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二通目 水没の町
#11
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「香月君、そろそろ、本庄先生が心配する頃じゃないかしら?」
僕がシロのためにできることはないかと考えていると、おばさんが部屋に来てそう声をかけてきた。
言われて窓の外を見ると確かに、空がオレンジ色に染まっている。
時計はこの部屋には見当たらないが、きっと六時は過ぎているのだろう。
「お夕飯食べていく?」
「ううん、帰るよ。また来てもいい?」
「もちろんだ。いつでもおいで」
おばさんが夕食に誘ってくれるのを断って帰ることを告げる。
見送ろうとしてくれるお爺さんをおばさんが何故か押し留めるのでその場でお別れした。
お爺さんの代わりにおばさんが玄関の外までついてきて、今日もお土産にお菓子を渡してくれる。
「ありがとう、おばさん」
僕がお礼を言うとおばさんは、良い子ね、とにっこり微笑んだ後、笑顔を引っ込めると何かを言いたそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「えっ……? う、ううん、何でもないわ。また来てちょうだい。お父さん喜ぶもの」
「うん、またね」
慌てたように笑顔を取り繕うおばさんを不思議に思うけれど、普段親切なおばさんの本当の気持ちを知るのは怖い。
触れて確かめたりはしないで、僕は手を振ってその場を後にした。
でも、僕はこの日おばさんに触れなかったことを、気になったことをちゃんと確かめなかったことを後悔することになるのだった。
家に帰ると、僕は夕食をテーブルに並べていた要に今日聞いた事を話した。
要はその間、何も言わずにただ頷きながら話を聞いてくれている。
「要、僕はどうしたら良いのかな? このままお爺さんにシロを見せるのは簡単だけど、お爺さんはそれだときっとシロに恨まれてるって思っちゃう」
どうしたら誤解させずに、シロとお爺さんを会わせてあげられるだろう?
そう相談すると、要は、嬉しそうに微笑んだ。
「もう、酷いよ。僕がこんなに悩んでるのに笑うなんて」
「ごめんごめん。香月が、誰かのためにって悩んでるのが嬉しくてね」
頭に軽く触れる要の手から、「香月の世界が広がって嬉しい」「優しい子になってくれて嬉しい」という要の感情が伝わってきて、すごく照れくさい。
「そうだ、香月。例のダムな、水抜き作業が始まったぞ」
「本当っ?!」
「見に行ってみるかい?」
「行く!!」
お爺さんが見たがっていた昔の家。それがどれだけ残っているかはわからないけれど。
「水位がある程度下がれば、入ることもできるってさ。汚れてもいい服を着て行こうか」
「うん!」
僕は興奮を隠せなかった。
その日のうちに、古着を引っ張り出して、それを要に笑われたりもした。
翌日、要と一緒に見晴らし台に登ってみて驚いた。
「……村だ……」
「うーん……けっこう水は抜けてきているけど、まだ入れなそうだね」
まだ水に浸かった状態ではあったけれど、家々の屋根部分が見え始めている。
潰れてしまった建物もあるのか、お爺さんの記憶の中で見たよりもずっと少ないけれど、それでもほぼ変わらない配置で建物が残っていた。
ボートで何か作業をしている人がいる。
その作業を見守りつつ水門を操作している人たちがいる。
どこから降りたのか、水面ギリギリの場所でその作業を見物する人だかりができている。
平日だというのに、めったにないイベントだからか、学校を休んで見学に来ている様子の子供は何名か見えた。
僕らが今いるこの見晴らし台は高さと距離がある分結構穴場のようで、上から様子はよく見えるのに人はあまりいない。
それでも、ここから見学する人は肩が触れるほどにはいた。
「香月、大丈夫かい?」
要が、人と密着することで僕が気分が悪くならないか心配してくれている。
「うん、大丈夫みたい」
たぶん、僕も含めて、皆作業を夢中で見ているからだろう。
眼下に僕くらいの子供も何人かいることで、僕がここにいることについて気にする人もいないようだ。
僕は他の大人たちに負けじと柵から身を乗り出すようにして見下ろす。
「あの人たちって、どこから降りてるの? 何してるのかな?」
「たぶん、あの船に乗っている人たちは、どんな生き物がいるのかを調べてるんだと思うよ」
ほら、と示した先で、五隻の船が追い込むように網を引いている。
水門の傍には大きな水槽が数えきれないほど置いてあって、それぞれに違う魚が泳いでいた。
その間にも、どんどん水嵩は下がり、建物の一階部分が見えるくらいになってきている。
「ああやって、生き物を捕まえて保護してるんだね」
「ここって、ダムでしょ? 何であんなに魚がいるの?」
「うん、そうだね。ダムって言っても、川を堰き止めてるだけだから、川を下ってきて迷い込んだのもいるだろうし。飼いきれなくて逃す人もいるんだろうさ」
要がたぶんだけどね、と推測を教えてくれる。
でも、実際その通りなんだろう。
水が抜けてきて全貌が見えるようになったここは、ダムというにはあまりにも造りが雑だ。
二つの山の間に壁があるだけ。それで水を堰き止めているだけなんだ。
天気のいい日とかは、山がどんどん水を吸い込んで水がそうとう減るんじゃないだろうか……。
あ、だからこの町は夏になると断水が多いのか。
「この調子なら、明日には入れそうだね。今日はまだ入れなそうだし、もう帰るかい?」
「ううん、もうちょっと見てたい」
どんどん魚が網にかかるのとか、水がどんどん抜けて村が見えてくるのとか、見ていて全然飽きない。
夢中で眺める僕が柵から落ちないように、要はずっと僕の腰を掴んで付き添ってくれていた。
僕がシロのためにできることはないかと考えていると、おばさんが部屋に来てそう声をかけてきた。
言われて窓の外を見ると確かに、空がオレンジ色に染まっている。
時計はこの部屋には見当たらないが、きっと六時は過ぎているのだろう。
「お夕飯食べていく?」
「ううん、帰るよ。また来てもいい?」
「もちろんだ。いつでもおいで」
おばさんが夕食に誘ってくれるのを断って帰ることを告げる。
見送ろうとしてくれるお爺さんをおばさんが何故か押し留めるのでその場でお別れした。
お爺さんの代わりにおばさんが玄関の外までついてきて、今日もお土産にお菓子を渡してくれる。
「ありがとう、おばさん」
僕がお礼を言うとおばさんは、良い子ね、とにっこり微笑んだ後、笑顔を引っ込めると何かを言いたそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「えっ……? う、ううん、何でもないわ。また来てちょうだい。お父さん喜ぶもの」
「うん、またね」
慌てたように笑顔を取り繕うおばさんを不思議に思うけれど、普段親切なおばさんの本当の気持ちを知るのは怖い。
触れて確かめたりはしないで、僕は手を振ってその場を後にした。
でも、僕はこの日おばさんに触れなかったことを、気になったことをちゃんと確かめなかったことを後悔することになるのだった。
家に帰ると、僕は夕食をテーブルに並べていた要に今日聞いた事を話した。
要はその間、何も言わずにただ頷きながら話を聞いてくれている。
「要、僕はどうしたら良いのかな? このままお爺さんにシロを見せるのは簡単だけど、お爺さんはそれだときっとシロに恨まれてるって思っちゃう」
どうしたら誤解させずに、シロとお爺さんを会わせてあげられるだろう?
そう相談すると、要は、嬉しそうに微笑んだ。
「もう、酷いよ。僕がこんなに悩んでるのに笑うなんて」
「ごめんごめん。香月が、誰かのためにって悩んでるのが嬉しくてね」
頭に軽く触れる要の手から、「香月の世界が広がって嬉しい」「優しい子になってくれて嬉しい」という要の感情が伝わってきて、すごく照れくさい。
「そうだ、香月。例のダムな、水抜き作業が始まったぞ」
「本当っ?!」
「見に行ってみるかい?」
「行く!!」
お爺さんが見たがっていた昔の家。それがどれだけ残っているかはわからないけれど。
「水位がある程度下がれば、入ることもできるってさ。汚れてもいい服を着て行こうか」
「うん!」
僕は興奮を隠せなかった。
その日のうちに、古着を引っ張り出して、それを要に笑われたりもした。
翌日、要と一緒に見晴らし台に登ってみて驚いた。
「……村だ……」
「うーん……けっこう水は抜けてきているけど、まだ入れなそうだね」
まだ水に浸かった状態ではあったけれど、家々の屋根部分が見え始めている。
潰れてしまった建物もあるのか、お爺さんの記憶の中で見たよりもずっと少ないけれど、それでもほぼ変わらない配置で建物が残っていた。
ボートで何か作業をしている人がいる。
その作業を見守りつつ水門を操作している人たちがいる。
どこから降りたのか、水面ギリギリの場所でその作業を見物する人だかりができている。
平日だというのに、めったにないイベントだからか、学校を休んで見学に来ている様子の子供は何名か見えた。
僕らが今いるこの見晴らし台は高さと距離がある分結構穴場のようで、上から様子はよく見えるのに人はあまりいない。
それでも、ここから見学する人は肩が触れるほどにはいた。
「香月、大丈夫かい?」
要が、人と密着することで僕が気分が悪くならないか心配してくれている。
「うん、大丈夫みたい」
たぶん、僕も含めて、皆作業を夢中で見ているからだろう。
眼下に僕くらいの子供も何人かいることで、僕がここにいることについて気にする人もいないようだ。
僕は他の大人たちに負けじと柵から身を乗り出すようにして見下ろす。
「あの人たちって、どこから降りてるの? 何してるのかな?」
「たぶん、あの船に乗っている人たちは、どんな生き物がいるのかを調べてるんだと思うよ」
ほら、と示した先で、五隻の船が追い込むように網を引いている。
水門の傍には大きな水槽が数えきれないほど置いてあって、それぞれに違う魚が泳いでいた。
その間にも、どんどん水嵩は下がり、建物の一階部分が見えるくらいになってきている。
「ああやって、生き物を捕まえて保護してるんだね」
「ここって、ダムでしょ? 何であんなに魚がいるの?」
「うん、そうだね。ダムって言っても、川を堰き止めてるだけだから、川を下ってきて迷い込んだのもいるだろうし。飼いきれなくて逃す人もいるんだろうさ」
要がたぶんだけどね、と推測を教えてくれる。
でも、実際その通りなんだろう。
水が抜けてきて全貌が見えるようになったここは、ダムというにはあまりにも造りが雑だ。
二つの山の間に壁があるだけ。それで水を堰き止めているだけなんだ。
天気のいい日とかは、山がどんどん水を吸い込んで水がそうとう減るんじゃないだろうか……。
あ、だからこの町は夏になると断水が多いのか。
「この調子なら、明日には入れそうだね。今日はまだ入れなそうだし、もう帰るかい?」
「ううん、もうちょっと見てたい」
どんどん魚が網にかかるのとか、水がどんどん抜けて村が見えてくるのとか、見ていて全然飽きない。
夢中で眺める僕が柵から落ちないように、要はずっと僕の腰を掴んで付き添ってくれていた。
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