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五通目 慈母の手
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あんなことしなければよかった。
そう後悔するのは何度目だろう。
良かれと思ったことが、すべて裏目に出る。
恩師に憧れて、自分も恩師のような素敵な教師になりたいと就いた仕事だけれど、そろそろ潮時なのかもしれない。
「私のお母さんは、赤ちゃんです」
自分は教師には向いてなかったのだと後悔したのは、授業参観である生徒に作文を読ませた時だった。
綺麗に着飾ったお母さん方が見守る中、そわそわと落ち着かない子供たち。
読みたがっている子はたくさんいたのに、何故彼女を指名してしまったのだろう。
どれだけ後悔しても、時間は巻き戻ってはくれない。
「お父さんは、家に帰ってこなくなりました」
震えた声。
ヒソヒソと、彼女を憐れむ声。クスクスと、彼女を見下す声。
吊り上がった目で睨むその貌は、「何故自分を指したのだ」とはっきり私を非難していた。
私は、何も知らなかった。
彼女の保護者がこの場にいないことも。
彼女の家庭の事情も。
「私は、家族が大嫌いです」
なんてことをしてしまったのだろう。
私はただ、クラスで浮いている彼女に、少しだけ華を持たせてあげたかっただけ。
これを機に、クラスメイトと仲良くなるきっかけを作ってあげられれば。
そんな軽い気持ちで、彼女を晒し物にしてしまったのだ。
「母の面倒を見なければいけないので」
「あ、木梨さん!」
謝れないまま、彼女は走っていってしまった。
その後の保護者会で、木梨さんの件が話題になるのは至極当然の流れだった。
「クラスに臭い子がいるって、あの子のことでしょう? うちの子が、教室に行くのを嫌がっているんです」
「先生への態度、ご覧になりまして? 親がいないんじゃ、礼儀も教えてもらえないのでしょうね」
「成績も酷く悪いと聞きましたわ。あの子だけ、特別学級に移した方がよいのでは?」
親ともなれば、自分の子供のことが1番だ。
勉強の遅れた子が1人いるだけで、クラス全体の授業の進みが悪くなる。
乱暴な子が、自分の子供に危害を加えるのではないか。
臭いが酷いから、授業中気分が悪くなると子供が言っている。
これだけの大人がいて、あの子の事情を知って、それでも手を差し伸べようとする者はいない。
自分の子供の快適さのために、異質な生徒を排除する。
それで放逐される方はどこへ行けばいいのか。
親を頼れず、大人から心無い言葉で叩かれる子供は、誰を頼れというのだろうか。
庇おうにも、私はあまりにもあの子のことを知らない。
「広瀬先生、困りますよ」
「校長先生」
「保護者の方からね、あなたが頼りないって、苦情が来てるんです」
一方的に理不尽な要求を突き付けてくる保護者会で、私は唇を噛みしめて俯くことしかできなかった。
職員室に戻った私に待っていたのは、校長先生の説教。
口先だけの約束でもなんでも、妥協案を提案すべきだったのだと校長先生は言う。
経緯を説明するべく、木梨さんの作文を見せても、校長先生は眉根を寄せるだけだった。
「広瀬先生、少しこの生徒に肩入れしすぎじゃありませんか?」
「そんなことは……ですが、体臭の問題もありますし、ネグレクトは確実です。保護されて然るべきかと」
「だめですよ、広瀬先生。家庭の問題に口を挟むのも、1人の生徒に目をかけすぎるのも」
「ですが、このままでは、いじめに発展しかねません」
訴えても、首を横に振るだけだった。
「いいですか? この学校で、いじめなど発生していません。些細なことを大仰に騒いで、さも問題があるように吹聴しないでください」
関わるな、と言われた気がした。
校長先生にとっては、学校の評価につながる大勢の保護者の意見の方が大事なのだ。
たった一人の生徒が発したSOSを、なかったことにしようとしている。
味方でいたいと、助けてあげたいと思うことは、この学校では許されないことなのか――。
「……すみません、でした……」
「いえね、わかればいいんですよ。くれぐれも、問題は起こさないでくださいね」
校長先生は念を押すように私の肩を叩くと、にこにこ笑顔を作り去っていった。
私は、教師に向いていない。
だって、今、私は木梨さんを助けたい。
1人の生徒に肩入れする私は、教師失格だ。
「やっぱり、だめだったのね……」
いろいろ調べてみたけれど、私一人でできることはほとんどなくて。
藁にもすがる気分で、潰れたホテルの地下に来ていた。
廃業したなんて信じられないくらい綺麗で、それがかえって不気味さがある。
そういえば、幽霊が出るって噂もあったっけ。
噂では、このホテルの地下室には、どんなものでも届けてくれる配達人がいるらしい。
来てみればなるほど、確かに手紙らしきものがたくさん入ったトレーが置いてある。
その横には不受理と書かれた箱も。
何でもかんでも届けるのではなく、選り好みをされるらしい。
「どうか、あの子を助けてください」
誰でもいい。
今にも泣きだしそうだったあの子を、助けられる人の所へ。
私の代わりに、動いてくれる人の所へ。
そう祈ってトレーに入れたあの子の声なき叫びは、結局誰にも届かなかったのだ。
噂はやはり噂に過ぎない。
がっかりして不受理と書かれたトレーからあの子の作文を取り返した時だった。
「いいえ、その子の想いなら、然るべき場所へ届けましたよ」
まだ幼い声が、足元から聞こえた。
そう後悔するのは何度目だろう。
良かれと思ったことが、すべて裏目に出る。
恩師に憧れて、自分も恩師のような素敵な教師になりたいと就いた仕事だけれど、そろそろ潮時なのかもしれない。
「私のお母さんは、赤ちゃんです」
自分は教師には向いてなかったのだと後悔したのは、授業参観である生徒に作文を読ませた時だった。
綺麗に着飾ったお母さん方が見守る中、そわそわと落ち着かない子供たち。
読みたがっている子はたくさんいたのに、何故彼女を指名してしまったのだろう。
どれだけ後悔しても、時間は巻き戻ってはくれない。
「お父さんは、家に帰ってこなくなりました」
震えた声。
ヒソヒソと、彼女を憐れむ声。クスクスと、彼女を見下す声。
吊り上がった目で睨むその貌は、「何故自分を指したのだ」とはっきり私を非難していた。
私は、何も知らなかった。
彼女の保護者がこの場にいないことも。
彼女の家庭の事情も。
「私は、家族が大嫌いです」
なんてことをしてしまったのだろう。
私はただ、クラスで浮いている彼女に、少しだけ華を持たせてあげたかっただけ。
これを機に、クラスメイトと仲良くなるきっかけを作ってあげられれば。
そんな軽い気持ちで、彼女を晒し物にしてしまったのだ。
「母の面倒を見なければいけないので」
「あ、木梨さん!」
謝れないまま、彼女は走っていってしまった。
その後の保護者会で、木梨さんの件が話題になるのは至極当然の流れだった。
「クラスに臭い子がいるって、あの子のことでしょう? うちの子が、教室に行くのを嫌がっているんです」
「先生への態度、ご覧になりまして? 親がいないんじゃ、礼儀も教えてもらえないのでしょうね」
「成績も酷く悪いと聞きましたわ。あの子だけ、特別学級に移した方がよいのでは?」
親ともなれば、自分の子供のことが1番だ。
勉強の遅れた子が1人いるだけで、クラス全体の授業の進みが悪くなる。
乱暴な子が、自分の子供に危害を加えるのではないか。
臭いが酷いから、授業中気分が悪くなると子供が言っている。
これだけの大人がいて、あの子の事情を知って、それでも手を差し伸べようとする者はいない。
自分の子供の快適さのために、異質な生徒を排除する。
それで放逐される方はどこへ行けばいいのか。
親を頼れず、大人から心無い言葉で叩かれる子供は、誰を頼れというのだろうか。
庇おうにも、私はあまりにもあの子のことを知らない。
「広瀬先生、困りますよ」
「校長先生」
「保護者の方からね、あなたが頼りないって、苦情が来てるんです」
一方的に理不尽な要求を突き付けてくる保護者会で、私は唇を噛みしめて俯くことしかできなかった。
職員室に戻った私に待っていたのは、校長先生の説教。
口先だけの約束でもなんでも、妥協案を提案すべきだったのだと校長先生は言う。
経緯を説明するべく、木梨さんの作文を見せても、校長先生は眉根を寄せるだけだった。
「広瀬先生、少しこの生徒に肩入れしすぎじゃありませんか?」
「そんなことは……ですが、体臭の問題もありますし、ネグレクトは確実です。保護されて然るべきかと」
「だめですよ、広瀬先生。家庭の問題に口を挟むのも、1人の生徒に目をかけすぎるのも」
「ですが、このままでは、いじめに発展しかねません」
訴えても、首を横に振るだけだった。
「いいですか? この学校で、いじめなど発生していません。些細なことを大仰に騒いで、さも問題があるように吹聴しないでください」
関わるな、と言われた気がした。
校長先生にとっては、学校の評価につながる大勢の保護者の意見の方が大事なのだ。
たった一人の生徒が発したSOSを、なかったことにしようとしている。
味方でいたいと、助けてあげたいと思うことは、この学校では許されないことなのか――。
「……すみません、でした……」
「いえね、わかればいいんですよ。くれぐれも、問題は起こさないでくださいね」
校長先生は念を押すように私の肩を叩くと、にこにこ笑顔を作り去っていった。
私は、教師に向いていない。
だって、今、私は木梨さんを助けたい。
1人の生徒に肩入れする私は、教師失格だ。
「やっぱり、だめだったのね……」
いろいろ調べてみたけれど、私一人でできることはほとんどなくて。
藁にもすがる気分で、潰れたホテルの地下に来ていた。
廃業したなんて信じられないくらい綺麗で、それがかえって不気味さがある。
そういえば、幽霊が出るって噂もあったっけ。
噂では、このホテルの地下室には、どんなものでも届けてくれる配達人がいるらしい。
来てみればなるほど、確かに手紙らしきものがたくさん入ったトレーが置いてある。
その横には不受理と書かれた箱も。
何でもかんでも届けるのではなく、選り好みをされるらしい。
「どうか、あの子を助けてください」
誰でもいい。
今にも泣きだしそうだったあの子を、助けられる人の所へ。
私の代わりに、動いてくれる人の所へ。
そう祈ってトレーに入れたあの子の声なき叫びは、結局誰にも届かなかったのだ。
噂はやはり噂に過ぎない。
がっかりして不受理と書かれたトレーからあの子の作文を取り返した時だった。
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まだ幼い声が、足元から聞こえた。
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