触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第一章

4.革命の気運 その②:盗難事件

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「おっ、話は終わったのか?」
「ええ……」

 入口でマネを拾い学生寮ドルミトーリウムへ向かう。ここまで来ると、私は歩調を緩めて早足ぐらいの速度になっていた。

 唯でさえ『サバイバル実習』の後で疲れているというのに、一度に色んな情報が襲いかかってきたものだから、なかなか頭と心の整理がつかなかった。

 ヘレナが『革命』なる崇高そうな目的を抱いていることは分かった。しかし、それに私を誘いたい理由はさっぱり分からない。まさかとは思うが、『英雄』云々は口説き文句のつもりなのか? だとしたら、的外れにもほどがある。

 あれこれ考えていると、あっという間に第三学生寮テルティウム・ドルミトーリウムへ着いてしまった。

「なあ、オレ様を除け者にするってことは政治的な話だったのか?」

 皆はもう寝静まっているのだろう、音のない寮の廊下にマネの声が静かに響く。

 明文化されたルールではないが、使い魔メイトはあまり政治的なことに関わらせるものではないというのが一般的なマナーだ。過去、悪辣な魔族の使い魔メイトによって政局を引っ掻き回され、亡国の憂き目あった事例は数知れず、いつしかそうするようになった。

 しかし、飽くまでマナーであり絶対的なものではない。また、頭の良い魔族の使い魔メイトなどは上手いこと遠回しに寓話などを用いて助言をくれたりするらしい。マネにはそういう器用なのは無理だろうな。

 私は差し支えない範囲でヘレナとの会話を掻い摘んで話し、マネに意見を求めた。

「どうしよう……私、ヘレナの誘いに乗った方が良いと思う?」
「……別に今考えなくても良いじゃねぇか、明日にしようぜ、明日に。それで駄目なら明後日だ。今日のところはもう寝よう。疲れてんだろ」

 やっぱり、碌な答えじゃない。しかし、何の解決にもならなかったが、気休めにはなった。

 あの時のヘレナの眼は異様だった。狂気じみていた。思い出すだけで身震いを起こしてしまうほどに。

 王党派に身を寄せれば、きっと彼女のいう『革命』に否応なく巻き込まれるのだろう。それが嫌とは言わない。私にだって人並に道義心とか愛国心は持ち合わせているつもりだ。

 家族のために、或いは他の誰かのために、一人前の魔女としてより良くあらんと努力するのは、きっと素晴らしいことなのだと思う。けれど、『革命』の中身を知らないうちは何とも判断を下し難かった。

(とにかく……マネの言う通りに今日はもう寝よう……)

 面倒ごとを頭の片隅に追いやり、逃避するように自室のドアを開いた私は思いがけぬ光景を前にぴしりと固まった。

「うわ、こりゃひでぇな……」

 引き出しという引き出しは開け放たれ内容物が散乱し、物という物がひっくり返されその上に山積みにされている。窓も限界まで開け放たれており、吹き込んでくる夜風にカーテンが靡いていた。

 綺麗好きの私としては、目眩がするぐらいに滅茶苦茶な散らかり様だ。ニナの部屋より酷い。

「どうして、こう面倒事が立て続けに起こるのよ……ああ、頭が痛くなってきたわ……」

 思えば、部屋の鍵が開いていたところからおかしかったのだ。折節実習エクストラ・クルリクルムで暫く部屋を空けるのだから、流石に戸締まりぐらいはキチンとしてゆく。一週間前、部屋を出る前にちゃんと確認した記憶がある。

「マネ……警戒お願いね」
「……おう」

 疲労もあり、早々に事態の収拾を諦めた私は、散らかる雑貨を掻き分け着替えもせずベッドに飛び込んだ。





 翌日、せっかくの休日だというのに私の部屋には大勢の警察官が上がりこんでおり、大層騒々しい朝を迎えていた。

 熱心に捜査を進める彼らを横目にぼうっとコーヒーを啜っていると、一人の警察官が私に近付いてきた。濃い褐色肌のガッシリとした体付きの彼の首元には一人前の魔法使いウィザードであることを証明する太陽ソールルナを模した首飾りが垂れ下がっている。



「イリュリア王国警察局、魔法犯罪対策課、主任のアーシムだ。肩書通り、我々は魔法が絡む犯罪を専門としている。捜査から魔法犯罪者の取り押さえ、アジトへの踏み込みなどの荒事も担当する――俗に言う『猟犬ハウンド』だな」

 アーシムさんが軽い自己紹介をしてくれた。『猟犬ハウンド』とは、魔法犯罪対策課に所属する魔法使いウィザードたちの呼び名だ。正式な名称ではなく俗称。誰が呼び始めたかは知らない。

「前任者が失礼したようだね」
「え、前任者?」
「いつかの猫の誘拐事件のことさ。君も関わっていたと聞いている。そして、今回の事件と地続きであることも。安心して欲しい、日和見主義の前任者は更迭された。捜索には全力を尽くすよ。我々は社会秩序を維持する行政作用、貴族も平民も触法者であるなら必ず逮捕してみせる」

 淡々と、しかし確固たる熱意のこもった口調で話すアーシムさんには頼りがいがあり、ざわついていた心も少しずつ落ち着いた。

 すると、周りの様子がよく見えてくる。アーシムさん以外の警察官は皆、忙しそうに散乱する物品に魔道具アーティファクトをかざしていた。犯人の痕跡でも探っているのだろうか。ニナの部屋からはリリーが犯人だったこともあり何も出なかったが、今回は何か出てくるかもしれない。

 捜査の結果を期待して待つ間、アーシムさんが事情聴取のようなものを始めた。

「盗まれたものについて、お聞きかせ願いたいのだが」
「えっと……盗まれたのは見た限り小箱だけです。その中には貰い物で高価なマジックアイテムの指輪と、父の形見の指輪が入っていました。小箱はロクサーヌという友人から借りたもので、開けるには『物理的な鍵』と『魔法的な鍵』の二種類の鍵が必要な最新型です」

 物理的な鍵とは読んで字の如し。魔法的な鍵とは私の魔力波長パターンのことである。魔力波長パターンは個々人で微妙に異なるので、その特徴を利用し登録された特定の魔法使いしか開けられないように小箱は設計されている。

「小箱は、そこに引き倒されてるタンスの二重底の奥にしまっていました」
「ふむ、ここまでは概ね事前に聞いていた通りだ。それ以外には何も盗まれていないんだったね。二つの指輪の存在や所在を誰かに話したことは?」
「存在自体は結構な人が知っていたかもしれません。誘拐事件の時、ニナは結構大騒ぎしていたみたいですから。加えて、さっきも出てきたロクサーヌっていう奴が色んなところでその話をしていたみたいで……でも、タンスの二重底の奥に仕舞っていたことを知っていたのは、小箱を貸してくれたついでに一緒に隠したロクサーヌと、私が隠し場所を話したクラウディア教官の二人だけだと思います」

 そう言うと、アーシムさんは「成程」と呟きながらメモを取り、質問を続ける。

「小箱の物理的な鍵はどこに?」
「枕の中綿に隠していました。この場所は誰にも言ってませんし、盗られてもいません」

 鍵は隠した時のまま枕の中に残されていた。中綿の状態もそのままで、誰かに手を付けられたような形跡はない。

 この部屋の荒れようを見るに、犯人はいつ私が戻ってくるか分からない状況下で相当に焦っていたようだから、やっとのことで見つけ出した小箱をその場で開けようとはせず、施錠されたままの状態で持ち去った筈だ。

 先程、玄関の鍵穴から物理的なピッキングの痕跡が発見されたそうだし、犯人にとって障害になり得るものは魔法的な鍵のみであることを考えると、その予想はほぼ間違いないと思われる。

「ところで、昨日はすぐには部屋に戻らなかったとのことだが?」
「はい。同じクラスのヘレナという子に呼び出されて、中等部二年三組トレースの教室へ行っていました。三十分そこで待たされて、少し話しました。行き来の時間を含めると全部で一時間ぐらいでしょうか。その後は夜も遅いし疲れてもいたので、通報とかは明日にしようと思って寝ちゃいました」

 ふむ、とアーシムさんは顎に手を当てて思案顔をする。

「ヘレナ、というのは……次期宰相候補と呼び声高いロイ・アーヴィンのご息女、ヘレナ・アーヴィンに相違ないか?」
「はい。そうです」
「……学院内の王党派の中核的人物だな……。差し支えなければ、教室でどんな話をしたか聞いても?」
折節実習エクストラ・クルリクルムで私が少し活躍したので、『王党派に来ないか?』と勧誘を受けて王党派サロンの紹介状をもらいました」
「帰ってすぐにか? 確か中等部二年のこの時期は使い魔メイトを伴う初めての折節実習エクストラ・クルリクルムがあったな。相当な活躍をしたのか、それとも前々から目をつけていたのか、随分と手が早い」

 そこは私としても不思議に思っているところだった。

 その時、部屋を捜査していた警察官の一人が透明な袋を手にやってきた。

「アーシム主任、こんなものが」

 透明な袋の中に入っていたのは、黒い毛髪だった。私の髪も黒色だが、私のものより二倍ほど長い。

(誰の毛だ……?)

 私以外にこの部屋に招き入れた覚えはないので、必然的にそれは犯人のものである可能性が高い。

 長髪で黒髪……私は思い付く限りの候補を思い浮かべてみるが、不思議とその条件に合致する人物は一人しか浮かばなかった。

 どこにでもありふれていそうな髪色なのに、ただ一人――クラウディア教官しか。

「魔力痕もでました」
「そうか、魔力波長パターンの照合はできたか?」
「はい。魔力痕の主は――クラウディア・ローゼンクランツです」

 私は息を呑んだ。

 魔力痕とは、魔法使いウィザードの遺留物から検出される残留魔力のこと。魔法使いウィザードが長く身に着けたものや髪、爪、垢などには、その魔法使いウィザードの魔力が僅かに染み付く。そして、一日か二日で霧散する。

 魔力波長パターンは人それぞれ微妙に異なるので、最近は所属を明らかにする意味でも登録が義務付けられており、こうして警察の捜査にも活用されている。

 その魔力痕まで出てしまったのならもう疑う余地はない。その毛髪は、正真正銘クラウディア教官のものだ。

(だけど、どうして……?)

 どうして、私の部屋にクラウディア教官の毛髪がある。

 剣術クラブの時に付いたか? ――いや、それなら一週間以上は経っているから魔力痕は霧散している筈だ。

 折節実習エクストラ・クルリクルムの時に付いた? ――いや、それも考えられない。最終日のグィネヴィアとの戦いで制服が溶けてしまったから、馬車に乗る前に新しい制服に着替えている。

 となると、残る理由は一つしかない。

(クラウディア教官が、私の部屋の中に――)

 それ以上の思考を私の脳は拒んだ。

 言葉にするのは簡単だが、その可能性が存在することを認めたくなかった。

 その時、アーシムさんと警察官の声が聞こえたので私の意識はそちらへ逃避した。だがしかし、やはり避けようもなく、二人の会話はクラウディア教官のことだった。

「確かクラウディア・ローゼンクランツには目撃証言もあったな。優先して当たれ」
「そ、それが……」
「どうした、何か問題でもあるのか」
「ただいま入った情報によると、彼女は早朝に学院を出ているそうでして……所在不明です」
「チッ……五人ほど割く。今日中に見つけ出し、早急に重要参考人としてご同行願え。この事件、存外に面倒ごとになりそうな予感がする」
「はっ!」
「あ、あの……!」

 あまり出しゃばるものではないと自覚しているが、それでも気になってしまって口を挟まざるを得なかった。

「目撃証言っていうのは……?」

 アーシムさんは口を滑らせたとでも思ったのか顔をしかめた後、仕方なさそうに教えてくれた。

「どうせ、どこかで知ることになるだろうからここで言っておく。昨晩、マチルダという生徒が、第三学生寮テルティウム・ドルミトーリウム付近にてクラウディア・ローゼンクランツを目撃している。しかし、君は被害者とはいえ一生徒。色々と思うところもあるだろうが、くれぐれも出過ぎた真似は慎むように」

 厳しい口調で私に釘を刺し、アーシムさんは大股歩きで私の部屋を出ていった。
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