慟哭のシヴリングス

ろんれん

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姦邪Ⅰ -ルィリア編-

第25話 シャーロットの料理

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 ルィリア邸のお風呂は家の中とは思えないほど豪華なもので、例えるなら高級旅館の銭湯のようだった。まぁルィリア邸自体高級旅館みたいな見た目してるから正しいと言えば正しいが。
 シャンプーもボディソープもかなり高級な物なのか凄く良い香りがするし、一度洗っただけで髪はサラサラに、肌はツヤツヤになった。
 設備も内装も文句無しだが、ある一点だけはどうしても解せなかった。

「気持ちいいね、零にぃちゃん」

 良い香りのする温泉の中には、俺と久遠……兄妹とはいえ異性同士が混浴していた。その上、久遠は俺に身体を密着させてきている。

「……1人で入りたいって言ったよな」
「私達兄妹でしょ? 兄妹なら、一緒にお風呂入る事くらい当たり前だよ」
「そういう事じゃない、俺は風呂は1人で入りたい人なんだって」
「そうですよ~? 例え兄妹でも相手の意思は尊重した方が今後の為ですよ」

 ……そう言いながら、身体にバスタオルを巻いて魅惑のボディ(笑)を隠して一緒にお風呂に入る気満々なルィリアが入ってきた。どちらにせよアニメでよくあるような透明度の低い湯気によってあまり見えないのだが。

「ツッコミ待ちなのかルィリアは」
「え? 何がです? ワタクシは普通に尊い兄妹の間に……コホン、お風呂に入ろうとしてるだけですよ?」
「本音漏れたな今! 相手の意思は尊重した方が今後の為じゃないのかよ!」
「ワタクシ達の意思も尊重した方がよろしいかと! ねっ、クオンちゃん?」
「うん……私達の意思も尊重して」
「ぐっ……コイツら……はぁ、わかった。多数決じゃ俺の負けだしな」
「お互い博識で助かります~」
「……博識の意味違くないか?」
「え? 頭良いって意味じゃないんですか?」
「はぁ……」

 ルィリアの発言に、俺は思わずため息を吐いた。そんなこんなで何だかんだ3人で一緒にお風呂に入る事になったのだ。

「しかし……さっきのパンチ、本当に痛かったです! あの場面で容赦なく殴りますかね普通!」

 俺と久遠が入っている大きな湯船の中に入ってきたと思ったら、ルィリアは急に頬を膨らませてそう言ってきた。

「それは……悪かった。つい勢いがついてしまって」
「いいですよ、そもそもあの寸劇の言い出しっぺはワタクシですからね」
「うん……アドリブに答えるの、大変だった」
「久遠、ああいうのは無理して付き合わなくてもいいんだぞ……」
「ねぇ、レイ君」
「何だ、急に改まって」
「もし……もしですよ? ワタクシが何か極悪非道な事をしたら、さっきみたいに容赦なく殴ってくれますか?」
「ああ容赦なくブン殴る」
「即答ですかっ!? もうちょっとこう悩んでくれてもいいじゃないですか!」
「悩んでほしいなら、俺にそういうの求めない方がいいぞ」
「……でも、そういう割り切りの良さは、正義のヒーローに向いてると思いますよ」
「だからやめてくれってもう……」
「あ、顔赤くなってますね! 可愛いですねぇ」
「これはのぼせそうだからだ!! 温度高いんだよ!!」

 俺は少し子供のような言い訳を言って、湯船から出て脱衣所の扉を開ける。風呂に浸かって熱くなった後の脱衣所の温度差はとても気持ちがいい。
 ……ふと、俺はあることに気付く。

「そういえば着替えは?」
「ちゃんと持ってきましたよ。単に尊すぎてどこかへ行ってしまっていた訳じゃないんですよ? ほら、そこに置いてあるかと思うんですが」

 湯船に浸かりながら、ルィリアは脱衣所に向けて指をさす。俺は全裸で脱衣所を歩き回ると、綺麗に畳まれた3着……恐らく俺と久遠とルィリアの分の浴衣を見つける。
 それぞれ柄が少し異なっており、俺は緑色の浴衣を手に取る。

「ありがとう」
「えぇどういたしまして! さてそろそろ晩御飯が出来ている頃でしょうし、ワタクシ達も行きましょうか」
「うん……」

 そう言って、久遠とルィリアも脱衣所へ上がってきた。
 俺は浴衣を広げてそれを着ようと思ったのだが、再びある事に気付いて踏みとどまった。

「——なぁ、下着は?」
「……あ」
「おい」



 リビングにあたる部屋へ戻ってくると、テーブルには様々な料理が並べられていた。これを全部1人で作ったというのだから、シャーロットはメイドの中でもかなり仕事が出来る人物なのではないかと思える。

「いやー今日も美味しそうですね!」

 頭に大きなタンコブが出来ているルィリアが、目を輝かせてそう言った。いつもシャーロットの料理を食べているであろうルィリアがこう言うのだから、きっといつも違う料理が出てくるのだろう。

「お褒めの言葉、感謝致します。シン様とフェリノート様ので好みがわからなかったので、拙の得意料理をご用意いたしました」
「得意料理って……これ全部か!?」
「はい。メイドとして当然でございます。まず左から、サルモンのカルパッチョ、ローストビーへのサラダ、無水トフトカレー、海老とキルコのアヒージョとなっております。デザートはこちらの、フラソボウーズソースのチョコケーキでございます」

 ……とにかく、色んな料理があるという事だ。
 この異世界の食文化は、さほど前世の料理と変わらない。強いて違う点を上げれば、食材の名前と和風洋風の概念が無くなっている事くらいだ。
 サルモンはサーモン、ビーへはビーフ、トフトはトマト、キルコはキノコ、フラソボウーズはフランボワーズの事である。

「凄いな……」
「凄いでしょう、ワタクシのメイド! 料理に関してはワタクシどころか、腕の立つ料理人の実力を凌駕しています」
「まぁルィリアよりかは確実に凌駕してるだろうな」
「なっ!? ワタクシだってシャーロット程ではありませんがそれなりに美味しい料理作れるんですからね!! キッチン借ります!」
「お辞めください。神聖な場であるキッチンが汚れます」
「お風呂入った後なので綺麗ですっ!!」

 そう言って、ルィリアはガニ股でズカズカとキッチンに入っていってしまった。
 
「はぁ……行ってしまわれましたね。シン様が変に焚き付けるからですよ?」
「……とりあえずルィリアは自分で自分を下げるのは良くて、他人から下げられるとムキになるって事はよく分かった。これからは気をつける事にする」
「いいえ、あれは敢えて自分を下げた後に“そんな事ないよ”と言って欲しかっただけかと」
「……」

 ルィリアとは俺よりも長い時間を過ごしたシャーロットの考察を聞いて、俺は何も喋らずにただ椅子に座った。
 呆れて声も出ない、とはまさにこの事を言うんだろう。ルィリアの年齢は知らないが、絶対に俺よりは歳上だろう。まぁでも、大人になっても子供みたいな奴は腐るほどいるからな……それと比べたら可愛いものだとは思うが。
 とにかく、俺は目の前の料理に向けて箸を伸ばした。まずはサルモンのカルパッチョだ。山のように盛り付けられたスライスオニオンと一緒にサルモンを取って、口に運んだ。

「お口に合えば良いのですが」
「う、美味いッッッ……! 何でメイドなんてやってるんだ、お店出した方が良いぞ!」

 俺はあまりの美味しさに笑みを浮かべながらシャーロットに向けてそう言った。
 口に入れた途端にオリーブオイルの独特な香りが広がり、舌の上ではレモンの酸味とサルモンの旨味と脂が合わさる。それだけでなくスライスオニオンも小気味良い食感を残しつつしっかりと甘味も感じ、味でも音でも食感でも楽しめる。微かに感じる胡椒の香りも全体の味を引き立てている。
 食材一つ一つがしっかりと味と香りで存在感を残しつつ、かといって個々の主張が激しい訳ではなく、全てが見事に調和している……まさにパーフェクトハーモニーである。

「お褒めの言葉、感謝致します。ですがシン様のご提案は承れません」
「何でだ? 副業とかダメなのか?」
「いえ、稼ぎの問題ではありません。飲食店の運営において最も重要なのは味よりも回転率です。しかし拙は実力不足ゆえに料理に掛ける時間が長いので、お客様を待たせる事になってしまいます」
「……そうなのか」
「その分、メイドという職業はマイペースに出来るので楽なのですよ。最初こそ大変ですが、ご主人様の日々のルーティーンを理解すれば、家事の優先順位とそれぞれに掛ける時間も考慮して行動出来ます」
「へぇ……シャーロットって、ルィリアの前はどんな人のメイドだったんだ?」
「悪名高い社長の息子のメイドでしたね。金か親の権力で物事を解決してきたようなボンボンでしたので、朝起こすのも歯を磨くのも、着替えから食事、娯楽や性処理も何もかもさせられましたね」
「……大変だったんだな」

 最後に変な単語を聞いたような気がしたが、俺は聞かなかった事にしてとりあえず思った事を率直に告げた。朝起こすはまだしも、歯磨きまでもしてもらって、着替えも食事もしてもらうだなんて、もはや老人介護と変わらないじゃないか。

「零にぃちゃん……」
「ん、どうした久遠」
「……なんか、焦げ臭くない?」
「皆様お待たせしましたー!!」

 するとキッチンからルィリアが何かのプレートを片手に戻ってきた。途端、辺りが霧がかったかのように曇り始めた。

「ル、ルィリア……アンタ何作ったんだ!?」
「ステーキです!」

 俺の問いに対してそう言うと、ルィリアはステーキプレートをテーブルの前に置いた。
 ……プレートの上にあったのはステーキではなく、真っ黒な物体だった。

「……もう一回聞くぞ、なんだこれ」
「ステーキです!」
「何か黒いんだけど」
「ま、まぁ……ちょっと焦げちゃってますが……エクストリームウェルダンという事で……」
「消し炭だよ」
「けっ……!? もっとマシな例えは無いんですか!?」
「大体ステーキって火で焼くだけだろ、まぁ火加減とか難しくはあるけど……こうはならないだろ」
「なってるじゃないですか!」
「じゃあ食べてみろよこれ!」
「こんなの食べたら癌になりますよっ!!」
「じゃあ尚更俺に食わせようとするなよッッ!!」
「じゃあクオンちゃ」
「いらない」

 久遠は食い気味に返答し、見せつけるようにシャーロットの作った、消し炭エクストリームウェルダンステーキにちょっと色味が似ているチョコケーキを口に頬張った。

 ——いや、いきなりデザート枠のチョコケーキ食べたのか?
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