触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第一章

1.スライム その②:魔女

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 翌日には、すっかり学院中に私の使い魔メイトの噂が広まっていた。

 廊下を歩いているだけで、どこからともなくこんな話し声が聞こえてくる。

「あ、来たわよ……例のリンさんが」
「あれが、リンって子? ぷっ、クスクス……ほんとに『スライム』だ」

 現状への変化を求め、藁にもすがる思いで臨んだ【契約召喚コントラクトゥス】も、結局はすれ違う度に投げかけられる心のない声に新たなバリエーションを加えたに過ぎなかった。

 不幸中の幸いは、代価として捧げた筈の父の形見の指輪がなぜか手元に残ったことだろう。この指輪は私が朧気な記憶にしか知らない父親を思い起こさせる大切なもの。理由は分からないが、失わずにすんだのなら良かった。

 そう思うしかない。

 以前と変わらぬ日常。自分がいかに劣った存在かを思い知らされ続ける日々がまた始まった。

 ああ、一つだけ。一つだけ、変わったことがあった。それは……。

「なあ、何で言わせっぱなしにさせてんだよ。ムカつかねえのか? 思いっきり舐められてるぜ」
「……うっさい」

 この小うるさい『スライム』が、何処へ行くにも付いてまわるようになったことだろうか。一旦、〝魔界〟へ送り返しても良かったが、必要になった時に再び召喚門を開くのが億劫で……いや、今更変に格好つけるのはよそう。魔法の才能に乏しい落ちこぼれの私では、呼び出すために再びゲートを開くのも一苦労なので、好奇の的になることを承知でしぶしぶ連れ立っているのだ。

 そうでなければ、誰がこんなものを連れ歩くものか。何の自慢にもならない。

 前を歩く同じく登校中だろう生徒が立派な大蛇を侍らせているのを羨ましく眺めながら、私は深いため息をついた。

「なあ、お前も魔法士カラギウスなんだろ?」
「……随分と、古めかしい言い方をするのね。〝魔界〟じゃそう呼ぶのかしら……今は魔法使いウィザードって言うのが普通よ、女性に限定する時は魔女ウィッチね」

 魔法士カラギウスなんて二百年以上は前の言葉だ。今は歴史や学術、日常的なところでは役職や道具といったところに残る程度で、一般的に使う呼称ではない。

「んな呼び方の違いなんてどうでもいいんだよ。魔法が使えるんなら、舐めてる奴らは魔法で黙らせてやれよ。舐められたら殺す! 魔法士カラギウスってのは概してそういう奴らだろ?」
「……いつの時代の話よ。ていうか、。あと魔法使いウィザードだって言ってるじゃない」
「はあ? 何を弱気なこと言ってんだ。お前はオレ様と契約したんだぜ。魔法士カラギウス……じゃなくて、魔法使いウィザード使い魔メイトは一心同体! お前が舐められるってことは、オレ様が舐められるのと同じことだ。誰に口を聞いてんのか、その身に思い知らせてやろうぜ! なぁに、殺しゃしねぇ、ちょいと懲らしめてやるだけさ!」

 やる、やらないの話じゃない、「できないのだ」ともう一度はっきり言おうとして、その情けなさに気付いて止めた。

 ズキズキと痛むこめかみを抑える。この『スライム』は昨日からずっとこんな調子で、ストレスが溜まってしょうがなかった。

 好戦的なのはともかくとして、その異常な自己評価の高さはなんなんだ。私の使い魔メイトの癖に。

 彼曰く、自分は偉大な存在でありこの矮小な姿は私の開いたゲートが狭すぎた所為、力が足りないのは供給される魔力量が少ない所為、オレ様の真の力を見たいなら別途、飯を寄越せ……と、『スライム』は頻りに訴えてくる。

 では、何を食べるのかと問えば、わざわざ〝魔界〟の言葉で『霈昴¢繧狗浹』――つまり、『魔石ノクティルカ』が一番良いと答えやがる。ふざけているのか、それとも煙に巻こうというのか、昨日の私はそれ以上真面目に取り合うことをやめ、ベッドに潜り込んで不貞寝した。

 ……ああ、思い出すとなんかムカついてきた。

「あのねぇ……一体、誰の所為でこうなってると思ってるの?」

 ふつふつと沸き上がってくる怒りはもうとっくに臨界点を越えていた。隣をずりずりとナメクジのように這い歩いていた『スライム』を八つ当たり気味に上から踏み潰す。

「いい加減にして、この『スライム』風情が! 黙ることもできないの!?」
「はぁ? オレ様のどこがスライムだってんだ」
「まんまじゃない!」

 ぷるぷるとした水っぽい半透明の体組織。ムカつくほどに弱々しい力。苔や朝露を啜って日陰にのさばる下級の魔物。

 まさに目の前にいる『スライム』そのままではないか。

「いやいや、よく見ろよ、オレ様の体組織には『核』が何処にもないだろ? そりゃあオレ様がスライムなんかとは『格』が違う完成された存在だからさ」
「洒落を言ってんじゃないわよ!」

 ずりずりぐにぐにと動き、私の足の下から這い出てくる『スライム』。確かに核はないようだが、それがどうした。どうせ亜種かなにかだろうが。

「おっ、リン。早速、『スライム』と仲良くなってるみたいじゃん。はははっ」

 廊下の真ん中で人目を憚らずに騒いでいた所為だろう。かなり注目を集めてしまっていたようで、後ろから私を追い越していった名も知らぬゴミ糞に笑われてしまった。歯噛みして怒りと羞恥に身を震わせていると、同じく『スライム』もまたその身を大きく震わせる。

「あの野郎、糞ほどオレ様を舐めてんなぁ……やっちまうか? 二度と舐めた口を聞けなくしてやろうぜ!」
「っ――止めて!」

 さっきのゴミ糞に背後から飛びかかろうとする『スライム』を、私は反射的に思い切り蹴っ飛ばした。私の大声に驚いて、追い越していった名も知らぬゴミ糞もこちらを振り返る。だが、今の私にそっちを気にする余裕はなかった。

「もう、勝手なことしないで大人しくしてて! これ以上、恥をかかせないで!」

 肩で息をしながら、廊下の壁に叩きつけてやった『スライム』の動向を見つめる。べしゃっと床に落ちた『スライム』はピクりとも動かない。

(……やりすぎちゃった?)

 思わず怒りを引っ込めて心配してしまうぐらい、さっきまでの煩さが嘘のように『スライム』は静かになった。

 暫く『スライム』はそのまま沈黙していたが、やがて緩慢に動き出した。ほっと一息。存在は維持できているようだ。もう一度呼び出すのは手間だから良かった。

「……さあ、もう行くわよ。お願いだから静かにしてて」

 しかし、ほっとしたのも束の間、『スライム』は私の差し伸べた手を無視して廊下の壁を伝って登り始めた。そして、廊下の窓にまで辿り着くと、その身を外へ乗り出させる。

「久しぶりに契約してみたら、まさか契約者がこれほどの『根性なし』とはな。こんなことなら契約に応じるんじゃなかったぜ。ったく、オレ様も自分で自分が恥ずかしいや」

 心底失望したというような軽蔑の言葉だけを残し、『スライム』は窓の向こう側に消えていった。

 唖然とするばかりの私をその場に置き去りにして。
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