け扉だったが、さすがに里の中までは大掛かりな術は施していない様子だ。なんとなく、ユファはほっとした。
 重々しい扉が開かれた先は大広間へと繋がる石柱に囲まれた通路があった。「長の座っている椅子までの道のりは、上等な羽毛で編み上げられた青い絨毯が敷かれてあり、真っ直ぐ進んで行けば辿り着く」、と門番はユファに説明した。
 神殿に満ちる厳格な空気と湿った匂いが鼻腔に掠め、ユファはすんと鼻をすすった。絨毯の上を愚直に進んでいく間、松明に照らされた神殿内をユファはそっと見渡してみた。壁も全て石造りで、石と石を重ね組み合わせた僅かな隙間が、ちかちかと光っている。
外の光が漏れているのかと思ったが、隙間に挟まっているものは、ヒンメルの石屑のようだった。先ほど広場の水路で見かけた石と同じものだ。
 
 一本道のはずなのに、時間の感覚がおかしくなるほど長い通路だった。ユファが布製のサンダルを履いているため足跡さえ響かず、恐ろしいくらい静かで耳が痛い。
――こんなにも暗く生気のない場所に、祖母は住んでいるのだろうか。ユファは先へ進めば進むほど、不安を覚えていった。
やがて、ユファの目前に一際大きな松明に左右から照らされた扉が見えてきた。通路にあった松明は赤い炎を揺らめかせていたが、この松明は青い炎をしている。
ユファは、謁見の間に続くその扉の前で、ひとつ大きく深呼吸して言った。
「ユファです。ただいま、戻りました」
「……入りなさい」
 ユファの第一声は、緊張から消え入りそうな小声だったにも関わらず、扉の向こうにはちゃんと聞こえていたのか、返事が返ってきた。
おそるおそる、ユファが扉に手を触れてみると。
扉は一切の音も立てず、さぁ…っと波が引いて行くように開いていった。
ユファはこれには驚いて足が竦んだが、扉についた手を離すと、呼吸を整えて正面を見据えた。
「おかえり、ユファ。さあ、こちらへ来て。良く顔を見せて……」
謁見の間は、薄暗かった神殿の通路とは一転、眩くきらめく光に包まれている。
広間の奥に一脚だけ置かれた長専用の椅子は、青いシートに白い大理石のコントラストが映える、美しい椅子だった。特に派手な装飾はないが、余分な飾りを好まない双翼の民一族にとっては、理想的でシンプルな造形だ。
 
 椅子の前に、一人の女性が立っていた。一族特有の白く裾の長い衣の上に、蒼い重ねの衣を纏っている。
長く豊かな銀髪は繊細に編みこまれ、頭の高い位置で一つに結わえられていた。
「あの、あなたは……」
ユファは、思わず口をつぐんでしまった。
今目の前にいるのは、紛れもなくヴォルベレーの長であり、祖母のユリアの筈。
それなのに。ユファは信じられない思いで、長の椅子の前に佇む女性を見つめるしかできなかった。
「此度のこと、詳しく聞かせて頂戴?貴女の身に、一体何があったのか……」
凛とした高い声。大きくてまだあどけなさの残る瞳と、白く滑らかな頬。
「本当に、ユリア様ですか……?」
「ええ。そうですよ、わたくしの可愛い孫娘、ユファ」
 どこからどう見ても少女にしか見えない容姿の祖母――下手をすれば、自分より年下に感じてしまい、ユファは違和感をぬぐえなかった。いくら幼少以来祖母に一度も対面した記憶が無いといえ、ユファは現実が受け止めきれない。
が、一族の長に失礼な態度を取る訳にもいかず、ユファが慎重に言葉を選ぼうとした――その時だった。
「――ユファかい?」
大広間の扉から聞き覚えのある低い声がした。名前を呼ばれ、ユファは反射的に後ろを振り返る。
「ああ……やっぱり、ユファか!良かった……無事だったんだな……!」
「えっ?」
声の主は、戸惑うユファを尻目にどんどん歩み寄ってくる。ユファの視界に、綿雲の様にふわふわした髪の毛が映った。穏やかで優しい、その微笑みも。
「ルイス兄さん?」
「ユファ!」
 謁見の間に現れたのは、ハメルの里で離別したルイスだった。
ルイスの安否は、ユファが彼の手を解いて地上に落下した瞬間から今日まで、ずっとユファの心に引っかかっていた。
「……にいさん……、っきゃ……?」
懐かしい再会に感極まっていると、ルイスはユファの腕を捕まえ、腕の中へと引き寄せた。ユファが気づいた時には、ルイスの固い胸板に鼻の頭がぶつかって、鼻腔を初夏の風の様な爽やかな香りがくすぐった。
昔と変わらないルイスの匂いに包まれて、ユファはほんの少し、先ほどまでの緊張が解けていった。抱擁の気恥しさはあったものの、今は何より、もう一度ルイスに会えた事が嬉しい。
「ハメルの里でユファを見失った後、人間に捕まっていると知った……。僕は、君は助からないんじゃないかって、そう、思ってた……」
「……ごめんね、ごめんなさい」
 呟くように吐露すると、ルイスはユファの肩に顔を埋めた。ユファは、ルイスが人知れず不安と闘っていた事実を知り、彼や里の仲間に心配をかけてしまったと、罪悪感でいっぱいだった。
「今度こそ、自分の居場所を大切にするわ。これからは私も、ヴォルベレーの里の一員として頑張るから……」
「ああ、約束だ」
 ユファの謝罪を受け入れて、ルイスはユファの頭をぽすりと撫でてくれた。が、ここまで場所をわきまえず二人の世界を作り上げていた所で、ユリアの嗜めの言葉が割って入った。
「ルイス。そういうことは、部屋に戻ってからなさいな。そう遠くない内に、いつでも傍に居られるようになるのですから」
「……え?」
「ちょ……長!それは、まだユファには伝えていないんですから!」
ユファは、突然狼狽えだしたルイスの様子に首を傾げる。が、ルイスはそれきり口を閉ざしてしまった。
「わたくしは、ユファとお話があります。下がっていなさい」
「はい」
ユリアに制されたルイスは、短い返事をした後一度だけユファを振り返り、静かに謁見の間を立ち去った。
「あの、ユリア様?」
「ごめんなさいね。ルイスは私の指示で、里の周辺を見回っていたのです。その報告に訪れたところを、貴女とかち合ってしまったのね」
「里の外を?」
「ええ。いつあの野蛮な人間たちが、この里に近づこうとするか分かりませんもの」
ユリアの言葉に、ユファは胸の奥が軋んだ。
ほんの一ヶ月前にも、安全と信じていたハメルの隠れ里が人間によって焼き払われてしまった。絶対的な安住の地は、二つの種族の対立が決着しない限りありえないのだ。……ユファは、改めて自分の考えが甘かったことを知った。
「定期的に山の麓へ飛び、人間が怪しい動きをしていないか調査しているのです。勿論、空術のエキスパートであるわたくしの優れた側近達が、ね。ルイスも、その一人ですよ」
「その……私の軽率な行動のせいで、ハメルの里があんなことになってしまって……。謝って済む問題ではありませんが、本当に、申し訳ありませんでした」
思っている言葉を素直に口から出すだけなのに、ユファの背中には冷や汗が流れ、その口内は緊張で渇きを覚える。ユリアの返答を待つ間、緊張で膝が小さく震えていた。
「知っていますよ。しかし、あの人間達をハメルへ招き入れたのは、貴女ではないでしょうね……」
「……?」
 しかし、ユリアの答えはユファも想像すらしていないものだった。意外な内容に思わず目を丸くしてユリアを凝視するユファだったが、ユリアは変わらず穏やかな笑みを湛えているだけだ。
「あれほど酷い惨状だったのだもの、貴女が失われなかっただけで幸いでした」
ユファの父・オリオンと、母・エミーリアは、ハメルの里で命を落とした。ユファはあの残虐な炎を思い出す度に、頭の芯が凍りついてしまいそうになる。
「ユファ。貴女が無事で、わたくしは嬉しいですよ。だって、貴女はわたくしの望みを叶えてくれる可愛い孫娘ですもの」
「私が、ユリア様の望みを?……そんなこと……」
 ハメルの件で一族から淘汰され、祖母に叱責や罰を受けるとばかり想像していたユファは、お咎めどころかユリアに歓待されている現実に、戸惑いを覚えてしまった。
「今日は疲れたでしょう?里の中に貴女の住居を用意してありますから、あとで案内させるわね。これからの事についてはまた明日、正式にお話します」
「明日、ですか?」
「ええ、明日。改めて貴女に、お願いしたいことがあるのです。……来てくれますね?」
ユファはユリアと向かい合い、目を合わせる。対峙する一対の蒼い瞳はガラス玉のように透明で、底が知れない泉のようだ。
「……はい」
 当然、ユファに同意以外の返答が出来るはずもない。
「ああ。そうでした。最後にひとつ、聞きたい事があります。あなた、自力でアイスベルグ王国の監獄から、脱出してきたのかしら?」
ユファが地上に落ちた後、アイスベルグ兵に投獄された件は里の仲間達も周知の事実。当然、族長のユリアが情報を持っていないはずがない。ユファはどう答えるべきが逡巡したが、しかし、
「はい。そうです」
――迷った末に口をついて出たのは、ユリアの問いを肯定する言葉だけだった。嘘をつくのは後ろめたいが、どうしても、駿里の存在を明かす気にはならなかったのだ。駿里は人間。ユファにとっては恩人でも、ユリアをはじめ、里の仲間たちにすれば憎むべき敵にすぎないのだから。
「そう、そう言う事……」
 ユファの返答を聞いたユリアは何事か呟いたが、それはユファに向ける台詞というよりも、自分を納得させる独り言に聞こえた。
「わかりました。それではユファ。明日のこの時間に、また神殿で」
「はい。失礼します」
――とにかく、今はこれ以上、余計なことを口に出すべきではない。ユファはユリアに深くお辞儀をしてから、入り口の扉へ早足で引き返していく。
「シュテルプリヒ・アラー……」

 ユファが扉の前にたどり着いた時、神殿にユリアの唄うような声音が響いた。
逃げる様に神殿の外へ出るまでの間、ユリアの呪いめいた言葉は、ユファの頭を離れてはくれなかった。
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