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第三章 魔物の巣へ

1、紡績の街エレーア

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「いやぁ、すまんかったな。時間もらってしまって」

 ガハハ、とアッバスが豪快に笑う。
 今日はいよいよ紡績の街エレーアに向けて出発する日だ。
 空はまだ日が出ておらず、濃紺の空に星が瞬いている。

「まったく、ツヤツヤしやがって。良いよな、お前は奥さんとイチャイチャできて」
「まぁな、しばらく会えなくなるからって、長いこと放してくれなくてな」
「くそ、惚気で返してくんじゃねぇよ」

 始終デレっとした笑顔のアッバスに、ガレートが苛ついたように当たる。
 門の前で無事合流し、ライーに別れを告げて街を出た。

「それで、ちゃんと赤ちゃんできたの?」
「ああ! 神樹の実の力は凄いな! 今までどんなにヤッてもできなかったのに、俺もあいつもちゃんと『あ、これ赤ちゃんできた』ってわかったんだよ」
「おい、やめろ子供の前で」

 興奮気味に話すアッバスに、生々しい話をするなと怒るガレート。
 保健体育の授業で一応は知識があったが、実際にそれがどういう行為かを想像するだけの情報はないユキ。よって、そんなすぐにわかるものなのか、と首を傾げながらふぅん、と小さく呟いただけだった。
 そんなユキの様子にガレートがほっと胸を撫で下ろし、話題を変える。

「それにしても、今日はよく起きれたな、ユキ」
「そうだね。偉いぞ、ユキちゃん」
「……ライーが起こしてくれたの」

 ガシガシと頭を撫でるアッバスに、ユキが少し照れながら答える。
 起こされた時はかなり瞼が重かったが、こうして少しだけ冷える道を歩き始めると自然に目が覚めていた。
 森の中ではほとんど空が見えなかったから、陽がだんだんと昇るにつれて濃紺から紫へ、紫からオレンジへ、焼けるような赤や黄金色が射し込んでくる空の変化が美しく楽しいと感じる。

「空、綺麗」
「ん? そうだな。夕日も良いが、俺は朝日の方が好きだな」

 ユキの呟きに、ガレートが同意する。
 二人とも足の遅いユキに歩調を合わせてくれている。
 何気ないこんなやり取りが、ユキには嬉しかった。

「辛くなったらおじさんがおんぶするから、我慢しないで言うんだよ?」
「うん、ありがと」
「ユキ、はぐれないよう俺と手を繋いどけ」
「街の中じゃないのに?」
「だからだよ。こんな場所ではぐれたら、捜せないだろ」

 ぶっきらぼうな口調だが、ユキを心配しての言葉だった。
 無意識にユキの口元が緩む。
 ユキは差し出されたガレートの手を、スコットを抱いていない方の手で握る。
 その反対側にアッバスが回り込んだ。

「スコットも、もう普通の猫の振りしなくて良いんだぞ?」
「……いや、どこでボロが出るかわからないし。優秀な保護者がついているからね。ボクはこのままユキに甘えることにするよ」

 ユキの腕の中で、スコットが欠伸をする。
 どうやら猫らしく、道中はひたすら寝て過ごすつもりらしい。
 優秀、と精霊に褒められた二人は嬉しそうに「任せろ」と言った。



 旅に出て5日目、ユキ達は紡績の街エレーアへと到着した。
 道中、野営の度にガレートが剣の振り方を丁寧に教えてくれたため、ユキは素振りができる程度には腕力がついた。
 途中で魔物と遭遇することもなく、アッバスにおんぶしてもらう時間も多かったため想定よりも早く着くことができた。

「はい、到着―。ユキちゃんよく頑張ったねぇ」
「ここが、エレーア?」
「そうだよ、ユキちゃん。ほら、あちこちからパタパタ音するでしょう?」

 アッバスが言う通り、あちこちからパタンパタンと音がする。カラカラという音もする。
 お湯を流しているのか、道の横に掘られた溝からは湯気が立っていた。
 覗き込むと、あまり綺麗とは言えない黒に近い濁った色の液体が流れている。

「取り敢えず、風呂のある宿を探して足を伸ばそうぜ」

 ガレートの言葉にハッとした。
 二人は野営の時ユキをテントで寝かせ、一緒に寝ることをしなかった。
 交代で見張りをしながら、武装を解かず座って寝ていたようなのだ。
 つまり、あまり寝ていない。それなのに、ユキをおんぶして歩いてくれたのだ。

「うん? もう良いの?」
「うん。行こう?」

 自分より二人の方が疲れているはずだ。
 物珍しさから街中を見てみたい気持ちもあったが、わがままを言ってはいけないとユキは思い直した。
 第一、これはそういう旅ではない。

「エレーアへようこそ」
「三人一部屋で頼む」

 猫も一緒で良いと言ってくれる宿は、4軒目にしてようやく見つかった。
 話し好きらしい宿の主人は、宿帳に記録する間もたくさん話しかけてきた。

「プリメアから来たんですか!? もしかしてオーダーメイドで服でも作るので?」

 ユキ達がプリメアから来たと聞いた主人は大仰に驚く。
 現在は別の街へと行き来する定期馬車は出ていない。全て避難民のための一方通行だ。
 そのためわざわざプリメアから来たユキ達を、服を求めてきたと勘違いしたそうだ。

「いや? 俺達はこれからリーベに向かい、そこからロットへ向かうんだ」
「ロットへ? あそこは、今は入れませんよ」

 アッバスの影に隠れたユキの代わりに二人が主人に付き合い情報交換をしている。
 7日ほど前に大きな揺れがあり、ロットに続く道は崩れてしまったらしい。
 それだけでなく、大型の魔物が現れて縄張りになってしまっているのだとか。

「ロットの乳製品や加工肉は有名ですからね。何とか買い付けに行こうって人も多かったのですが……」

 死傷者を出すばかりで向こうの様子は全くわからないとのこと。
 この町でも酪農家はいるが味は期待しないでくれ、と主人が申し訳なさそうに言う。
 今はまだ周辺の街からの避難民で賑わっているが、既にプリメアへ避難をした一家もあるらしい。

「物資不足の深刻化に、避難民の暴徒化か……」
「街道は封鎖されているとはいえ、魔物駆除の依頼を受ければ通れるらしいよ」

 用意された部屋で、地図を眺めながら情報を纏める。
 地図の上ではたった数センチ。馬車なら2日かからない距離らしい。
 それなのに、街道が封鎖されるほどの魔物がいるというだけで非常に遠く感じる。

「受けよう、依頼」

 どちらにしろこれから壊しに行く装置のある場所は魔物の巣窟なのだ。
 ならば、今魔物の縄張りに突入したって同じこと。
 ユキの言葉に、アッバスとガレートは笑って頷いた。
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