触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第一章

1.スライム その④:私の方が上手い!

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 授業と鍛錬。その往復を繰り返しているうちに、三日の刻限はあっという間に過ぎ去っていった。その間、常に蔑視され続けるこの素晴らしい環境のおかげで、闘志は萎えることを知らず高まりっぱなしだ。今にも、暴発してしまいそうなほどに。

 聞いていた通り、私とロクサーヌは一回戦の第三試合で戦うことになっていた。現在は第一・第二試合を同時に行っているところなので、そのどちらかが終わればすぐに私の出番だ。

 待機室の長椅子に座り、手中のカラギウスの剣の柄をグッと握りしめる。

 最近、一人でいるとよく故郷のことを思い出す。去年はバイトで忙しくて田舎に帰れなかったからだろうか。仲の良かったお隣のヨナちゃん、村のみんな、まだ小さい二人の妹たち、ママ……そして、まだ私が幼い時に火事で死んでしまったパパ。私は現実逃避がしたいのかもしれない。

「――リン、来ていたのか」


 ふと気が付くと、暗い肌色をした壮年の女性が私の正面に立っていた。長身でスラリと伸びるその体には、あるべきものが一つ欠けていた。左腕……隣国パルティア王国との戦闘でなくしたという左肩から先の袖が風に揺れていた。

 私はぽつりと彼女の名を呼ぶ。

「……クラウディア教官」

 教官は一人前の魔女としてこの学院を卒業し、イリュリア国軍エクセルキトゥスに軍官として配属されていたそうだが、左腕を失い第一線を退いてからは学院の教官職に就き、授業では初等部に体術を、クラブ活動アクティビティでは剣術を指導している。

「私が来ていたら、何か不都合でもあるんですか?」
「そうじゃない。てっきり、棄権するものと思っていたからな。契約直後で連携を磨く暇もなかった筈だろう? たかが剣術。たかがクラブ活動アクティビティ。たかが大魔法祭フェストゥムだ。実戦に勝る訓練はないと言うが、無理をしてわざわざ負けにくることもあるまい?」
「……そうですね、教官の仰る通りだと思います。でも、出ることにしました」

 唯でさえ魔法の力量からして劣っているというのに、更に使い魔メイト周りでの不利をも抱えている状況。無理に張り合う必要はないだろう。だが、そんなことは百も承知である。もはや、私の中でそういうレベルの話ではなくなっていた。

 私は「出る」とハッキリと意思表示したつもりだったが、クラウディア教官はまだその場に留まっていた。まだ他にも何か言いたいことでもあるのかと思って待っていると、教官は躊躇いがちに口を開いた。

「お前には……剣術の才能があると思うよ」

 思いも寄らぬ称賛の言葉。瞬間、脳裏に懐かしき幼少期の思い出が去来した。

 ――リン、お前は剣術の天才だ!

(……パパ……)

 それはありし日、初めて遊びで剣を振るった時に、調子こいた年上の男の子を私が完膚なきまでに打ちのめした時の思い出。

 古い古い、今や久しく味わっていない成功体験。いつまでも浸っていたいような心地よさが全身を満たすが、すぐに冷や水を浴びせかけられて現実に引き戻される。

「だが、それは常人の剣だ。学院ここで遊ぶには、ちと魔力量が足りなすぎる。やれば、また負けるぞ」

 私のような不出来な魔女見習いにも親身になって指導してくれたクラウディア教官が、ここにきて『魔力量』という私の抱える魔女として最大の欠点を初めて指摘した。ついぞ、そこにだけは気を遣って言及を避けてきた教官がだ。

 魔力量は生来授かったものが物を言う、努力ではどうにもならない部分。言っても詮無きこと。だから、教官はこれまで絶対にそのことだけは口にしなかった。

 怒りで麻痺していた感覚が少しだけ正常に戻り、私が直面している「普通の魔女」という壁の高さを思い出す。

 クラウディア教官は、これ以上惨めを晒す必要はないと諭してくれているのだ。それは私を思えばこそのこと。

 それを理解しながら、私はやはり何も答えなかった。すると、私の決意の固さを見て取ったか、教官は深くため息をついた。

「頑固者め」
「……すみません。性分です」
使い魔メイトだ」

 いきなり何のことかと顔を上げると、クラウディア教官は力強く同じ言葉を繰り返した。

使い魔メイトだ。勝機があるとすれば、やはりそれしかない。今までになかった手札、想定外の異物。一か八か再召喚して協力を頼んでみるんだな」

 それだけ言うと、話は終わったとばかりにクラウディア教官はすたすたと待機室から去っていった。どうやら、教官も私と『スライム』が喧嘩別れしたことは知っているらしい。

 非常にありがたい助言だったが、私という生き物は自分でもどうしようもないぐらいに頑固者だった。見返したいのは『スライム』とて同じ。向こうから頭を下げにくるまでは、例え教官に頼まれたって協力なんて願い下げだった。

「リン、出番だぞ~」

 審判役として駆り出された教師が面倒臭そうに私を呼んでいる。

「今、行きます」

 重い腰を上げ、試合場に引かれた開始線まで歩を進めると、向かいにはやる気満々のロクサーヌが軽く伸びをしながら待ち構えていた。その隣に彼女の使い魔メイトらしき姿はない。

 まさか、『使い魔メイトを使わない』というあの一方的な約束をバカ正直に守る気なのだろうか?

(どこまでも、私を舐め腐っていやがる)

 苛立ちをこめて睨みつけてやるも、ロクサーヌはどこ吹く風と素知らぬ顔で私の体を上から下まで舐めるように見てきた。

「随分と……鍛えて直してきたようですわね。あちこち輝いて見えますわ。ところで、リンさんの使い魔メイトはどこでしょう。もしかして、戦闘の途中で召喚する戦術ですの?」
「……絶対に勝つ」
「へ? 今、何かおっしゃいました?」

 使い魔メイトがなんだ。魔法がなんだ。私には剣術しかない。

 ならば、その剣術のみで――アンタに勝つ!

「聞こえなかった? って言ったのよ」

 私がカラギウスの剣の魔力刃を展開し構えると、審判が試合開始を宣言する。時間が押しているためだろう性急な開始宣言にもロクサーヌは動揺せず、鷹揚に肩を竦めて構えた。

(気に入らない……その態度が、その表情が、その余裕が、ロクサーヌという人間を構成する何もかもが気に入らない)

 真っ向からロクサーヌが強く踏み込んでくる。迷いなく継がれる足には、何の気負いも見られない。その一挙手一投足に、尽き果てることをしらない絶対の自信がうかがえる。

(――速いッ!)

 まるで舞台俳優のように気取った動作から放たれる、一切のフェイントを交えぬ愚直な袈裟斬り。それは以前に立ち合った時よりも一段と速さを増しているように見えた。

 辛うじて、カラギウスの剣を間に挟み込むことに成功するも、受け止めた衝撃で腕が痺れ、筋骨が軋みを上げる。危うく、剣を手放してしまうところだった。

 やはり正面からは受け止められない。ロクサーヌは学院で最も【身体強化】に長ける魔女見習いであり、袖の白腕に見合わぬ剛剣の持ち主。どうやら、この二ヶ月の間にパワー・スピード共に更なる磨きをかけたようだ。

 歴然たる彼我の実力差は、ますます開く一方でしかないのか。

(あ~……くそっ。何だっけ……そうだ、話し方も気に入らない! 両親が運良く成功した成り上がりのくせして、取ってつけたように口調だけ名家ぶったって下卑た血筋も、育ちも変わらない……私と同じ! ……なのに……なのにどうして……みんな、知ってる筈でしょ?)

 どうして、アンタばかりが愛される――!

 私はロクサーヌに嫉妬していた。彼女は全てを持っている。名誉も、誇りも、称賛も、〝力〟も――私に無いもの全てを持っている。それが羨ましくて羨ましくて、顔を見る度に八つ裂きにしてやりたかった。

(――来る!)

 息つく間もなく、足を止めたロクサーヌの連撃ラッシュが雨のように降り注ぐ。いつもなら、あっという間に磨り潰されて居たことだろう。

 だが、今日の私は一味違う。

 これまでにないほど集中し、研ぎ澄まされている私の眼はその猛撃の全てを見切り、私の剣は自分でも驚くほど完璧にロクサーヌの連撃ラッシュを捌き切った。初撃のように受け止めるのではなく、時にヒラリと身を躱し、時に剣筋をズラし、時に下がりつつ受け流す。

 調子が出てきた。これが……剣術クラブで他の生徒と試合をするうちに自然と身に着けさせられた、相手の猛攻をひたすら耐え忍び惨めったらしく生き残るばかりの曲芸じみた剣。

 思わず、笑ってしまうぐらいに無意味で、儚い。

 必死に相手の攻撃を耐えたところで勝利の糸口が掴めるわけでもなく、そのまま魔力差からくる体力差で磨り潰されるのを待つばかりだというのに。

(嗚呼――なんて粗雑な振り方をするんだロクサーヌ それじゃ攻撃後の隙が大きすぎる 命を断つには剣先を掠めるだけで事足りる 私の方が上手い 刃筋がぜんぜん立っていない 力任せにやっても潰れるだけ 肉どころか皮も断てない 私の方が上手い 攻め方が単調すぎて攻撃タイミングが丸わかり 私の方が上手い 体重移動が雑だから空振りでふらつく 私の方が上手い 不細工な剣術 私の方が上手い 私の方が上手い 私の方が上手い 私の方が上手い 私の方が上手い 私の方が上手い――!)

 その時、不意にロクサーヌが口角を釣り上げた。

(何を、笑っているんだ……? ロクサーヌ……)

 前後して、大振りの攻撃が放たれる。だが、ロクサーヌの楽しくて楽しくて仕方がないという感じの場違いな笑みに気を取られていた私は、貴重な身を引くだけの時間的猶予を失ってしまっていた。

 しかし、まだだ。まだ終わっちゃいない。

 この三日間、みっちり入念に鍛錬を積んできたおかげか、今日の私にはロクサーヌの動きがいつもより見えている。

(そんな力任せの攻撃なんか、余裕で受け流し――て――)

 ――ガン!

「え――」

 理解が追い付かない。なにか、剣と剣がぶつかる時に出てはいけない音が耳朶を叩いたかと思うと、次の瞬間、私の視界は真っ黒に染まっていた。

 何が起こった。私は死んだのか?

 程なくして、ロクサーヌの声が非常に遠くからくぐもったように聞こえてくる。

「審判さん? リンさんが『場外』へ行き、更に『ダウン』しましたわ」
「……ワ、ワン! ツー!」

 そこでようやく私は混乱から抜け出し、事態を把握する。

 私は、また一段と破壊力を増したロクサーヌの剛剣によって観覧席まで吹き飛ばされたのだ。そして、この視界の暗さは観覧席の椅子の山に埋もれている所為らしい。

(はあ……まだ、競技用魔法も使われていないってのに……)

 剣術ともいえない【身体強化】のゴリ押しだけでいきなりピンチに陥っているのかと思うと、余りの力量差に変な笑みがこぼれた。

 ロクサーヌの言葉を聞く分にはまだ斬られたわけじゃなさそうだから、これは単なる『場外』と『ダウン』という判定で、10カウント以内に立てば試合は続行できる。

 ルールに救われた。実戦だったらここで追撃を食らって死んでいた。

 状況を把握し終えると、なぜだか力が抜けてきた。他の代表選考試合の出場者や、その関係者なんかでごった返す観覧席は存外に心地が良かった。

「スリー! フォー! ファイ……」

 審判のカウントが段々と遠のいてゆき……まるで子守歌のように安らかで曖昧な響きにかわる。

 ――いっそ、このまま眠ってしまおうか。
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